22 オルヴァの祖先

「!!」

「オルヴァさん!」


 いつになく焦りをにじませたカミルの声がする。

 目覚めたとき、目に飛び込んできたのは見覚えのある景色。暗色の緑――


 森の中だ。


 オルヴァは飛び起きた。そしてそのことに驚いた。自分はいつの間にまた地面に寝そべっていたのだ? それにここは、


 


 腕を振ると、すぐ近くにあった枝葉に引っかかる。手入れのされていない、深い森。

 この場所。


「最初の位置に戻ってきた……?」


 何が何だかさっぱり分からなかった。カミルがおもむろにオルヴァの手を持ち、手首を甲側に曲げる。痛い。

 感覚は正常のようだ(それにしても突然何をするのだこいつは)。


「何だ? 何が起こってるんだ?」

 オルヴァは前髪をわさわさと乱した。「なあ、俺たちたった今までオッファーの村とやらにいたよな?」

「はい」

「で、ゼンたちに小屋ごと燃やされかけたんだよな?」

「そうです」

「それじゃ、今この状況は何だ? 何が起こってる?」


 全く意味が分からない。思い出すのは直前までのゼンたちの様子だ。


(ゼンは最後に何かを言っていた。あれは何だったんだ?)


 混乱する頭の中をどうにか収束させようと、オルヴァが一人悪戦苦闘していたそのとき――


 がさっ。

 間近で音がして、はっと振り向くと兎が一羽通り過ぎていくところだった。


 その位置、動き……すべて、見覚えがある。


 思わずカミルを見上げる。カミルが、ゆっくりとうなずく。


「……」


 オルヴァは立ち上がった。背中についた葉と小枝を払い落とし、カミルをうながして兎の道を目指す。――前回と同じように。

 やがて二人は見覚えのある川に行き当たった。


 清流の音は、こんなときでもオルヴァの心身を落ち着けてくれる。そこで少し待っていると、背後からがそごそという音――


「ぷはぁっ!」


 そしてかの少女は再び姿を現した。その勢いのままずべしょと転ぶ。平気な顔で跳ね起きる。オルヴァたちを見て、一言。


「あっ。本当に知らない人たちがいる!」


 オルヴァとカミルはひそかに視線を交わした。

 どうやら、間違いない。


(同じことが繰り返されている)


 やがて怪我に気づいて泣き出すルナ。あやすのはカミルに任せて、オルヴァは冷めた目で泣きじゃくる小さな女の子を見つめた。


 記憶の片隅で、ゼンが最後に呟いた一言が、はっきりとよみがえっていた。


 ――まずは、一回。


 ルナは初めて会った人間のように彼らを扱い、村へと導く。


 村で、柔和な笑顔を浮かべたゼンと対面し、途中襲ってきた“迷い子”をルナが退治し、その力を見せつける。


 そしてゼンとルナが夜警に出る間、小屋で一泊することとなったオルヴァたちは――

 夜半ばにしてまたもや睡魔に襲われ、炎の中で目が覚める。


 脱出した先でゼンと村人たちに会い、ろくに会話にならないまま、場面は再び森の中へ戻る……



 例えば行動を変えてみても、結果はさほど変わらなかった。最初に森のどこへ向かってもルナは現れるし、ルナについていかずに適当に森の中を歩いたら勝手に村に到着する。ゼンの小屋に泊まらず野営をしても睡魔には襲われるし、そうしたら今度は体に直接火をつけられて炎のダンスを舞う羽目になった。


 かと言って村と関わるのを完全に拒否すれば、今度は何も起こらない。

 待てど暮らせど何も起こらない。

 それに焦り、少しでも森の中を移動すると、勝手に村に到着してしまう――


(完全にループにはまった)


 ふしぎなのは、ループの最後が決まって『炎の中』だというのに、どうやらそれで命を取られることはないということだ。


 ただただ、悶絶する。戦い慣れたオルヴァとカミルといえども、体に直接火をつけられたらのたうち回るしかない。それぞれに護符、護法で身を守っているというのに、簡単に火にまかれてしまう。


 術の火勢は、回を重ねるごとにいや増していく。

 彼らをさいなむ炎の重さが増していく。


 そして火刑が終わり、最初の位置に戻ってくるたび襲ってくるのは、解放感ではない――次に来る出来事への緊張。

 あるいは、恐怖。


 ゼンとルナの顔が何度も浮かぶ。何かを企んでいるとしか思えないゼンの微笑と、裏表なく無邪気に喜ぶルナの笑顔と。


 ――何度目かのループの終わりがけに、オルヴァはゼンの微笑が変化するのを見た。


 まるで待ち望んでいた何かを目にしているかのような、恍惚と愉悦の入り交じる顔に。



『とうとう命が下った。

 神よ、赦したまえ。私は今日、私を愛する者を裏切る。

 外で子どもたちが遊んでいる。とても楽しげな声だ。具合が悪いとむずがる子も今朝はいない。

 故郷の子は無事に生まれただろうか。兵として生きる我が家の宿命、私自身が赤子であったときと同じように。

 私は、血濡れの手で我が子を抱くのだ。』


――ワイズ・オストレムの手記




 ――……火が見える。


 またか、と歯がみするような思いで燃え上がる炎を見るが、少しして気づく。自分が炎の中にいない。


 誰かが傍らに膝をつく。厳然とした口調で、何かを報告する。


 ――火は、全ての家屋に放ち終わりました。


 そうか、と応えている、これは自分だろうか。唇はたしかに動いたが、聞いたことのない声だ。


 ――ただいま火から逃れた者を傭兵たちが追っております。

 ………。

 ――じきにすべて済みましょう。異端なる者たちの命もあとわずかです。


 そう言い、傍らの男が深く頭を垂れる。


 ――全て、あなた様の働きのおかげでございます。――…



 そして目が覚め、気づくと自分が炎の中にいる。


「オルヴァさん?」


 傍にいるのはひざまずく兵士ではなくカミルで、自分らを包む炎を払うためにいい位置を探している。


 六回目のループでは、村から逃げようとしたところで火炎球が背後から降ってきた。服に火がついたところでオルヴァは意識を失ってしまい、どうやら体についた火はカミルがどうにかしてくれたようだが、結局ここで炎に包まれている。


 燃えているのは、森の木々だ。森自体を巻き込んでの火は珍しいが、オルヴァたちの位置的に仕方がなかったのだろう。


 オルヴァは体を起こした。


 術にかけられた体の疲労と、背中に火傷の痛みがある。おまけに頭がひどく痛い。思わず額に手をあて、ため息をつく。


 この頭痛は術の後遺症というより……


(今の夢のせいだな)


 炎の燃え上がる音と、樹木の燃える臭いとがあいまって、頭痛はひどくなる一方だ。


「オルヴァさん。行けますか」


 カミルに声をかけられ、ああ、とオルヴァは何とか立ち上がった。


 このループでは、一応身体的な『疲労』は持ち越さないらしい。最初に位置に戻れば火傷も消えて元気になるものの、精神的な疲労は積もっていく。


 オルヴァは首を回して、まとわりつく疲労感を散らそうとした。


(なるほど。クルッカで発狂した連中というのは……これを延々とやられたわけか)


 発狂したところで『魔女様』は外に放り出したのか、それとも発狂してしまうと術が切れるのか。細かいことは分からないが――


 視界を埋め尽くす赤い色。

 朱雀の術による炎は過度に理想化されるから、何を燃やそうとまばゆく美しい。

 思わずその赤に見とれかけ、オルヴァは苦笑する。否定しても仕方がない。この炎は美しい。


 しかし。


 ――あのときの炎は、決して美しくはなかっただろうと思う。


 小さく声に出ていたのか、カミルが反応した。


「どうかしましたか?」

「いや」


 夢を見たんだよ、とオルヴァは奇妙に穏やかな気持ちで答えた。


「夢?」

「ああ。――俺のご先祖様が、このクルッカ……オッファーの村を滅ぼしたときの、な」


 炎の一部が大きく爆ぜる。まるで怒りを発露したように、火勢が増す。


 怒りは当然のことだ、などと簡単に言えるわけはない。彼らの気持ちも分かる、と言う資格など自分にはないのだ。けれど。


 白虎の戦士ではないのに、自分がこのループに引きずり込まれたことの理由は、納得できてしまう。


「ご先祖……クルッカの調査書を残したという、遊覧兵の?」

「そうさ。正体を隠して村に入り、実態を調査して、最終的に兵士を引き入れ、滅ぼした張本人だ」


 自分でも驚くほど冷静な声が出る。


 それはすべて、調査書に書かれている事実だ。だからオルヴァは、クルッカ跡地に来る前からそれを知っていた。それなのに、異変に自分が巻き込まれたときに『当然のことだ』ととっさに思えなかったのは……やはりどこかで他人事だったからなのだろうか。


 今となってはどうでもいい。現実に今、己は怒りの炎の前にいる。

 彼らの憎しみを、認めなくてはいけない状況にいる。

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