エッチは夫婦になってから!!

サヨナキドリ

第1話 はだかエプロン

 家に帰ると誰かが待っている。こんな感覚は久しぶりだ。少しだけ伸びた通勤路の終わり、新居から漏れる温かな光をみてしみじみと思った。

「幸せだな」

 その新居に待っているのが、最愛の恋人なのだからなおのことだ。

「ただいまー」

「おかえり!」

 私が後ろ手に玄関の扉を閉めると、リビングダイニングにつながるドアが開いて、恋人のユカが元気な声とともに私を迎えてくれた。ああ、まるで夢のようだ。が、

「な、な、な、」

 しかし

「なんて格好してるんだぁーーーー!!!」

 夢にしてもこれはやりすぎだ。はだかエプロンなんて。これじゃ夢ではなくドリームファンタジーだ。ユカは小柄で、黒髪をショートにしていて、後ろ姿を見ると少年のようだ。が、その胸は豊満である。吸い込まれるように白く、深い胸の谷間がオレンジ色のエプロンの上からのぞいて存在を主張している。胸元の生地には、ピンクのハートマークとYES!の文字。こんなの売ってたのかなぁ。作ったのかなぁ、作ったんだろうなぁ……。本能に抗い顔を上げると、にんまりと笑うユカの顔があった。どうやら私の反応は満足のいくものだったらしい。

「どう?興奮した?」

 あまりに直球の質問に私がたじろいでいると、ユカは眉を吊り上げて言った。

「暫定十戒その7!『互いに隠してはならない』」

 暫定十戒とは、私たちが一緒に生活するために、昨晩寝ないで議論した末に策定したルールだ。

「わかってるよ。興奮してます。未だかつてないくらいに興奮してます」

 観念した私は目を逸らしながら答えた。

「それなら……ごはんの前に、私を食べても、いいんだよ?」

 わざとらしくしなを作りながらユカが言う。背筋から大臀筋のラインが露わになる。大好きな人の大好きな声でこんなことを言われて、理性とか足腰とかとろけてしまいそうだ。だが

「だめ。エッチは夫婦になってから」

 ここで私が負けてしまえば、連載が終了してしまう。もしくはノクターンに移籍してしまう。幸い、私の理性は鋼だ。

「えー」

「えー、じゃない。婚前交渉はだめだって昨日も言っただろ」

 結婚するまえに、ひと月一緒に暮らして価値観を擦り合わせよう。そのために始めたこの同居生活だったのだけれど、まさか初日にこんな衝突をすることになるとは思ってもいなかった。『婚前交渉ダメゼッタイ』という私と『大好きだからエッチしたい』というユカ。昨日の議論の結果、落とし所として暫定十戒その1『エッチは互いの了承の上で行うこと』が制定されたのだ。

「なら、先にごはんにしよっか。ちょうど下ごしらえが終わったところだったんだ」

 そう言ってユカは小走りにキッチンへ向かった。私は意志力の全てをもってななめ上を見ていた。揺れるお尻とかみたらほんともう自信がない。

 ガラスのローテーブルを前に座り、心頭滅却して料理を待つ。キッチンから聞こえるじうーという音、それからバチビチバチッという連続した破裂音。

「アチッ!」

 というユカの悲鳴。

「揚げ物!?」

 飛び上がってキッチンに向かう。そこではユカが鍋にエビを一尾放り込んで油と格闘していた。

「なんではだかエプロンで天ぷらを作ろうと思った!言え!」

 鍋とユカのあいだに立って問い詰める。

「あの、えっと。はだかエプロンの参考になるかなぁと思ってネットで検索してみたら『この格好で彼女に天ぷら揚げてもらいたい』って呟きがあったから……」

「ツイッターの情報を鵜呑みにするんじゃありません!」

 私の剣幕にユカはたじろいでいた。

「えっと、ここに油が飛んできたんだけど、なめてくれる?」

 たじろぎながら指差した先はエプロンが覆いきれていない胸だった。確かに微かではあるが赤くなっているように見える。火傷の対処は早い方がいいが、流水で冷やすのも難しい場所だ。私はためらいなくそこを舌でなでた。民間療法ではあるが、ないよりはマシだろう。

「ん、あ」

 ユカが悩ましい声を出す。私は……

「ユカ!その3『キスとハグは拒んではならない』!」

 これは、最低限のスキンシップだとしてユカが加えるように主張したルールだ。

「う、うん!」

 ユカは驚きながらも、内側から湧くふつふつとした期待に口角を少し上げた。私は強く、少し強引に抱き寄せて耳元で囁いた。

「私は、君のことが大好きなんだ。タンスの角とか、世界の全てから君を守るなんて大層なことは言えない。けど、わざわざユカが辛い思いをするなんて耐えられないよ」

「うん……」

 甘えの混じった声でユカがこたえる。私の背中に回った腕の力が強くなる。私はそのままユカをちょっと持ち上げて、キッチンの外に運んだ。腕を放すとユカのぽかんとした顔が見えた。

「だから、揚げ物の続きは私がやるね」


 それで、この目の前にある天ぷらの山だ。せっかくエプロンを着たのに一番重要なところを任せてしまった。少し不服で頬を膨らませながら、とりあえずエビ天を食べる。自分だけで作るより美味しいのもまた不服だ。もしかして私より料理が上手いのかもしれない。いやでも下ごしらえしたりタネを作ったのは私だし。おや?ということは

「初めての共同作業だねっ」

 冗談めかして言ったのだけど、反応はまったくなかった。彼は目があらぬ方向を向いて、

「やわらかかったやわらかかったやわらかかった……」

 と呟き続けている。なんのことか一瞬わからなかったけれど、さっきの彼の大胆な行動を思い出した。やっぱり少し恥ずかしくて、頬が熱くなった。でも、ここで駄目押ししないと。テーブルの対面に座る彼に向かって体を乗り出す。重力が胸の谷間を強調する。

「……おかわり、いかがですか?」

「あ、あああああああああ!?」

 このあとめちゃくちゃエッチした。

「しません!地の文で勝手に既成事実作るな!」

 ちぇっ。


 この話は、エッチな彼女の誘惑に、私がどうにかこうにかひと月耐える。そんな物語です。

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