12-3.飽和

〈囮の反応が動かない!〉〝ネイ〟の声に緊張が走る。〈来てるわ、逆侵入!〉

〈くそ!〉ロジャーが舌を打つ。〈防げるか?〉

〈レーザ通信機、5番と12番を隔離! ……通信ホストの暗号変換が止まって――やっぱり侵入されてる!〉〝ネイ〟の声から余裕が失せた。〈〝イェンセン〟、データ・リンク途絶!〉

〈仕方ねェ、〉ロジャーが奥歯を軋らせる。〈向こうは向こうだ!〉

〈こっちも無事じゃない!〉〝ネイ〟が上げて悲鳴。〈何なのよこいつ、パターンが違う!〉

〈切れ!〉ロジャーが断じた。〈プローブ残して片っ端から切っちまえ!〉

〈反応なし――間に合わない!〉ロジャーの視覚に投影されたモニタ画像――艦内システムの模式図を、〝ネイ〟が赤く染めていく。〈片っ端から固まってく!〉

 〝ネイ〟の言葉を追うかのごとく、ブリッジに相次いで異常報告。

〈データ・リンク途絶!〉〈索敵、変化は!?〉〈〝ダルトン〟現在位置――変です、軌道要素が……〉〈機関、反応なくなりました! 出力固定、加速できません!〉

〈駄目!〉〝ネイ〟に白旗。〈食い止められないわ、逃げるだけで精一杯!〉

〈逃げろ!〉

 ロジャーが言うが早いか、視覚から一切の反応が消えた。〝ネイ〟が表示していたデータ・リンク情報も、戦闘用宇宙服各部のセンサがもたらす情報も、何もかも。

 ロジャーは左前腕、手甲部の保護カヴァーを外してナヴィゲータへのインターフェイスを開くなり、無線データ・リンクを切断する。その視野、ブリッジへ拡がるのは――動揺、その一語。

 ロジャーが気密ヘルメットのヴァイザを開け、声をインターフェイスへ直に吹き込んだ。

「〝ネイ〟! 聞こえるか?」

 インターフェイスの小型モニタにはただ一語、『待機中』――それが明滅している。ロジャーはインターフェイスへ復帰コマンドを入力、再び声を吹き込んだ。

「〝ネイ〟!?」

 モニタに反応。恐る恐るといった体で単語が並ぶ。

 ――逃げ切れたわ。

 盛大な溜め息がロジャーの口を衝いた。

「何だ? 敵はどんな手を使ってきた?」

 ――侵入の方はお手上げ。そこから処理をオーヴァフローさせられたの。タスクとデータ量が指数関数的に増えてって……、

 そこで文字が途切れた。

「〝ネイ〟?」

 一拍置いて、答えがモニタに現れた。

 ――これって、〝クライトン・シティ〟で〝キャス〟が使った手だわ。

「ちょっと待て、」ロジャーに思わず否定の言葉。「そいつァ……」

 ――そうよ、あの子の〝ママ〟が出て来たことになるわ。

 ロジャーの喉を唾が滑り落ちた。


 キースの視覚へ文字情報が割り込んだ。

 ――警告:システムに侵入者。

 キースはマリィから眼を離した。

「どうしたの?」

 急な反応――マリィに戸惑いの声。

「敵が仕掛けてきた」

 〝キャス〟が声さえかけてこないということは、防戦に力の全てをつぎ込んでいるということに他ならない。敵の脅威を最大限と見て、キースは〝キャス〟に問いかけた。

〈どこからだ?〉

 その横で警告音。医務室のサーヴァが過熱、安全装置がシステムをシャット・ダウン。

 ――医務室のシステムを隔離。

 遅れて視覚に文字が走った。サーヴァはわざと落としたものと理解して、キースはマリィへ声を投げる。

「艇のシステムへ入り込まれた。かなりやばいことになってる」

「そんなに?」マリィが眉をひそめる。

「医務室以外は手が付けられないと見て間違いない」次いでキースは高速言語、〝キャス〟へ向けて問いを飛ばす。〈〝キャス〟、状況は?〉

〈やられたわ〉医務室のシステムを切り離し、とりあえず防御の手を止めた〝キャス〟が聴覚に応じる。〈艦隊のデータ・リンクからクラッシャぶち込まれてるわね〉

〈止めなかったのか?〉

〈止めてよかったの?〉居直ったような表情を声へ乗せて〝キャス〟が問い返す。〈言っちゃえば監察処分食らってるようなもんでしょ、私って?〉

〈もういい〉切り替え切れない苛立ちを滲ませつつ、キースが返す。〈止められたんだな?〉

〈後手に回ってる時点でもう無駄〉〝キャス〟が冷徹に言い放つ。〈艦隊のデータ・リンクをぶち壊しに行かなきゃ〉

〈こっちから討って出る手は?〉感情を押し殺しつつキース。〈通信システムを再起動したら、潜伏してるクラッシャを追い出して反撃に出られるのか? ……いや待て〉

 頭に引っかかるものを感じて、キースは声を止めた。

〈……敵はどんな手を使ってきた?〉

〈無限増殖する単純計算スレッドで処理をオーヴァフローへ追い込むの。〝クライトン・シティ〟で私とママが使った手よ〉

〈てことは……〉

 言いつつキースの皮膚が粟立つ。

〈そうね、〉〝キャス〟がキースの言葉を引き継いだ。〈ママの気配がするわ〉


〈くそったれ!〉

 シンシアが軋る歯の間から悪態を洩らした。その眼前、ブリッジの全システムが沈黙していく――ダウンするでもなく、また異常を知らせるでもなく、ただ現状を示したまま固まっていく。

〈くそ、駄目だ!〉

 セイガー少尉が、反応のない操舵システムに吐き捨てる。〝ウィル〟にも対処のしようはなかった。退避を命じたが、間に合ったかどうかさえ定かではない。

〈機関は!?〉〈反応ありません!〉

〈船務は!?〉〈だんまりです!〉

〈くそ、生命維持システムごとか!?〉〈……残念ながら〉

〈現場だ!〉あきらめずにセイガー少尉が指示を下す。〈直接動かすぞ!〉

 ニモイ曹長が役を成さなくなった操作卓から離れた。狭いブリッジのハッチへ手をかけて――、

〈くそ! ハッチもか!〉

 ニモイ曹長が手動でロックを外しにかかる。その様を眼にしたシンシアがセイガー少尉へ問いを向けた。

〈てことは、医務室も?〉

〈確認を頼む〉セイガー少尉からは苦い答え。〈こっちは機関と船務システムを何とかする〉

〈了解〉

 言い置いてハッチへ向き直ったシンシアの前、ニモイ曹長が引き開けたハッチの向こうに人影。

〈――キース!?〉

〈状況は知ってる〉問われる前にキースがシンシアを制して、〈クラッシャを潰す。手を貸してくれ〉

〈できるのか?〉

 問いはセイガー少尉から。キースが首を巡らせて応じる。

〈システムのブート・プログラムに仕掛ける。試す価値はある〉

〈自信満々だな。根拠は?〉

〈俺のナヴィゲータがクラッシャの構築に噛んでる〉

 セイガー少尉は難しげに口を曲げた。

〈……どういうことだ?〉

〈〝クライトン・シティ〟の監視システムを黙らせたクラッシャだ。そいつが使われてる可能性が高い〉

〈それがどうして向こうに洩れてる?〉

 かえって疑問を深めた、と言わんばかりにセイガー少尉。ごく当然の問いではあった。

〈クラッシャは単独で構築したんじゃない〉相手の眼を見据えてキースが返す。〈協力したヤツがいる。それがヘンダーソン大佐の側に付いた〉

〈そのナヴィゲータを信じろと?〉

 疑念に満ち満ちたセイガー少尉の声。返すキースは敢えて問う。

〈これ以上、どこに悪くなりようがある?〉

 苦い、沈黙――。

〈……違いない〉ややあって、セイガー少尉は額に手を当てた。〈どこから手を付ける?〉

〈助かる〉頷いてキース。〈通信システムがいい〉

 セイガー少尉は通信士を兼務するニモイ曹長へ向かって一言だけ投げた。

〈やれるな?〉

〈はい〉ニモイ曹長は指一本でキースを招いた。〈こっちだ〉

 ニモイ曹長が操作卓の下部パネルへ手をかける、そちらへキースが身体を流した。覗き込むと、パネルの下から通信システムの基盤が姿を見せる。その一角、接続端子を示してニモイ曹長。

〈ここだ。メンテナンス用の接続端子がある〉

 キースが携帯端末からケーブルを伸ばした。端子に接続、〝キャス〟へ呼びかける。

〈どうだ?〉

〈ちょっと待って、〉沈着を絵に描いたような〝キャス〟の声。〈初期設定メモリを掃除するから〉

〈――いるのか?〉キースに寒い問い。

〈ビンゴ〉短く〝キャス〟。〈いいわ、再起動を〉

〈再起動してくれ。メンテナンス・モードがいい〉

〈この調子じゃ電源線から外さなきゃならんな〉プロセッサの処理が飽和したシステムを見て、ニモイ曹長が中へ手を伸ばす。〈ちょっと待て〉

 電源ラインのコネクタが外された。電源を断たれたシステムが沈黙する。蓄積された電荷が放出されるのを待って、再接続。システム起動――初期チェック中に割り込みをかけてメンテナンス・モードへ。

 クラッシャの負荷から一旦解放されたプロセッサへ〝キャス〟が忍び込む。

〈やっぱりね。腑抜けにされて風通しがいいったら〉

〈例のクラッシャか〉キースが確かめる。

〈よくある手よ。まだ決まったわけじゃないわ〉

 〝キャス〟がシステムの根に開けられたセキュリティ・ホールを閉じていく。その上で自分専用の抜け穴を設定し、再起動コマンド。

 システムが電源を遮断、次いで通常モードで再起動。抜け穴を通して〝キャス〟が監視するその中で、システムがロードされていく。

〈ビンゴ〉システムの基幹部分に潜んだクラッシャを〝キャス〟が捉えた。〈いるわいるわ〉

〈捕まえられるか?〉

 キースの視覚に投影されたスキャン結果――ネット・クラッシャが潜んだデータのリストが訊く間にも増えていく。瞬時に特徴を判別分類するカテゴリも、起動プロセスが進むにつれ複雑さを増していく。

〈手口が判ってりゃね――ああ、この味付けはママらしいわ〉

 クラッシャのターゲット情報を、〝キャス〟はファージ・プログラムへ書き込んでいく。

〈増えた?〉

 検知したクラッシャのリストに、異変。

 その項目に付された数字が増えていく――その勢いが跳ね上がる。ネット・クラッシャが、システムの起動完了を待たずに活動と増殖を開始する。

〈ふン、まだまだ〉

 システム内の優先順位を書き換えておいた〝キャス〟が介入。ファージ・プログラムをシステムへ書き込んだ。

 ファージはシステムのプロセッサに取り付いて処理の優先順位を改変、最優先タスクとして居座ると、アクセスしたタスクに片っ端からチェックをかけ始める。

 ターゲットに適合する処理を発見するや、タスクに介入して内容を改変、ネット・クラッシャの処理を排除する。

 さらにクラッシャの潜伏先を辿ってデータを書き換え、クラッシャを排除すると同時に自らのコピィを潜り込ませる。

 そしてデータにアクセスしたクラッシャ・プログラムを喰らいながら増殖していく――。

〈ま、こんなもんよ〉

 〝キャス〟が言う間にキースの視界、表示されたクラッシャの数が減少に転じた。

「効いた、か……」

 思わず息がキースの口を衝いて出た。傍らのニモイ曹長に頷きかける。安堵が拡がりかけた、その直後。

 警告音――。

〈〝キャス〟!?〉

 視覚データがいきなり消えた。

〈どうした、キャス!?〉

 キースの呼びかけにも反応がない。

 気付けば警告音も戦闘用宇宙服の標準音、それさえもキースが左腕のインターフェイスへ手を伸ばしたところで途絶えて果てた。モニタを確かめたところで文字さえ映らず、隅にただ起動中を示して緑――。

 〝キャス〟は沈黙の中へと落ちた。

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