第59話 サイドC アイ その3

 

 痛み。

 全身の痛みで目が醒める。

 崖から身を投げた事を覚えていた。

 ハジメの重荷になりたくない、そう思って生きる事を諦めた。

 何があっても生き抜くと決めていたのに、誰を犠牲にしてでも自分が生きる事を優先すると決めていたのに、だ。


 現実での事を思い出す。

 幸せを感じた事がなかった。

 逃げた母親。虐待をする父親。

 裏切る友達。DVをする恋人。

 不幸の連鎖の中で、ただ死なずに生きていた。


 この世界に来た時、生まれ変わろうと思った。

 新しい自分になって、すべてを利用して生き残ろうと思った。

 だが、それはできなかったようだ。


 両手両足、すべてがバキバキに折れていた。

 即死しなかったのが不思議だ。

 だが、もう時間の問題だろう。

 意識が暗闇に飲み込まれていく。

 死を実感し、少し怖くなる。

 ハジメは無事だろうか。

 最後の最後、自分は初めて楽しんで生きていた気がする。

 もっと一緒に居たかった。

 だが、ブタの子を妊娠した時点でそれは不可能だったのだ。

 子供を産む前に死ねて良かった。

 そう思って腹を見る。


「あ」


 思わず声をあげる。

 うちの腹はぽっかりと空いていた。

 引き裂かれたように空いた穴からは、腸やら何やら色々と出てはいけないものがはみ出ている。

 自力で腹を裂いて出て来たのか。

 崖から飛ばずとも、やはりうちはここで死ぬ運命だったようだ。

 しかし、何故だろう。

 どうして、うちはまだ生きている?

 どう見ても即死レベルの致命傷だ。

 意識があることが不思議なのに、だんだんとさらに意識がハッキリしてくる。

 全身の痛みも心なしか、和らいでいっている。


 なんだ? 何が起きている?

 ようやく、異変に気がつく。

 暗闇に沈みかけたはずが、今はもう、死の予感すらしない。

 回復している!?

 しかも、かなりのスピードで。


 さっきまでぽっかりと空いていた腹がだんだんと塞がってきている。

 手足に感じていた痛みが引いていき、まったく動かなかった身体が少し動くようになっていた。


 そして、今、近くに何者かの存在を感じていた。


「何、誰かいるの?」


 少し動くようになった首を動かし、辺りを見渡す。

 誰もいない。

 周りには鬱蒼と生い茂る草しか見えない。

 暗い崖の下。

 そこに何がいるわけがない。

 だが、確実に何がいる。

 そして、その何かがうちを回復している。


「あー」


 声がした。

 それは、赤ん坊の声だった。

 まさか、うちの子供なのか。

 目を凝らして辺りを見るが姿は見えない。

 しかし、気配は確かにそこにある。

 まさか、と思う。

 少し動くようになった手で、自分の頭の上を探る。

 なにかに触れた。

 触れたと同時に、そこに赤ん坊の姿が見えた。


「なんで」


 そう言ったと同時に涙が溢れていた。

 止まらない。

 ブタの子供が生まれるはずだった。

 だが、そこには愛くるしい赤ん坊がいて、笑っている。


「あー、だー」


 その小さい両手が光っていて、うちを回復してくれている。


「なんでなのっ」


 涙は止まることをしらない。

 霞む景色の中でうちの子を抱きしめる。


「まー、まー」


 溢れてくる感情。

 間違いない。

 この子は、ハジメの血を引いている。

 どういう理屈かはわからない。

 確かに妊娠していたのは、ブタの子だった。

 その後にハジメとエッチして、上書きされたのか。

 現実的にはありえない。

 だが、抱いてみて確信に変わる。

 ハジメだ。ハジメだ。この子はうちとハジメの子だ。


「あ、うわぁあああああ」


 子供のように声を出して泣いた。


「たー、あー」


 赤ん坊がうちの頭を撫でてくる。

 力が湧いてくる。

 早く、ハジメに会わなければいけない。

 うちと二人の子供が無事だという事を伝えなければいけない。


 折れていた両手両足はほとんど元に戻っている。

 この子は、ナナのような回復のスキルとハジメの隠密スキルを持っている。

 うちの魅了も持っているのだろうか。

 あまり、自分の子には持っていて欲しくないと思い、確認し忘れていた事を思い出す。

 赤ん坊の股を見る。

 ついていた。

 どうやら男の子のようだ。


 立ち上がり、我が子を胸に抱く。

 名前をハジメと考えよう。

 生きなければいけない理由ができた。

 今度は何があっても諦められない。


「行くよ」


「たー」


 赤ん坊が崖の上の方を指す。

 登れということらしい。

 無茶な要求にも笑顔で答える。

 今ならなんでも出来そうな気がした。


「でも、疲れたら回復してね」


「あー、いー」


 元気のいい返事にさらに笑顔になる。

 意識がハッキリとしてきて、一つ感じたことがある。

 ハジメの身に何かが起こっている。

 ハジメの悲しみのような負の感情が、流れこむように入ってくる。


「パパを助けないとね」


「あうあうあー」


 わかっているのか、いないのか、赤ん坊はうちを強く抱きしめる。


 うちの本当の戦いは今から始まるのだ。



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