15-2.逸脱

〈救難ポッド射出!〉〝オサナイ〟戦闘指揮所に鋭く船務士の声。〈B-5区画です! 感4、いや6――8!〉

『〝オサナイ〟の皆さん、』

 救難信号帯の無線通信が、乗組員の宇宙服に仕込まれた骨振動スピーカことごとくを震わせた。

『私は……』

 声の主が名乗りを上げる前に、言葉は雑音の彼方に消えた。ただその声は聞く者全ての耳に染み付いている――マリィ・ホワイト。

『全く、』〝キャサリン〟が苦笑を声に乗せた。『とんだじゃじゃ馬だわね。始末が悪いったら』

「救難信号だぞ!」

 艦長席、ハリス中佐の咎める声は怒気さえはらむ。宇宙での最後の命綱――救難信号をも妨害するということは、宇宙船乗りとして本能にさえ近い嫌悪を呼び覚まさずにおかない。「宇宙船乗りに無視させる気か!」

『でなきゃ負けるわよ』〝キャサリン〟の声は後ろめたさなど一片たりと匂わせない。『それに、非は最初に悪用した側にあるものよ、違う?』

「誰もがそう考えると思うなよ」

 ハリス中佐が声を低める。下手を打つと艦内に動揺が拡がりかねない。

『確信犯よ。音声だけじゃなくて位置情報や圧縮データ、救難信号に乗せられるものは全部乗せてきたみたいね』〝キャサリン〟が低く断じる。『さっきの救難信号、ログにロックかけるわよ』

「貴様、勝手に!」

『何だったら私が乗っ取ってあげましょうか、この艦?』言葉の端に凄味が覗いた。『なら、いくらでも言い訳が立つわよ』

 敵対にも等しいその宣言。しかもその勝敗を冷徹に見据えたその声音――ハリス中佐の背に戦慄の感触。

「……どこまで愚弄するつもりだ?」

『勘違いしないで。相手はマリィ・ホワイトよ』〝キャサリン〟は冷たく事実を突き付ける。『勝ちたいの? それとも面子と心中したい?』

「他に手があるだろう!」

『あるなら今のうちに教えていただきたいものね』〝キャサリン〟の声が冷徹に響く。『相手は捨て身で来てるのよ。下手なプライドは邪魔なだけ』

 歯軋り一つ、ハリス中佐は船務士へ問いを飛ばした。〈――生命反応は!? 〉

〈感知不能!〉

 〝キャサリン〟の対応が裏目に出た。救難信号にはポッド搭乗者の生体パターンも乗る道理、それを妨害していては誰がどこにいるかさえ知りようがない。

〈短艇を無人で射出して。制御はこっちへ〉抗議の声に先回り、〝キャサリン〟が指図を飛ばす。〈それから着艦デッキの人払いを〉

 さらに歯軋り。

〈――短艇、5番から12番射出!〉ハリス中佐はしかし言を遮りはしなかった。〈制御は〝キャサリン〟へ渡せ! 着艦デッキ開放、要員は艦内へ退避!〉

 鈍い衝撃を次々に残して短艇の群れが艦を離れる。その感触を残す戦闘指揮所の一角で、通信士は垣間見たものに心を奪われていた。暗転する寸前の文字情報、救難信号に紛れて飛ばされたバースト通信――その中身の、さらに一部。

 見えたのが一瞬だけにかえって脳に刷り込まれたその内容――マリィ・ホワイトは何も知らない――。

 ヘンダーソン大佐の嘘、〝サラディン・ファイル〟の改竄、大佐の独裁志向。ニュース・サイトも裸足で逃げ出すレイアウトで視覚へ焼き付いたそのデータは、思考を揺さぶらずにおかない。

 その意味するところは大佐の裏切り行為。そしてその事実は選択を彼に突き付ける。大佐の虚構に加担するか、事実を追求して大佐と敵対するか――そもそもこのメッセージ自体が本物なのか、あるいは撹乱に過ぎないのか。果たして大佐は〝テセウス〟を任せるに値する器なのか。

 マリィ・ホワイトの主張が命惜しさのハッタリである可能性もなくはない。が、第3艦隊をいともたやすく切り捨てた大佐に感じた疑問もまた事実。

「大佐は……」通信士の疑問が言葉として実を結ぶ。小さな声は船務士の耳に届いた。

「……何?」

 訝る船務士が見た通信士の眼――そこに動揺が渦を巻いていた。

「……ヘンダーソン大佐はどうして何も言わない?」

「何だって?」

「第3艦隊は……敵にやられてるんだぞ!」息を詰まらせつつ通信士。「言い訳や励ましの一言くらいあったっていいんじゃないのか!?」

「おい、何言って……!」船務士が通信士の肩を掴む。

「そうだ!」通信士が声を上げる。「大佐は説明くらいすべきじゃないか! たかが女1人と艦隊を引き替えにする秘密ってのは何なんだ!?」

〈聞き捨てならないわね〉〝キャサリン〟が聞き咎める。

「訊く権利くらいあったっていいはずだ!」

〈艦長、つまみ出して〉

 聞いたハリス中佐が顔を苦らせた。これでは艦を〝キャサリン〟に乗っ取られたのと変わるところが何もない。

「ミス・ホワイトの握る事実については、」ハリス中佐は、通信士に向けて断じた。「第3艦隊を代表して私が見届ける」

〈艦長!〉舌打ちの気配を交えて〝キャサリン〟が制する。〈勝手に!〉

「第3艦隊の生き残りとしてこの程度の義務はあろう」断言した上で、ハリス中佐は通信士を見据えた。「だがその先、事実をどう扱うかはまた別の問題だ。予め公言できる類のものではあるまい。そこは理解してくれるな?」

 答えを与えられた通信士は、鈍い敬礼でその言に応じた。

「皆にも伝えておく。艦隊を捨ててまで確保したミス・ホワイトの尋問は、第3艦隊を代表して私が見届ける。ヘンダーソン大佐の掲げる大義も、その場で裏打ちされるはずだ。今は最優先任務の遂行に専念せよ!」

『妙なことを約束してくれたものね』場を収めたハリス中佐に、〝キャサリン〟は苦言を呈した。

「でなければもはや収まるものでもあるまいよ」艦長が呟くでもなく答えを返す。「私としてもな」

『ま、私としちゃ知ったこっちゃないわ』〝キャサリン〟が打って変わって軽く囁く。『艦長の約束だもの。大佐に直談判でも何でもどうぞ』

「そうさせてもらおう」ハリス中佐の声が低くなる。「大佐の器を見定めるにはいい機会だ」


〈マリィよ!〉操作卓からケーブルを外す、その寸前で〝キャス〟に声。〈救難信号に紛れてバースト通信! 発信源多数!〉

〈どれだ!?〉キースの声が色を帯びる。〈どいつが本物だ!?〉

 電子戦艦〝レイモンド〟管制中枢は、異常を示す赤色灯の光に沈んでいる。

〈判りゃ苦労はないっての!〉〝キャス〟が斬り捨てつつ、キースの視覚にメッセージを映し出す。〈でも大人しくはしてないようね〉

〈掩護だ〝キャス〟、〉言う頭でキースが考える。〈〝アレックス〟にクラッシャを仕込め! 軽いやつでいい、とにかく……!〉

〈もう遅いわ〉〝キャス〟が伝えてノイズの嵐。〈妨害が入ったわ。多分〝オサナイ〟がやってるわね〉

〈救難信号帯にか!?〉キースの眉に嫌悪が乗る。

〈必死みたいよ〉そこで〝キャス〟が視界に未完成の画像を映し出す。〈位置情報にバースト通信でも仕込むつもりだったみたいだけどね、取れたのはこの辺が精一杯〉


「何だ今のは!?」

 宇宙港〝クライトン〟、軌道エレヴェータ管制室に思わぬ声が上がった。管制室長席に陣取った警備中隊長ユージーン・バカラック大尉は、その出処に遅れて気付く――他ならぬ自分の裡。そして湧き上がる呟き、そこに込もる、怒りの感情――。「何だ……今のは……?」

 一瞬だけ聴覚に乗った、その声。同じく視界を占めた、その画像。さらには直後にそれが掻き消された、その意味。その理不尽。思わず口を衝いたのは、そこに向けられた疑問の声。

 宇宙に直面する部署は、何物にも優先して救難信号を受信する義務を負っている。それは軌道エレヴェータ関連施設に限ったことではなく、宇宙港であれ、ましてや宇宙船はなおのこと。そこに込められたものは、命の危険に満ち満ちた宇宙を渡る同類としての、敵味方を超えた〝絆〟――そう言ったところで過言には当たらない。そこに乗せられたのは極地で救けを求める意思。そしてそれを断ち切るのは、宇宙に赴く者としての条理を忘れた非道の意図に他ならない。

「救難信号帯に妨害波……!」管制卓に就いたドレイファス軍曹の声が、静かに満ちた怒りを語る。「方向からして、発信源はフリゲート〝オサナイ〟ってとこですな」

「救難信号の出処は?」

「一箇所じゃありません。ですが方向はほぼ同じです」振り返ったドレイファス軍曹が肩をすくめた。「察するに離脱した救難ポッドってとこですかね」

「――読んだか?」

 バカラック大尉の問いは、意図的にか目的語を欠いていた。

「――というより見ました。一瞬だけですがね」ドレイファス軍曹が意地悪げな問いをバカラック大尉へ向けてみせる。「で、どうします?」

「けしかける気か、おい?」唸りながらバカラック大尉が頭を掻いた。「港湾ブロックに溢れ返っとるのは精鋭の陸戦隊、しかも完全装備の2個中隊だぞ」

「何も言っちゃいませんぜ?」片頬で笑いながらドレイファス軍曹が小首を傾げた。

「これだからお前らは……」呆れたように天を見上げて溜め息一つ、バカラック大尉は宙を見据えた。「仕込むのは構わんが、連中には気取られるなよ。どのみちここで仕掛けるってのは無謀が過ぎる」




 振動が低く空気を震わせた。マリィは身じろぎがやっとという救難ポッド、視線の先にあるモニタが捉えた短艇へ意識を向ける。短艇から伸びる外部アームがポッドを捉え、接舷ハッチに引き寄せていく。

 この先の手はずに思いを馳せて、マリィは一つ唾を呑む。

 接舷ハッチの与圧が始まる、そのことを示してモニタに橙。この過程が終わった時、勝負の時が訪れる。程なくしてモニタの色が緑に転じた。自動制御の救難ポッドがハッチを開放し始める――ポッドから救助船への移乗を促すメッセージ。そのハッチが開き切る前に、マリィは行動に転じた。

 ポッドを飛び出し、すかさず飛び付いて短艇側のコンソール。携帯端末からケーブルを伸ばして短艇側の接続端子へ――嵌まらない。

 焦りを抑えて繰り返す――その間に短艇側のハッチが艇内に一段引きこまれた。中からの手に取り押さえられる前に――そうやって繰り返すこと二度三度、ようやくにしてケーブルの接続を果たす。

「〝アレックス〟、プログラム起動!」

 陸戦隊電子戦担当の手になる特製のデータ・リンク・プログラム。短艇のデータ・リンクに潜るというそれに乗せて、用意してきたデータを突っ込む――本業で鍛えた編集技術を駆使したメッセージ。

 そして短艇側のハッチが開く――間に合った。

 が、静かに過ぎた。いかつい戦闘用宇宙服はおろか、捕まえに来るはずの腕さえもが現れない。

 不審に思いながら短艇のハッチから覗き込む――無人。

 怪訝の念は、しかし一拍の間を置いて呑み込めた。何が何でも隔離しようとしているマリィ自身に、わざわざ乗組員を接触させようとはしなくて当然、むしろ人など乗せていた方が抹殺の危機を感じるべきだと腑に落ちる。

 となればここに留まって時間を稼ぐべきか――考えかけて思い直す。操縦席からならより直接にリンクを繋げる道理だと。

 そして、戦闘用宇宙服に包んだ細身を短艇の中へ滑り入れた、その時。

 マリィの背後でハッチが閉まる。そして背筋を滑り落ちる、〝キャサリン〟の悪戯めいた声。

『チェックメイト』

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