第200話 幕間1 貴族の巣窟



 貴賓席に衝撃が走った。

 五十を超す貴族の中で、冷静でいるものは数少ない。

 ひとりの少年のとった行動が、海千山千の貴族の重鎮を右往左往させていた。


 冷静でいるのは国王クレイゼント、第二王子クレイモーリス、レイクホール辺境伯。

 そして──


「はん! ちょいと時間をかけ過ぎだね。だが……及第点は与えようかね」


 会場で大男に担ぎあげられている黒髪の少年に優しい眼差しを送る、イリノイ=ハーティスの四人だった。


「婆さん、いいのかよ。こいつらにラルクの力を見せちまって……」


 クレイモーリスが小声でイリノイに訊ねる。


「はん! お前さんの親父がだらしないからだろう! クレイゼント、この場はわたしが仕切らせてもらうよ」


 イリノイからクレイゼントと呼ばれた国王は、苦々しい笑みを浮かべながら首肯した。



「これ、お前さんたち! 騒ぐんでないよ! 良い大人がみっともないったらありゃしない!」


 杖を床に激しく打ち付ける。と、貴族たちは子猫のように身を震わせて口を閉ざした。

 それでも少年の身元照会を依頼するための伝報矢を放とうとする貴族に向かって、


「──クロスヴァルト! お前さんも静かにお聞き!」


 一喝した。


 混乱に陥っていた貴賓席に秩序が戻ると、イリノイは静かに口を開いた。


「まず初めに言っておく。あの少年はわたしの一番弟子だ。なにかしようもんならこのイリノイ=ハーティスの怒りを買うことになるよ」


 七年前のキョウという少年に続いてあの少年まで──。


 つい先ほど壮絶な試合を見せた聖女エミリア、そしてラルクと熱戦を繰り広げた序列一位の騎士カイゼル=ホーク。

 そして大陸一の騎士を退けたラルクという少年。


 いったいイリノイ嫗は、弟子にどれほどの魔法師を抱えているのだ──。


 そんな空気が蔓延する。


「どうもわたしの弟子がくだらないことに引っ掻き回されているようなんだがね。あの子には静かな学院生活を送らせてあげたかったが、お陰でそういうわけにもいかなくなってね、こうしてわたしが出てきたわけだが──」


 イリノイがサウスヴァルトを睨みつけると、サウスヴァルトはサッと目を伏せる。


「いいかい、何度も言うが、あの子はわたしの弟子だ。先が短いわたしの後を継ぐ、いわばわたしの分け身だ。つまり、現代派、古代派なんてくだらない派閥には属さないってことだよ。そしてあの子の立場は国王直轄にある。肩書はスレイヤ王室直属の特殊魔術武装部隊、第一等特別魔術師なんて、長ったらしいものだがね」


『国王直轄……』

『それでは手が出せないではないか……』


 貴族らの落胆の声を聞いて、なおイリノイは続ける。


「例外はあるが、原則としてわたしは個人的な理由であの子の力を使うつもりはないよ──」


 例外──床に伏せる孫のことを言っているのだろうと理解したのか、クレイモーリスが表情を曇らせる。

 クレイモーリスはミスティアとは一度、レイクホールの近くで出くわしている。

 あまりいい思い出ではないのかもしれないが、そのことを思い起こしているのだろう。



「──あの子には世助けをするための任務を与える。そしていくつかの任務はもう動き出している。世を混沌に陥れようと画策している狡猾な貴族どもは、この際足を洗って悔い改めるんだね。素直に従うんなら引退後の面倒はわたしが見てやらないでもないよ」


 イリノイは目星が付いているのか、幾人かの貴族に視線を送った。


「それからスコットが使用した魔法、あれは神抗魔石だね。誰が工面したかは知らないが、情報を持っている者は聖教騎士が動く前に口を割るんだね。後になって情報を隠していたことが知れたらえらい目に遭うよ。ああ、結界石柱の上に細工した魔道具の件も合わせてね」


 「言わなくてもわかるね?」イリノイは無感情な声でそう付け足した。


「さて、紅白戦がなくなって交流戦が急遽開催されたわけだが、まあ、そのことはいい。結果として国民がこれほど盛大に喝采を送っているんだ、明日の顕現祭は安心して執り行えるだろうからね」


 まだ興奮冷めやらぬ観覧席を一瞥したイリノイが再び杖を突くと、


「だが次はないよ。そこに下賤な思惑が絡んでいるっていうのが気に入らないじゃないか。なんの罪もない純粋な生徒らが阿呆な貴族どもの争い事に巻き込まれるんだ。──わたしの目の黒いうちは二度目は許さないからそう覚悟しておくんだね」


 イリノイの背後から闇が出現する。

 その闇の恐ろしさを知っている貴族らは一様に押し黙った。


「わたしからは以上だよ。明日の顕現祭もわたしの弟子らが警備につく。良からぬことは考えないようにするんだね」


 イリノイが闇を消すと貴族たちは脱力する。

 大きく息を吐き出し、皆、額に流れる汗を拭っていた。



「クロスヴァルト! お前さんは別に話がある。ちょっとこっちに来なさい」


 名を呼ばれたクロスヴァルト侯爵はビクッと身を震わせた。

 だがすぐに返事をして立ち上がると、イリノイの後をついて部屋を出た。







 ◆







「お前さん、体調でも悪いのかい?」


 別の部屋に移動したイリノイは、クロスヴァルトを椅子に座らせると自らも向かいの椅子に座った。

 窓の外から歓声が聞こえてくるこの部屋は、やはり特別観覧室のひとつだった。


「イリノイ様……いえ。ただここのところ物忘れがひどくて……」


「なんだい、その歳でもうボケたのかい?」


「いえ……そのようなことは……」


 からかうように言うイリノイだが、目は笑ってなどいなかった。

 クロスヴァルトの僅かな仕草も見逃さない、とでもいうかのように、瞬きひとつせずに侯爵の表情を窺っている。


「──そうかい。なら良いんだけどね。それよりお前さん、わたしになにか聞きたいことがあるんじゃないかい?」


 イリノイは少しだけ眉を下げた。


「……はい。イリノイ様……あのラルクという黒髪の少年……」


 それにつられるように、クロスヴァルトが重々しく口を開く。


「はっきりとお言い」


 言葉尻は柔らかいが、有無は言わせない、といった口調だ。


「……あの黒髪の少年、わたしが預けたラルクロアではありませんか」


 イリノイの瞳孔が微かに開いた。


「それを知ってどうする。お前さんは、今それを知ってなんとする」


 イリノイは瞬きをしない。

 

「それは……」


 堪らずにクロスヴァルトが視線を逸らす。


「さあ、言ってみるんだよ。知ってどうするのか」


 言葉を詰まらせるクロスヴァルトをけしかける。


「世間的にすでにラルクロアは亡き者になっています……ですが……私は──」


 ひと際高い歓声が起こる。

 ラルクとカイゼルが退場する間際だったのであろう。


 クロスヴァルトの胸の裡を確認したイリノイは、クロスヴァルトから視線を逸らすことなく口を開いた。


「そうかい。それなら今から私が話すことをしかと胸に刻むんだね。あの子は──」


 鳴りやまない歓声の中でイリノイの話は続いた。






 

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