第219話 欠けた一本線
「え? 私は残るの!?」
「はい。ヴァレッタ先輩は地上に残って、地上班の総指揮をお願いします」
どうして、と眉をしかめるヴァレッタ先輩に俺は手短に説明した。
◆
「──このように俺ら加護魔術師にとって非常に相性の悪い敵が相手かもしれないのです。加護魔術そのものが行使できない可能性もありますから。そうなってしまえばたとえヴァレッタ先輩であっても苦戦を強いられるはずです」
「……そんな敵と線なし君が……。わかったわ。私だってみんなの足手纏いにはなりたくない。線なし君の指示通り地上からの補助に徹するわ」
先輩は肩をすくめてはいるが、納得してくれたようだ。
「ご理解ありがとうございます」
「当然よ。でも……本当に線なし君になにがあったの? この七年間で変わり過ぎよ」
「この七年は……俺の人格……だけでなく信念も変えてしまうほどに内容の濃いものでしたから」
「そう……だったの……」
「俺にとっては、ですが。何度も死を覚悟しましたから。話したところで到底信じてなどもらえないでしょうけど……山のように大きな猫とか」
修行や任務の話はともかく、黒禍倞の魂だとか、深逢の魂、夢の世界の話などは、とてもではないが受け入れてもらえないだろう。
俺は言葉尻を冗談ぽくすることで、これで終わりにしようとした。
「信じるわ」
だがヴァレッタ先輩は、いっさい間を置かずにはっきりとそう答えた。
先輩の目は嘘を言っているようには見えない。
「その英雄譚、いつか聞かせてもらえるのかしら」
先輩が優しく俺を見つめる。
──だが俺には陛下と交わした密約がある。
「……今はまだ」
しかし、刹那、試練の森での記憶が走馬灯のように蘇った俺は──
「ただ、いつか話せる日がきたら、とは思っています」
本心からそう返事をしたのだった。
◆
「あの……どなたかシャルを見かけた方はいらっしゃいませんか?」
打ち合わせが終わり、いざ行動に移さん、といった場面で、ミレアがみんなに質問をした。
いわれてみれば今いる生徒たちの中に、シャルロッテ嬢の姿は無かった。
「式が始まるときはセントラルヴァルト卿と一緒にいたようだけど……?」
「ああ。俺も見たぜ」
誰か知ってるか? と、それぞれがお互いの顔を見合わせる。
「そういえば……クレイモーリス殿下がラルクさんの名前を口にしたあとくらいかしら。フラフラっと出口に向かっていくシャルロッテさんの姿を見たわ」
「外の空気を吸いに行ったんじゃないかな。ほら。彼女、人混みが苦手だろ?」
「それならばいいのですけれど……」
ミレアはとても心配そうな表情で出口方向に目をやっている。
「ラルク! さっきより揺れが大きい! 俺たちも早くここから出たほうが良さそうだぞ!」
クラウズが天井を見上げながら叫ぶ。
「ああ。そうしよう」
ひょっとしたら具合が悪くなって先に帰宅したのかもしれない。
まあ、彼女も一本線だ。
渡したお護りもあることだし、無事を祈ろう。
俺は念のため、地上に残るヴァレッタ先輩に『もしよかったらシャルロッテ嬢のことも気にかけておいてください』とお願いしつつ、ミレアにもそう言い聞かせた。
不安は拭いきれないだろうが、先を急がなければならない。
ミレアもそれをわかっているのか、表情を元に戻した。
「では出発しましょう!」
おお! と威勢のいい声が返ってきたところで俺たちはガランとした会場を後にした。
◆
外に出ると、俺たちの火照った身体を心地良い夜風が適度に冷ましてくれた。
だが──目の前に広がる光景を見て、全員が思わず息を飲んだ。
普段であれば青く揺らいでいる王城が、ドス黒い月明かりで照らされていたのだ。
まるで巨大な墨壺をひっくり返してしまったかのように、それはとても恐ろしいものとして俺たちの目に映った。
魔王の城──。
俺は、昔読んだ本の挿絵を思い出さずにはいられなかった。
「こんなことって……」
「早くなんとかしなければ……」
生徒たちの言葉にも焦りがこもっている。
そんなこの世の終わりのような光景を、まだ避難途中である大勢の貴族たちが茫然と見上げていた。
「急ごう。ミレア、先導してくれ」
「は、はい! こっちです!」
俺とミレアが走りだすと、生徒たちも悪夢を振り払うかのように勢いよく駆けだすのだった。
「ラルク」
しばらく走っていると、俺の隣にクラウズが並んだ。
「どうした。クラウズ」
前方を見たまま言葉を返すと
「この一件が片付いたら……少しで構わないから時間をもらえるか?」
「どうした。俺のことに関する質問なら──」
「──力を……貸してほしい」
「──!?」
俺は驚きクラウズを見るが──
今夜はいつもと違い闇が深く、彼の表情を窺うことはできなかった。
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