31 そこにあるもの

「シグリィ様ー。やっぱりですよう」

「そうか」


 外から聞こえるセレンの声に、シグリィがうなずいて返す。「とりあえず今はいい。何もするな。そのまま見張りを頼む」


 はーい、とセレンの気楽そうな返事があり、そのまま彼女の声は聞こえなくなった。見張りを交替して保存食を手にしているカミルが、入口の方向をじっと見ている。多分、心配しているのだろう。


「何を確認したんだ……?」


 ラナーニャは訝しく思ってシグリィに聞いた。

 ああ――と少年は顎に手を当てて、虚空に視線を投げた。


「この洞穴に関わるのをユキナさんたちが止めた理由なんだが……チェッタの説明は、多分事実と若干異なっているんだ」

「え?」

「当時チェッタは今よりもさらに小さい。だから周りの人間が正しく教えなかったのかもしれないし、あるいは単にチェッタが状況だけを見て勘違いしてしまったのかもしれない。仮に後者だとしても、まあ、周りはチェッタの勘違いを正そうとしなかったんだろう。ということは、結局それがユキナさんやマーサさんの意志だということだ」


 語りながら――

 シグリィはゆっくり洞穴の中を歩いていく。


 広めの空間の中央にはジオが座り込んでいる。彼はそこからしきりに洞穴の内部を眺め回して、怪訝そうに首をひねっていた。

 と、ふとシグリィが近づいて来ることに気づき顔をそちらに向け、


「何だァ?」

「すみませんジオさん、どいてくれますか」

「あン?」


 不可解そうな顔をしながらも、ジオは言う通りにする。

 シグリィはそこに膝をついた。丁度洞穴の中央ほどになるその場所に。


 そして――片手を、そっと地面に触れた。



 彼はそう言った。

 ラナーニャははっと息をのんだ。慌てて少年の傍に駆け寄り、尋ねる。


「下に――何かがあるのか?」


「ああ。微細なものしか上に伝わって来ていないから、私もすぐには気づけなかったんだが……セレンはどうやら、ここに入ったときにはもう気づいていたらしいな。つまり、朱雀の力に近い何かが下にある」


 少年は困ったように眉を寄せて、「私も迂闊うかつが続くものだな」と小さく呟いた。


 すぐに気づけなかったことを反省しているのだ、とラナーニャは気づく。けれどそれは仕方がないことなのではないだろうか。一晩経ってだいぶ快復したものの、昨夜洞穴に着いたばかりのときの彼は本調子ではなかったのだ。


 けれどそれを口に出して励ますのははばかられた。


 彼の方がずっと経験豊富なのだ。その彼が反省しているのなら、自分に何が言えるだろう?


「もっとも、どういった作用かははっきりしないが――この洞穴内部からはとてもとらえづらくなっているようだな。現に今私がかろうじて捉えられるのも、セレンが確定してくれたからだ」


 セレンが外であれこれと簡単な術の実験をすることで、この洞穴の辺りに妙な力の流れが出来ていることを発見できたのだ、とシグリィは説明してくれた。


 彼は目を細めて、地面についた己の手を見つめている。


 そこには、何もない。ラナーニャの目には何も見えない。


 だが、ラナーニャは共に膝をついて、真剣な眼差しで少年の手を見下ろした。


「おいおいどーゆーこった。俺ァ朱雀の人間は、お前さんらを見るまで滅多に見たこともなかったんだが――」


 少年少女の後ろから覗き込むようにして、ジオが口を挟んできた。


「誰かがここで、何か術をかけようとしたってことか? あれか、調査に来た連中とかか。たしかほとんどがマザーヒルズの連中だって聞いたが」


「いや――そういうたぐいではないでしょう。術を行使した痕跡ではない――ようです。いや、それも少し違うか――」


 呟くようにそう答え、シグリィはそのまましばらく無言になった。


 探っているのだ。その力の正体を。


 洞穴がしんと静まり返った。

 邪魔をするまいと、全員が一切の動きを止める。


 す、とシグリィは人差し指で地面をなぞった。

 その指先が、ほの白く発光した。ほんの一瞬のこと。


 まばたきをする間に消え失せてしまった光。シグリィは吐息とともに緊張を解き、肩越しに背後のジオを仰いだ。


「術の痕跡だったら〝形〟があるし、やりようによっては破壊が可能なんですが。ここにある力にそれは無理です。干渉できない。煙を掴もうとするようなものです」


 ますます不可解そうな顔をする海の男に、彼は告げる。まるでときにはそうすることを決めているかのような、迷いのない、淡々とした声で。


「朱雀の生まれにはしばしばあるんです。息絶えたのち、その屍に力の残滓ざんしがまとわりついて残り続けるようなことが……。間違いありません。この下に朱雀の≪印≫を持っていた誰かの遺体がある」


 ――先代村長のユキナという人が言ったという。〝ここは使えない〟と。


 そう、チェッタの言葉通りならば、一度は使おうとしたのだと。


 だが、それではおかしいのだ。この地面の様子。どう見ても普通の固い岩盤で、一見では下に何かしら物があるだなどと気づくことはできない。掘り返した跡もない。


 シグリィやセレンがそれに気づいたのは、彼らが≪印≫持ちだからだ。しかもセレンクラスでなければ見つけられないほどの、微小な気配。


 ということは、その≪印≫さえ持ち合わせないユキナをはじめとする村の人々が、掘り返しもせずに気づけるはずがなかった。


「ユキナさんの日誌――あれは後進が参考にできるようにという記録の面が大きかったんだが、この洞穴のことは明確に書かれていなかった。一度調査に入った、とは書かれていたけれど、それだけだ。彼女はすでに作った避難用の場所だけをあげて、そこを使うようにとだけ指示してる。読みようによっては、それら以外の場所は使うなと言っているように見えた」


 彼女たちがこの洞穴を避けるのはなぜか。

 おそらくはこの洞穴に入ってみて初めてその事実を知ったというより――


可能性が高い。ユキナさんたちは、ここに誰かがいたということを。もしくは、ここに遺体が埋まっていることを」


 どちらかと言えば前者かな、とシグリィは言った。

 ラナーニャの背筋が、ふいに震えた。


(……この、場所、に)


 朱雀の加護を受けた誰かがいたのか。


 以前、セレンの肩に見た痣。目にしただけで苦しいほど胸が痛んだ、あの鳥のような文様を体に抱く、誰かが……


「……ん?」


 シグリィが眉をひそめた。


 彼が指先を這わせていたその場所――洞穴の中央に位置する地面の一点から、かすかな白い煙が立ち昇り始めた。


 いや、煙ではない――煙に似た、別の何かが。


「何だ……? ?」


 彼は手を引き、真剣な眼差しでそこを見つめた。片腕を隣にのラナーニャの前に突き出し、彼女を後ろにのかせようとする。


「ラナーニャ、ジオさん。離れてください。……ラナーニャ?」


 動けない。

 目が、逸らせない。

 か細く一条立ち昇る白いそれから――目を離せない。


(朱雀の。私はあの≪印≫を知っている……)


 思い出せない。


 思い出したい。


 ラナーニャは思考の中で、あの痣を鮮明に思い描く。視界の白く細い煙に重ねて、一心に。


 一度しか見ていないはずなのに、それはたやすくできることだった。


 心臓が高鳴った。自分は何も覚えていない――けれど涙するほどに覚えている。あの文様を、あの文様を抱いた誰かを――


「? ラナーニャ? どうした」


 傍らの少年の声さえ耳に届かず。


 ただ、奥の奥から響く何かを、聞いた。



   ――あなたを



 これは自分の内側から?


 否。地面から……自分が足をつけた場所から、伝わってくる。ゆるやかな波のような波動。音。


 ――声。



   ――あなたを まっていた



 地盤の一点から、まるで火口のように煙が噴き出した。

 周りから緊迫した声が上がる。


「ラナーニャ!」

「おい、嬢ちゃん……!」


 一面がかすみがかり、次いで霧のような空気がラナーニャを包み込んだ。


 脳裏を閃光が染め抜き、そのまばゆい光の奥に、何かが見える。


 誰かがそこにいる。


 微笑んで手を差し伸べてくる。その相手の顔を思わず凝視して、ラナーニャは思考の中で立ちすくむ。


 。この人を、私は知らない。


 なのに相手はまっすぐとラナーニャを見て、嬉しそうに笑っている。


 だれ? あなたは



   ―― だ れ ……



(なんだこれは……?)


 シグリィの目の前で――


 地面から噴き上がった煙は広がり、ラナーニャの体を覆い隠した。


 少女の名を呼びながら手を伸ばす。だがその空間は彼を拒んだ。触れかけた指先に痛みに似た衝撃。脇腹の傷にまで響いて、彼は体を折り曲げ苦悶した。


「シグリィ様……!」


 駆け寄ってきたカミルが体を支えてくれる。おいお前ら大丈夫かとジオが吠える。


 痛みに耐えながら、シグリィは顔を上げて白く濁った目の前を睨みやった。


 彼女の姿がおぼろげにかすみ、輪郭が捉えられなくなる。


 だが――その内側で、逆に強すぎるほど強くなってゆく気配が、ある。


(高まり続けている――これは誰の力だ? 死んだ術者か、それとも)


 それとも、彼女か?


 まさか。ラナーニャには≪印≫がない。朱雀どころか他のどの力もない。だがこれは、


「ラナーニャ……!」


 おぼろな少女の輪郭が震えた。


 白い。


 白い光が。


 洞穴の内部を駆け抜け、彼らの視界を染め、そして。





「見ぃつけた」


 暗闇の中で、少女は呟く。


「今度こそ捉えたわ。もう、手間をかけさせるんだから――」


 くすくす、くすくすと。

 面倒くさがるようなことを言いながら、心底嬉しそうに。


 昼間だというのに、彼女の周りは暗い。その部屋には窓がなかった。それだけではない、ただの闇とは異質な何かで包まれている。


 光がないからくらい、のではない。

 その場には、のだ。


 漆黒に包まれた彼女は、着ているものも闇の色。空間と同化するかのような風情のまま、椅子の肘掛けに肘をついていた。


 その手に何かを握っている。それに目をやり、ふんと鼻を鳴らす。


「こんなものでわたくしを惑わそうとはね。本当に忌々しいわ、あの女――」


 言葉が形になるのなら、それは毒々しい棘を持ったナイフとなるに違いない。

 しかしその声よりもさらに冷ややかな視線が、己の掌のものを射抜く。


 青い、石。

 丸い丸い、ふしぎな光沢の石。


 この闇の空間の中にあって、闇に染まらない。その事実を認め、彼女はさらに目を細める。そして、


 掌をぐっと握った。

 ぱん、と内側で破裂の音が聞こえた。


 ややあって、つうと指の隙間から血が一筋滲んだ。


 手を開く。ばらばらと破片が床に落ちる。小さくなってさえ、その欠片たちはきらきらと青く輝いた。


 彼女はゆらりと立ち上がった。

 床の青い欠片を踏みにじり、己の手に浮いた赤い色を、舌でちろりとめ拭う。


 その唇に浮かんだのは恍惚の笑み。甘い吐息とともに、彼女は言った。


「焦らすのはもう終わり。今度こそ逃がさないわ……わたくしが直接出向くことはできないけれど、代わりにわたくしの力をたくさん送り込んであげる。安心してね、その息の根を止めるのは紛れもなくわたくしよ。――ねえ」


 ……


 囁きを漏らし、彼女は笑った。闇に狂気の悦びが満ち、他の全てを排除していく。


 床に落ちた青い煌めきたちさえも、もはや闇から逃れようもなかった。



 突如として大空に数羽の黒鳥が現れた。


「………!」


 洞穴の入口を護っていたセレンは即座に身構えた。


 巨鳥たちは一斉にくちばしを開く。その奥に、溜め込まれたすさまじい熱量が見える。

 セレンは杖を振りかざす。高らかに詠唱した。


「荒ぶる子よ、女神の胸に眠れ!!」


 セレンの魔力が膨れ上がる。嘴の奥から放たれた熱線を受け止め、


 衝撃が、地面を鈍く揺るがした。

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