第四章 其れは憤りという名の―3

「あんたたちは……」

 アリムとともに家に訪れた二人の青年の姿に、エウティスは呆然と気がぬけたような声を出した。

「……緑の髪だねえ、たしかに」

 トリバーのやや癖っ毛がちな髪を眺めて、独り言をつぶやく。この地方でトリバーのように、本当に「緑」と言える色を持つ人間は珍しいのだ。

 アリムはトリバーの不機嫌な気配を感じ取って、内心ひやひやとした。

 案の定――かどうか、トリバーはさりげなく――というよりあからさまに思い切り、アークの足を踏みつけた。

「お前が訳の分からん置手紙を残すから……」

 毒づくトリバーに、アークは足を抱えながら痛い痛いと泣きそうな声をあげて、

「なんだよっ! 目印になるもんは有効利用するのがカシコい生き方だっ!」

「お前は何をどうやろうとどこまでもただのバカだ」

「ひでえ! それでも親友かっていうか運命共同体だろ俺ら!?」

「貴様との腐れ縁なんぞ、切って済むもんならとっくの昔に切ってる。つーか気色悪いこと言うな」

「そこで切れないから俺らは運命の相手なんじゃんっ!」

「……一度食事に毒入れてやろうか?」

「だったらおれは本燃やすからなー!」

 トリバーは本気で引きつった。いつの間にかつかみ上げていたアークの胸元、その布地を今にもちぎらんばかりに手がぶるぶると震えている。

 声を荒らげることはあまりないこの緑の青年は、代わりに押し殺された感情がなかなか大きいらしい。

 ……しかし、一番大きく反応するのがやはり「本」なあたり、いっそ見事な本の虫だ。

「あああのっお二人とも! 今日はこの後どうされるんですかっ? どこにお泊りで……」

 必死でアリムは二人の間に割って入る。エウティスは呆気にとられるばかりで、動きが止まってしまっていた。

「あー。俺ら町外れの空家に住み着いてんの。でも知られたら追い出されるから、ヒミツにしといて?」

 胸倉をつかまれたまま、アークはほがらかにアリムに答える。

 ほがらかに言うことかどうかは、甚だ疑問だ。

「え、ええと、じゃあお食事とかは……もうそろそろ、夕飯の時間ですし」

「めし!」

 突然大声をあげて、アークはばっと友人の手を振り払う。そして今度は逆にトリバーの胸倉をつかんでまくしたて始めた。

「おい! 今日のめしは!? なあお前今日仕事さぼってきやがったろ!? 今日の稼ぎどーなってんの、つーかめし食えるのかっ!?」

 ――原因を作った張本人なのに、“さぼった”とはまたひどい言い種だ。トリバーはすでに言い返すこともできないほどはらわたが煮えくり返っているに違いない。無言のまま、青い瞳がまるで赤くなったかのようにぎらぎらと燃えている。

(そう言えばフロリデさんが『たらふくご飯を食べさせてあげる』とか言ってたような……)

 アリムは派手美人の女店長を思い出した。

 つまりこの亜麻色の髪の青年は、大喰らいということだろうか。

 本の虫に、大食漢。……どっちもどっちだ。

「今日の夕飯ぐらい、今までの稼ぎで何とかなるに決まってるだろうが」

 トリバーはうっとおしそうにそう言い捨てた。

 アークが瞳を輝かせる。白けた顔で、友人は続けた。

「ただし、この調子だとあと一週間もつかどうかは疑問だな」

 げっ! と琥珀の瞳が凍りつく。続いて、今度は泣きそうに揺らいだ。

「あと一週間なんてっ。俺の命があと一週間ってことなんだぞ。何でそんなに冷たいの、お前」

「……貴様が常に人の三倍は食ってさえいなけりゃもう少しはもつってことを、一応言っておいてもいいか」

「ああああと一週間! 俺の楽しみが一週間で終わる~~」

「……ついでに何で俺だけが働いてるのか常々不満を感じてることも訴えておきたいんだが」

「ひもじいよう……」

 アークがめそめそと言う。

 とうとう、トリバーはブーツの底で友人の腹を蹴りつけた。

 はうっ、と亜麻色の髪の青年が体を折り曲げる。雨でぬかるんだ道を歩いてきたブーツの跡が、彼の服にべったりとついた。

 服があっとわめきだすアーク。完全無視のトリバー。

 二人の様子をひとしきり眺めて、アリムは。

(何というか……)

 ――とりあえず、自分が言うべきことがひとつだけなことは分かった。

 にっこりと、多少力の入りすぎた笑顔を作って、アリムは言った。

「じゃあ、ご飯食べていってください。伯母さんとぼくとでたくさん作りますから……」


 奇妙なこの二人の青年が、アリムを実際に救ってくれたという話を聞き、怪しんでいたエウティスもさすがに客人を招きいれた。

 ひょっとしたら、青年たちのしょうもない会話が却って警戒心を解いてくれたのかもしれない。

 伯母の家に入るなり、「ああ」とアークが嬉しそうに破願した。

 いつも調子のよかった声が、とても優しく穏やかに変わる。

「いい気配――精霊が喜びそうな家だ」

 アリムはびくりと体を震わせた。亜麻色の髪の青年は居間をゆっくり見渡し、「地精(ヒューレ)」とつぶやく。

「――地精の気配が強い。おばさん、地精と仲いい?」

 エウティスが驚いたように目を見張った。

「よく分かるもんだねえ? あんた、やっぱり協会の人間かい」

 アークはあいまいに笑った。そして、なぜか一歩退いたままの友人をくるりと振り返り、

「ついでに暖炉にはちゃんと火精ピュールがっ。どうするお前、やっぱ外で食べてくる?」

「この野郎……」

 トリバーは自分で自分の体を抱くような仕種をしながら、本気で呪い殺しそうな目つきで友人をにらんでいる。アークはにやにやとしながら「難儀だねえお前の体質」と言った。

「あの……どうかなさったんですか?」

 伯母の始めた食事の用意を手伝う合間に、疑問に思ってアリムは訊いた。勧められるままに暖炉近くのソファに座ったアークとは対照的に、トリバーはやたらと暖炉から遠い――寒いのではないかと思える位置に座ったのだ。

 たしか、精霊学の勉強中に学んだことがある。これは――

「こいつ、火精が本気でダメなんだ。精霊学でもやるだろ?」

 ――本来、人間と精霊は根本的に性質の違う存在だ。そしてその性質の違いは、例えば“人間と犬猫の別”のような話とはまた違う。そもそもが同じ環境で生きられるようにはできていないのだ。

 この大陸に先にいたが精霊なのか人間なのか、それは明らかになっていない。今のような“共存”のためにはどちらかが歩み寄ったはずだと言われているが、定かではない。けれど一つだけ分かっているのは、そういった異質なもの同士が同じ場所にいるためには、何らかの弊害があるということ。

 その内のひとつが、“体質”の問題だった。――人間の中には、生まれつき精霊を受けつけない者がいる。ある特定の属性の精霊が近くにいると苦痛を感じるらしい。

 アリムと会ったばかりのとき。トリバーは「体がむずがゆい」と言っていた。つまりそれは、アリムの傍にいたという火精のせいなのだ。

「だから……あのお店、暖炉がなかったんですか」

 女店主の仕切る不思議な店を思い出し、アリムはつぶやいた。

 いやいや、とアークは面白そうに首を振った。

「逆だ。あそこには暖炉がなかったから、こいつも雇ってもらえたってこと」

「ああ……」

 森に住むアリムは、たぶん人よりは寒さに強いほうだと思っている。けれど今は真冬――そして暖炉には火精がいるのが当たり前。それはどれほどのつらさなのだろう。

「そりゃ大変だねえアンタ。何でわざわざ、こんな寒い地方にいるんだい」

 聞こえていたらしい、料理の合間に伯母が口を挟んでくる。

 トリバーは半分眠っているかのような相変わらずの表情で、

「好きでいるわけじゃない」

 とぶっきらぼうに言った。

 じゃあなんで――と訊こうとしたアリムは、ふと亜麻色の髪の青年が立ち上がったのに気づき、そちらに視線をやった。

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