第45話 閑話 地下礼拝堂の密話


 聖教騎士団序列二位、ミスティア=ハーティスが意識のない金髪の少年を抱えて屋敷に戻り、少年が無事だとわかるや否や緊張の糸が切れたかのようにストンと眠りに落ちた頃──。



「──カイゼルらだけでなくハーティスの首をも持ち帰っていない、だと?」


 レイクホールは北地区、教会地下礼拝堂に重石を引き摺るような低い声が響き渡る。

 怒気をはらんだその声の主は、ブレキオス神に祈りを捧げていた黒衣の老人──ドレイズだった。


「は、畏れながらその通りでございます。──マラウズ殿が先に戻り、猊下に報告しているものかと思ったのですが」


 礼拝堂には肩を怒らすドレイズの姿しか見えない。が、ドレイズとは異なる男の声がドレイズの叱責に応じた。

 男はドレイズの気迫にも怯むことなく、淡々と言葉を続ける。


「この様子だとマラウズ殿はまだ戻っていないのですか。猊下の命を遂行せずにいったいどこへ……」と言う男の声は、嘆息混じりに聞こえる。


「──マラウズは数アワルで首を持参すると宣っていたが……まあ良い、どういうことか貴様が代わって報告せよ」


 再びドレイズが重々しい声を出す。


「──は。ミスティアが街を出たのを見届けた私は手筈通りマラウズ殿に伝報矢メッセージアローを放ちました。しかしマラウズ殿からの返答がなかったために、私は待機させていた七人の幻無影げんむえい共に『決してマラウズ殿の手柄を横取りするな』と言い聞かせたうえでミスティアの足止めをさせていました」


 ドレイズが何もない空間に静かに頷くと声だけの報告が続く。


「私はマラウズ殿の様子が気にかかり、一旦その場を離れカイゼルらを始末し終えているはずのマラウズ殿の下まで移動しました。が、そこにはマラウズ殿はおらず、未だにカイゼルらを甚振る七人の幻無影がいるだけだったのです」


 それを聞いたドレイズは「あ奴め……」と大きな溜息を吐くと礼拝用の長椅子に腰を下ろした。


「私は幻無影どもに時間をかけ過ぎだと激怒し、『この場は私に任せて早くミスティアの襲撃に加われ』と怒鳴りつけました。無論、『私の隊には止めを刺さぬように指示を出しているゆえ、貴様らが早く首を取れ、さもないと今度こそマラウズ殿が恥を掻くぞ』とも付け加えました。そうして越権ではありますがマラウズ殿の隊に指示を出した後、私は死に体のカイゼルら五人に追い討ちをかけるべく頸を斬り落とそうと剣を構えたのですが──私がここでカイゼルらの頸を落としてしまってはマラウズ殿の手柄を横取りしたように思われると考え、毒矢を打つに留めました。キトリスの毒です、今頃は絶命しているでしょう。──後ほどマラウズ殿に頸を回収させればマラウズ殿の手柄となりましょう」


 そこで声はいったん止まる。

 ドレイズがなにやら思案しているのを慮ってのことか。

 やがてドレイズがひとつ頷くと声が続く。


「猊下、やはりマラウズ殿では幻無影の舵取りをするには些か厳しいのでは。隊を動かす者が隊に加わっていないとはもはや……。猊下、この際私に全権をお任せいただけませんか。さすれば斯様な失態は決してお見せ致しませんが──」


「──ほう、シュウエイ、貴様、我が息子を愚者扱いするか」


 一瞬ドス黒い気がドレイズから放たれる。


「滅相もございません。あそこまでカイゼルらを追い詰めたのは間違いなくマラウズ殿の手柄です。私は動けずにいる奴らに毒矢を打ち込んだだけなのですから」


 「しかし──」と続けるシュウエイと呼ばれる声だけの男は、そんなドレイズにも恐れることなく自分の考えを口にする。


「あの場でマラウズ殿がどのような指示を出していたのかはわかりかねますが、序列持ちとはいえ低位の聖教騎士相手に時間を掛け過ぎなのでは。たとえそれが蛮人がゆえに敵を甚振ることに快楽を求める幻無影を飼いならすためであったとしても、それが指揮官不在の下に行われていたのですからマラウズ殿の責を問われても致し方ないかと。私がいなければどうなっていたことか。──マラウズ殿がさらに大きな手柄のために幻無影にその場を任せていた、ということであれば話は変わってきますが」


 少しの間があった後


「──続きを申せ」と、気を抑えたドレイズがシュウエイに続きを促す。


「は。カイゼルら五名全員に毒矢を放った後、私もミスティアを襲撃している場所に急行しました。幻無影らは林の中に場所を移していたのですが、やはりそこにもマラウズ殿はおりませんでした。代わりに──」


「代わりに、なんだ」


「──幼い少年がその場にいました。意識はなく倒れていましたが、街中でミスティアと一緒にいた少年で間違いないと思われます。それだけではなく、私の隊七人とマラウズ殿の隊の七人、計十四人の幻無影が姿を月明かりに晒したうえで動きを封じられていました」


「十四人の幻無影が、か? ミスティアにそれほどの力があったというのか」


「そこは見ておりませんのでなんとも。しかし奴らはミスティアの命を奪えなかったばかりか、逆に窮地に陥っていたのです。いったい私が駆けつけるまでの間に何があったのかと驚きましたが、ミスティアに幻無影のことを調べられては厄介と思い、役立たずの幻無影共を口封じと見せしめも兼ねて跡形なく処分しておきました」


「十四人とも、か?」


「は。十四人ともでございます。後ほど補充していただきたく。──その際、ミスティアと少年も始末しようとしたのですが、精霊に邪魔をされました」


「ぬう、やはりミスティアの精霊か……精霊封じの魔術は功を奏さなかったというのか」


 ドレイズが苛立たしげに喉を鳴らす。


「わかりません。ただ私はただならぬ事態と捉え、すぐさまその場を後にしました。マラウズ殿と合流して策を練ろうにも当のマラウズ殿が見当たりません。仕方なしに私はここに戻って参った次第です」


 報告が終わったのか、しばらくしてもシュウエイから声は発せられなかった。

 ドレイズが長椅子から立ち上がると、額の深い皺をなぞりながら祭壇前を落ち着かない様子で右へ左へ足を動かす。

 その間も礼拝堂は沈黙が続き、ドレイズの湿った足音だけが響いていた。


 ドレイズが六度目となる身体を反転させたとき──燭台の炎が微かに揺らいだかと思うと


「遅くなりました。マラウズ、ただ今戻りました──」


 マラウズと名乗る男の声が聞こえてきた。と同時、


「マラウズ! いったい何処で何をしておったのだ! 此度の責、貴様はどう取るつもりだ!」


 ドレイズの怒号が浴びせられる。

 

 「い、いえ、私は、その、」マラウズが言い訳をしようとするが、「貴様が隊を率いてからの顛末を報告せよ!」とドレイズがそれを許さない。


 「マラウズ殿、私としても是非聞かせていただきたい」とシュウエイの声もドレイズに追従する。

 

「おお! シュウエイ! 戻っていたか、お前の隊を探したが見当たらなかったのでこっちに戻ってきたのだ。シュウエイよ、何が起こったのだ、私の幻無影もみあたらぬのだが──」


「マラウズ! わしの言うことが聞こえないのかッ!」


 シュウエイの存在を確認したマラウズが声を弾ませるが、再びドレイズに叱り飛ばされる。


「げ、猊下、私はなかなか頸を持ち帰ってこない隊の様子を見に現場に向かおうとしたのですが、」


「マラウズ殿。単に幻無影の蛮行を見過ごしていたのではないですか。猊下には数アワルで頸を用意するとうそぶいて──」


「シュウエイは黙っててくれ! あいつらは定期的に獲物を与えないと俺の命令を聞かなくなるんだよ! あ、いや、今はそんなことじゃない。猊下、あの後私は少し気になることがありまして、街に留まっていたのです。──これがその成果です」


「ほう、お前がわしに豪語したにもかかわらず街に残ったのは、シュウエイの言う通りにお前が蛮族共を従える自信を喪失していたからではなく、気になることがあったからだと申すか。わしのめいよりも優先させたというからには余程のことなのであろうな」


「げ、猊下、先ずはこれを──」


 マラウズがそう言うと、どこからともなくドレイズの前に一本の巻物スクロールが現れた。

 それを手にしたドレイズが「これは……シリウスの紋か……?」と見当をつける。


「は。怪しい女が持っていたのを奪いました。その女はおそらくレイクホールに入った間者と思われます。街から門を出て行こうとしたところを捕らえたのですが、我らの計画が外に漏れては大事かと愚考し、その女の所持品を検めたところ、これが」


「私が放った伝報矢には返事を頂けなかったのですが」


「ああ、まだ街にいたからな。そうと知ったらお前も小言を言うだろう。だから後で返事をしようと思っていたのだ。それよりシュウエイ、私の矢にはなぜ答えなかった、随分と探したぞ」


「そのとき私は街に戻っていましたから」


「そうか、──では私の隊はどうしている。カイゼルやミスティアはどうなった」


「マラウズ殿、猊下が封印を解きます。その話は後ほど」



「複雑な術式だが……うむ、開いたぞ」マラウズとシュウエイの会話を横に、巻物を調べていたドレイズが口を開く。


「げ、猊下、巻物にはなんと! 私の手柄となりますでしょうか! どうでしょうか!」


 それを見たマラウズが先を急ぐ。


「ほう、これは……面白い。こうなると……感付かれたとしても……ミスティアを始末するよりは世間体も保てるというものか……」


 ドレイズが片方の眼を異様に光らせ、頬を釣り上げる。


「猊下、巻物にはなんと──」


「マラウズ、明日早い時間でミスティアをわしの許へ呼び出せ」


「わ、わかりました、それで巻物には──」


「それとシュウエイ。ミスティアが街を出たら貴様はハーティスの家に行き、少年をひっ捕らえて来い」


「は。承知いたしました。──それでは私はこれで失礼致します」


「あ、シュウエイ! 話の続きは! あ、猊下、その、巻物にはなんと? ミスティアはまた街を出るのですか?」


 シュウエイがこの場を立ち去り、礼拝堂内はドレイズとマラウズのふたりになる。


「我が息子よ、この情報が確かであれば、お前の手柄となるぞ」


「ほ、本当ですか! 父上!」





 そうして翌朝呼び出されたミスティアは、その日のうちに遠くバシュルッツへと旅立つこととなるのだった。




 

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