影が消えた日

上野ハオコ

01 影が消えた日

それは酷く暑い夏の日のこと。


コンビニで買ったアイスを頬張りながらの、学校からの帰り道。

気怠い一日を終え、だらだら歩く夕日の街で。


突然、影が消えた。


それはもう、瞬きの間というか、ほんの一瞬の出来事で。

照明のスイッチをぱちんと消した時のような唐突さで、影が消えた。


元来、私は前を見て歩けるような人間ではないものだから、その日も足下ばかりを見ながらとぼとぼと歩いていた。


アスファルトから芽吹く雑草はなんて力強いのだろう。

空に向かって伸びる青々とした葉の鋭さは触れただけで指が切れてしまいそうだ。

ああ、生きてるなぁ。

生き生きしてるなぁ。

雑草は今日もただただ実直に、生きるため生きているんだなぁ。

すごいなぁ。

それに比べて背を丸めて歩くこの弱々しい私はなんだろう。

手に持ったアイスと一緒に暑さで溶けていきそうだよ。

それでもまぁ、ここで溶けてしまえれば少なくとも雑草たちの養分にはなれるんだな。

それならば私が生まれてきたことも無価値じゃないかもしれない。

そうだ、雑草の養分になろう……とか。


そんなくだらないことを考えながら、ローファーのつま先から伸びる影を見つめていたものだから、瞬く間に起こった異変にすぐ気付くことができた。


一瞬にして世界から影が消えた。


……まあ、『一瞬にして』というのはいいとしても、『世界から』というのは些か大仰だったかなぁと思わなくもない。

だってこの場合の『世界』なんてのは私の視界から見える範囲の片田舎の幹線道路沿いちょっとしたファミレスやスーパーなんかが並んだどこにでもある風景を切り取ったものでしかないのだから『世界』なんていうのは余りに過剰な表現だったように思う。


一瞬にして片田舎の幹線道路沿いちょっとしたファミレスやスーパーなんかが並んだどこにでもある風景から影が消えた。


……これだと正直ちょっと長いし読みにくいし『一瞬にして』と『影が消えた』のインパクトが弱い感じがするのでやっぱりさっきのでいいや。


一瞬にして世界から影が消えた。


だのに、そのことに気付いた人間はどうやら私だけのようだった。

そこらへんを歩いている、くたびれたスーツのおじさんや、自転車を漕いでいる買い物帰りのおばさんや、やけに前髪の長い男子高校生たちは、影が消えたという事実に驚くそぶりを全く見せず、それぞれがそれぞれの現実に目を背けるように、スマートフォンにばかり目を向けていた。


だから、私はまず私の方を疑ってみることにした。


世界から影が消えたなんていうのは私の衰弱しきった脳味噌が起こしたまやかしであり、現実世界では普通に影がある日常が続いているのではないか。


それをひとまず確かめるため、私は通学鞄からバールのようなもの(中)を取り出し、おもむろに自らの脳天に振り下ろしてみた。

ちなみにこの通学鞄にはバールのようなもの(長)とバールのようなもの(短)そしてバールのようなもの(裂)が入っている。


脳天にバールのようなものを振り下ろしたことによりリセットされ、私の脳味噌は普通の状態に戻った。

普通の状態の脳味噌で見ても辺りから影が消えていたので、世界から影が消えたことは紛れもない現実のようだ。


それならば何故、影は消えてしまったのだろうか。


そこでふと、私は前にも同じような現象があったことを思い出した。


同じような暑い夏の日。

その日も私は下ばかりを見てとぼとぼと歩いていた。

ローファーのつま先から伸びる影が薄ら青いのは、空の青と関係しているのかなぁなんて考えていたら、瞬きの間に世界が青で満たされた。

でもそれは、なんてことないありふれた普通の現象で、ただ、厚い雲が太陽を遮り、大きな影ができたことから世界が青く染まったように見えただけのことだった。


きっと今回も、そんななんてことない自然現象に過ぎないのだろう。

厚い雲で太陽が遮られ、影が消えたように見えたのだ。

実際には影が消えたのではなく、私の視界一杯が、雲の影に入っただけ。


本当になんてことない、つまらない現実。

アニメや漫画、小説の中のような出来事なんて、起こりっこないのだ。


私は私の現実に戻るため、答え合わせをするために、振り返り、空を見上げてみた。


見上げた先にあった大きな目玉と数秒見つめ合ったあと、何事もなかったように私は家路を急いだ。

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