僕と彼女とカゲキなゴーストアドバイザー

STキャナル

助言1:私をただのオバケでなく、ゴーストアドバイザーと呼びなさい

「よし、行くか」

 僕は呟きながら制服の襟を正し、一歩を踏み出した。

 その先にいたのは、聖護院桃。

 校舎と体育館の間を通り、体育館側の影で少し暗くなった道。校舎側の壁にもたれ、何かを待っているような桃ちゃんに、僕は意を決し近づいた。


「あの、いいですか?」

「どうしたの?」

「い、いや……」

 僕は、今までの人生で味わうことのなかった、異様な緊張状態にある。顔が熱くなっているどころか、その温度でメガネが曇ってしまいそうだ。幸いにも、華のある立ち姿をした美少女の姿は、まだぼやけてはいない。


 セミロングの自然な黒髪と、ビー玉のように輝いている瞳、上品に整った鼻に、うっすらとした桜色の唇。そこからは、天使の贈り物のような白い歯がこぼれている。そんな彼女が、清く正しく制服を着こなしている。いたずらにスカートを短くして太ももを見せびらかすわけでもなく、ちゃんと膝丈でスカートを着こなしている。これぞ「やまとなでしこ」。


 僕は拳で胸を軽く二度叩き、ためらう隙を作らないように桃ちゃんの眼前までダッシュした。

「1年A組8番、十文字平太と言います! 初めまして」

 大気圏を一突きで真二つにするぐらいの勢いで手を挙げながら、僕は自己紹介した。

 彼女は笑っていた。面白いのか、それとも苦笑しているのか。


「私は、1年B組の聖護院桃ちゃん、こちらこそよろしくね」

 ちゃんと自己紹介を返してもらえた。何と素直な女の子か。今まで僕の周りにいる女子と言えば、「平太ってクソマジメガネだよね」「そうだよね、略してKMM(笑)」と僕を嘲(あざけ)る割合が9割ぐらいだった。しかし、奇跡的に、彼女はどうやら残りの1割の方ということか。そう思うと、僕の緊張が、少し和らいだ。何か、ちょっと肩にかかっていた荷が少しだけ降りたような感じだ。


「僕のこと、覚えていてくれるの?」

「うん、覚えているよ」

「そうか、桃ちゃんは、この幸風高校で、入学早々噂になった、『センター女子』なんだよね?」

「いや、別に」

 桃ちゃんは微笑みながら謙遜した。


「僕もこれから、1年B組の教室へ行って、話しかけてもいい?」

 そう切り出した時、桃ちゃんがちょっと驚いたような顔になった。

「いいわよ」

 桃ちゃんはすぐに朗らかな表情に戻り、確かにそう言った。


「やった!」

 僕は思わず、拳を天に突き上げた。この学校は東京都内でもまあまあ有名な進学校だが、その入学試験の合格発表の掲示板にて、自分の番号が書いてあった時に負けないくらいの嬉しさがこみ上げた。


「どうしたの、そんなに喜んじゃって」

 僕は慌てて拳を収め、平静を装った。

「いやあ、何でもないです。じゃあ、また明日、休み時間に教室で会おう」

「うん」


「それじゃあ、さようなら」

「さようなら」

 僕が桃ちゃんと挨拶を交わし、さあ帰ろうとした、その時だった。

 僕の行く手を、一人の少年が阻んだ。僕と同じ制服を着ているが、僕よりも頭一つ分背が高くて、威圧的なオーラを放っている。いや、オーラどころか、完全に僕を睨んでいる。何故だ。僕はこの少年に何か悪いことをしたのか? いや、そもそも初対面。だとしたら、何故僕を睨む?


「おい」

「はい」

 その少年の高圧的な呼びかけに、僕は怯みながら反射的に返事した。

「お前、何、勝手に聖護院桃ちゃんに話しかけてんだ?」


「えっ、ダメですか?」

「ダメに決まってんだろう。コイツはオレのものなんだからよ」

「本当なんですか?」

「私、別に剛(つよし)と付き合うって言ってない」


「言ったろ」

 桃ちゃんと剛の食い違う主張の間に挟まれ、僕はどうしていいか分からなくなった。二人を交互に見やる。そのとき、いきなり剛が僕の胸倉を掴んできた! 苦しい!


「剛、やめなよ」

「何でだ? オレとお前の恋を邪魔する者を成敗しようとしているだけだぞ? ほら、オレが出した連絡先を書いた紙、ちゃんともらったじゃねえか!」

「あくまでも連絡先をもらっただけよ。それだけであなたの彼氏になるなんて言ってない」

「そんなことを言うな!」

 掴まれたままの僕の頭越しに、剛くんと桃ちゃんが言葉の応酬をかわしている。


「僕も、桃ちゃんの方が正しいと思います!」

「ああ、何だ、クソメガネ!」

「クソメガネじゃありません!僕の名前は十文字平太です!」

「何だっていいんだよ、クソマジメガネ!」


 言われた。こんな少年、この高校に入って、今日初めて、こんなひどい形で会ったというのに、こんな男にまで「クソマジメガネ」と言われてしまうなんて。で、でも、桃ちゃんの前だ。僕は引くわけにはいかなかった。

「桃ちゃんがまだ付き合っていいと言ったわけじゃないのに、連絡先を渡しただけで彼女扱いだなんて、思い上がりにも程があります!」


「んだと、口応えか!」

 剛くんが僕に思いっきり顔を近づけて、怒声を強めてきた。ど、どうしよう。いきなりのピンチだ。でも、僕は、間違っていない。間違っていないってこと、ちゃんと言わなきゃ。高校に入って、ただの弱気なクソマジメガネから変わると決めたんだ。だから、思ったことは、ちゃんと言わなきゃと、心に決めた。

「口応えじゃない……僕は、事実を述べているだけだ!」

「それが口応えっつうんだよ、クソ野郎!」


 ボカッ!


 一瞬にして、メガネとともに記憶が吹き飛んだ。顔にぶつかってきたのは、拳か、それとも上下左右、自在に軌道をコントロールできる隕石か。そんなことも分からないぐらいの衝撃を受けた。

「ちょっと、剛、やめなさい!」

「なめんじゃねえぞ、オラア!」


 ボカッ! ボカッ! ボカッ!


 サンドバッグのように、殴られ放題されているうちに、僕の目の前は、どん底の闇に包まれてしまった……。



 壊れたメガネを仕方なくかけ、口元の左端には絆創膏、同じ側の頬もガーゼをテープで留められている。こんな格好は、地方の高校の不良ばかりがいつもやっているようなものだと思っていた。どうして僕なんかが? 万年成績トップクラスの僕が、何でこんな有様にならなきゃいけないんだ。


 そんな世の中への不満を心の中で嘆きながら、僕は学習机の横にカバンをもたげ、自宅のベッドに横たわった。

「何で僕が、何で僕が……」

 独りぼっちの部屋で、思わずうわ言がこぼれる。


「僕、女の子にモテたかっただけなのに、桃ちゃんとお話したかっただけなのに……何で話しかけただけで、全治1週間の怪我をしなければならないんだ。僕は、高校生になったら、ただのガリ勉で終わるんじゃなくて、ライトノベルでハーレムしている主人公みたいにモテモテになりたかっただけなんだよ。僕は、僕は、僕は……」


 僕の中で、飾り気のない本音が、まるで火山のマグマのように、噴き出した。

「恋したいだけなんだよおおおおおおおおおおっ!」

 マンションの外の道路、いや、その向かいの家にまで聞こえんばかりだったか。それほどまでに、僕は気持ちを抑えきれずに、絶叫した。きっと僕の声は、まだ日も暮れていない空の下で、狼の遠吠えのごとく響き渡っていたであろう。



「おはようございます」

「おはよう……えっ!?」

 翌朝、僕が目覚めた時だった。その時の光景は、毎日と違った。違うどころか、僕の人生の中で、今まで考えられなかった存在が、そこにはあった。


 僕のベッドの隣にいたのは、銀色の長髪をさらさらとたなびかせ、白地にラベンダー色の縁が取られたローブを身にまとった。見知らぬ可憐な少女だった。

「あなたは、誰ですか?」

「リコです」

「何でここにいるんですか?」

「ついつい入っちゃった、テヘ♡」


「うああああああああああっ!」


 僕は、昨日とは違う意味で、昨日以上に絶叫してしまった。朝日の下、まるでクローゼットから飛び出したチャッキーを見た少年の如く、明るい道に響き渡ったんじゃないか。


「君は一体誰だよ!」

「だからリコ」

「リコ?」

「うん、私の名前はウチヤマ・リコ」


「ウチヤマ・リコ? 何で僕の家にやって来たんだ? て言うか、この家、ちゃんと扉から窓まで、しっかりと戸締まりしているはずなんだけど!?」

「ああ、ごめん、ここの窓をスルッと抜けちゃった」

 リコは悪びれることもなく、侵入方法を述べた。僕はそのベランダにある窓を見た。ベランダは、鍵までしっかりとロックされたままだ。その瞬間、僕はゾッとした。


「あの、リコって、もしかして……」

「どうもオバケです」

「オ、オ、オ……」

「オバケ」

「オバケエエエエエエエエエエッ!!」


「どうしたの!?」

 母が驚いた様子で部屋に入ってきました。

「オバケが、オバケが出た!」

「オバケ?」

 母があたりを見回す。


「そんなのいないけど」

「えっ?」

 僕がベッドの横を見てみると、そこには確かにリコがいる。

 舌を出し、いたずら好きの小悪魔みたいにフザけた目でピースサインをアピールするリコがいる。


「確かにここにいるよ」

 僕が必死にリコを指差す。母もそっちの方を見る。

「何言ってんの? 誰もいないじゃない」

 どうやら母には、リコが見えていない。やっぱり、リコがオバケだから? リコが、僕の母の背中に向かって不敵に微笑みながら、中指を立てるオバケだから……って!


「リコ!」

 僕はリコの立てた指に掴みかからんとした。しかし、僕の手は、見事にリコの指をすり抜けた。従ってリコの危険極まりないサインは継続中である。

「リコ、マジでやめろって!」

「いいから、落ち着いて!」

 母が逆に僕の体に組み付いて制止した。


「熱でもあるの? それとも昨日殴られたショックで、幻でも見ているの?」

「だって、リコって女の子がここにいるんだもん!」

 母はそんな僕の言葉に取り合わず、額に掌を重ねた。

「熱はないみたいね」

「別に気分が悪いわけじゃないよ、ただリコがここにいるんだよ。本当に女の子がオレの部屋の中に侵入してんだって」


「ええ?」

 母はさっきよりも注意深く、オレの部屋をグルリと見回した。その間、リコは、立てた中指を一本から二本に増やしている! まるで僕の母がブチギレるのを待っているかの如く不気味にニヤけている。


「リコ、マジでそれやめろ! オバケでもやっていいことと悪いことがあるだろう!」

 僕は再び彼女の二本の中指と格闘したが、彼女の両手はびくともしない。

「何しているのよ?」

「だからコイツが、幽霊が……!」

 母が僕を不思議そうに見てきたので、僕はすぐさまリコを必死で指した。母もリコの存在を確かめた……かに思われた。


「……誰もいないわよ?」

「ええっ!?」

 僕は思わず、指さしたところを見直した。リコは確かに、消えていない。一応、中指は二本とも収めてくれたが、その姿がそこにあること自体は変わらない。それを受けて、僕は、一つの結論に行き着いた。


 母には、リコが、見えていない。


「早く支度しないと、学校に遅刻するわよ」

 母は呆れた様子で、部屋を後にした。

 リコが満を持したような態度で、僕の方を向く。

「な、何だよ」

 僕はリコが次に何をやるのか、警戒心剥き出しだった。


「早く支度しないと、学校に遅刻するわよ」

 母の去り際の言葉を、リコは一字一句丁寧になぞって見せた。

「言われなくても分かってるっての」


 僕はリコにイラつきながらも、クローゼットから制服を取り出す。パジャマのズボンを脱ごうとしたとき、女の子の亡霊がここにいるという事実が脳の中で改めて強調された。

「なあ」

「何よ?」

「出て行ってくれないか?」

「ひどい。折角お邪魔したばかりなのに」

 リコは悪びれもしない態度で言い放った。


「お邪魔したなんて問題じゃないだろう! 勝手に人の家に不法侵入した挙げ句、人の親に中指立てたじゃないか! そんな罪な人間は」

「オバケです」

「いちいち揚げ足取らなくていい! とにかく、オバケはここから出て行けよ!」

「やだ」

「『やだ』とかなし!」


「うるさい、傷だらけのメガネ」

「傷だらけのメガネで悪かったな! 桃ちゃんに話しかけたら、いきなりガラの悪い奴に殴られたんだよ!」

「果物とお話してんの?」


 リコがとぼけた調子で言った。

「果物じゃないっての! 『桃ちゃん』っていう名前の女の子!」

「ああ、そうなの、ごめんごめん。で、ガラの悪い奴って誰よ?」

「剛って奴だ。何か、自分こそ桃ちゃんと付き合うんだよ、とか言いながら、僕のことを、ボコボコにしたんだよ……」

 僕は昨日の苦過ぎる記憶を絞り出すように語った。


「ひどい人がいるもんだねえ」

「そうなんだよ。ウチの通っている高校、そこそこ進学校っぽいのに、何であんなヤンキーがいるのか分からないよ」

 僕はそう嘆きながら、ハンガーにかけられた制服一式を床に広げ、改めてパジャマのズボンを脱いだ。


「赤」

 唐突にリコが色の名前を声に出す。それは、僕が今履いているトランクスの色だった。その瞬間、僕は咄嗟にパジャマのズボンを上げ直す。

「見るなよ!」


「アンタが勝手にパジャマのズボン下ろしたんでしょ。むしろアンタの方から見せた癖に」

「言ったよね。こっから出て行けって」

「何で出て行かなきゃいけないのよ!」

 平然とそう言い返すリコに、これまでの一連の言動を反省する様子は微塵もない。

「分かったよ。せめて後ろ向いててくれ」

 リコは渋々従ってくれた。僕は改めてパジャマを脱ぎ、制服に着替え始めた。


 僕は朝食のパンをかじりながら、早足で学校へ向かう。しかしこうしている間も、何だか背筋が寒い。四月にしては確かにちょっと気温が低いなとは思うが、それにしても背筋だけがピンポイントで寒い。


 僕はまさかと思い、足を止め、後ろを振り向いた。

「何でそんなに急いでるの? 別に遅刻しそうなわけじゃないでしょ?」

 僕は思わず口をあんぐりさせた。咥えていた食べかけの食パンが、力なく落ちていく。

「あ~っ、食べ物落とした~。いけないんだ~。もったいない。お行儀悪い」

 オバケらしく空中浮遊していたリコが僕をなじった。しかし僕にとっては、それどころではなかった。


「何でいるの!?」

「何でって、一緒に学校にまでついて行くの。何か文句ある?」

「あるに決まってんだろ! 何で学校にまでついて来るんだよ!」

「いやあ、アンタが言っていた桃ちゃんってコの顔、一目でも見ておこうかな、と思って」


「余計なお世話なんだよ! お前もう本当にどっか行けよ!」

 僕はリコを突き放すようにダッシュした。しかし、数十メートル走ったところで足に何かがぶつかり、バシャンという破裂音と同時にもつれた。僕は、前のめりに思いっきり転んだ。おかげで殴られた傷が出来ていない方の頬を思いっきり擦りむいた。二日続けて顔に傷を負う失態に、自分が情けなくなった。


「あ~あ、気をつけないからそーゆーことになるー」

 リコがまるで他人事みたいな態度で僕にダメ出ししつつ、また追いついてきた。

「お前!」

 僕はリコを思いっきり指差し非難の意思を示した。


「あ~あ、また顔傷ついちゃった。右の頬にすり傷よ。学校ついたら保健室に行って、治療してもらわなくちゃね」

 リコは僕の憤りも意に介さずに、当たり前な言葉を並べるだけだった。

「つうか、傷つけたのお前! もういい! この場で警察に通報してやる! 傷害罪でお前を逮捕してもらう!」

 僕は勢い任せにスマホを取り出した。


「分かってる? 私、人間じゃなくてオバケ。人間界の法律じゃ裁けないわよ。それに通報して警察に来てもらうの待ってたら、アンタ遅刻するんじゃない?」

 僕は無言でスマホをポケットの中に戻した。ここで傷害罪の犯人であるオバケがいるからと言って、警察を待っていたら確かに大幅なタイムロス。僕自身が遅刻という罪を犯す。僕に限ってそんなことが起きたら、天と地がひっくり返りかねない。

「それなら、学校の警備員に突き出す。校門でいつも挨拶番してるからな」


「もしくは、私がオバケの魔法でその傷を癒してあげてもいいわよ。証拠隠滅にもなっていいんじゃない?」

「本当か?」

 僕は疑い深くリコに聞き返した。

「嘘」

「ああ~っ!」

 僕はあっと言う間に訪れた失望に押し潰されるように、再び地面に伏した。


「ほらもう、早く立ちなさい。学校に遅れるわよ。学校についたらまず保健室だからね。あっ、バイキン入らないようにハンカチで傷を押さえておいた方がいいわよ」

 僕はリコにイラつきながらも、言われた通りハンカチで傷を押さえながら、立ち上がり、再び歩き出した。


「何て言うか、ここまで傷だらけだと、まるでケンカに明け暮れた不良みたいじゃん。実際は昨日一方的にボコボコにされて、今日ズッコケただけなのに」

「でもさ、傷だらけの少年っていうのも悪くないんじゃない。ほら、傷跡って、何だかワイルドなイメージがするじゃん。そういうのが好みの女の子もいるって」

 リコが何とか慰めようとしているのが伝わってくるが、明らかに的外れだ。


「僕、そういうヤンキー的な生き方好きじゃないから。大体そういう人って、先生や親など、大人の言うことはクソ食らえみたいにとりあえず反抗することがかっこ良い、何かに逆らうことが青春だ、みたいな感じでいきがっているけど、いざ大人になったら、学生時代にまともに勉強しなかったツケで、工事作業員とか、内装業とか、肉体労働的な仕事しかできずに、缶ビール片手に夜空の星見上げて嘆く毎日送るような連中じゃん」


「いいのかな~? そんな偏見」

 リコが僕の前に立ち塞がる。

「目の前に来るなよ。マジで学校に遅れたらどうするんだよ?」

「勉強できなきゃいい大人になれないみたいな偏見はやめてもらっていい? 私はこの世を知っているの。元暴走族でも、会計士になったり、国会議員になったりしている人がいるのご存知?」

「ああ、そうなの」

 僕はリコをかわして再び学校へと進み出した。


「聞いてるの? 確かにヤンキーは勉強できない人が多いことには多いかもしれないわよ。でも、ヤンキーっていうのは、あなた以上に、魂の中でエネルギーが有り余っているの。そのエネルギーがあれば、勉強だって何だってド根性でやり抜いて、会計士になったり国会議員になったりもできる。それだけじゃなく、ド根性の努力に、ヤンキー自身も知らないとびきりのセンスがうまく絡めば、満員の東京ドームでライブするアーティストになったり、ゆくゆくは総理大臣になることだってできるのよ!」


 何故かヤンキーに関して急に熱くなるリコに僕は辟易した。

「分かったよ、うるさいな」

「そうやって心の奥底でヤンキーを馬鹿にし続けていたら、また殴られても知らないわよ?」


「結局、ヤンキーをかばったうえで、ヤンキーが暴力する前提かよ」

 僕は感情任せなリコに呆れてダメ出しした。

「いい? つまり私が言いたいのは、今の見た目だけでその人の将来とか中身を勝手に決めつけないこと。昨日アンタをボコボコにした少年だって、本当はあなたよりももっと賢くて勉強できるかもよ」


「いや、少なくともそれはないと思う」

「分からないわよ? 実際に聞いてみたら?」

「怖くてムリだよ。これ以上僕の顔の傷を増やす気? もうメガネ壊されたくないし。これ予備の二個目だけど、三個目はないんだよ?」

「もう一回話してみたら意外と気さくかもよ~」


「勘弁してくれよ。僕が桃ちゃんに話しかけただけで急に嫉妬して殴ってくる人なんだよ?」

「アンタ、相手がヤンキーだからってビビリ過ぎじゃないの?」

「いや、マジでビビるに決まってるから。そりゃ人は見かけに寄らないのは分かるよ。でも昨日のアイツは実際にやってきたから! 僕のメガネぶっ飛ばしてきたから!」


「じゃあ、剛が桃ちゃんを彼女にしちゃうのをみすみす指をくわえて見ているだけになるんじゃない?」

 リコが放ったこの一言に、僕は不覚にもドキッとした。

「そ、それは……それでヤダ」

「どうする? 確かに桃ちゃんはソイツが狙っている。でも、アンタも桃ちゃんが好きなんでしょ」


「す、好きだよ」

「じゃあ、ヤンキーの目なんか気にしないで、桃ちゃんをアンタの彼女にしちゃいなよ。それとも剛はもう桃ちゃんと付き合っちゃっているとか?」

「いや、桃ちゃんは、剛は勝手に自分を好きと思い込んでいるだけで、本当はそうじゃないみたい」


「じゃあ浮気にもならないわね。アンタが桃ちゃんにアタックしない理由はもはやない」

「でも、桃ちゃんは、幸風高校で史上最強とも言われる『センター美少女』って評判だし」

「センター美少女?」


「そうだよ。学園一綺麗な美少女はそう呼ばれている。アイドルグループならセンターポジションで歌って踊るにふさわしいぐらいスゴイってこと」

「なおさら、アンタの彼女になるべく現れた女子ってことね」

「何でそんなに論理が飛躍しているの!?」


「あっ、学校着いた」

 リコの言う通り、こうして喋っている間にもう学校が目と鼻の先だった。僕はあと少しの距離をひと思いにかけ足で詰め切り、正門へとたどり着いた。

「すみません、このコ僕にケガさせたんで、捕まえてもらえますか?」

 僕は早速警備員にリコの存在を訴えた。警備員が僕の周囲を見渡す。


「誰もいないが?」

「いや、いるんですけど」

 僕はリコを指差しながら訴えた。

「あれか。高校生で流行りの中二病か? そんなくだらないことはやめて、早く教室へ行きなさい」

 警備員は真顔で僕を諭すだけだった。どうやらリコが見えないのは母だけではなかったようだ。僕は観念して保健室へと向かった。


 保健室でもう片方の頬にガーゼを当て、テープで固定してもらってから教室についても、朝のホームルーム前には何とか間に合った。でも問題は消えていない。僕の背筋は相変わらず5℃くらい余計に低いままだった。リコは相変わらず、無邪気に微笑みながら、空中をぷかぷかと漂っていた。


「マジで出て行ってくれない?」

「何それ、体罰ですか? アンタは先生じゃなくて生徒なのに?」

「そんなしょうもないトンチはいらないの。て言うか、ここでも僕がオバケとコミュニケーションしてたら、周りにまで変なヤツと思われるでしょ」


「いいじゃん、元々ヘンなんだし」

「どこがだよ」

「その顔、プフッ」

 リコは不謹慎気味に物笑いした。


「仕方ないだろ。昨日はヤンキーに殴られて、今日はズッコケちゃったんだしさ」

「それにアンタの部屋見てみたけどさ、随分とアイドルのグッズとか、壁紙とかあったよね? しかも二次元の」

 僕はこの時ハッとしたけど、確かに事実だ。僕の部屋には、アニメ『ロマンスフェスタ!』のグッズで見事に彩られている。『ロマンスフェスタ!』は七人組で、僕の推しメンは左から三人目でイメージカラーが黄色の海月里緒奈だ。


「もう、そんなこといいから、そろそろ朝のチャイムから、早く出て行ってくれない? 君がちょっかい出すせいで、授業とかおろそかにしたくないんだよ。それにこれ以上ケガしたくないし、色んな意味で」

「ムウッ」

 リコは不機嫌そうに頬を膨らませた。


「分かりました。じゃあ、また後でお邪魔しに来るからね~。アンタの家とこの学校の住所、ちゃんと覚えてるし」

 リコはそう言い残すと、悠々と、て言うか「幽遊」と窓をすり抜けてどこかへ行ってしまった。やっとリコの呪縛から解放されると、僕は息を吸い込み、その倍吐きながら机に顔を伏せた。


「それじゃあ、一時限目の日本史の授業はこれで終わり。じゃあ、いつものやって」

「起立、礼」

「お疲れさん、じゃあ休み時間」

 先生が教壇から歩き出すなり、一気に教室内が、緊張感から解放されたようにわっと騒がしくなった。


「ただいま」

 そして僕の背後には、僕だけに聞き覚えのある声とともに、再び妙な冷気が訪れた。

「何だよ、戻ってきたのかよ」

「また後でお邪魔しに来るって言ったじゃん。で、桃ちゃんは何年何組?」

「それ君に言わなきゃいけないの?」

「アンタが桃ちゃんの彼氏になることほど、重大な要件が今どこにある? そう言う意味では、私にも情報を共有する権利があるわ」


「相変わらずグイグイ来るよな。それこそヤンキーのレベルで」

「ちょっと待って。私自身はヤンキーなんかじゃないわよ。むしろ真面目な女子高生でした」

「『真面目な女子高生でした?』」


「だってしょうがないじゃない。私、今、亡霊よ。高1で死んだゴーストなの」

 確かに彼女がオバケであることは、彼女自身が言っていたが、少しプロフィールが詳細化するだけで、何か恐れ多いような、切ないような、複雑な感情が入り交じった。


「あんまり言いたくないけど、交通事故。横断歩道を歩いていたら、対向車線で止まっていたでっかいトラックの陰から信号無視のSUVが飛び出してきた。あの時私の側は間違いなく信号が青で、車側は赤よ。あんな理不尽な飛び出しされて、どうやって避けろって言うのよ、あのクソ【車種名】」


 それを聞いて、僕はハッとした。僕も、塾帰りに大通りの横断歩道を渡った時、目の前のバスの陰から自転車が飛び出してきたことがある。幸いにも自分の位置がバスよりも手前だったおかげで自転車にぶつからずには済んだが、確かにちょっとゾッとする。やっぱり交通法規を守らぬ勝手者はいつもどこかにいるもんだ。


「辛かったんだな」

 僕はリコに精一杯の声をかけた。

「私の寂しさ、分かってくれた?」

「充分分かってる。言葉にできないくらいだよ」

 哀愁漂う目で訴えかけるリコに、僕は静かにそう返した。


「と言うわけで、私は自分の青春を満喫できなかった分、誰かの青春は壮大なラブコメもしくはファンタジーみたいに飾ってやりたいわけ」

 リコは一瞬にして上機嫌に戻り、余計なお世話とも言える存在目的を語った。

「それで僕にこうして憑いているの? 僕じゃなきゃダメ?」


「ダメ。百軒のお家を巡った厳正な抜き打ちチェックの結果、アンタが今、私がアドバイスするに最もふさわしいことに決まったの」

「てことは何? アドバイザー」

「その通り。私、オバケの国で正式にアドバイザーの職を得て、それを全うするためにここにいる。アンタみたいな悩める人の目標を達成できるように全力でアドバイスするの。ちなみに目標を達成しない限り、私はずっとアンタと一緒だから」


「家宅侵入やり放題じゃねえか!」

「分かってる? オバケなのよ。人間様には裁けないのよ」

 リコは自分を指差しながら当然のように言い放った。

「で、桃ちゃんはどこよ? 私を彼女のところまで連れて行ってくれない?」

「何でお前なんかを桃ちゃんのところへ?第一、お前、オバケなんだから桃ちゃんには見えないんじゃないか? だってほら、僕の母さんの前で」


 リコが「これでしょ?」と言わんばかりに僕に二本の中指を立てて見せた。

「そうそれ! て言うか今度はどこでかましてんだよ!」

 僕は再びリコの中指と格闘するが、相変わらず僕の手は彼女の中指をすり抜けまくるだけだった。


「とにかく、私、見てるから。今日中に桃ちゃんに話しかけてよ。私、アンタの行動、常時チェックしてるから。分かる? 一日中チェックしてるから」

「ストーカーみたいなこと言うなよ」

「アドバイザーと呼んで」


 リコが僕に釘を刺す。

「それじゃあ、放課後、中間報告してもらうからね。バイチー」

 リコは裏返したピースサインで「さよなら」のように手を振ると、窓をすり抜けて外へ飛び出して行った。一方の僕は、これから亡霊が付いて回る生活を急に強いられることを実感し、ため息交じりで、カバンから理科の教科書とノートを取り出した。

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