20 これからのあなたに
「ちょっと待ってよ。冗談か何かなの?」
笑い飛ばすシルヴィさんとは対照的に、サミュエルさんは真剣な表情を崩さない。
「僕は本気ですよ」
即答したサミュエルさんは、固まっている俺たちの存在にようやく気付いてくれた。
「これは失礼しました。こんな場面だし、犠牲になられた方もいるのに不謹慎でしたね。皆さんにも危ないところを助けて頂いたのに、御礼すら忘れてしまって……こちらの女性があまりにも素敵だったので、つい……」
真っ白い歯を見せて爽やかに微笑み、何度も頭を下げてくる。
多数の貴金属を身に付け、軽装を着崩した姿はお洒落だ。お世辞にも紳士とは言いがたいが、親しみやすく憎めない空気を持つ人だ。
「俺も、あなたにきちんと御礼を言いたいと思っていたんですよ。以前にマリーが、プロムナを分けて頂きましたよね。あの秘薬のお陰で、俺の大切な人たちが助けられました」
「いや、それは良かった。お役に立てたのなら幸いです。次回は是非お買い求め頂ければ、今度は私の懐が助かります」
「あら。命の恩人からお金を取ろうっていうわけ? しっかりしてるわね」
「これはまた、痛い所を突いてきますね」
シルヴィさんに切り込まれ、サミュエルさんも気後れしている。しかしそこへ、むっとした顔のマリーが割り込んだ。
「それとこれとは話が別です。プロムナの生成はとてつもない手間暇がかかるんですよ。見合った対価を得るのは当然のことです」
「そこはマリーちゃんの言う通りだけど、命を救われた僕としては複雑なんだよね」
「サミュエルさんは人が良すぎるのよ。あの人の大切な人たちが助けられたって言ってるんだから、これで貸し借りはなし」
ふたりのやり取りに違和感を覚えていたが、その理由にようやく気が付いた。
「マリー。サミュエルさんと話している時は、聖女の
なぜか、険しい顔で睨まれた。
「サミュエルさんは昔からの付き合いなのよ。今更取り繕ったところで無駄でしょ。素の私でいられる、数少ない相手のひとりなの」
「光栄です」
ふたりが醸し出す和やかな空気は、年の離れた兄妹を見ているようだ。
「僕としても、このままというわけにもいきませんからね。御礼と言っては不足かもしれませんが、今晩、皆さんにお食事をご馳走させて頂くということでどうです?」
「そう言ってくださるのは非常にありがたいんですけどね……フィクサルの街に宿を取ってあるんです。サミュエルさんのご都合もおありでしょうから」
「でしたら同行させてください。どのみち、馬車の積み荷を保管しなければならないんです。積み荷の中には、珍しいお酒やお菓子も積んでありますから、ぜひご賞味ください」
「お酒……」
「お菓子!?」
シルヴィさんとアンナが即座に食い付く。サミュエルさんはそれを見逃さなかった。
「シルヴィさん、ご興味がおありですか。知り合いから、ベル・リヴィエールという葡萄酒を百本ほど仕入れることができました。今宵は数本を振る舞わせて頂きましょう」
「ちょっと待って! 幻の葡萄酒って言われるほどの名酒じゃない。それを百本も!? どうやって手に入れたのよ!?」
興奮するシルヴィさんは目を輝かせ、誘い込まれるようにサミュエルさんへ近付く。
「私も商売ですから、それはさすがに教えられませんけどね。でも、僕と親しい間柄になって頂ければ考えなくもありません」
「親しい間柄って、どの程度なのよ? あたしがあなたからワインを買えばいいってだけのことじゃない」
「食事に応じて頂くことが販売の条件だと言ったら? あなたがワインを求める熱量はわかります。ですが、僕があなたを求める欲求は、それを軽く凌駕すると断言します」
「よくもまぁ、そんなことがさらっと言えるわね。あんたみたいな軽い人を何人も見てきたけど、遊び目的が大半じゃない。まぁ、そういうあたしも遊び相手を探して絡んでたわけだけど。あたしはその程度の女よ」
「どんな理由があろうと、自分を卑下するのは感心しませんね。でも、僕はあなたの過去にはこだわりません。今とこれからのあなたにとても興味があるんです」
「面白いこと言うわね」
挑むような目を向けていたシルヴィさんは、呆れた笑みを浮かべてこちらを見てきた。
「ねぇ、リュシー。この人の誘いを受けてもいいかしら? 是非、晩餐にお招き願いたいんだけど」
特に断る理由はない。しかし、シルヴィさんに馴れ馴れしく近付くサミュエルさんに、どことなく不快感を持っている自分がいる。
「リュー
冒険服の袖を掴まれ、懇願されている。
「そんな凄いワインを持ってるなら、お菓子だって期待しちゃうよね」
「おまえはそっちか……」
「もちろん、そちらも期待してください」
俺たちの会話を聞かれていたらしい。サミュエルさんは得意げな顔を見せてきた。
さすが商人といった所か。商機を逃さないというか抜け目がない。
「マドレアという焼き菓子を仕入れました。これは絶対に流行ります。有名菓子職人である、クラリス・ペサールの新作です」
『クラリス・ペサール!』
アンナとマリーの顔が輝いた。
マリーは祈るように胸の前で両手を組んでいる。今にも昇天してしまいそうな勢いだ。
「そんなに凄い人なのか?」
何気なくアンナに訪ねると、勢い良く二の腕を叩かれた。
「リュー兄の馬鹿! クラリスって言ったら、お菓子作りの申し子って言われてるんだよ! 繊細な味と綺麗な造形がたまらないの。王都にも専門店があるけど、すぐに売り切れちゃうし、滅多に食べられないんだから」
「そんなに人気なのか……」
「そうだね。クラリスのお菓子を食べさせたら、セリちゃんも虜になると思うよ」
「本当か!?」
新たなものに目を向けさせたら、ボンゴ虫など綺麗さっぱり忘れてくれるだろうか。
「まぁ、せっかく誘ってくれてるんだ。無下に断るのも失礼だな。犠牲になった冒険者たちには悪いと思うけど……せめて、彼らの話も聞かせて頂けませんか」
「もちろんです。とはいえ、護衛をお願いして数日を共にした間柄でしかありませんが。彼らを想い、グラスを傾けましょう」
痛む心を隠して微笑を浮かべたサミュエルさんは、馬車を振り返って溜め息を零した。
「ですが、馬車はあの有り様だ。積み荷をどうやって運べばいいのか。フィクサルの街から新たな馬車を手配するしかありませんかね」
「荷物を放置するわけにもいきませんからね。アンナは健脚だ。街まで走ってもらいますよ」
「でも、あなた方に頼ってばかりでは……」
心配するサミュエルさんをよそに、首へ掛けた竜の笛を手に取り、マリーを側へ呼んだ。
「飛竜を使って移動する。医療用の催眠魔法を使って、サミュエルさんを眠らせてくれ」
「そういうことね。任せておいて」
マリーがこっそりと睡眠誘導の魔法を使うと、サミュエルさんは途端に眠ってしまった。
俺たちはその隙に飛竜を呼び寄せ、街の手前にある森の中まで移動した。
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