青年編 第一章 残された魂

第127話 プロローグ 黒の都


 レストリア大陸最大にして最古の歴史を持つスレイヤ王国、そしてその王都アルスレイヤ──。


 賢王クレイゼント=スレイヤ=ラインヴァルトが居を構えるスレイヤ城の後方には、滔々とうとうと青い水を湛える緑豊かで広大な湖がある。

 遥か古来より王都の民の生活を潤してきた青の湖である。


 アースシェイナ神所縁ゆかりの地でもある青の湖のほとりには、左右対称となるよう建設された雄大かつ荘厳な建造物があった。

 湖を挟み睨みあうように建つふたつの建造物は、城から見て右に位置している青一色の建物が王立武術科学院、そして左に位置している白一色の建物が王立魔法科学院である。

 どちらの学院も、成人となる十四歳以上の男女であれば入学が可能で、一定の要項を満たせばスレイヤ国民だけではなく、他国の者でも入学を許されるほどにその門戸は広く開かれていた。


 おもに武具の扱いを鍛え、衛兵や近衛、冒険者集団パーティーの前衛や貴族の私兵に職を求める者は武術科学院を、おもに魔法を使う職、魔法騎士や治癒師、冒険者集団パーティーの後衛、貴族家の家督を継ぐ者たちは魔法科学院の門を叩く。

 

 両校ともに生徒を迎え入れるための門は大きく開かれているとはいえ、それをくぐることは容易ではない。

 いくつもの厳しい試験に合格し、それぞれの学院で学ぶに相応しい適性の資格を得、そして決して安くはない学費を四年間に亘り納めることができる者だけが、学院の生徒の証である青と白の制服に袖を通すことを許される。

 非常に狭き門であるがゆえに学院を卒業した者はそうでない者と比べ、実生活に於けるうえでの待遇が大きく異なっていた。

 無論、学院を出た者の方がすべてに於いて圧倒的に優遇される。

 学院の卒業者であれば、各方面からありとあらゆる恩恵を受けることができる、という桁はずれな厚遇も、子の安泰を願う親からしてみれば喉から手が出るほどに欲しい地位であろう。

 事実、通りを学院の生徒が歩いていると皆が羨望の眼差しを送る。

 中でもⅠ階級クラスの刺繍が入った制服を着ている生徒は【一本線】と呼ばれ、たとえ貴族であってもその生徒に道を譲ってしまうほどに、その地位が見せる効果は絶大だった。


 武術科の生徒であれば青地に白、魔法科生であれば白地に青の縁飾りが施された制服を着用する。

 私用であったとしても、外出する際には常に着用しなければならない──。

 分厚い魔法科学院典範に定められている規律のひとつだ。

 制服の左胸部に施されている均衡を保つ天秤の刺繍は、武術科及び魔法科学院の生徒に於いて優劣はないという意味が込められている。

 以前までは二羽の鳥が刺繍されており、一羽がもう一羽の翼を足の爪で押さえこんでいるという構図のものだった。

 それは武術科と魔法科が互いに互いを敵視しあう関係だったことによる。

 武術科にとっては武術で魔法を、反対に魔法科に於いては魔法で武術を抑え込む、という力関係を如実に表した刺繍だった。

 しかし魔法科学院の先代学長の働きにより、その因縁にも終止符が打たれることになる。

 先代学長が行った改革を数え上げれば枚挙に暇がないが、その最たるものとして上げられるものが、この両学院の間に入った深い溝を埋めたということと、平民でも資格さえ得ることができれば学徒として迎え入れられるよう規定を改定したということの二点だろう。


 改革が進められる前までの両学院の間では、年に一度の対抗戦の枠を超えて争いが頻発していた。

 それはときには死者も出るほどに壮絶なものだった。

 誰もが諦めていた、両学院間に山積したわだかまりを解消させた手腕には王も唸ったほどである。

 また、魔法科学院は武術科学院と違い、たとえ難しい試験を上位の成績で合格できる実力を持っていたとしても、たとえ高額な学費を納めることができるほどに裕福であったとしても、平民であることを理由に敷地に足を踏み入れることすら許されなかった。


 魔法科学院の当時の学長に賛同を示した武術科学院の学長とともに、何百年、何千年と続いた悪しき習慣を、わずか数年要しただけでいとも簡単に変革してしまったのだ。

 それほどに魔法科学院の先代学長は、歴代の学長の中でも傑出した人物であった。

 が、次々と辣腕を振るってきた学長を以ってしても、魔法科学院内に於ける古代魔術派と現代魔術派の垣根を取り去ることは叶わなかった(ゆえにその派閥間の争いは一部を除き今も続いていることになる)。


 両学院は平民にも受験資格を与えたことにより、受験希望者が一気に増えることになる。

 毎年国内外から千を超える入学希望者が学園を訪れるようになったのだ。

 その中でも今年の魔法科学院は試験を受ける者が特別多い年度となった。

 明日から行われる試験を前に王都で宿をとっている魔法科学院受験希望者の数は優に三千を超す。

 しかしその全員が全員、合格を求めて遥々王都までやってきたわけではない。

 受験者の中には高齢の老夫婦や生活魔法すらまともに扱えない者、本来武術科を志望していた者や現在武術科に籍を置いている者までいる。


 理由は至って簡潔であり明瞭である。

 今年はスレイヤの青姫こと、ミレサリア第二王女が魔法科学院に入学する──からである。

 

 試験費用の一クレール金貨を支払ってでも王女を近くで見たい、青姫の通う学院を冥土の土産に見ておきたい、といった理由で受験する者が大半を占めていた。

 例年を大きく超える受験者の数に、学院側は数カ月もの間対応に追われることになったが、その反面、ひとり頭金貨一枚という収入も期待でき、結果としては嬉しい悲鳴となった。


 しかしいくら受験者の数が多くとも、入学の資格を得ることができる者は毎年きっかり八十人に限られる。

 難関を突破し晴れて学院の生徒となった者は、成績上位者から二十人ずつ階級クラスを割り当てられ、四年後の卒業に向けて学業に勤しむこととなる。









 ◆









 武術科学院、魔法科学院ともに受験日を明日に控えた今日から時を遡ること三カ月──。


 アルスレイヤの象徴であり、両学院に接する湖の青い水が一夜にして黒く濁る現象が起こった。

 そしてその黒い水は都に張り巡らされた水路に流入し、美しかった青の都はさながら黒の都とでもいうべき様相を呈した。

 城を始めとして都中が青ではなく、ドス黒い光によって照らされてしまったのだ。

 クレイゼントは初めての現象にわずかな動揺を見せたが、すぐさま賢王の顔に戻すと、時を移さずに調査隊を湖に派遣した。

 しかし原因の特定には至らず、それは五日経っても続いた。

 民は不吉なことの起こる前兆だと不安に慄き、荷を纏め都を去る者も少なからず出てしまった。

 黒い水が都を襲ってより六日目の朝、クレイゼントは賢人レイクホール辺境伯に助けを求めるべく異変に関する報せを放つ。

 するとその日のうちにレイクホールより派遣された男がアルスレイヤへと到着した。

 男は、あまりの迅速さに目を瞠る国王自らに案内された湖のほとりに立つと、眉を顰め怒気をあらわにする。

 怒りに肩を震わす男が一言二言呟くと直後、黒く濁っていた水は瞬く間に透き通る水色へと変化した。

 そして男は、この事象は必ずまた起こる、と残し、礼も受け取らずに去って行った。

 翌日には水路の水は以前の姿を取り戻し、城も城下も青く照らされることとなった。


 王都アルスレイヤはひとりの男に救われたことになるが、この事実を知るのは国王クレイゼントただひとりだった。

 クレイゼント以外は、王族でさえそのような男がアルスレイヤに入都したことを知らされずにいた。


 民は歓喜に沸いた。が、クレイゼントだけは男の残した言葉が気にかかり、いつまでも憂いが晴れることはなかった。






 

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