こい花怪拓姫

ネコモドキ

一枚目 河童:存在証明と意思表明(報われない)前編



「……【かいたくき】を、ご存知ですか?」

「【開拓記】、……ですか?」


 しなる・・・釣竿を金鞭の如く振るい、今尚屍山血河を築く彼にそう、問われる。

 飛び散る体液、沸く血潮、後、何かの破片と硬そうな緑の塊。

 この一幕の諸々は正直、現実と乖離し過ぎて断片的にしか覚えていないけれどーー月が……赤くて、綺麗な真ん丸だったのはよく覚えている。


 ★


 現在、そろそろ深夜帯に差し掛かるであろうと言う時間帯。準深夜勤務のコンビニバイトを終え、帰宅準備をしていた時のお話です。

 タイムカードに記入し、ネームプレートを私の引き出しに入れます。

 5月半ばと言えば私観的に何とも微妙な時期だと言う印象が強いのですが、世間一般ではどうなのでしょうか?

 まあともかく、日中はそれ程ですがこの時間となると突き刺すような寒さーーは言い過ぎですがそれでも、風邪を覚悟くらいには冷え込みます。

 コンビニの制服の上からお気に入りのパーカーを羽織り、深夜連帯勤務の森谷さんに引き継ぎます。軽く会釈した後、来店を知らせるチャイムと共に外へ。


「あ……」


 先輩、

 とは、声に出来ませんでした。

 高校の一つ上の先輩で、コンビニバイトの……後輩?口に出すのは憚られますので、勤務中も名前にさんを付けるか、先輩で通しています。

 そこまで考えて、ふと思い出します。そうでした、今日は金曜日でした。

 金曜日は、ちょっとシフトが特殊と言いますか、ややこしいと言いますか、

 まず、周辺店舗(酒屋)が開いてなかったり、パチンコ屋が休業日だったりと元々ご来店なされるお客様が少ない事は確定しているのですが、センターの配達便が一人で補充可能な量で、さらにマネージャーの都合がよく合致しシフトに組み込まれていたりと様々な要素が噛み合って森谷さん一人でも十分に出来る仕事量なのです。

 うちのオーナーは、これ、人には決して言えないのですが、些か……まあ、その、あまり人件費を掛けたくない方なので、ご自分でも体験した事があるらしく、金曜日の準深夜、深夜帯は一人で出来るだろうと森谷さんにお任せしています。

 個人的な感想としては、その?帰りはえぇ、せ、先輩とご一緒出来るので?まあ、吝かではないと言えばないのですが?

 私より一足先に退勤した筈ですが、誰かを待っているのでしょうか?ーーもしかして……なんて妄想をすると頰が熱くなります。

 缶コーヒーを傾け、絵になっている先輩を眺めていると、白い軽自動車が視界に入ります。マネージャーさんの車です。

 どうやら今日は、都合が合ったみたいですね。先輩も後ろを向いて軽く会釈をしています。私も、それに倣ってペコリ、と。印象、大事です。

 軽自動車から降りて来たマネージャー……40代後半の快活なおばちゃん、と言う印象の女性です。この時間帯でも薄着半袖がその印象を決定付けています。

 軽くパーマをかけた髪に手櫛をしながら私と先輩に手を振って来ます。とてもフレンドリーですね、関西圏のおばちゃんのイメージを体現したような方です。


隠家おきや君に大町さん?まだおったん。早よ、帰りよ」

「こんばんはです、佐野さん。今からお仕事ですか?」

「ん、あー、明日、明後日の商品の注文。やっぱ、客もよぅさん来るでなぁ」


 佐野さん……マネージャーさんの名前なのですが、少し、男性っぽい関西弁の使い方なのです。別に気にする程の事でもないですし、なによりその唐竹を割ったような性格を好む常連の方も沢山いらっしゃいます。

 因みに隠家君が先輩で、大町さんが私です。誰とは言いませんが珍しいお名前だそうで。


「こんばんは、自分はこれ飲んだら帰ります」

「そうか。…………大町さん」

「はい?」

「女の子が一人で帰るのはちと、危ないやろ。誰か、一緒に帰ってくれる頼りなる先輩とかおらんの?」


 …………わざとらしい!わざとらしいです佐野さん!何ですかその作為的に富んだ眼は!「ケケケ」なんて猫の様な笑い方する人初めて見ましたよグッジョブッ!


「ええぇまあ?確かに心細……いような?アー、何処かに頼りなる先輩はイナイカナー!?線は細いけど以外とがっしりしてて背は低いけど実は隣にいると目線一つ高くて童顔で女顔の癖によく言葉遣いが男の子っぽくて偶に優しい所を誰彼構わず見せる罪作りな先輩はイナイカナーーーー!?」


 こうなりゃヤケですよ、ええ。佐野さんもきっと応援してくれている筈………!


「じゃ、私仕事やから(監視カメラでばっちり見せてもらうねっ!)」

「佐野さぁーーーーんっ!?」


 佐野さん……

 どんどん声量が萎んでいくのが分かります。さっき風邪を覚悟とか言って癖に冷や汗が止まりません。なんか逆に風邪をひきそうと言うかもう気絶したい。


「大町さん」

「、 はいっ!!」

「気遣いが足りませんでしたね、すみません。今日は用事があるので急ぐ事になりますが、それでもよろしいですか?」

「ーーーーっ。ぜんぜんっ、問題ない、ですっ!」

「な、何故泣いているのか分かりませんが、行きましょうか」


 飲み干した缶コーヒーを捨て、先輩は先を促します。

 これは、世に聞くレディファーストと言うやつでしょうか?我が人生において初めて見ましたよどんだけ報われてないですかちくしょう。

 コンビニ前の横断歩道を渡り、その少し先にある住宅団地に私の家があります。歩いて10分とかかりません。

 田舎特有の畦道や田んぼも、先輩と帰ればネオンが降り注ぐ市街地ですよええ。私、両生類、爬虫類共にダメなんですが、蛙の鳴き声でさえコーラスに聞こえてしまいます。補正って便利ですね。

 そう言えばふと、気になったのですが先輩の御自宅は何処なのでしょうか?いえ、突撃する気は全くと言ってないのですが、そう、あくまでも把握だけはしておきたいというか何というか。私今、登校用の自転車を押しているのですが、先輩は運動が苦手と言う話を聞いた事がありません。寧ろ得意な筈です。であれば、自転車を使わず、かつ夜道でも帰られる圏内に御自宅がある訳で、

 と言うわけで、聞いてみました。確実性を出す為ですよ?


「そう言えば、先輩の御自宅はどちらに?」

「気になりますか?」

「はいっ…………今後の為にも、そう、後学のために!」

「後学の為……ですか?まあ、ここから程近い場所ですよ」


 そう言って、先輩は言葉をはぐらかします。以来、5分くらいは時間があった筈ですが、よく覚えていません。

 少なくとも、御自宅の場所を聞き出す事は叶いませんでした。

 ふと気付けば、もう我が家は目の前です。時間を跳んだような、奇妙な酔いが頭の中に広がります。名残惜しいのか、はたまた満足したのか、ただわかっている事は、既にあんなにも降り注がれていたネオンは光のカケラもなく、寝苦しい夜を更に不快なものへと誘う蛙の鳴き声がハーモニーっていると言うことです。コーラス?食べ物の名前ですかね?


「では、これで」

「あの、」

「はい?」

「差し支えなければ、先輩のご用事を、お聞き、したいなぁ……と」

「……そうですね、答えは、『聞かない方が良い』ですか、貴女の為にも」

「………陰謀的な、何かですか?」


 私は、冗談のつもりでした。


「それ以上踏み込んではいけない」


 冷たく、鋭く、ピシャリと、突き放すような声色。ああ、これ以上は聞いてはいけない、と本能で理解しました。

 ーーだけど、


「では、おやすみなさい」

「はい、すみませんでした…………おやすみ、です」


 だけどその、覚悟を決めたような横顔が、なんだか二度と会えなくなるような気がして、私は母に、友人宅に泊まるとメールをしました。

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