道草物語

黛惣介

青桐継

 母屋の傍に生えた大木を、懸命によじ登っていく。都会に生まれた都会育ちのわりに、木登りだけは得意だった。軽々と登り切って、わくわくしながら太い枝に座り込む。高いところが好きというわけではない。この日だけの特別なもの、毎年楽しみにしている大きな花火がよく見える場所だ。今か今かと待ち侘びながら、脚を前後に揺らしながら遠く、海の方を見渡す。どこから上がるのだろうか、楽しみにしながら――ふと隣を見る。

 ――君も花火を見に来たの?

 問い掛けると、隣の枝に座っていた少女が少し驚いたような反応をして見せる。暗くてはっきりは見えないが、少し年上の、着物姿からして女の子だとわかった。

 ――ええ、ここからはよく見えるから

 とても綺麗な声、とても透き通った心地良い声。

 ――一緒に見よう、そっちに行ってもいい?

 ――どうぞ

 足元に注意をしながら、軽やかな身のこなしで隣の枝へ移動していく。隣に座り、一緒に脚を揺らしていると、遠くに小さな花火が上がった。序盤の花火達に、小さく、感嘆の息を漏らす。

 ――綺麗だね

 ――うん、毎年見ているけれど、毎年綺麗

 ――毎年? 去年もここから見たの?

 その問い掛けに、少女は少し戸惑うように俯いた。昨年もここから見ていたが、少女を見た覚えはなかった。きっと他の場所から見ていたのだろう、と少女の返答を待たずに花火を見ながら言葉を紡ぐ。

 ――じゃあ、来年もここで見るの?

 ――そうね、多分

 ――僕もまた来年ここに来るから、また一緒に見ようよ

 少女は小さく頷いた。これ以上邪魔してもいけないと思って、黙ったまま花火を眺め続ける。色鮮やかな赤や青、緑や黄が美しい模様の花を空に描いては消えていく。何発も何発も打ち上がる――どれぐらい時間が経っただろうか、そろそろ終盤なのか、何十発もの花火が連続して、絶え間なく打ち上がり続ける。これには胸が高まり、思わず隣に座る少女に声をかけようとした――時が止まったかのような感覚に囚われ、開きかけた口をゆっくりと閉じていく。様々は色の花火に照らし出された少女の美しさに、一気に惹きこまれていく。

 ――綺麗……私、花火が好きなの

 少女が小さく言って、巨大な、最後の大輪が夜空に咲いた。その瞬間、少女がこぼした笑みが、心を鷲掴みにする。完全に見惚れて、最後の花火を僅かに見逃す。散っていく、残り火が消えていく中、少女が振り向き、目が合った。緑色の瞳がぼうっと浮かぶ。その瞳をじっと見つめ、少女もまた、見つめ返してくる。何かが、見えない何かが繋がったかのような感覚に、身体が火照り始める。

 ――来年も、ここで会おう

 気付けばそんなことを言っていた。夏休みが終わればここを離れる。次に花火が上がる来年しかここに来る予定ない。もう少し大人になれば、一人でも来られる。だから、また会いたい、そういう思いを込めて少女に伝える。少女はまた、困ったような顔をした。

 ――ええ、また

 その声は今にも消え入りそうだった。花火の終わった夜空をしばらく眺めてから、木を下りてから別れた。暗がりの中歩いて行く少女は、一度振り返って、小さく手を振った。そんな少女に何度も、何度も大きく手を振り返したが、その後少女が振り返ることはなく――


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