第233話 命を懸ける
「調査隊、でありますか?」
バークレイ・クレーゼにしては珍しく大きめの声で問い返した。
なぜなら、つい今しがた、それとは真逆の指示を受けたばかりだからである。
後ろに控える三人の部下も、隊長であるバークレイと同様に、驚きを隠せずにいた。
「──そうだ」
答えたのは、重厚な机に座り、バークレイに急ぎ特別調査隊を結成するよう指示を出した近衛総隊長のコンスタンティン=オーヴィス──ではなく、たったいま総隊長執務室に入室してきたクレイモーリス=スレイヤ=ラインヴァルトだった。
「クレイモーリス殿下」
室内にいるコンスタンティン及びバークレイ、その部下らが臣下の礼を執る。
「楽にしてくれたまえ。コンスタンティン。遅くなってすまない。少し野暮用があってね」
「いえ。わざわざ恐れ入ります。──ちょうど今、バークレイに指示を出し終えたところです」
「そのようだな。──というわけでバークレイ。信頼の置ける近衛の精鋭を十人ほど見繕い、青巫女の神殿調査の任に当たってほしい」
「し、しかし殿下。先程クレイドル殿下を中心とした対策会議に於いては、地下への進行は無用との結論が出たばかりであります」
「ああ。知っている。だが、それはあくまでも兄上が受け持っている衛兵団に対する指示であり、その結論は陛下直轄の近衛にまでは及ばない」
「そ、そのような解釈を盾に、クレイドル殿下の指示に逆らえとおっしゃるのですか?」
「逆らうのではない──」
クレイモーリスは飾り棚に置かれた果物をひとつ手に取ると、それを齧りながら言葉を続ける。
「──兄上が持つ兵では出来ぬことをして差し上げようとしているまでだ」
「しかし殿下……」
「バークレイ。心配はいらぬ。このことは陛下もご存知だ」
クレイモーリスがそう言うと、バークレイはそれ以上の質問をすることを避けた。
「詳細についてはコンスタンティンに説明させるが……俺からひとつ。このあと魔法科学院の生徒がひとり、その件で陛下と打ち合わせをするために城へやってくる。お前たちにはその者と連携をとりつつ、今回の任を遂行してもらいたい」
「ま、魔法科学院の生徒!?」
バークレイの部下が思わずそう言うと、「そうだ」とクレイモーリスが頷く。
するとバークレイが一歩前に出た。
「殿下。なぜそのような者が陛下と──いえ、そもそも我らと連携をとれる者など魔法科の生徒などに存在しません」
「ひとりいるだろう。お前たちと同職になるんだぞ? 憶えておけ」
「──ま、まさかあの黒髪の少年ですか!? それでは殿下はあの少年を我らの隊に加えろと、そういわれるのですか!? たしかに先だっての試合ではカイゼル殿に勝利していましたが──」
「まあ驚くのも無理はない。お前の言うとおり、あの者はまだ成人したばかりの少年だ」
「それが問題なのではありません! そのようなことよりも重要かつ重大な問題があるではありませんか! 殿下もご存知のはずです! あの者は『クロカキョウ』の生まれ変わりと──」
「そうだ。かつてこの世界を破滅へと導いた『無魔の黒禍』。あの少年がその再来と呼ばれているのも事実だ」
「で、ではなぜ故──」
「だが──」
クレイモーリスは持っていた果物をすべて口に放り込むと、それを嚥下し、
「──その『クロカキョウ』の生まれ変わりと畏れられている者に、すでに三度に亘ってこの国の危機を救われているということもまた事実なんだがな」
「そ、そのようなお戯れを──」
バークレイが、信じられない、という顔をする。
「一度目などはお前も良く知っている筈だぞ?」
「わ、私がでございますか!?」
「──七年前。あの少年はその名を『キョウ』といった。当時まだ七歳だったその少年は、今とは違い、晴れ渡る空のような髪の色をしていた。そして、その年端も行かぬ少年が、都と、我が妹ミレサリアを救ってくれたのだが──ああ。確か、あのときもお前の隊にいたと記憶しているが」
「なっ! 『神抗騒乱』の!? ま、まさか殿下は『キョウ』とあの生徒が同一人物だとおっしゃるのですか!?」
「バークレイ。精霊様の光を視ることができる者の間では有名な話よ」
コンスタンティンが至極当然とでも言いたげに、淡々とした口調で付け加えた。
「そ、総隊長までそのようなことを!」
「そして二度目。これは極めて限られた者にのみ事実を明かされているのだが……都を黒一色に変えてしまった『漆黒の破滅』。あれを鎮めたのもあの少年だ」
「あ、あれもあの少年が……? あの悪夢のようなおぞましい現象にそのような事実が……」
「三度目はおよそ三カ月前。青の湖から突如として出現した『漆黒の巨神』。あれを討ち滅ぼしたのもあの少年だ」
それを聞いたバークレイは言葉を失った。
そこへコンスタンティンがさらに続ける。
「それ以外にも細かいことは結構あるわよ? マールの花を山ほど持ち込んで仙薬の在庫を潤沢にしてくれたり、連続誘拐事件を解決してくれたり、シュヴァリエール公国の内乱を収めたり。シュヴァリエールまでの街道も整備してくれたわね。泣く子も黙る元聖教騎士、イリノイ隊長の一番弟子でもあるし、鬼人の化身カイゼル様と青の聖女エミリア様は共に弟弟子と妹弟子に当たるし──」
あの少年は何者なのだ──
バークレイの引き攣った顔にはそう書いてあった。
「──それにほら。私の呪いを解いてくれたのも彼」
そう言ってコンスタンティンが花のように微笑むと、室内の空気がパッと華やかになった。
と、緊張していたバークレイの部下たちの頬も自然と緩む。
今までではとてもではないが、見ることができなかった光景だ。
「とにかく。あの男には、若さを補填してなお余るほどの実績がある。身分に関しては陛下と俺、そしてイリノイ=ハーティスが責任を持って保証する。だからおかしな噂は気にせず、任務の遂行に全霊を注いでくれ」
クレイモーリスがドンと胸を叩く。
するとコンスタンティンも豊かな胸の前に両手を添え、
「彼の身分と、いま話したことがすべて事実であるということは、もちろん私も保証します。──この命をもって」
すべてを包み込むような慈愛のこもる笑みを浮かべて、そう宣言した。
希少種であり、長命であるが故に命の尊さをどの種族よりも重んじるエルフがその命を懸けるという。
そのことに、バークレイと部下らはもはや一抹の疑いも抱いてはいなかった。
そしてクレイモーリスは
「っとそうだ、最後にバークレイ。お前は先程、『隊に加える』と言っていたが、それは必ずしも的確な言葉ではないかもしれないぞ?」
そう残すと、愉快そうに微笑みながら執務室を後にした。
◆
コンスタンティンからの説明が終わり、執務室から出たバークレイらは、待機所へと戻りながら先程の件について議論を交わしていた。
といっても、会話をしているのは部下の三人だけで、隊長であるバークレイは複雑な顔をしたままひとり黙々と歩いていた。
「しかし驚いたよな……総隊長が綺麗になったのがあいつのおかげだったとは……」
近衛の制服である紫のマントを風に靡かせながら、細身の男──デイルが呟いた。
「デイルよ。あれだけの偉業。驚くべきはそこではないぞ」
すると、体格のいい男──バイレンがデイルを窘めた。
「いや、そうなんだが……俺もどこから驚いていいやらわからなくてな……」
「デイルの動揺も無理はないさ。城に滞在している来賓も毎日を不安に過ごしているというのに……なんで『無魔の黒禍』などと噂されている子供の力を借りなければならないのか……」
バイレンほどではないが、筋肉質の男──スティングがデイルを庇う。
「うむ。クロスヴァルトのラルクロアと言ったか。よもやこれほどスレイヤの中枢まで入り込むとはな。その功績だけを耳にすれば英雄以外の何物でもないのだが……『無魔の黒禍』……あれを専属の近衛に推すなど、いったいクレイモーリス殿下もなにを考えておられるのか」
バイレンは憂いを帯びた表情で遠くを見る。
「ホントだよなぁ……数々の災いもソイツのせいじゃねえのか? 陛下に取り入るための自作自演とかよ」
「陛下自らその者の身分を保障しておられるんだぞ? 我らが陛下が人となりを見誤るなど、あろうはずがない。憶測で物事を測るなと普段から言っておろう。デイルよ」
バイレンが再びデイルを叱る。
「相変わらず堅物だな、バイレンは。可能性のひとつとしてとして言っただけで、俺だって疑ってやしないぜ? なんせ総隊長が命を懸けたんだぞ? エルフの命を懸けてもらえるなんて、クソ羨ましいじゃねぇか。──でもよ、『キョウ』がラルクロアだったと知れ渡れば都は歓迎一色になるんじゃないか? 『キョウ』の逸話なんて、都中で語り草になってるからな」
「ここまで信頼されているのは『キョウ』か『ラルクロア』か、それとも『無魔の黒禍』か……それにしてもよく平気な顔で都に来られたものだな。こういってしまってはなんだが、厚顔無恥にも程があると思うのだが」
「身も蓋もない……おい。スティング。んなこと言って、万が一にもラルクロアがクロスヴァルトの正式な跡目に戻ったらお前殺されるぞ? っても、そんなことクロスヴァルト侯爵が許さないだろうけど……隊長はどう思われます?」
デイルがバークレイに話を振った。
考えに耽っているかのように俯き気味で歩いていたバークレイだったが、部下たちの話はしっかりと聞いていたようだ。
顔を上げると、デイルの質問に応じた。
「一度市井に身を落とした者が再び爵位を継ぐのは極めて稀だ。それがヴァルト七家であれば尚のこと」
バークレイが話に加わると、今まで遠慮していたのか、バイレンがすかさず挙手をする。
「隊長は今回の件、どう見ておられるのだろうか、考察をお聞かせ願いたい」
するとバークレイは僅かに逡巡し、
「先程私はヴァルト七家であれば、と言ったが、クロスヴァルト家は『無魔の黒禍』を輩出した咎めを受けて七家から排斥されることがほぼ決定しているという。それを踏まえてだが──」
周囲の目を気にしつつ、持論を展開した。
「──今回の件、七賢人議会を前に、クロスヴァルト家をヴァルト七家に残すための策であるということも考えられなくもない。『無魔の黒禍』であるラルクロアが、幾度となく都を救った英雄であり、その事実が賢人議会を前に公になったとしたならば、逆にクロスヴァルト家の発言力は飛躍的に向上するであろう。しかし……仮にそうであるとするのならば、すでに新ヴァルト、ストンヴァルトとして内定しているハウンストン家が黙っていないだろう」
バークレイはいっそう声を潜めると、
「クレイモーリス殿下が信頼の置ける近衛と指定されたのも、今回の任務が決して外部に漏れないためのお言葉であろう。そして、外部というのは……クレイドル殿下であり、ハウンストン家であるかもしれぬ」
そして──
「七日後に延期されたラルクロアの任命式を境に、この国の勢力図が大きく塗り替えられるかもしれぬ」
そう締めくくった。
「さて──」
バークレイは背筋を伸ばし、口調を戻すと、
「いずれにせよ我らとしては陛下の命に従うのみ。三日後を予定している調査開始に向け、隊の編成を急ぎ行う。残り六名となる候補を至急集めよ! 信に重きを置くことを努々忘れるでないぞ!」
部下を鼓舞するのであった。
『それは必ずしも的確な言葉ではないかもしれないぞ?』
クレイモーリスが最後に残した言葉の意味を考えながら──。
まもなく目の当たりにするであろうラルクロア=クロスヴァルトの力を前に、バークレイら調査隊は古より伝えられる『無魔の黒禍』の史実をどう捉えるのであろうか。
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