26 来臨

「ラナ」


 シグリィはユードに顔を向けたまま、ラナーニャに話しかけてきた。


「像が、輝いているんだな? ?」

「う、うん」


 うなずくと、「よし」とシグリィはその像をラナーニャの手に握らせた。


「この像に集中して。ひょっとしたら、君になら何かが伝わるのかもしれない」

「何かが――」

「そうだ。あのゴーシュという男が我々にこの像をたくした、その意味が」

「――」


(あの男が……この像をたくした、意味)


 ユードさんには分からないようにと囁かれ、ラナーニャは像を両手に握りしめて隠すと、胸に抱いた。


 ああ厄介だねェとぼやく声がした。傭兵の魔術師だ。ラナーニャの心に湧いた焦りを、即座にシグリィの優しい声がなだめる。


「集中して大丈夫……守るよ」

「……」


(大丈夫……彼がいる。セレンがいる……)


 目を閉じる。すうと、呼吸を落ち着かせる。精神集中のやり方ならば、国で散々習ってきた。ラナーニャにとっては一、二を争う苦手科目でもあった。


 だが――それでも、懲りずに練習はしてきた。何より、自分にだってできることはある。


 語りかけることなら、私にだって。


(……地租四神様。朱雀様――)


 目を閉じたまま、脳裏で像の姿を思い描く。シレジアの国中にある『朱雀神』――イリス神とはまったく違う、それは赤い神鳥。


(どうか、お言葉をお聞かせください)


 思い描いた朱雀神の前でひざまずく。こうべを垂れる。どうか、あなた様の思いを聞かせて。


 ――戦闘が再開した。ユードの怒鳴り声が聞こえる。魔術師の詠唱と、斧男の哄笑。そして迎え撃つシグリィとセレンの気配――


 心が揺れそうになった。だが、言い聞かせる。自分は自分の役割を。


 ふいに脳裏に、別のビジョンが重なった。

 巫女服に身を包んだ自分が、イリス神の像の前でひざまずく――ああそうだ。あのときの。

 父の魂を送れなかった、あのときの。


 今でも思う。あのときの自分の言葉を、自分はたしかに後悔している。だが――

 もう一度チャンスを与えられたとしても、自分はやはり同じことをするかもしれない、と。

 答えは出ない。間違っていたのか。一縷いちるの正義はあったのか。


 ……神を信用することができなかった私に、なぜこの像は、輝きを見せてくれたのか。


(どうか、教えて――)


 何度も、何度も語りかけた。返事がなくとも、繰り返し。


 額にじっとりと汗がうかび、逆に木彫りの像を包む手の指は冷え切った。なぜか、痛みさえ感じるようだった。

 それでも決して手放さず。


(朱雀様!)


 ――応、と聞こえた声は、うなるような羽ばたきの音と重なって。


 像を包み込んでいた掌から、光がどんどんあふれてくる。

 目を閉じていてさえ分かるその現象は、瞼を上げればいっそうに目を焼いた。ラナーニャの手の中で、像が強く訴えている。


 、と。


「朱雀神……!」


 ラナーニャは駆けだした。戦っているシグリィたちの横をすりぬけ、ユードの横をすりぬけ、クルッカの跡地へと。


 そして――輝く像を、天へと放り投げた。


 像が、木彫りの像が光の尾を描きながら形を柔らかく変えていく。

 赤い鳥だ――


 輝きの中でどんどんと大きさを増した神鳥は、クルッカ跡地の上空で旋回した。光の粉が暗闇の中で絶え間なく降り、それに触れた者たちの動きを止める。


 ユードが呆然と空の鳥を見上げた。


「朱雀神……?」


 その表情が喜色に染まった。神鳥の方へと駆け寄り、両手を広げて語りかける。


「お救いください朱雀様! どうか魔女様を……!」


 ラナーニャはユードへと顔を向けた。

 心はふしぎに穏やかだ。いだ己の内側で、たったひとつの事実だけがことりとはまる。


 ――彼は自分とはまったく違う人間だと。


 赤い鳥が雄叫びを上げた。圧倒的な力ある声が、ラナーニャたちの胸を通り過ぎていく。――その力を向ける先は、ラナーニャたちではない。


 風が起こった。クルッカ跡地の地面から、円を描いて立ち上り、高い空へ取り込まれていく。

 そこに溜まっていた何かを吹き上げるかのように。そして――


 やがてその中央に、何か黒い影がふたつ生まれた。


「……!」


 セレンが走り出す。彼女と相対していた魔術師が、飛び上がって抗議する。


「待つネ! まだ戦いの途中――」

「うるさいわね!」


 振り向きざまに適当な爆発を一撃くらわすと、再びくるりと翻ってクルッカ跡地へ向かう。


 風が止んでいく。中央の影がはっきりと姿を現し始める。

 倒れ込んだ状態の、二人の男性――


「カミル……オルヴァさん!」


 誰よりも先にラナーニャがそこへ飛び込んで行く。「二人とも!」


「う……」


 二人がわずかに身じろぎした。セレンが走りながらさらに生み出した魔力の灯りの下でよく見ても、目に見える外傷はほとんどない。


「カミル! オルヴァさん!」

「起きなさいよ!」


 たどりついたセレンが、杖の先をぐさりと地面に突き刺す。土くれが跳ね跳び、カミルの顔にかかった。

 そんなささいな刺激が何より強かったのだろうか。カミルがうっすらと瞼を上げた。


「……どういう起こし方なんですか、いったい……」

「起きないからでしょー! もー!」


 セレンがぱたぱたと手を振る。カミルがゆっくりと体を起こす。その横にぺたりと座り込んで、セレンはがっくりうなだれた。


「……私の知らないところで死んだりしたら末代まで呪うわよ。死ぬなら私の目の前にしなさいよ、地獄から引きずり上げてやるんだから!」

「それは手間をかけさせますね」


 カミルの声は穏やかだった。

 そんな二人の隣でラナーニャはもじもじと落ち着かなく肩を縮める。なんだか、傍にいるのがいたたまれない。


「……おーい。誰か俺のことも心配してくんねえか」


 カミルの隣で、ようやくもう一人が動いた。やれやれと重そうな体を持ち上げる。ラナーニャは慌てた。


「あの。私はずっとオルヴァさんのことも呼んでいた……」

「……君は優しいんだなあラナちゃん」


 起き上がったオルヴァがやれやれと肩をぐるぐる回す。


「で、今どういう状況――」

「雷帝よ罪なる者を焼き払え!」


 雷鳴が轟いた。次いでほとばしった落雷が、地面を大きく揺るがす。


 耳が悲鳴を上げた。飛び散った砂礫が彼女らを襲って、一番近くにいたセレンがラナーニャを抱きしめかばう。

 あまりの術の衝撃に、ラナーニャは震えた。


「う、あ……」

「ラナ!」

 彼女を抱きしめながら、セレンがよしよしと背中を撫でた。「大丈夫よ、シグリィ様の術だからね」

「……あまり大丈夫じゃないでしょう。シグリィ様が雷術を使うということは……」

 カミルが立ち上がった。


「――の技が必要ということです」


 魔力の灯りが消えていた。吹き飛ばされてしまったのだろうか。

 だが、辺りはぼんやり明るかった。地面に火がついていたのである。


 雷撃に伴う火はしばらく地表を燃やし、それから静かに消えていく。闇の底が、地面にたどりつく。


 どこかで鳥が騒ぐ音がする。森は遙か遠くにあるというのに、術の影響はそこまで渡ったのだろうか。ラナーニャは彼の名を呼ぶ。


「シグリイ」

「無事でしたかオルヴァさん。カミルも」


 ぽう、と光が生まれた。明度を上げて、ゆっくり歩いてきたシグリィの姿を照らす。「こっちももう――大丈夫です」


 ラナーニャがクルッカ跡地にかかりきりでいる間――


 そして途中からは、セレンもこちらに来てしまっていた。だからシグリィは一人で戦っていたのだ。例の傭兵たちと。


「大丈夫ってのはどういうことだ? “迷い子”か?」


 オルヴァが立ち上がり尋ねる。いいえ、と首を振ったシグリィは、彼の背後を示した。


「傭兵に襲われていたところなんです。の命令で」

「……!」


 オルヴァの視線が徐々に理解を示し、瞠目する。


「……嘘だろ?」


 そこには吟遊詩人がたたずんでいた。傭兵が全滅したことが信じられないというように、呆然と。


 地面に沈んでいる六人の人影に一瞬ぞっとしたラナーニャだったが、その人影が動いていることに気づいて胸をなで下ろした。


 ということは、シグリィも手加減をする余裕があったということだ。だからこそセレンも主人である彼に戦いを任せてしまったのかもしれない。


「さてと」


 シグリィは向き直る。カミルたちが戻ったなら、残る問題は――


「どうしますか、ユードさん。もう傭兵はいない」

「……なぜだ」


 青年から漏れたつぶやきは、明らかにこちらを向いてはいなかった。


「なぜだ? なぜ朱雀様はこいつらを助けた……?」

「……」


 なぜだ、なぜだと繰り返す。完全に心がここにない。


 シグリィは一度、彼を相手にすることをやめたようだ。半身で振り返り、「カミル、オルヴァさんも」と呼ぶ。


「二人はどこでどうしていたんです? どうやってここへ戻って?」

「――俺たちは――」

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