25 殺意
セレンの生み出した魔力の光に、細やかな雨の粒がきらきらと散り跳ねる。
こんな状況でなければ見とれてしまいたいほど美しいその光景の下で、凶悪なまでに大きな斧をたずさえた男が、ニィと笑った。
『殺せ』
一人の青年が命を下すのを、ラナーニャは聞いた。
そしてその一言が、瞬時に傭兵らしき男たちの呼吸を変えた。
斧の男がゆっくりと斧を振り上げる。隙だらけなのに、斧の重厚感と、それに負けない男の筋肉とが、こちらの緊張を煽り動けなくする。
いや――そう感じたのはラナーニャだけだったのかもしれない。少なくともシグリィたちは、これくらいで動揺はしないだろう。
シグリィたちが動かなかったのは、あくまで様子見のため――
『クルッカに戻ったら、カミルたちの救出が最優先だ。……二人がどこにいるか分かるまではうかつなことはできない』
(……転移の直前にシグリィはそう言っていた。……)
巨大な斧が頂点に達する。
男の筋肉が脈動する。
雨がきらきらと降る。美しい幻想を裂くように――
斧が、振り下ろされた。
「――ッ!」
衝撃波が起こった。地面を割り、砂土を抉り飛ばし、まっすぐにシグリィへと。
シグリィが半身を後ろへそらして避ける。次の瞬間には、彼はラナーニャの体を抱えて横へと跳んでいた。雨にちらちらと濡れる視界に、セレンが逆方向へと避けているのが見えた。
着地。しかし同時に、魔術師の詠唱が雷鳴のように轟く。
「
ラナーニャたちが着地した、ほぼその場所を狙って爆発が起こる。足をまともにとられた彼らはまともに吹き飛ばされ、それぞれに地面を転がった。
「……、く……」
シグリィが飛び起き、ラナーニャに近寄る。「ラナ、大丈夫か?」
「だ、い、じょう……ぶ」
肌に裂傷ができているが、起きられないほどではない。シグリィに支えられて立ち上がりながらも、ラナーニャは「厄介だ」と胸中で苦くつぶやく。
シグリィたちがとっさに防御できなかったのは、この魔術師の詠唱がいまいち術の内容を表していないからだ。ふつう朱雀の術の詠唱はその術の内容に沿う。
そうしなくては、術が安定しないはずなのだ。へたな詠唱をすればどんな術が発動するのか術者本人にさえ分からないほどに――
だが。
離れたところで、セレンが立ち上がる。杖を構える。
「うっはあ……あんた、賭けるのが大好きなタイプでしょ。めんどくさ」
「その言葉は本望ネ、きれいな魔力のお嬢サン!」
魔術師は、暗闇でも分かるほどに生き生きとした顔をしていた。心底楽しくて仕方がないというように。
「来たれり混沌の王、我が怨敵に罰を下さんことヲ!」
魔術師の杖の先端から、暗い蒼の輝きが空へと放たれる。天に吸い込まれていく。
「皇后の天蓋!」
セレンの放った白い防護壁が、頭上を覆う。
直後に雷光が落ちた。防護壁に直撃し、強烈な圧で白い壁にのしかかる。その下にいるラナーニャは総毛立った。びりびりと、電気が走る感触がする。
セレンの壁が負けるとは思わない。だが壁を越えて感じる圧がすさまじい。
(これだけの威力――。在野の傭兵にも、これほどの実力者がいるなんて)
呆然と考えるラナーニャのそばで、シグリィは次の行動を開始していた。突然走り出し、セレンの防護壁範囲ぎりぎりまでたどりつくと、手にしたナイフを一閃する。
ガシィン、と金属が弾かれる音がした。
「おおっと」
いつの間にか、大斧の男がそこまで来ていた。巨大な斧は小さなナイフでどうにかなるものではないが、持ち手たる男の気をそらすことくらいはできる。男が斧を振り下ろした直後にシグリィは斧をすりぬけ男の膝を切りつけた。
「ほう」
男はまるで平気な顔で感心の声を上げる。シグリィが数歩分飛び退き、いつの間にか取り出した鋼糸を放つと男の手首に巻き付け切り裂く。
ナイフ、鋼糸と二重に傷つけられた怪我は深い――はずだった。だが。
ラナーニャは瞠目した。一度噴出した男の血が、あっという間に止まってしまった。
「お前――」
シグリィはラナーニャの傍にまで退くと、苦笑気味に言う。「相当、食ったな……力の素を」
男は音もなく笑った。
「白虎の戦士の面目躍如ってやつさ。なあ?」
とたん、怒鳴り声に似たセレンの詠唱が奔った。突如発生した光の矢は、斧男をたがわず狙う。
「!」
男が半身をそらしてよける。だが光の迸りは、男の片身を切り裂き通り過ぎる。男の体から、またもや血が噴出する――それもまた、わずかな間だったが。
「どうしたねえちゃん。突然お怒りだな?」
「本物の白虎の戦士は、力を得ることを誇ったりしないわ! あなたごときに語られてたまるもんですか……!」
「何を言ってんだ? 白虎の戦士なら、力がほしい。ほしくてたまらないのが当然だ――」
顔を傭兵魔術師の方へと向ける。魔術師は杖の先端で空中に魔法陣を描いている最中だった。セレンのものとはまるで違う、まがまがしく赤黒い魔法陣。
「あいつら朱雀は、術を探求する。つまりは己の幻想世界を深く、深く求める。それがやつらの本能だ。そして白虎は力を求める。そう」
男は愉悦に満ちた表情を浮かべた。
「そうさ、
セレンの感情が、爆発しそうに高まったその瞬間だった。
金切り声が――その場にほとばしった。
長く、長く、尾を引くように。
「あっ……」
ラナーニャは耳をふさいだ。しかしふさいでもふさいでも潜り込んでくる。この声、この声は――
(
頭の中をかきまわされるような、あらゆる混沌を混ぜ込んだ声。まともに耳の中を抉られて足下が不如意になる。
細めた目で周囲を何とか見やると、シグリィやセレンも、斧男や魔術師も――ユードや他の傭兵たちも、耳をふさぐのに必死だった。
(だが)
『おのれ。おのれおのれおのれ――!!!』
前回のときは、感情だけを詰め込んだ、ただの『音』であったのに。
今は……人の声だと、確かに分かる。
(どうして……?)
ふと、暗い視界の端に光を見た気がした。
ラナーニャはふっと顔を向けた。シグリィの方向へ。
シグリィは耳をふさぎながらも、ずっと冷静に辺りを見ているように見えた。だが――どうやら、気づいていない。
彼の服から、光が漏れて出ていることに。
「シグリィ」
いまだ続く金切り声も忘れ、ラナーニャはシグリィに駆け寄った。「その、光――」
「?」
シグリィはきょとんとした。ラナーニャの声が聞きとりづらかったらしい。ラナーニャは彼の腰の帯辺りを指さす。彼は首をかしげて少し考えたようだったが、やがて、
「これか?」
と帯に挟むようにしてあったものを取り出した。
――小さな、始祖四神の像。
ラナーニャは息を呑んだ。木彫りの像は今、ほのかな光に包まれている。しかし、
「……! ……!」
慌てて指先でその像を示しても、シグリィは首をかしげるばかりだ。耳から手を離し、「どうかしたのか?」
「ひ、光ってる! 像が光って……」
「光ってる……?」
「……!」
――
まさか、自分だけ――?
金切り声がやむ。その名残の沈鬱な感情が辺りに濃厚にただよい、傭兵たちが放心している。たぶん――彼らはあの『声』を、初めて聞いたのだろう。
その中でひとりだけ、全く違う反応をしている人物がいる。
――ユード。
苛立ちもあらわにクルッカ跡地をにらみつける彼の、拳に握られた両手が震えている。やがてその手を振り上げ、何もない空中に振り下ろすと、突然ラナーニャたちを振り返って彼は怒鳴り声を上げた。
「貴様ら……! よくも魔女様を苦しめたな!」
「……うん?」
シグリィが眉をひそめた。「何の話だ」
「今のは貴様らの連れが、魔女様に何かをした証拠だ! 魔女様が苦しんでおられた、あんなに苦しんで……っ」
「……」
(私たちの仲間が)
カミルとオルヴァが、何かをしたと言っているのだ。と言うことは。
(二人はまだ、無事なんだ)
しかし安堵する彼らをよそに、ユードの怒りはとどまることを知らない。
「絶対に許さない! 絶対に……」
うなるように言ったかと思うと、唐突にせせら笑う。
「だが、魔女様をあれほど怒らせたからには、中の二人は二度と出てこられないさ。馬鹿なことをした――魔女様の世界の中で、魔女様を怒らせるなんて」
「……!」
「せっかく助けに来たのに、残念だったな」
ユードさん――。
シグリィが小さくその名をつぶやいた。その声ににじんでいた思いは、いったい何だったのか。
(ユドクリフ……さん。リーディナと、ユキナさんの……弟)
それが今、自分たちに嘲笑を向けている。輝きにあふれていた双子の姉妹。その、弟から――
胸の奥から涙がこみあげそうになり、ラナーニャは必死で押しとどめた。
「馬鹿じゃないの」
低く、しかしよく通る声が渡る。ユードの元まで。
「あの二人がそう簡単に負けるわけないでしょ。ちょっとナメすぎよ」
(セレン――)
声の主、セレンの方を見ると、彼女はこの合間にも防御壁を構築し、傭兵たちの奇襲に備えている。その気迫は話しかけるのをためらわせた。
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