七話

賽貴さいきさま……!」


 東門のある通りに着くと、門を飛び越えたらしいらんが賽貴の姿を見つけて駆け寄ってきた。

 そんな彼女の行動に、白雪しらゆきは黙ったまま眉根を寄せている。


「賽貴さま、琳がいないの!」

りん……?」


 藍の言葉に、朔羅がピクリと眉を動かす。


「藍、後にしてくれないか……」


 腕に抱えている浅葱あさぎの容態を気にしてか、余裕のない声音で賽貴が答え藍の横をすり抜けようとするが、藍が半泣き状態で彼にしがみついてその動きを止めさせた。


「探したの! でも、見当たらなくて……、薬を飲まなくちゃいけないのに……」


 藍のほうにも余裕がなく、賽貴の腕の中の浅葱の存在にはまるで気づいていない様子だ。


「……琳に何かあったのなら、半身であるお前が一番先にわかるだろう。お前に変化が無いのなら、心配ない」

「だって、賽貴さま……!」

「……そこまでだよ、藍。周りの状況をよく見てごらん」


 尚も食い下がろうとする藍の腕を掴み、朔羅が冷たい声で告げる。

 彼が藍へまともに声をかけるのは、これが初めてであった。


「!?」


 藍がビクリ、と肩を震わせ、賽貴の腕を放す。

 そして初めて、彼の腕に抱かれた見知らぬ少女の姿に気がついた。


「え……!? 」

「……浅葱さんだよ。部屋に連れて行きたいんだ。わかるだろう?」


 藍の知る『浅葱』は、黒髪の少年・・・・・だった。

 そして今、賽貴の腕に抱かれているのは金の髪の少女だ。


「……え、だって、この人……?」


 余りにも違いすぎる姿と、人間というよりむしろあやかしのように見える少女に、藍はそれきり言葉を失った。

 朔羅はそれを確認したあと、目で賽貴に屋敷の中に入るよう促し、言葉なく頷いた彼と白雪は東門をくぐって中へと消えていく。


「藍。琳は僕が心当たりあるから、探してあげるよ。君も少し、落ち着くといい」


 呆然と立ちすくむ藍の背中を軽く押しながら、朔羅がそう言った。そしてまた言葉を繋げる。


「もっと周りに目を向けることだね。目に映るものしか見ないのは、何も見ていないのと同じだよ」

「…………」


 冷たい科白と、反応のない藍を残して朔羅は踵を返した。

 走りながら、どさくさに紛れて藍の手から奪っていた薬の匂いを嗅ぐ。


「一体、何の薬なんだか……」


 小さく眉根を寄せて毒づき大路へと出ると、前方から歩いてくる人影に気づき彼は足を止めた。


紅炎こうえん……?」


 人影は紅炎のものだった。彼女はその腕に何かを抱えている。

 それに近寄ってみれば、子供の姿が視界に浮かび上がった。


「……これは、琳だろうか? 綾小路あたりで倒れていたのだが」


 五条大路より三筋ほど先の小路にあたる場所で、その子供は紅炎に発見されたらしい。

 確証はないが、気配が琳のものであったので彼女はその子を拾ってきたのだろう。

 生気の失せた顔と、銀色の髪。彼らが知る姿とは違うが、それは間違いなく琳であった。

 朔羅がそれを確認して、「ああ、そうか」と理解の言葉を漏らした。

 琳から感じた歪みの正体はこれか、と思い至ったようだ。


(琳は、『彼』と同じだ……)


 天猫族が持つ銀の髪の病のことは以前から知っている。賽貴から聞いてもいたし、実際に堕ちた者に会ったこともその狂気に触れたこともある。

 この琳もそちら側の者・・・・・・だった。そういう事なのだろう。


「死んでいるわけではなさそうだな」

「……仮死状態だね」


 静かな紅炎の言葉に琳の体に手をかざしながら、朔羅がそう答える。現在の浅葱と同様に、意識がどこかへと堕ちているようだ。


「――君が、浅葱さんを連れて行ったの?」

「!?」


 琳にそう語りかける朔羅の瞳が、一瞬だけ金色に光ったような気がして、目の前にいた紅炎が改めて彼の顔を見る。

 普段は飄々として掴みどころのない男だが、その目が金に変わるとき朔羅は豹変する。

 残忍で冷酷な、薄い笑いの下に隠したもう一つの顔。


(――杞憂か……)


 目に映るのは、水の涼しさを湛える双眸。紅炎は我知らずに、ほっと息を吐いていた。


「この薬は、飲ませておいたほうが良いかな。……まだ、死なせるわけにいかないしね」


 淡々とした口調で朔羅がそう言い、先ほど藍から掠め取ってきた薬を琳の口の中に押し込んだ。少々荒っぽいが、このままにしておいても衰弱し続けるだけだからだ。


「朔羅……何か、知っているのか?」


 紅炎はそんな朔羅の行動を見つめつつ、そう問いかけてきた。

 訳知り顔の朔羅は、その問いに肩をすくめて「……まぁね」とだけ答える。


「琳はもらっていくから、紅炎は見回りを続けてよ。それと、琳の髪の事は誰にも言わないほうがいい」

「……わかった」


 紅炎から琳の身体を受け取り、朔羅は九条邸に向けて走り出した。

 その背を紅炎はわずかに見送り、そして都の見回りを再開するために地を蹴った。聞きたいことは色々あるが、今はまだその時ではない。

 朔羅が短く、そして微妙な表情で答えをくれたことには大きな意味があるのだろう。

 気づけばすっかり日の暮れた都の空の下、彼女は主の無事を祈りつつその歩みを止めることはなかった。


「……君はその身体に、どれだけのモノを孕んでいるんだい?」


 そう言うのは、朔羅だ。

 自分の腕の中、力なく横たわる琳へと問いかけても答えなどなく、それを期待していたわけでもない。ただ、言わずにはいられなかった。

 小さな身体に巣食う狂気。

 そこからじわりと広がり続ける、妙な胸騒ぎ。

 自分の主が『陰陽師』である以上、似たようなことは今までも多々にあった。だが今回は、それをも越える『何か』がある。

 この波乱が未だに序章に過ぎないことを感じながら、朔羅は屋敷への道を急いでいた。

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