第13章 虚空

13-1.隔絶

「宇宙服を」

 接舷ハッチが閉じたところで、横からマリィへ声がかかった。

 ケルベロスの銃口を自らの顎に擬したまま、マリィは声の主へ眼を向けた。非常用の汎用宇宙服を半ば抱えるように差し出して、ヴァイザを上げた戦闘用宇宙服が進み出る。

「要りません」着用の隙を衝かれる気はない、そのことを言外に滲ませてマリィは相手の眼を睨み返した。「それより退がって」

「ならシートへ」

 大人しく引き下がった相手の向こうにはポッド後部、上下両面を占めるシートの列。そこに群がる陸戦隊員たちへ眼をやれば、手を借りてシートに収まる負傷兵、そして席にあぶれた兵の姿。

「ご注文の通り急ぐのでね。定員超過は勘弁していただこう」現場指揮に慣れた風の低い声は、生の感触を伴って鼓膜を震わせた。「あなたには操縦席の予備シートを使っていただく――私が用意していいかね?」

「あなた方に背を向けろと?」

 床を蹴りかけた相手を問いで留める。ゆるい慣性に身を任せた相手が、口の端を持ち上げた。

「いい眼だ」

 思いもよらないタイミングで思いもよらない言葉。マリィの言葉が尖る。

「――何のこと?」

 付け込むつもりなら付け込まれていた――遅まきながら腑に落ちる、その事実に血の気が引いた。手を出して来ない、その理由に思いを馳せる。まさにマリィの身さえ押さえられればそれでいいという可能性。背筋に戦慄、危惧していたそれとは異なるうそ寒さ。敵の思惑に自ら嵌まってしまったのではないか――考えたくない推測が頭をよぎる。

「頭も度胸もいい。それに仲間思いだ。連中が必死になるのも解る」

「近付かないで」

 マリィが指先、引き鉄に力を込める。その警戒を解くように相手は両の手を軽く掲げた。

「ただ、惜しむらくは少しばかり向こう見ずだな」

 そのまま相手はマリィの傍らを行き過ぎる。張り詰めたマリィの眼を受け流し、

「余裕がないのはお察しの通りだ。席があるだけマシだと思ってくれ」

「……お名前を伺ってもいいかしら?」

「ツァイス軍曹だ」操縦席のすぐ後ろ、補助シートを起こす声にふと自嘲。「あんたのお仲間に出し抜かれた間抜けだよ」

 それ以上の問いを封じておいて、ツァイス軍曹が冷えた眼をマリィに据えた。

「恨みつらみがあるのは、何もあんただけじゃないってことさ」

 怯まなかったと言えば嘘になる。マリィは無言で見返した。それだけしかできなかった。

 足元から重く、硬い振動。ポッドが救難艇を――キースの側を離れる、その感覚。

「これから加速に入る」ツァイス軍曹が告げた。「シートに就いた方が楽だと思うがね?」

 マリィは補助シートへ片手を伸ばした――慎重に。


 硬い音。ポッドが接舷ハッチから離脱する。――マリィとの間を真空が分かつ。

 キースの耳にその残響が突き刺さる。拳を握りしめ、歯を軋らせてキースは宙に佇立した。拳を握りしめ、腕を震わせ、全身をわななかせて――やがて激情は虚しく壁に弾けた。慟哭。殴打。そして咆哮。吐き出すものを吐き出した後には、ただ息の切れる荒い音。静寂――己が無力、その証。

 その沈黙を破って船内電話のコールが響く。キースの視点が飛んだ。食いつかんばかりに見つめる。解っている――他に呼ぶ相手などいない。重い腕を、キースは受話器へ伸ばした。


〈妙だわ〉〝ネイ〟がロジャーの聴覚に告げた。〈揚陸ポッドが……〉

 視覚へ映し出された戦術マップ、フリゲート〝シュタインベルク〟へ迫ってきていた揚陸ポッド4基の相対ヴェクトルに変化が兆す。

 〝シュタインベルク〟へ向かっていた予想軌道が、一見して判るほどに逸れ始めていた。見る間に反転、発進した揚陸艇へ戻ろうとしているようにさえ取れるといえば取れる。

〈何が起こった……?〉

 ロジャーも訝しげに呟く。直後、戦闘指揮所に伝令が飛び込んだ。

〈〝フィッシャー〟に噴射光を観測! 敵揚陸ポッドです!〉

〈索敵!〉艦長席からデミル少佐の声が飛ぶ。

〈こちらでも確認!〉策敵士がわずかに遅れて声を上げる。〈パッシヴで観測しました。1基離脱します。〝子亀〟の1基――いや〝親亀〟もです、2基!〉

 戦闘指揮所正面の大型モニタ、中央の戦術マップと左上の光学観測映像に兆して動き。〝フィッシャー〟底部、重なって接舷していた2基の揚陸ポッドが離れていく。

〈さらに増えました。4基!〉

 さらに2基が後を追い、合わせて4基全ての機影が〝フィッシャー〟から離脱する。

〈ポッドの動きは?〉

 デミル少佐の疑問に応じて、戦術マップ上に予想軌道が描かれる。

〈加速中! 先行する揚陸艇との邂逅軌道に乗ります!〉

 マップ上、揚陸ポッドから伸びる破線が前方、敵揚陸艇の軌道に接する。

〈こっちにゃもう用はない、ってとこか……〉

 考えられる理由はもはや一つ、目的を達した――それしかない。〝シュタインベルク〟に向かっていた揚陸ポッドの挙動まで考え合わせるに、楽観を抱く余地はすでにない。

〈融合炉は?〉デミル少佐が問いに焦りを乗せた。

〈レーザ・ドライヴァにもまだ火が入ってないんです!〉答える機関士の声も焦れていた。〈制御システム、いま通電を確認!〉

 そこへ艦内電話のコール。デミル中佐が艦長席で出た。

〈こちら副長〉

〈こちら〝ウォー・チャーリィ〟、シーモア軍曹〉明瞭な声が告げた。〈接舷ハッチ外から有線で通話している。ロジャー・エドワーズを出してもらいたい〉


〈〝ソルティ・ドッグ〟へ、こちら〝ソルト・ポッド〟〉

 操縦士が母船たる揚陸艇と通信を交わす。低加速中の揚陸ポッド内、背を包み込むような耐Gシートの中でマリィは耳をそば立てた。隙を衝かれて〝ハンマ〟中隊に砲撃でも浴びせられたら、ここにこうしている意味が消し飛ぶ。

〈〝ソルティ・ドッグ〟への邂逅軌道へ遷移――3、2、1、マーク。主機関噴射開始〉

 緩いGの向きが変わった。マリィの手中、自らの顎に擬したケルベロスが幾分か重くなる。マリィの緊張を知ってか知らずか、操縦士はあくまで淡々と行程をこなしていく。

「疲れないか?」

 傍ら、ツァイス軍曹からの声。乗り出せば手さえ届く距離からマリィは相手を睨み返す。補助席だろうが何だろうが使える座席は使い尽くしてポッドは揚陸艇へ向かっている。副操縦士後方の補助席も当然のように負傷兵で埋められ、そこに付き添うツァイス軍曹がマリィの神経をすり減らす一因となっている。

「お気遣いいただけるなら、」マリィは声を尖らせた。「私から離れて下さる?」

「無理を言う」さして困った風でもなく、ツァイス軍曹が眉をひそめる。「まさか怪我人を放っておけと?」

 まるで子供の身勝手に困惑している、とでも言いたげなその仕草――マリィは睨むように眼を細めた。

「中佐のお顔を潰すような真似はなさらないと信じてますわ」

 釘を刺す、と同時に思い知らされる――すでにして頼るべきが口約束ただ1つだけという事実。敵の掌中に皮一枚を残してぶら下がる危うさ。帰還はもはや期しようがなく、できるのは取り押さえられるまでに可能な限り時間を稼ぐ――ただその一点だけ。

 ツァイス軍曹がすくめた肩には、獲物を捉えた猛禽の余裕が乗っている――少なくともマリィの眼にはそう見えた。

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