夏の終わり、2人のはじまり
卯月伊織
第1話
僕達は、あのひと夏の思い出を忘れない。
高校生活最後の夏の3日間を。
あの時ふたりで分かちあったなにもかもが、今でも心の中で愛おしいほどきらきらと輝いている。
これまでの責任も、これからに対する不安も、何もかもをなげうって2人だけの殻に閉じこもって、無邪気にはしゃぐことのできた、最初で最後の3日間。
今となっては、僕達がお互いに住んでいた場所なんて行こうと思えばいつでも行ける距離だと感じるようになったけど、あの時の僕達にとっては、いや、少なくとも僕にとっては、夏休み最初の1日で宿題を終わらせる、くらい有り得ない事だったし、驚く事だった。
僕達が出会うまでの6年間の集大成とも言える出会いだった。中高生という多感な時期をなんでも2人で共有しあい、知らない事は相手の見た目と顔くらい、なんていうちぐはぐな僕達の関係を確かなものにしたあの3日間。
毎年夏が来る度に、
あんなこともあったなあ、
なんて笑い合う。
そんな日々が、あった。
確かにそこに、あったんだ。
はじまりは2018年7月23日。
それは、およそ3日ぶりにきたアキのメッセージから始まった。
「しゅう、夏休みそっち行ってもいい?」
僕達が初めて出会ったのは約6年前。
小学校を卒業し、いよいよ中学生だと意気込んでいた春休みだった。
何気なく始めたチャットルームでの会話を楽しんでいた時にアキはやってきた。
今はもう、アキ以外のチャット仲間との交流はない。そしてあのチャットルームも僕が顔を出さなくなってしばらくして閉鎖したらしい。
それでもアキとは同級生で同性ということもあって仲良くなり、チャットルームではなくSNSで、2人だけで話をするようになった。
それから僕達は6年間欠かさず毎日会話をしている。とまでは流石にいかないけれど、それでも会話のログが4日以上空くことは決してなかった。
お互いリアルでの生活がちゃんとあるはずなのに、貴重な学生時代をネットの相手との会話時間に費やすなんて実にくだらない。でも、僕にとってはそれがなによりの青春だった。
なぜかアキには何でも話せた。リアルの友達には話せないような、そして今これを読んでいる君にも絶対話せないようなことも、なぜかアキにだけはすんなりと話すことができた。
それはきっと同級生で同性ということ以外にも僕達にはたくさんの共通点があって、価値観も近いところにあったからだと思うんだけど、違うかな。
アキの家は東京にある。
緑の多いところだよ、と言っていたけど、東京にそんなところなんてあるのだうろか。どのみち僕が住んでいるところよりかは緑は少なくて都会的なんだろう。
リフォームしたばかりの一軒家で、祖母と2人暮らしをしている。
両親はアキが小学生低学年の時に離婚して、親権は父親のほうにあるらしい。しかし、父親は仕事で海外にいることが多かったので、祖母のもとへ預けられることになった。
後々詳しく話を聞けばたらいまわし的に祖母に引きられたような感じもするが、アキは東京での祖母との2人暮らしをそれなりに楽しんでいるらしい。
一方僕はというと、どこにでもある衰退してゆく未来しか見えない片田舎で、母と妹のゆきと3人暮らしをしている。
台所、リビング、母さんの寝室と僕とゆきの部屋という3DKの集合住宅に数年前から住んでいる。
母さんは僕が高校に上がってからは夜のスナック経営をするようになった。知り合いが畳もうとしていたお店をそのまま譲ってもらったそうだ。
母さんは、これまでよりもお金が稼げる!と意気込んでいたけど、ほぼ昼夜逆転の生活になってしまっている。夜の3時に帰ってきて、夕方の6時頃に仕事に出かける。僕にそれを止める資格なんて一切ないけど、体を壊さないかいつも不安で仕方が無い。妹のゆきは小学4年生。もうすぐ10歳になる。小さいころは可愛かったのに、最近は生意気な口をきくようになってきた。なかなかの「おませさん」というやつで、洋服や食器など細かいところで自分のこだわりを見せるようになってきた。そろそろ家事も仕込ませたいところだけど、まだはやいのかな。
母さんは夜はおらず、昼は寝ているので僕が家事をすることが多くなった。
朝ご飯、弁当、掃除、洗濯、買い物、夜ご飯、食器洗い。
ご飯は二人分だけになることがほとんどで苦ではないし、家もそれほど広くはないので掃除も楽だし、洗濯物も億劫ではないけど、そのどれもをすべて完璧にこなすには時間が足りない。僕が通っている学校では生徒全員が必ず部活に入部することになっているので、入学当時、放課後はアルバイトをしようと週1だけ活動する美術部に入部した。その後すぐ母がスナックを始めたので、結局放課後の時間は家事の時間に充てられてしまっているけど、それでも足りないと感じる。
そして、僕の時間はどんどんなくなっていく。
そんな中でも、アキと会話をする時間は大切にした。僕にとって唯一、気を張らなくてもいい、気も使わなくていい、義務ではない時間。ある意味僕にとってのオアシスのような、これがあるから毎日家事をできているといっても過言ではないと思う。
だからといって、アキとの会話がそれほど大げさなことだったりはしない。本当に友達するような、他愛もない話ばかり。
まあ、ほかの友達には絶対にしないような話もアキには話せてしまうんだけど。
たとえば、家族の話とか、ちょっとした愚痴とか、悩んでいることとか、すこしだけ、恋愛の話とか。
ネットで性別年齢詐称とか、個人情報悪用とかはよく聞く話だけど、もしアキがそれに当てはまっていたとしても、別にいいやとか思ってしまうほどアキは僕の話をしっかり聞いて、しっかり返してくれるし、何より親身になってくれている、気がする。
というか、アキの高校も知れているし、詐称はないのは確かだと思うけど。
中学3年生のとき、僕はもちろんアキに相談した。
「高校どんなとこに入るの?」
その時僕は大学に行くつもりはなかったので、高校を卒業してすぐ働けるように商業高校へ入学するつもりだった。そうして自分の進路がはっきりして、ふとアキはどうなんだろうと気になった。
「家の近くに商業高校があるからそこにする」
正直、アキは頭が良さそうだから進学校とかにいくんだとばかり思っていた。そのとき、なぜかアキをとても近くに感じた。
それからお互いの高校での話を良くするようになり、資格や、商業高校ならではの授業のことなど共通点を見つけては笑いあった。
お互いこんなに遠くにいるのに、同じ勉強をしている。そう思った時、なぜかとても安心したのを覚えている。
そうして僕達は会話を重ね、年月を重ね、いつしか制服を着る最後の年が来てしまった。
高校3年生の夏休み、だからといってなにかあるわけでもなく、就職予定の僕は毎日学校へと通っていた。ゆきは夏休みの前半はプールがあるので、友達と毎日せわしなく透明のプールかばんを肩に、前が見えないほどまぶしく光る夏の空のもとへと駆け出していってしまう。小学生の夏休みを存分に謳歌していてうらやましい限りだ。
さて、忘れているかもしれないけど
話を戻して7月23日、
「しゅう、夏休みそっち行ってもいい?」というアキの突然の発言に目を丸くした僕。
そしてそのまま「(◎_◎)」と目を丸くしている顔文字を打った。
「急にどうした?」
そっち、とは、きっと僕が今住んでいるこの場所のことを指しているのだろう。
「いや、なんとなく」
「無理だったら別にいいんだけど」
少ししてからとても控えめな返事が返ってきた。
これは、なんとなく、なんかじゃないんだろう。
今までお互いが住んでいる場所のことについて深く話すことはなかった。
せいぜい、「そっち台風大丈夫?」とか「地震なんともなかった?」くらいだった。
だから、いいなー、東京行きたいなーとかは思っていたとしてもアキに言うことは決してしなかった。
もちろんアキも、いいなー、田舎楽しそうだなーなんて言ったことは勿論ない。
というか、そもそもアキはこんは言葉遣いはしない。だからこれは「なんとなく」で起きるイベントではないはずだ。
でもその理由を聞くのは憚られたので、とりあえず
「いつ来るの?」
と返事をする。
今思えば、「おう!今すぐ来いよ」と言ってやれば良かったと後悔している。
たとえ未来が変わらなかったとしても。
その小さな後悔は、今もまだ少し、喉の奥につっかえてとれないままだ。
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