第二幕ノ十四 落ち着く場所――はかどる作業


 松竹屋の物置小屋は、様々な品物が乱雑に押し込まれていていた。

 壊れた琴などの楽器類、ほつれた衣類や虫に食われた衣類、壊れた調度品や建具などなど……それは足の踏み場がないくらいの散らかりようだった。

 その散らかっていた物置小屋の中を、かろうじて人一人が座って作業ができるくらいに片し、その小さな空間に、八重がぽつねんと座って作業をしていた。

 八重のやっている作業とは、物置の中に乱雑に押し込められていた物品たちの再生。

 つまるところ、化け物長屋でいつも八重がやっているリサイクル事業のようなものだ。

 ただ八重としては、慣れないお稽古事をやるよりは、いつもやっているこの作業の方が性に合っている――というか一人でほそぼそとやる作業の方が好きなので、八重からすれば、今のこの作業はとても楽しいものだった。まあ、松竹屋の他の娘集たちからすれば、可哀想な八重さんみたいな感じに目に映っているかもしれないが。


「これで、三つめですぅ……」


 作業を始めてから三つめの琴の修理を終え、はふぅ……と達成感に満ちた息をもらす八重。そして、横に置いてあるツボへと手を伸ばし、ツボをゆっくりとかたむけてその中身をおちょこに注ぐ。

 ツボの口からドロリとした液体がおちょこへと滴り落ちる。ツボの中身は双葉が差し入れてくれた油であった。それも、昨日と同じ、最高品質の椿油である。

 油で満たされたおちょこを手にし、きょろきょろと辺りを見回す八重。そして、誰もいないことを確認し、おちょこに口をつけて油を一気にぐいっ飲み干し、はふぅ~~……という幸せいっぱいの息を漏らした。


「よしっ、もうひと頑張りですぅ♪」


 爛々らんらんとした口調で八重がつぶやいた、その刹那、


「やぁ~えさんっ」


 という弾んだ声が八重の後ろから響いた。


「ひゃうぅっ?!」


 不意打ちに、びくりっ!! と大きく体を跳ねさせる八重に、声の主も、ひゃっ?! と驚きの声をあげた。


「すっ、すみません八重さん、驚かせてしまって……」


 申し訳なさそうな声を聞き、慌てて八重が振り返る。そこには、たはは……とばつの悪そうな顔をしている柚葉の姿があった。


「あ、あのっ、こ、こちらこそ、ごめんなさいぃ……」


 しゅう~んとする八重に、柚葉が手を振り振りしながら、


「いえいえっ! 八重さんが謝られることはありませんっ! 私が悪かったのですからっ!」


 慌てて謝罪の言葉を八重に投げかけた。そして、おほんっ! と咳ばらいをし、


「八重さんの昼餉ひるげ(昼食のこと)をお待ちいたしました」


 と、八重の前にお盆に乗せた、ご飯とお味噌汁とお漬物を差し出した。


「あっ、ありがとうございますぅ!」


 ご飯と油は別腹である。質素ながらも美味しそうな昼餉を受け取り、八重は嬉しそうにハグハグと昼餉をたいらげはじめた。八重のその見事な食べっぷりに、柚葉はくすくすと笑みをこぼしながら、


「お仕事のほうは、はかどっていらっしゃいますか?」

「ふぁ、ふぁい~。ひひふは、ほわひわひふぁ~(いくつか終わりました)」


 リスが頬袋に食べ物をいっぱい詰め込んでいるかのように、ほっぺたを食べ物で膨らませながら八重が答えると、柚葉はぷぷ~っ! と、ますます笑みを強めた。


「あの、焦らなくても結構ですから、まずはお口の中の食べ物を飲み込んでくださいね」


 柚葉からそう言われ、自分のはしたない行いに気づいた八重。慌てて口の中の食べ物をごっくん! と飲み込み、柚葉に向かって顔を赤らめた。


「え、えっとぉ……そ、そのぉ……」

「うふふ。ほぉら、八重さん。ご飯粒が御口元に」


 柚葉がくすくす笑いながら、袖口から手ぬぐいを取り出して八重に手渡した。

 八重はそれを手に取り、す、すみませぇん……と顔を真っ赤にしながら慌てて口元をぬぐった。


「あ、あの、この手ぬぐい、洗ってお返しいたしますから……」

「いえ、いいんですよ――――」

「い、いいえっ、いけませんっ。どうか、洗わせてくださいぃ~!」


 わ、わたしの粗相そそうで汚してしまっては手ぬぐいの価値がさがりますぅ~!! と、必死になって頼み込む八重。う~ん、このままだと平行線になっちゃうかな? 柚葉はそう感じ、ここは素直に八重の申し出を受けることにした。


「じゃあ、八重さんのお気のすむようになさってくださいな」


 ふふっ♪ と、いたずらっ子のような笑みを浮かべる柚葉に、八重もホッとした様子で、は、はいぃ~と頷いた。


「ところで、お仕事の進み具合はいかがですか?」

「は、はいぃ~。そ、それなりにはぁ~……」


 そう言う八重の目の前には、修繕が終えられた琴が並べられていた。その数と、ぴっかぴかになっている琴を見て、柚葉は目を丸くした。


「そ、それなりにはって……まだあれから三時さんときくらいしか経っていませんが……」

「は、はいぃ~。あ、あのぉ、も、もう少し道具がそろっていましたら、そ、その、もっとはかどっていたと思うのですがぁ……」

「……八重さんって、手が器用とかいう次元を通り越して、もう職人さんと同じくらいの腕前を持っているようですね」

「そっ、そんなこと、ないですぅ…………」


 褒められて、頬を淡く朱にそめながら、しゅぅ~ん……と小さくなる八重。


「いやあ、本当、八重さんはすごいですよ――――」


 と、そこまで柚葉が口にしたところで、


「――柚葉、柚葉。八重さんに、昼餉をお届けいたしましたか?」


 双葉が柚葉の後ろから姿を現した。


「あ、はい、双葉御姉様。この通り、八重さんに昼餉をお届けして――――」


 と言いながら、柚葉が八重に手渡したお盆に目をやると、お盆の上にのっていた昼餉が、ものの見事にキレイに消え去っていた。チラリと、八重に目をやる柚葉。


「――いましたが、この通り、八重さんはもうキレイにお召し上がりになりました」


 柚葉の言葉に、頬を赤らめる八重。育ち盛りの食欲というものは、いつの時代もすごいものだ。


「あら……八重さん、おかわりはよろしいのですか?」


 双葉にそう言われ、え? あ、あのぉ、え、えっとぉ……と、わたわたし始める八重を見て、双葉が微笑を浮かべながら柚葉に言い渡した。


「柚葉、八重さんにおかわりをお持ちしてあげなさい」

「くすっ――はぁい、かしこまりました」


 笑みを漏らしながら、柚葉はお盆を回収し、物置小屋――八重の仕事部屋から出ていった。それを確認した双葉が、八重に話しかける。


「お仕事の進捗状況しんちょくじょうきょうはいかがですか?」

「は、はいぃ~。そ、それなりにはぁ~……」


 同じ質問に、同じ答え。となれば、リアクションも同じである。


「これだけの進捗具合をそれなりとおっしゃるだなんて、八重さんはまるで職人さんですね」

「そっ、そんなこと、ないですぅ…………」

「さて、柚葉が戻ってくる前に、今後についての御話をしておきましょう」


 こほんと、息つく双葉。


「正直なことを言わせていただければ、タマさんから八重さんが手先が器用だと聞かされたとき、あまり期待はしておりませんでした。ですが、今の八重さんのお仕事ぶりを拝見させていただき、私の抱いた思いが如何に失礼であったかを痛感いたしました。まずはそのことについて謝罪をさせてくださいませ。八重さん、どうかお許しください」


 八重に向かって深々と頭を下げる双葉に、八重はわたわたとしながら、


「あっ、あのっ! そ、そんな、あ、ああ頭をあげてくださいぃ~!」


 慌てて双葉に駆け寄ろうとするが、乱雑にちらばっている調度品に足をとられ、


「ぎゃうんっ?!」


 どし~~ん! と、顔面から思いっきりずっこけてしまった。さらに運の悪いことに、これから修繕しようとしていた三味線を置いていたのだが、それに思いっきり顔面からつっこんでしまったのだ。もちろん、八重の石頭によって三味線が見事に粉々になってしまったのは言うまでもない。


「だっ?! 大丈夫ですか、八重さん?!」


 さしもの双葉も、これには驚いた。きゅぅ……と、倒れこんでいる八重に駆け寄り、ゆっくりと八重を抱き起こす。


「八重さん?! 八重さん?!」


 鼻の頭を赤くして目を回している八重に呼びかける双葉。すると程なくして、うぅ~ん……という、うめき声を漏らしながら八重が目を覚ました。


「八重さん?! 大事ないですか?」

「ふぇ……? え、えっとぉ……」


 何が起こったのだろう? きょとんとする八重であったが、すぐに事の次第を理解し、鼻の頭の赤さがわからなくなるほど顔を真っ赤にそめあげた。


「あう……ご、ごめんなさいぃ……」


 双葉の大きな胸元で小さくなってしまう八重。そんな八重の頭を双葉が優しくなでさする。


「いえいえ、形あるものはいつか壊れます。それより、八重さんのほうこそ大丈夫ですか?」

「は、はいぃ~……少し、お鼻がひりひりするくらいですぅ……」


 お鼻がひりひりって、あの見事なコケっぷりでその程度ですむはずがないのですが……。八重の石頭のすさまじさに感嘆の息をもらしつつも、先ほどの話の続きにかかる双葉。


「それならよかった。では、先ほどの御話の続きをさせていただきますね。八重さんの修繕の腕前ですが、職人も顔負けの腕前です。ですから、もう少し先延ばしにしておこうかと思っていた案があるのですが、その案を進めていこうかと思っているのです」


「あ、案……ですかぁ……?」

「そう、案です。ただ、その案を実行するには、八重さんの協力が必要不可欠となってきます」


 真っすぐに、前髪で隠れた八重の瞳を見つめる双葉。


「私はこれから、他の妓楼ぎろうにおもむいて、修繕が必要な楽器類がないかを聞いて回ろうと思っております。そして、修繕が必要な楽器があった場合、翌日に八重さんと共にそこへおもむき、楽器を受け取るがてら、その妓楼の若衆に八重さんの面通しをしようと思うのです」


 双葉の話に、八重は小首をかしげた。楽器の修繕はわかるけど、若衆さんたちに面通しってなんでだろう? そんな八重の疑問をくみ取った双葉が、八重に説明をはじめた。


「八重さん、貴女はとても魅力的な方です。貴女の魅力は、一口では言い表しにくいのですが、できるだけ簡潔に申しますと、貴女はすさんだ人の心をとても癒すことのできる魅力の持ち主なのです」


 いきなり褒めちぎられて戸惑いつつも、顔を赤らめる八重。


「言いにくいのですが、そんな貴女の魅力を、利用させていただこうというのが、私の案なのです。吉原の若衆には、二種類の人種がおります。自ら望んで若衆へとなった者――そして、望まずに若衆に身をやつさなければならなかった者」


「の、望まずに、ですかぁ……?」

「そう、望まずに。望まずに若衆になった者たちは、その心に大きな空虚なものを抱えております。その心を、私は利用しようというのです。それも、純粋な心を持った貴女を利用して」


 双葉さんの言いたいことはよくわからないけど、ともかく、私が何かしなきゃいけないのだろうな。それも、双葉さんが心苦しくなるようなことを――――。


「え、えっとぉ……つまり、そ、そのぉ――――」


 八重が言いかけるのを、双葉が口元に人差し指を立てて制した。


「柚葉が戻ってまいりました。詳しい話は、明日の妓楼巡りの際にさせていただきます」


 双葉の言葉に八重はうなずき双葉から身を離して先ほどと同じような恰好で座った。すると、間を置かずに柚葉が昼餉のおかわりをお盆の上に乗せて戻ってきた。


「はい、八重さん。おまちどおさま」


 微笑みを浮かべて八重にお盆を差し出す柚葉。そこには、先ほどと同じ献立の横に、とうがらしが添えられていた。昨日の朝餉の準備の時に、八重がとうがらしが好きなのだということに気づいた柚葉の、ちょっとした気遣いであった。


「あっ、ありがとうございますぅ!!」


 油と辛い物に目がないろくろっ首は、満面の笑みでそれらを受け取り、ハグハグとほおばり始めた。それを見て、微笑を浮かべる双葉と柚葉。

 八重さん――貴女は本当に、素敵な娘です。柚葉もそうだけど、八重さん、貴女は柚葉よりもはるかに…………。


「では、柚葉。私たちは御勤めに戻りましょう」

「はい、双葉御姉様。それでは八重さん、お盆は後で私が取りに参りますので、気にせずにゆっくりお召し上がりくださいね」


 立ち上がって部屋を後にする二人を、ふぁ、ふぁいぃ~と見送る八重。その胸中は複雑であった。

 双葉が言いかけたこと。そして、明日、わたしは一体なにをさせられるのだろう。そんな不安と疑問が、八重の心の中に入道雲のようにモクモクと大きくなっていくのであった。

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