19 糸口は対等に

 昼食の時刻を過ぎると、村はにわかに騒然となった。マーサに話を聞こうとして、村の子供たちが家に殺到したのだ。


 マーサはそのすべてに丁寧に対応した。ダッドレイにそうしたように、子供たちの言葉を聞き、けれど自分の方針に変わりはないことを告げる。村人が退出するときには、「納得できなければまた何度でもいらっしゃい」と添えて送り出す。毅然とした彼女の態度に、強く反論できる者は少なかった。


 元々、この村で真っ向からマーサと対立しようなどと考えるような人間は、ダッドレイくらいなものなのだろう。


(マーサさんはすごいな)


 シグリィはマーサの後ろに常に控えて、彼らの会話を黙って聞いていた。セレンはまだ二階だが、カミルは隣にいる。この場にいて全部聞いていてほしいとマーサが懇願してきたのである。


「あなた方にとっては不当な物言いもあるかもしれませんが、どうか我々のことを知ってください」


 と。


 それはシグリィにとって願ってもない話だ。そもそも彼らは、そのためにこの村に来ているのだから。


 シグリィたちがいる場所では、本音が言えない村人もいるようだったが、態度でおおむねどんな心づもりかは分かる。世渡り上手はこの村に存在し紹介ない。そんな村人のためにマーサは「またいらっしゃい」と言っているに違いないし、彼女から出向くつもりもあるようだった。


 そんなマーサによって何度も村人にされた自分たち。そのたび挨拶はしたが、返事もないことが多い。会話にまで発展させるのは難しい。


(……ジオさんは一体どうやって彼らと打ち解けたのだろう)


 数年前からこの島に来ていた男を思い出し、シグリィはつくづくそう思う。


 お昼のころ、ジオは一度村長宅に戻ってきた。だが、昼を食べ終わるとすぐにまた出て行った。久しぶりのこの村には、話す相手がたくさんいるらしい。


 ――帰ってきたら彼にコツがないか聞いてみよう。


 今頃ジオは誰とどんな会話をしているのだろうか、と考えた。息子とは不仲だったあの男が、この村ではどんな風に過ごしているのか――

 

***


「だからさ」


 と子供は憂鬱そうな表情でジオを虚ろに見た。


「ダッドレイは極端だと思うよ。思うけどさ……やっぱり怖いよ。あいつら本当にいい人たち?」

「自分の目で見てどーだった」


 ジオは出された飲み物をぐびぐび飲みながら、合間にそう問う。


「メシの後にマーサんとこ行ってきたんだろが。あいつらいただろ。どうだったんだ?」

「それは……」


 まだ十代半ばの少年が肩を縮める。隣にはもう一人同居の少年もいて、そちらは身の置き所がない様子で不安そうにきょろきょろしていた。


 ジオはグラスを机に置いて、むっつりと言葉を止めた。――不機嫌そうな声になっているだろうと自分で分かっていた。これが昔から直らないのだ。ジオの迫力に目の前で萎縮する島の子供を見て、脳裏に気弱な息子の姿がかすめる。


 ごほんとわざとらしい咳払い。それから、苦労して言葉を選ぶ。


「じゃあな、別に信用しなくってもいいからよ――ちょっとは、あいつらと喋ってみろ。お前ら喋るのも避けてきたんだろ?」

「……うん」

「喋らなきゃ信じるも信じねえもねえだろ、まずはそっからだ」

「でも、あいつらも話しかけてこなかったよ」

「そりゃそうだろうよ、お前らがそんなに怯えてりゃ。自分を魔物か悪魔かと思ってる連中にそうそう話しかけられるかよ」


 子供はむうと眉を寄せてジオを見た。「ジオは違ったじゃないか」と言いたげな目だ。


 ジオはえへんと再び無意味な咳払いをする。


 自分が島に下り立ち、この島の子供たちと出会った当時――自分は子供たちが怯えている理由を勘違いしていた。元々その外見のせいで恐がられることが多かったから、まさか子供たちがよそよそしい理由が《印》持ちに対する恐怖感だなどとは思いもしなかったのだ。


 結果、ジオはいつもの通り、何の遠慮もなくどんどん話しかけた。機嫌がいいも悪いも率直に。怒るときは怒り、笑うときは笑い、疑問はまっすぐにぶつけ、時には口論をして。


 それが、容貌いかつく生まれついた男の処世術だった。


 幸いなことに、それがこの島では最適だったようだ。そこのところ、見た目でジオを恐がるガナシュの子供たちと大差ない。日常の何気ない会話が信頼を生む。安心感とは肌で感じ取るものだ。


 だが、あの旅人たちはなまじ相手の気持ちを考える分、どうしても踏みこめないでいる。


 せっかくの同年代の《印》持ちがいるのだ。ジオはその距離を縮めてやりたかった。


「次に行くときゃ、俺も一緒にいてやるよ。だから遠慮なく喋れ。恐いなら恐いって言やァいいからよ」


 それでいいの、と少年は肩をすぼめたまま聞く。

 それでいいンだよ、とジオは胸を張って断言する。


 とにかく会話の糸口だ。恐いと言われたなら、何もしないからと応えることもできる。それが無意味な会話かどうかなど、やってみなければ分からない。


「何なら『こんにちは』でもいいぜ? 『全ては挨拶から』ってユキナも言ってたろーが」


 その名を出すと、ようやく不審そうだった子供たちの顔が和らいだ。


 まったく、ユキナはすげェよ。ジオは内心舌を巻いた。この世から去った後も、絶対的な存在感を保っている。


 かく言うジオも、ユキナには今でも勝てる気がしない。相手は二回りも年下の小娘だというのに。


(いや……小娘“だった”……か)


 ふとそう思い、ジオは苦く笑った。


 今でも鮮明に思い出せる、かの少女の姿。見た目だけなら小柄で線が細く、ちょっと押したら倒れそうなほど頼りなげだったというのに――実際には槍が降ろうが鉄球が降ろうがもろともせず、両足で地に立ち続ける娘だ。


 たった一人で村人全員を包んでいた。呆気に取られるジオに向かって、どんな花よりも華やかに笑って。


 ――南の女神さまにも負けない女になりたい。


 唄うようにそう言った。


「………」


 ジオはグラスの中身を飲み干し、「うまかったぜ。ありがとよ」


 と椅子から立ち上がった。


「俺ァまだまだ回るところがある。しばらくこの村にいるだろーから、何かあったらいつでも来いよ」


 うん、と子供たちは素直にうなずいた。


 打ち解けてしまえばどこまでも真正直に言うことを聞くのだ。じゃあな、と玄関を出ながら手を上げたジオは、最後まで見送っている子供たちを見やり、思う。


 ――あいつらも本当は、大人の言うことを信じていたかったんだろうな、と。


 

 

 それから数刻かけてジオは村の家々を回り終えた。二十と少ししかいないこの村の子供たちは全員、ジオにとって息子娘のようなものだ。いまだにジオを「恐いオジサン」と見ている子供もいないわけではないが、ガナシュでも向けられてきた「怒らせると恐い近所のオッサン」に対する目と同じようなものだろう。


 「信じられない大人」とは違うのだ。そう思いたい。

 実際にはジオ自身、子供たちにどう思われているかの自信などないのだが。


 丘の上の村長宅に向かってのんびり足を進めながら、空を眺める。


 この島で見る空は、大陸で見るそれよりもずっとのどかだ。天候が荒れることもあまりないらしい。何より月闇の扉の影響がろくにないとなると、大陸育ちのジオにしてみれば「ここは別の世界かもしれねえ」という気分になる。


 海を一晩分、越えただけだというのに。


「ダッハのやつァ、無事にやってるだろうな……」


 つぶやく。


 それから、ケッとごまかすように吐き捨てた。


「いい機会じゃねェか。あの腰抜けもいい加減独り立ちしやがれ」


 ジオは普段から家にほとんどいない。だから息子のダッハが独り立ちするチャンスならうんざりするほどあるはずなのだが。


 間違いなく自分の息子だというのに、自分には理解できないほど気弱な息子。どう扱ったらいいのか分からなかった。自分だったら奮い立つだろうという扱いをすればするほど、幼い息子は怯えて逃げた。業を煮やして海に放りこんでしまったときはさすがにやりすぎたと自分でも思ったが、


『おかしいのは親父じゃないか! いい親は嫌がる子供に無理強いはしないんだよ!』


 回復して真っ先にそう言ったダッハの目を見たとき、言おうと思っていた詫びの言葉と、用意していた好物の魚の話は、どこかに飛んで行ってしまった。


 自分がやりすぎたことは認める。息子の扱い方が間違っていたのも、さすがに分かってきた。だが、それでも――息子の言い分を許せない。


 ガナシュに生まれ育った以上、海に免疫がないのは致命的だ。ガナシュの男は海に出るのが普通で、海に出ない仕事の者はよほどの一芸がない限りやりくりに苦労する。海に慣れなければ、将来困るのは息子なのは間違いない。自分が死んだあとどうやって生きていくつもりなのだ。まさか自分が弱いのを盾に周りにすがって生きていくつもりなのか。


 例えば。『俺はこの町に向かない。自分でもできることがある場所に行きたい』と言うのなら、いい場所を一緒に探してやろうと思う。今の時代移住はとても大変だが、考える価値はある。


 例えば。息子が海以外に熱心に没頭している何かがあるのなら、それを理解しようと努める気もあった。ただ、実際にできたかどうかは分からない。なぜならあの息子には、何かに打ち込む様子などかけらもなかったから、試す機会もなかったのだ。


 お前は逃げてばかりだったろうが。自分の弱さを理由にして、何もしなかっただろうが。


 気がつけばジオの目には、息子がそういう人間にしか見えなくなってしまっていた。


 愛情がないわけじゃない。だからこそ、息子と顔を合わせるのが辛かった。ジオはできるだけ息子と距離を置こうと、ひたすら海に出た。漁の予定のない時期でさえ、海の観察だのなんだの無理やりな理由をつけて出帆した。


 その矢先に見つけたのだ。この島を。そして子供たちを。


「……別に代わりにするつもりはねーけどよ」


 息子の代わりになどなるわけはない。ダッハはダッハ、島の子供は島の子供だ。


 ただ、ここで過ごす時間はきっと、膠着こうちゃくした息子への思いを変えてくれる気がした。どこかに忘れ去ってしまった“優しさの見せ方”を思い出すためにも。



 

「お帰りなさい、ジオさん」


 村長の家に戻ったジオを出迎えたのはシグリィだった。

 ジオは軽く手を上げて応えた。


「よう。――どうだった」

「まだまだ難しいですね。個人的には充実していましたが」

「ろくに会話もできなかったんだろ」

「とにかく挨拶できただけでも収穫ですよ」


 本気で言っているらしい少年に、ジオは片眉を吊り上げて見せた。いきなり少年の肩を掴んで抱き寄せ、肩を組むような形で顔を寄せて低く告げる。


「お前さんは冷静すぎンだ。いいか、相手に遠慮して引くだけが美徳じゃねえぞ。優しいのは結構だがよ、それじゃいつまで経っても距離が縮まらねェ」

「―――」


 シグリィは困ったように間近にあるジオの顔を見る。

 視線を、逸らすことはない。それができるこの少年なら。


「お前からもぶつかってってやれ。そうでなきゃ対等じゃねえ」


 言うだけ言って、突き放すように体を離した。


「で、他に何かあったか?」

「他に、というか……」


 急に話を変えたジオに苦笑して、シグリィは答える。「私じゃなくて私の連れが気づいたんですが。――この島の子は、西部生まれが多いようですね」


「あン? ああ、そういやそうだな」


 おそらく名前や肌の色、瞳の色でそう思ったのだろう。ジオは肩をすくめた。


「だがそりゃあ別に“西部には《印》なしが生まれやすい”ってこっちゃねえぞ。単にユキナとユードがだな――つまり《印》なしをこの島に誘導している二人がだな、西部生まれでこの島を拠点にした都合上、一番西部を回りやすかったからってだけだ。まだ東や北には足を伸ばしてないんだろ」


 正しくは大陸を移動して子供たちを導いているのはユドクリフであって、ユキナではないが。そのユドクリフに指示をしていたのは姉のユキナなのだから、間違った言い方でもない。


「ああ」


 シグリィは納得したようにうなずいた。「そう言えば日誌に書いてありました。西には土地勘があると」


「日誌? ああ、ユキナが遺したやつか」

「そうです。でもジオさん」


 と、思い出したように少年は目を細めた。「ユキナさんの日誌によれば、この島を見つける前、『南から西に渡った』とありましたから……ご姉弟は、西生まれではないと思いますよ」


「あ?」

「まあ南生まれとも書いてなかったので詳しくは分かりませんが。……この島の人に出身地を尋ねるのをためらっていたんですよ。でもそうですね、ジオさんの仰るとおり」


 自分から動かなくてはいけませんね――と、まだ若い少年はまた困ったような顔をして、それから笑った。

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