第198話 交流戦8 『溢れる感情』



 クラウズは今か今かと待ち続けた。

 ラルクが試合場に姿を現わすのを。


 しかし一向に出てくる気配がない。

 残すは最終戦。

 武術科の出場選手は特別推薦枠の聖教騎士。


 まさか聖教騎士と学生を闘わせるなど……


 クラウズの中でラルクが出場することはほぼ確信に近かったが、学院側がそんな無謀なことを許すとも思えない──と、若干気持ちが揺らいでいた。


 だとするとラルクはどこにいるんだ……


 朝から一度も見ていない。

 エミリア教官が凄まじい試合を繰り広げていたときも、その後の演説のときも、どこかでラルクを探していた。


 なんで俺はこんなにあいつのことを……


 理由などわかっているのに自問自答を繰り返す。

 

 そのとき、観覧席が異様な雰囲気に包まれた。

 その違和感を確かめようと周囲の生徒が視線を向けている試合場に目をやると──


 クラウズは自分の目を疑った。


 聖教騎士とは聞いていた。

 序列一位であるとも聞いていた。


 だが、試合場に立っているのは、どう見ても人鬼だ。

 それも特異種の奪魔能力持ち、いや、それ以上かもしれない。

 もはや魔物だ。

 背丈は普通の大人の倍、いや、三倍はあるか。

 と同時にクラウズは合点がいった。


 エミリア教官が言っていた、魔物を討伐した人物というのはこの騎士か……


 エミリア教官が言う通り、卑劣な手で交流戦を貶めたスコットなどではなく、この男こそが災害級の魔物を討伐した本人なのだと。


「バケモノだ……」


 心の声が思わず言葉に出る。


 するとクラウズの隣に座る、聖教騎士に詳しい生徒が唖然としているクラウズの肩を叩いた。


「あの騎士の名はカイゼル様です。一度剣を交えた相手には無敗を誇るという恐ろしい騎士。以前はファミア様、ミスティア様が二強でしたが、カイゼル様はどちらも一度しか戦っていません。もし聖教騎士の序列決定戦が、昔の規則のまま二回戦制で行われていたならば、カイゼル様が一位の座に君臨していたことは間違いありません。先の決定戦では二位以下を大きく引き離して一位になったそうです」


「ファミア様にもミスティア様にも勝るというのか!」


「バケモノというのもあながち間違いではありませんよね……」


 そんな騎士がラルクの相手だというのか……

 いや、そんなに強い騎士と一学年のラルクを闘わせるわけが……


 再び沸く歓声に我に返ったクラウズが、急いで入場口を見る。


 クラウズの見開いた瞳に映ったのは──黒い髪を風に靡かせ、眩しそうに視界を細めたラルクだった。


 ──ラ、ラルク! よりによって最終戦なんかにっ!


 ラルクの姿を見て、他の生徒らは野次を飛ばすが、クラウズはそんなことはできない。


 ラルクの本当の実力を見たくもある。

 だが、あれではラルクは殺されてしまう。

 勝負になどならずに試合が終わる。


 だからクラウズは叫んだ。


「ラルクッ! 今からでも遅くない! 辞退しろ! 相手をよく見ろ! お前、殺されるぞ!」


 前を通ったラルクがクラウズの叫び声に気付き、一瞬立ち止まる。


 だからクラウズは喉が張り裂けんばかりに叫んだ。


「無茶だ! いくらお前でもあれには勝てないぞ! あいつはエミリア教官が言っていただッ!」


 しかしラルクはそんなクラウズの心中など知る由もなく、クラウズに向かって力強く頷くと、試合場へと向かって行った。







 ◆







 威風堂々たる立ち姿の騎士と対峙する。

 不動の山を思わせるその騎士は、いつかの大槍を地に突き立て、凄まじい圧を放っていた。 


 カイゼル=ホーク──。

 人鬼オーガの申し子、人鬼オーガを超える人鬼──。


 大陸一の騎士を称える呼び名は数多くあるが、それらはすべて七年前のカイゼルであればこそ相応しい異名だろう。


 人鬼オーガより人鬼らしい──。


 七年前であれば。


 だが今ではそんなもんじゃない。

 こうして見上げてみればわかる。

 もはや今のカイゼルは災害級の魔物だ。

 カイゼルのことをよく知る俺でさえ、その威圧感に肌がビリビリする。


 王鬼の化身──。

 太古の昔より千年に一度だけ人前に姿を現わすという伝説の生き神、王鬼。──その化身。


 今のカイゼルはそう呼ぶべきだ。


 カイゼルの右足一本で、ようやく俺の身体と同等の質量か。

 聖教騎士の騎士服を着用せずに人里に姿を現したら、討伐対象にされるか崇められるかのどちらかだろう。

 俺も突然暗闇で出くわしたら冷静でいられる自信がない。



 まさに鬼のような形相のカイゼルが、背丈の半分にも満たない俺を見下ろす。

 息を吸い込み、口を開こうとするカイゼルのその仕草だけで、戦の経験のない者は、いやたとえあったとしても、大多数の者は膝を屈せずにはいられないだろう。



「──兄者……ご立派になられた……」


 カイゼルが低く太い声を出す。


「──カイゼル、お前はまた大きくなったか?」


 俺は目を細めてそう答えた。


 モーリスにそうしたように、俺はカイゼルに飛びついて行きたかった。

 お互いの苦楽を語り合い、空白の時間を埋めたかった。

 カイゼルからは懐かしいレイクホール、そして試練の森の匂いがする。

 それを胸一杯に吸い込みたかった。


 カイゼルもそうしたかったに違いない。

 再会した場所がここでなければ、あの太い腕で俺を抱え上げていただろう。

 そのことはカイゼルの潤む瞳が如実に語っている。


 だが今は試合場。俺とカイゼルは、少なくとも今のこの場では対戦相手だ。

 あまり親しげに会話を交わしては、ふたりの関係性について余計な詮索をされるかもしれない。

 カイゼルも俺の素性が知れてしまうことに気を遣ってくれているのだろう。

 話など尽きるはずがないのに、お互いなかなか次の言葉が出てこない。



「姉者も壮絶な試合であった。師匠から次第を聞いておったが、危うくあの小僧を八つ裂きにしてしまうところであった」


「──ああ、俺もだ。さっき師匠に叱られたばかりだ」


「兄者、素振りは怠っていないようですな?」


「──ああ。言われた通り毎日続けている」


「──そうであったか」


「──ああ」



 止まる会話。

 ふたりの間に沈黙が流れ、遠くから聞こえる歓声と柔らかい風だけが通り抜けていく。


 だが俺とカイゼルに言葉は必要なかった。

 兄と弟。交わす視線の中にも、俺たちだけにしかわからないであろう思いのようなものを伝え合っていた。

 それで十分だった。

 そのことが心地良かった。

 

 『ミスティア殿とファミア殿のことお任せしましたぞ』

 『ああ、任せてくれ』

 

 それらも目だけですべてわかりあえた。

 

 兄弟とはこうあるものなのだろうか──。


 試合開始を告げる号砲が鳴り響く。



「……」


「……」



 カイゼルは槍を構えようとしない。

 俺も立ったままでいる。


 なにがあったのかと観客がどよめく。

 

 俺はいつまででも、こうしてカイゼルと向かい合っていたかった。

 泣く子も黙るような、だが俺にとっては安らぎすら感じるカイゼルの顔を見続けていたかった。


 だが俺は任務中だ。

 任務を最優先に考える必要がある。

 

 だから──。


「──カイゼル、お前は俺を殺せるか?」


 俺はカイゼルに問うた。


「……」


 一拍の間が空く。


「……それが兄者の為と申すのであれば……このカイゼル=ホーク、すべてを懸けて応じる所存」


 そしてカイゼルは眉ひとつ動かさずにそう答えた。


「──助かる。カイゼル相手じゃないと俺も本気を出せないからな」


「【──普賢三摩耶印ふげんさんまやのいん ──りん】」


 俺が第一位階の印を結ぶ。


 相対するカイゼルの纏う圧も膨れ上がる。


「──実は兄者に見ていただきたい術があるのだ」


 カイゼルがそう言うと、続けざまに


「【──滾る精霊様よ! 我が力となりて共に闘わん!】」


 地響きのような声を発した。


 するとカイゼルの周りに見慣れた光の珠が出現し──燃え盛る炎に姿を変えた。


「カイゼル! 精霊と契約できたのか! やったじゃないか!!」


 俺は嬉しさのあまり、つい一歩踏み出しそうになったが、すぐに踏みとどまる。


「精霊言語まで紡げるとは! カイゼル……良かったな……」


 精霊と契約を結ぶことはカイゼルの悲願だった。

 それが成せたことに、俺は自分のことのように歓喜した。


 師匠もこんな思いだったのか……


 俺が精霊を連れて帰ったとき、師匠は顔を綻ばせていた。

 そのことが思い出され、家族の深い愛の繋がりを知る。


「がはは! 兄者は喜んで下さると思っておったぞ! なにぶん契約には苦労しましたからな!」


 鬼に精霊……。

 もはや向かうところ敵なしじゃないか。


「さあ、カイゼル。その力を俺に見せてくれ」


「──承知。少し強めに参りますぞ! ──むんっ!」


 カイゼルが右手の大槍を地面に打ち付ける。


 すると──山が崩れたかのような爆音とともに豪風が吹き荒れた。


「ぐ、相変わらずなんて威力だ……」

 

 石礫が粉雪のように舞い、結界の中の空間を蹂躙する。

 鼓膜は強制的に震わされ、聴覚は役に立たなくなる。

 

『──参る!』


 細めた視界の先、カイゼルの口が動き、右手に持った大槍が僅かにぶれる。

 次の瞬間──大槍は俺の脇腹を抉った。


「──ガッ!」


 俺はカイゼルの槍の前に、子鼠のごとく吹き飛ばされ、背中から石柱にぶち当たった。


「──グハッ!」


 霞む目を見開いてカイゼルの姿を追う。

 と、カイゼルは元いた場所から一歩たりとも動いていなかった。


「──っはぁッ……!」


 師匠よりも強烈な一発をくらい、俺は横たわったままで全神経を肺に空気を送ることに費やした。


「この怪力め……」


 どうにか呼吸ができるまでに整え、膝をつく。


 観客席からは予想通りの光景に、呆れの混ざった声が上がっている


「──カイゼル……お前、本当に人間か……? 巨神の方がだいぶ楽だったぞ……」


「どうされたのだ。兄者よ。避けられないほどではなかったはずですぞ?」


「……おい、人ならざる者がなにを言う」


 避けられないほどじゃないって、俺じゃなかったら確実に死んでたぞ……

 

 俺はステラに硬化させた脇腹を摩りながら立ち上がった。


「なぜ躱さなかったのですかな」


「いや。弟に殴られた痛みってどうなのかと思ってな。──やっぱり結構効くな」


 俺は兄弟喧嘩をしたことがない。

 マーカスとも、もっと拳を突き合わせて対話していたら……

 そんな思いがカイゼルの一撃を受けようと思った理由だった。


 とん、とん、とその場で飛び跳ね、身体の異常を確認する。

 異常がないことなどわかってはいるのだが、この後の全力行使に向けて身体を解す意味も兼ねてのことだ。



「──さて。師匠からの任務だ。悪く思うなよ、カイゼル?」



「【──大金剛輪印だいこんごうりんのいん ──ぴょう!】」


 俺はその場で第二位階の印を結んだ。

 それだけではない。

 この大陸最強のカイゼルを圧倒して勝利しなければ、任務を果たしたとはいえない。


「【──外獅子印げじしのいん ──とう】」


 第三位階──。


「【──内獅子印ないじしのいん ──しゃ】」


 第四位階──。


「【──外縛印げばくのいん ──かい】」


 第五位階──。


「【──内縛印ないばくのいん ──じん】」


 第六位階──。


 立てつづけに印を結ぶ。

 流れるような指の動きにかける時間は僅かだ。


 そして──


 俺は躊躇うことなくその印を結ぶ。



 さあ、解放してくれよ、俺の力──



「【──智拳印ちけんのいん ──れつ!!】」



 第七位階──。



 その瞬間──。



 無数の人々の感情が、俺の魂に流れ込んできた。




 

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