第2話 努力も、才能も、運も、挑戦も

 T大学内の学食。

 昼時だけあって多くの学生達で賑わっている中、総士は恋人である片平綾那と一緒に昼食を取っていた。

 本来であればカップルらしく、甘い時間が二人の間に流れてそうなものだが、現実は割りと淡々としていた。

「でー、けっきょくー駄目だったんだー」

「・・・・・・ああ、そうだよ。駄目だったんだよ」

 二百回目の不採用通知が届いてから数日。

 あれから更に二社の結果が来ていたが、総士の不機嫌そうな顔が全てを物語っている。

「そーちゃんは節操無しっていうか、器用貧乏?あっちこっち色々やり過ぎなんだよー」

「俺はやれる事をやっているだけだ」

「そうだねー。確かにそーちゃんは勉強だけじゃなくてボランティアとかサークル活動にも積極的だったよねー。そのお陰でー私達も今こうして一緒にいるんだし」

 総士と綾那が出会ったのは大学二年の時、校内イベントの実行委員を務めたときに知り合い、打ち上げの席で綾那が総士に告白して、付き合うようになったのだ。

「うん。やっぱりそーちゃんの良いとこって、目的の為には行動力が尽きない所だよね」

「別にそれくらい普通だろ?むしろ最近は就活しかできないから中途半端に時間が余って暇でしょうがない」

 携帯にスケジュールを表示させながらぼやくその顔は、本当につまらなそうな顔だった。

 スケジュールで数日置きに何かしら予定が入っている。しかし彼にとってこの埋まり方は不満しかない。

「ふつー毎日二、三件予定が入っている人なんて、そんなにいないよー」

「二、三件なら楽勝だろ。キツイのは三十分単位になってからだ」

 基本的に毎日がスケジュールが埋っていないと、落ち着かない性分。

 ただ、この性分が裏目に出た時も少なからずある。

「いやー、デートの時に数分単位で行動させられたのは流石にきつかったですなー(笑)」

 初めてのデートの時も総士はスケジュール帳びっしりにプランを検討したのだが、結果は散々だったのだ。

 今は少しだけペース配分を緩めるようになってはいるが、未だに根に持たれており、綾那の顔は笑顔なのにもかかわらず、背後から般若のようなオーラが出かねない雰囲気。

「い、いや、あの時は本当に悪かったって。それにあれ以降はちゃんと一日単位で予定組んでるだろ?」

「・・・・・・反省してるのやら、してないのやら」

 呆れながらも、綾那はそれ以上怒りを見せ付けなかった。同じような問答は、付き合い始めてから数え切れない程している。今更本気で怒る気にもならない。

「それで後、何回お祈りメールが来たら、うちに来てくれるのかなー?」

「・・・・・・そういう事の為にお前と付き合ってるんじゃない」

「えー、私とはー学生時代だけの付き合いなのー?」

「そういう訳じゃないんだが・・・・・・不順な動機でお前と付き合ってるわけじゃない」

 顔真っ赤にしながら純愛宣言するこの不器用男。

 基本、硬派で生真面目なのだが、変なところで天然で、時折見せるそんな部分に綾那は惹かれて告白したのだ。

 はっきり言って周囲からも天然バカップル認定されている。

「うーん・・・・・・惚れた弱みですなー。そーちゃんはキャワイイー!」

「・・・・・・かわいいは止めてくれ」

「えぇー、ダメー?」

「駄目だ」

「それじゃあー、就職できたら止めてあげるよ」

「・・・・・・お前なぁ」

「大丈夫。うちのお父さんには何時でも話を通してあげるよ」

 綾那の実家は大規模な農場の農業主をしており、綾那自身も卒業後は家業を継ぐ事になっている。

 その為に農業のノウハウや経済学等、経営に必要な勉強をする為に大学に通っている。

「だからな・・・・・・はぁー」

 就職活動をする上で、今も昔も変わらな友好的な手段、それはコネクション、コネを使うことだ。

 あらゆる仕事が機械によって全自動化されても、取引相手は人間であり、その人間を雇うのも、また人間。

 だから人との繋がり=コネクションを有している事は、何事においても友好的な手段なのだ。

 しかし総士はあまりコネに頼りたくないというこだわりがあった。

 実際にはこだわりという程大したものでもないのだが、何事も自分の実力だけでチャレンジしたいという、若さ故の社会に対する反発心があったからだ。

 なお、このこだわりによって得られるメリットは特に無い。自己満足が精々だ。

「・・・・・・タイムリミットだけ教えてくれ。どうしても駄目な時は素直に頼るよ」

「はいはい、後でパパに聞いとくから。あ、そうだ。そーちゃんの実家に行く日取りも調節しないとね」

「違うからな!婚前の挨拶じゃなくて面接の為だからね!」

 今にも本気で予定を組み立てようとスケジュール表をいじっているその手を、こちらもまた本気で制止する。

「え?うちに就職するって事は私と結婚するんでしょ?」

「だから何故、今このタイミングで結婚するとかっていう話になるんだ?しない!・・・・・・とは、まぁ、その、言わないが、そういうのは何ていうか、ちゃんと俺が稼げるようになってからにしたいというか・・・・・・」

 男としてのプライドや矜持を傷つけられた事に怒りながらも、同時に気恥ずかしい本心のせいで、どんどん赤面しながら声がか細くなっていく総士。

「そーちゃんキャワユス。デレに慣れてない感じがキャワユス」

 その様子を、まるで小動物でも見るかのように朗らかな笑顔で眺めるのが彼女の日課であり、ライフワークになっていた。

「ダァー!もういい!もう行く」

 周囲からの生暖かい視線や彼女からの甘ったるいオーラに耐え兼ねて総士は席を立つ。

「ふふふ、ごめんごめん」

 ちょっとからかい過ぎちゃった、と舌を出しながら、綾那も席を立って総士の後を追う。

「待って待って。土日は時間有るでしょ?」

「ん?まぁ特に予定は入っていないが、なんだ?どっか行きたいのか?」

 食器を返却口に返してから、綾那は携帯であるサイトを開いてそれを総士に見せる。

「これ凄くない?現役女子校生画家の個展が近くでやってるんだって」

「女子校生の画家?確かに凄く珍しい話だが・・・・・・ふむ」

 その話を聞いて、先日出会ったスケッチブックを片手に静かに佇むゴールデンレトリバーのような髪の少女の姿が脳裏を過ぎる。

「あれ、もしかして興味無い?」

「いや、そうじゃないんだが・・・・・・そうだな、たまにはそういうのに触れてみるのも悪くないかもしれないな」

「おー珍しく乗り気だね」

「そうかもな」

 理由は単純だ。この間出会った少女の事をなんとなく思い出し、興が乗っただけの話。

 もう一つ理由を付け加えるとすれば、就職先が決まった時の為に、あえて土日は準備期間として、ある程度自由に時間が使えるようにしていたのだ。

「・・・・・・断じて心の中でも泣いてはない」

 息抜きも時として大事だ。そう心に言い聞かせるように呟く。

「そーちゃんは生真面目だからねー。私としてはそういう所も込みで紹介するに値すると思ってるんだけど」

 背中を優しく叩きながら彼女は、それ以上は何も言わなかった。

 それから数日後の土曜日。

「・・・・・・おい、どういう事だ?」

 駅前で携帯に映し出されている寝間着姿の恋人の姿を見ながら総士は額に青筋を立てていた。

「ごーめーん、ラブダン、生で見ながらみんなと喋ってたら、つい白熱しちゃって」

 ラブダンとは現在好評放送中の女性に大人気なアニメの略称である。

 綾那もこのアニメの大ファンであり、総士もその事は知っていた。

 というか半ば無理やり勧められる形で見せられている。ちなみに内容は男性同士の濃厚な恋愛物語である。

「・・・・・・それで何時に寝たんだ?」

 余り思い出したくない話題に触れないよう、表情を変えずに尋ねる。

「えーっと、午前五時くらいかな?」

 現在の時刻は午前十時を五分程過ぎていた。

「待ち合わせは十時だったと記憶しているが?それとも午後十時だったか?」

「ごめんなさい、午前十時で間違いありません」

「全くお前は。農家というのは早起きが定石だと思っていたが」

「あー、それは偏見だよー。今時手作業で収穫とかー流行らないんだからー。起きるのなんて一人か二人もいれば十分だよー」

 現代の農業は、全自動の作業用ロボットを起動させ、監督する人員さえいれば全て事足りてしまう。

 それが可能なほどに技術が進歩している事を、別に知らない訳じゃなかった。

 むしろ皮肉のつもりで言っている。

「知ってるよ。むしろ今時、肉体労働なんてやる奴いないだろう。てか雇ってくれる会社が、まず無い」

「あははーそうだねー。うちでもメンテの人くらいしか肉体労働なんて無いよ」

「ともかくだ。後どれくらいかかるんだ?」

「えーっと、もろもろ準備してー駅まで行くのに二十分くらいでぇーえー・・・・・・」

 彼女が朝に弱い事や準備にも時間がかかるタイプなのは二年以上付き合ってきて既に分かっている総士はそれ以上は追及しなかった。

「あーもういい。俺は先に行ってるからさっさと来い」

「うー・・・・・・ごめんなさーい。できるだけ早く行くからー」

 綾那が遅刻するのは別段珍しい話ではなかった。なので総士もいちいち本気で怒る事は殆どしない。

 怒った事があるのは二回だけ。

 一回目はボランティア活動で始めて出会った時、総士がまとめ役をしていて綾那が盛大に遅刻した時。二回目は付き合い始めてから最初のデートの時、一緒に寝ていたにもかかわらず綾那があまりにも起きなかった為、半ば発狂気味に切れた時だった。

(ベッドから落とされても起きない奴が現実にいるなんて思わんよな、普通)

 毎朝きっちり同じ時間に起きられる総士からしてみたら想像できない話だった。

 そんな大変寝起きの良い総士であったが、綾那からは逆に「朝五時に寝て朝七時に起きられるとか、普通はできないよねー」と思われていたりする。

 これ以上、駅前で留まっていてもしょうがないので、総士は一人で電車に乗って個展の会場に向かった。

 場所は既に聞いていたので特に問題なかったがチケットは綾那の名義で取っている為、入場する為には、どの道彼女を待たなくてはならない。

(さて・・・・・・近くに暇潰せる場所なんかあるかな?)

 携帯で検索してみると会場であるコンベンションセンター場内に喫茶店等がある事が分かる。

(ムンバか・・・・・・不味くは無いんだけどなー)

 入っていたのはムーンバリスタ通称ムンバという全国チェーンのお店だったが、若干は気乗りがしなかった。

(この間の喫茶店のコーヒーが上手すぎて、あれからあんまり他のコーヒーが美味く感じなくなっちまったんだよな)

 そんな事を考えている内に電車は目的の駅に到着する。

「っと、すみません、降ります」

 少し込み合っていた車内からホームに降り立ち、特に迷うことなく駅を出ると徒歩数分の所に目的地であるコンベンションセンターがあった。

 ここに来たのは初めてだが、テレビとかで何回か見たことはあったので特に迷う事も無い。

「えっと・・・・・・入ってすぐの所に・・・・・・あ、あった」

 中に入り、お目当てのムンバを見つけると早々にコーヒーを注文して適当な席に腰かける。

 とりあえず綾那に既に到着した事をメールすると、直ぐに返信が帰ってきた。

「四十分くらいか・・・・・・昼になっちまうじゃないか」

 だからといって他にする事がある訳でもないので、大人しくコーヒーを飲みながら入り口で貰った個展のパンフレットを広げる。

(そういえばどんな個展なのか、あんまり詳しく聞いてなかったな。確か現代美術とかって言ってたか?)

 星宮緋色絵画展と銘打たれた今回のイベントは、この星宮緋色という画家のデビュー三年目という事で開かれたもので、主な作風である半抽象画等を中心に様々な作品を展示していた。

 その中の幾つかの作品は、実際に競売にもかけられており、個展終了日までに一番高値を提示した顧客が購入できるようになっている。

(無職には縁遠い話だな。まぁ、働いていたら、こういう嗜好品にも手を出してみたくなる気持ちはわかるな)

 生活保護は毎月二十万円。普通に生活していくのには十分な額が支給されてはいるが、贅沢ができる程の余裕はない。

 そのせいか東京都の人口は最盛期を誇った2070年代に比べると70%程度まで減っていた。

 特にこだわりのなかった人々は、物価の高い東京よりも、物価が安い地元や田舎の方に早々に出て行ってしまったのだ。

(所得税だけで最大90%。一万稼ぐだけでも大変な世の中だっていうのに、百万とか平気で出せる人がいるから驚きだよな)

 一部サンプルとして絵画の始値が表記されていたが下は一万から、一番高いもので一千万円以上と、はっきり言って未就労者が買える様な物ではなかった。

「格差社会の極致だな。まぁ、まともに生活できるだけ日本はかなりマシだが」

 国民生活保障制度、或いはこれに類似した制度がちゃんと機能しているのは、日本を含めた一部の先進国だけで、殆どの国は貧困と格差によって内乱が十年以上に亘って続いている国も珍しくなかった。

 全自動機械化によって真っ先に影響を受けたのは、それまで低賃金で雇用されてきた新興国の人々だった。初期投資こそ莫大な資金が必要な全自動機械化だが、長期的に見れば作業員を雇うよりも割安になる。

 何より一番のメリットは、わざわざ危険な海外に生産の拠点を置く必要が無くなった点だ。

 自国に全ての生産拠点を置く事で、それまでかかっていた輸送費の削減や品質維持のしやすさ、他国の情勢や治安に左右されなくなった点も、多くの企業が密かに喜びの声を上げていた。

 しかし喜んでいたのは仕事を提供していた先進国側だけの話に過ぎない。

 多くの企業の撤退により雇用が失われ、自力で産業を生み出す事が困難な多くの新興国は、その収入源を奪われる形になった。

 収入源を奪われた国は財政難となり、不況の波は国民へ押し寄せる。

 結果、毎日のように暴動やテロに関するニュースが報道されていた。

(けど日本を始めとする先進国の殆どは、自分たちには責任が無いと言って見向きもしない。酷い話だよな)

 そういった国際問題については総士自身も思う所があるが、だからといってそれを打開できるとまでは思わなかった。

 所詮は何の力も権力も金もないただの一般人。

 何かできると思う方が思い上がりというものだろう。できる事といったら募金でもする事か?

 ただ、無職ではその募金すら許されていないのだが。

「・・・・・・まったく、つまらない話だな。今日は息抜きじゃなかったのか?」

「何がつまらないんですか?」

「あん?なに、無職の人間には縁遠い世界だなと思・・・・・・ッン!?」

 いつの間にか誰かと会話している事に驚き、パンフレットから顔を上げる。

「こんにちは。またお会いしましたね」

 テーブルの横に立っていたのは、先日合席した少女だった。

「な、え、君は確かこの間の?」

「偶然ですね」

「あ、ああ、そうだね。今日はどうして?あ、君もここの個展を見に来たとか?」

 少女は軽く首を横に振りながら答えた。

「いいえ、どちらかといえば関係者です」

「関係者?ああ、この間待ち合わせていた人とかがって事?」

 再び少女が首を振る。

「私が個展の主催者・・・・・・と言っていいのでしょうか?まぁ私の個展です」

「君の?ん?どういう意味?」

 この少女が何を言っているのか、総士にはよく分からなかった。

 個展の主催者と言う事はこのイベントのプロデュースでもしたというのか?

 いや、それだと主催者じゃなくてプロデューサーか?

 いずれにしても目の前にいる女子高生が主催者というのは結びつきにくい話だ。

「そういえば自己紹介してませんでしたね?」

 少女が手を叩きながら思い出したかのように言う。

「え?あ、ああ、うん、そうだね?確かに自己紹介とかはしてないね」

「ですよね。それじゃあ改めて。私は星宮緋色。一応プロで画家をしています」

「星宮緋色・・・・・・星宮緋色!?え、それってもしかして!」

 パンフレットを開いてみて先程見た名前を探す。

 そしてその名前と一緒に写されていた写真に眼をやる。

 二度三度、写真と目の前の少女を見比べてみると、確かに写真の方はメイクや髪型がきちんとセットされているが、間違いなく目の前の少女と同じ顔だった。

「やっぱりお兄さんは知らなかったんですね?」

「あ、ああ。芸術とかも、あんまり詳しくないな」

「テレビとかもあんまり見ないほうですか?何回か出てるんですけど」

「朝のニュース位しか。それも飯とか出かける準備とかしながらだから殆ど」

「見てくれてなくて良かったです。正直な話、本当は人前に出たりするが嫌いだから猫被ってるんで」

「はぁー・・・・・・」

 間の抜けた声しか出せなかった。

 偶然合席した少女が、プロの画家でテレビにも出ている様な有名人だったなんて世の中に、そんな体験をする人間がどれだけいるだろうか?

「それじゃあお兄さんも自己紹介してください」

「へ?」

「へ?じゃありません。自己紹介をされたら、返すのが筋だと思いますが?」

 頬を膨らませながら迫ってくる緋色にたじろぎながら、慌てて総士は自己紹介をする。

「は、はい。えっと、青柳・・・・・・総士です」

「青柳さん?漢字は色の青に植物の柳でいいんですか?」

「あ、ああ」

「青柳・・・・・・青い柳ですか。うん、なんか面白そうな絵が描けそうなお名前ですね」

「・・・・・・何その基準?」

 今まで生きてきた人生の中でそんな喩えをされた事なんて一度も無いし、多分二度と使われない喩え方だろうと内心戸惑いながら、とりあえず疑問に思っている事をぶつけてみる。

「えっと、その星宮さんは」

「呼び捨てでいいですよ。さん付けとか先生みたいな敬称で、年上から呼ばれる虫唾が奔るんで」

 虫唾が奔るって、どんだけ嫌がってるんだよ。と思いながら総士は言われたとおりに呼び捨てで彼女を呼ぶ事にした。

「ああ、うん、わかった。それじゃあ星宮」

「はい、なんでしょう?」

「プロの画家だって言ってたが、君は高校生じゃなかったのか?」

「高二ですよ。別に画家になる為に年齢制限なんかがある訳じゃありませんから、不思議じゃないでしょ?」

「そりゃあそうかもしれないが、ようは二束の草鞋ってっことだろ?」

「そうですね」

「いや、簡単に言うが、普通ありえないだろう?」

「んー、そうでもないですよ?」

 指で数えながら緋色はサラリと答えるが、世間的には早々お目にかかれる存在ではない。

 今や貧困に喘ぐ国であっても、就労している子供は殆どいないのが現状である。正確に言えば、働きたくても仕事が無いという方が正しいのだが。

「・・・・・・とりあえず君が働いている事や個展の事も分かった。それでどうしてここに?」

「どうしてって、関係者ですから」

「いや、そっちじゃなくて」

「ああ、青柳さんの所に来た理由ですか?たまたまですよ。暇だったんでお茶でもしようと思ったら、見覚えのある人物がいるなと」

「はぁー・・・・・・よく気が付いたね。よく特徴の無いが無いのが、特徴とか言われるんだけど」

 自分でも言うように、総士の容姿はとりわけ珍しい要素が少ない。

 輪郭は普通に男性的で、眼は細くも大きくなく、鼻の形は日本人らしい低めな感じ。唇も厚くなく薄くもなく、その他黒子やほりは殆ど無い。髪形も軽く前髪は後ろに流している位。

 ハッキリ言って何処にでもいると言われれば、そうかもしれないと誰もが頷くような顔だ。

「特徴が無さ過ぎるからですよ」

「え?」

「人間大なり小なり何処かしらの特徴があります。でもお兄さんにはそういうのが非常に少ないんですよ。身長、髪の色、体格、顔。どれをとっても特筆すべき点が思いつかないんですよね。だから特徴が無いのが特徴の人って覚えてました」

「・・・・・・そんな覚えられ方、始めてされた」

 不思議な気持ちが総士の心に刺さる。それが初めて自分の特徴の無さを肯定された嬉しさなのか、それとも特徴が無いという事を肯定されてしまった事への悲しみなのか。

「そうなんですか?私はその覚え方が一番簡単だと思ったんですが」

「なんだか複雑な気分だよ」

「私はとても面白い人だと思ったんですがね」

「面白い?何処が?」

「さっきも言いましたけど人間は差異があって当然です。お兄さんの場合、人と違う所は特徴が無い事。それって立派な個性じゃないですか。確かに何処にでもいそうな人かもしれません。ですが完全に一致する人はまず存在しないでしょう」

 緋色の力説に納得がいかない、といった表情で総士が言い返す。

「・・・・・・何故そう言い切れるんだ?」

「例えば双子でも全く同じ子が生まれてくるわけじゃないでしょ?」

「それは・・・・・・そうかもしれないが」

「専門家では無いので間違っているかもしれませんが、遺伝子操作で作られたクローン人間でも完璧な同一固体を作り出す事はほぼ不可能でしょう。生まれて直ぐなら違いも少ないかもしれませんが、後天的な要素まで100%同じにする事なんて、まず無理ですしね」

 ぐうの音も出ない。いや、自分が遺伝子工学等の専門家であれば反論の余地も有っただろうが、それ以上に理屈を語る彼女の表情に総士は戸惑いを隠せなかった。

「・・・・・・なんで、そんなに面白そうなんだよ?」

 まるで面白い玩具でも見つけた子供のように目を輝かせる目の前の少女に、自分がいかにつまらない人間かを見透かされているような不愉快さすら覚える。しかし緋色はそれを承知の上で答える。

「面白い方が人生を豊かにしてくれるからですよ」

「面白い方が・・・・・・人生を豊かに?」

「つまらない、興味が無いと切り捨てるのは簡単ですよ。でも何か切り捨てると一緒に他の大事な部分まで削れてしまうんですよ。そういうのが積み重なるといつかは、好きだった筈のものでも心が動かされなくなっちゃうんですよね」

 総士は黙ってそのまま話を聴く。

「私も若輩ながら芸術を志すもの。心や感性が動かなくなってしまったら、それこそ芸術家としての死ですからね」

「君が創作のために何事にもポジティブに受け止めている事はわかった。だが非常に小ばかにされたような気分で不愉快なのだが」

 どうしてここまでハッキリと嫌悪感を口にしてしまったのか自分にも分からなかった。本当はこういう本心は押し殺して流してしまった方が余計なトラブルも防げるだろうに。

 だから口に出してから後悔した。余計な事を言ってしまったと。

「不愉快・・・・・・それはすみませんでした?」

「・・・・・・なんで疑問系なんだ?」

「いえ私としては賞賛のつもりだったので。しかしお兄さんが不愉快に感じたのなら、そうなのでしょう。ごめんなさい」

「・・・・・・たく、なんなんだよお前は」

「友人達からは、歯に着せた絹すら噛み切る毒舌女王とか言う不名誉な称号を貰ってます。どうせなら毒舌女王じゃなくて純粋女王と呼んで頂きたいものです」

 その友人達の評価は至極全うだろう。おまけに、自分で純粋とか言ってしまう彼女の傲慢さには、呆れて声も出せない。

「おや、その顔は私の事を傲慢な女だとか思って呆れてますね?」

「いや、なんとういうか・・・・・・前会った時とキャラ変わってないか?てか、今、気がついたが今日は眼鏡もかけて無いんだな」

「眼鏡は伊達ですよ。まぁ、確かに始めて会った時は流石に余所様向けな対応でしたが」

 あれでも押さえているつもりだったのがと頭を抱える。確かに最初は大人しそうな子だと思ったが、一度熱が入ると結構熱弁を振るうタイプだと言う事は初対面でも何となく分かっていた。

「だったら、もう少し押さえるんだな」

「気には留めておきます」

 押さえるとは言わないのが緋色流。

「留めるだけかよ」

「新しい刺激というものはとても尊いものですからね」

「・・・・・・新しい・・・・・・ねぇ」

 新しい。その言葉は必ずしもポジティブな意味合いになる訳ではない。少なくとも総士にとっては。

 ――何が最新技術よ!あんなもの必要無いのよ!あんなもの人間を堕落させる悪魔の所業よ!

 ――俺達が劣っているわけが無いんだ。だって俺達はあの仕事を十年以上やってきたんだぞ。

 ――私達の仕事を返してよ!私達はまだ働ける、いいえ、働かなくちゃいけないの!

 ――仕事をくれ!仕事が無いと子供が・・・・・・俺達の子供達が!

 嫌な記憶が脳裏を過ぎる。自分も両親も苦しみ続けた幼少期の記憶。物心が付く前であるにもかかわらず、くっきりと思い出す事ができる記憶。

「・・・・・・さん?大・・・・・・ですか?お兄さん」

「ッ!つか・・・さ・・・」

 その場にはいない誰かの名前を呟いた総士の目の前には、緋色が不思議そうな顔をしながら覗き込んでいた。

「・・・・・・?私の名前は緋色ですよ」

「え?あ、ああ、うん。そうだよな。星宮緋色だよな。うん」

 総士は自分の呟きに一瞬気づいていないようなリアクションをとったが、すぐに余計な呟きを漏らしてしまったと苦虫を噛み潰した顔になっていた。

「どうしたんですか、突然上の空になって」

「いいや、なんでもない。とにかくだ。人と話したいんだったらもう少し言葉を選べ」

「はぁー・・・・・・まぁ気をつけます」

 緋色はあまり釈然とはしていない様子だったが、総士はうな垂れるように俯きながら頭を振っているのを見て、それ以上は詮索しなかった。

 一息ついてから総士は携帯を確かめる。綾那が来るまではまだ暫く時間がかかりそうだ。

「ッ、まだ暫くかかるか」

「待ち合わせですか?」

「ん?ああ、彼女だよ」

「おお、つまり私の個展でデートですか。ふむふむ、そういう来場客もやっぱりいますよね」

 話題の切り替えに丁度良いといった感じに緋色は少し声色を上げ目に言う。

「なんだ?カップルお断りってか?」

「いえいえ、大歓迎ですよ。私の描いた絵で皆様の思い出の一ページが刻まれれば恐悦至極の至りってやつです」

「そうかい。まぁ、その誘ってきた張本人が寝坊して盛大に遅刻したんだがな」

 フフフと笑いをこぼしながら緋色は空いている椅子を指差しながら言う。

「それじゃあ今回は逆ですね」

「逆?ああ、そうだな」

「合席していいですか?そろそろ脚が疲れてきました」

 言われてみれば、先程からずっと立たせたまま話していた事に今更ながら気づき、申し訳無いと、席を勧めた。

「ありがとうございますね」

 元よりこんなに長々と話すつもりも無かったので失念していたが、こういう気が回らない所が自分のダメな所だと思う。

 もしかしたら面接の時とかでもそういう所が見透かされているのかもと思うと嫌気が挿した。

「それで、いつまでいるんだ?」

「今日は一日中いますよ。トークショーも午後にもう一回やらないといけないし、その後はVIPと挨拶等もあって、面倒くさい事この上ないです」

「そういう意味じゃない。何時まで俺に構ってるつもりかって聞いてるんだよ」

「さて?一時までに戻ればいいので、それまでなら幾らでも」

 つまり待ち人が来るまで、この少女と顔をつき合わせてないといけないのかと思うと、総士はどうしたものかと途方に暮れていた。

 逃げる様に去る事もできるがどの道、綾那と合流したら、戻ってくる事になるのだから、そこでまた会ったら気まずい事この上ない。

 しかし、適当な世間話以外で今時の女子高生と放せる話題など総士のボキャブラリーには殆どなく、とりあえず気になった単語などをピックアップしてどうにか話を続ける事にした。

「VIPってのは?どこぞの金持ちがお前の絵を買いに来るってか?」

「それもありますし、後は著名人やスポンサーの方達とかですね」

「面倒くさいとか言ってたけど?」

「オッサンやオバサンとか嫌いなんですよ。近くにいると体臭とか化粧品なんかの臭いはキツイし、贅肉と自尊心で凝り固まった感性や品性の乏しさは見るに堪えません」

 本当に嫌そうな顔をして話す彼女に、総士も苦笑しながらそれに同意した。

「散々な言い方だが、何となくわかるよ。尊敬に値する人なんて本当に一握りだと俺も思う」

「そうですね。経験論ですけど、良い人は往々にして引き締まった体と自己主張しない謙虚さを持ってると思うんですよね」

「分かるわー。この間の喫茶店の店長さんなんか正にそうだよな。なんて言うの?ナイスミドルっていうのか?」

「そうそう、そういう感じのです。でも残念な事にそんな人、十人に一人もいないんですよね」

 その通りだなと、総士はフッと最近印象に残ったある人の事を思い出した。

「あー嫌な事思い出してきた」

「なんです?」

「面接受けた会社で一社だけ自分から辞退した所があってな。そこの面接官がもう酷くて。デブでバーコード頭で、秋頃なのに汗が凄くて、おまけに話してる最中でもクチャクチャと口をずっと動かして、何言ってるのかも分からないほど聞き取り辛い話し方で。しかも履歴書や他の資料の扱い方が雑で、こっちの話してる事もどれだけ聞いてるんだって感じだったんだよ。そんな不摂生、不道徳、不勉強、怠惰で傲慢そうな人が人事部長とか、そもそもの会社の質そのものに疑問を持ってな。最後はその場で辞退さ」

 余談だが、この時の総士の決断が正しかった事を知るのは、これから数日後の事だ。

「分かりますよ。私もたまに企業から創作依頼されるんですけど、良い会社と悪い会社って一目見ただけで何となくわかっちゃう時があるんですよね」

 これについても総士は一家言持っていた。

「それなら取敢えずオフィスが汚い会社は駄目だな。面接日なのに対面を気にしてないってどうなんだろうな?」

「女性比の高い会社は結構綺麗な所が多いですよ?」

「女性が多い会社かぁ。そういえばそういう会社にはエントリーした事が無いな」

「オッサンは駄目です。私と如月さん・・・ああ、傘買ってきてくれた女性なんですけど、二人で行くと必ずイヤらしい眼で見てくるんですよ」

 どんな女性だったか記憶を辿ると、確かにボーイッシュな感じであったが、明朗快活そうでスタイルの良い美人さんだったかもと、ボンヤリ思い出す。

 なるほど確かに二十代の美人営業と新進気鋭の美少女画家が相手なら、どんな男でも鼻の下が大なり小なり伸びてしまうのも納得だった。

 総士自身も全く鼻が伸びないかと聴かれたら自信はなかった。

「そういえば結構な美人さんだったような?でも皆が皆そこまで露骨じゃないだろ?」

「いえいえ、割と露骨な人が多くて、酷く幻滅させられました。友人達や級友達にも就職先としては、とてもお勧めできない会社が殆どですよ」

「そりゃあ確かにそうだな」

 いかに技術が進歩しようと何時の時代であっても、人間の欲求に性欲がある以上、セクシャルハラスメントの問題は不変の課題である。とりあえず総士は、実害が無かったり犯罪で無ければ、多少は大目に見てもらいたいという自論を胸に秘めている。

 勿論こういう事は言わぬが花というやつだろう。

 言ったら最後、世界中の女性を敵に回しかねないので、これ以上ボロが出ないようにお茶を濁す事にした。

「まぁ、なんだ。君は働いてるんだから、良いコネだけを貸してあげればいいんじゃないか?」

 少し唸りながら緋色は首を横に振る。

「うーん、言うほど私のコネなんて大したことありませんよ?」

「そうなのか?さっきまでの口振りだと、結構大口の取引とかもあるんだと思ったが」

「絵画はあくまで娯楽、嗜好品ですから。ファンの人はいてもビジネスパートナーという意味での繋がりはあんまり無いんですよ」

「そういうもんなのか」

「そういうもんですよ。それに私の場合、基本的に絵画の売買は馴染みの美術商社に委託してますから、直接絵を売り込みに行く事は殆ど無いんですよ。行くのは直接来て欲しいと依頼された時だけで」

 やれやれと髪を後ろに戻しながら緋色は面倒クサそうにそう語った。

「美術商・・・・・・この間の、如月さんって言ったけ?」

「はい。あの人が私の担当をしてくれています。ですので私の絵が買いたくなったら彼女の方にご連絡を」

「・・・・・・さりげなく売り込むね?」

「お兄さんには特別に最初の一枚を10%オフでお売りいたしましょう」

「しかも微妙にけち臭い!」

「ダイジョウブデスヨー。ジューネンモッテレバ、バイノネダンデウレマスヨー」

 凄まじい程の棒読みをしながら何処からともなくカタログを取り出して総士の顔に押し付ける。

「やめい。今時外人でもそんな棒読みな売り込みしないだろ?」

 適当にカタログを払いのけながら、すっかり冷めてしまったコーヒーを啜る。

「分割ローンでも大丈夫ですよ。毎月一万円を二十年続けるだけで家宝が手に入りますよー」

「買わん!何が悲しくてそこまでしなくちゃいないんだ」

「駄目ですかね?ふむ・・・・・・ではもう少し安い絵を」

「価格の問題じゃない」

「そうなんですか?」

 咳払いをしてから真面目なトーンに声を戻してから総士は答えた。

「少なくとも働きもしないでそういう嗜好品を集めるべきではないと俺は思う」

「えー、別に好きな人は働いてなくてもご購入されますよ?」

「生活を犠牲にしてまで欲しくはない」

「そうですか。では働いてください」

 それを言われてしまっては立つ瀬がなかった。

「・・・・・・言われなくとも働くよ」

「しかし不思議ですよね?」

「何がだ?」

「どうしてお兄さんは就職できないんですか?」

 唐突な暴投に総士は思わず椅子からズッコケそうになった。

「・・・・・・こっちが聴きたいよ」

 よろよろと座りなおす総士を尻目に緋色はそのまま質問を続ける。

「T大と言ってましたが専攻は?」

「物理学だが?」

「物理学・・・・・・よくは知りませんが、理系だったら研究職や技術職とか」

 その質問に、総士は今日一番に難しそうな顔をしながら答えた。

「難しいな。研究だって他の奴等と比べたら俺のは別段レベルが高いわけじゃないし」

「じゃあなんで物理学を選んじゃったんですか?」

「いや、高校の時は理数系全般は得意だったし、いけるかなーって。でも実際に勉強して、いざ卒論を書こうってなった時になって気が付いたんだ。俺、これ向いていないって」

「・・・・・・お兄さん結構適当ですよね」

「いやそんな事はないぞ。いたって真面目に講義には出てたし、研究だって熱心に取り組んでいた。だが、なんというか・・・・・・うん、その、気が付いたら実験器具にすら触らせてもらえなくなっていた」

 突然現実味の無い答えに緋色は思わずスットンキョな声が出てしまう。

「はい?」

 しかし総士はそれを意に返すことなく大真面目な顔をしながら語る。

「なんでか俺が触るとデータがおかしくなるんだ。手順通りにやっても、他の奴に手伝ってもらっても何故か失敗するんだよ」

「普通そういう実験とかって、余程でたらめな事をしなければある程度上手くいくものじゃないんですか?」

 緋色の言うとおり、物理法則などは至って普通の世界である。別にファンタジーな世界などではない。

「その筈なんだが。教授曰く、これ程までに物理学に愛されていない人間は始めただと言われた」

「何それ怖い」

「試しに研究者とかの求人にも応募してみたんだが、見学に行った研究所が小火騒ぎになっちゃって」

 ほぼ一年前、会社説明会も兼ねた見学会に参加した時の事だった。いざ研究施設の見学になり総士も普通に見学していた。しかし研究室に入った途端、何も無い所で蹴躓いてしまった事が悲劇の始まりだった。

「俺が転んで、隣の女の子のスカートを引っ張っちゃって、巻き込まれる形で隣の人が殴られて、倒れてた拍子に明らかに触っちゃいけない機械にぶつかって・・・・・・なんだかマンガみたいな体験だったよ」

 さも面白い体験をしたかのように語るが、緋色の顔はホンマかいなと思わずエセ関西弁で突っ込みを入れたそうな表情だった。

「・・・・・・それ何処まで本当の話なんですか?」

「全部だが?小火自体は幸いにも直ぐに鎮火されたんだが、そこで大目玉を食らって以来、俺はそういう実験とか研究を行うような職場は避けるようにしたんだ」

 当然この事はネットニュースでも取り上げられていて、そこから総士は多くの企業のブラックリストにその名が刻まれてしまっていた。

「そりゃあ今の話を聞いたら疫病神以外の何者でもないですよね」

「そうだな。だが専門知識が殆ど使えなくなると幅は一気に無くなってしまってな」

「まぁ、誰でもできるような仕事なんて今時ありませんからね」

「畑違いの分野から応募してきた俺なんてどんな零細企業でも殆ど取り入ってもらえなかったよ。君みたいに俺にも何か才能があったらねぇ」

 ピクッと総士の一言に反応して緋色は一瞬硬直する。

「才能ですか?それは違いますよ」

 先程までの年相応の女子高生らしい感じから突然、様子が一変する。

「え?」

 攻守交替でもするように、今度は緋色が真面目な顔をして語りだす。

「私には才能なんてありませんよ。いえ、あったとしても偉大な先人達と比べたら私の才能は児戯に等しい」

「児戯って、百万とかで絵を売っている奴がか?」

 傍から聞いていると少々卑屈なのでは?とも思ったが、緋色は考えを曲げる気はないようだ。

「運が良かっただけです。私のセンスが今の時代にマッチしていた結果、評価されているに過ぎません。半世紀も時代が違かったらハッキリいってここまで評価される事もなかったでしょう」

「そういうものなのか?俺には芸術とかよく分からないから、なんともいえないが」

「物事には、すべからくブームという波があり、その波に上手く乗れるかが重要なのです」

「だから殆ど運任せだって言うのか?」

「そういっても過言ではありません。波を完全に読みきれる人間なんていませんよ」

「それじゃあ才能も努力も君は意味がないと言うのか?」

 彼女の理論に真っ向から食ってかかろうとする。だが彼女の舌はそれよりもどんどん加速していく。

「いいえ。才能も努力も必要です。ですが、それはあくまでスタートラインに立つまでの話。それまでに積み重ねてきたものによって有利不利が決まります。有利な位置に立てば、それだけ上手くいく確率も増えるでしょう。ですが、時として確率がほぼ0に等しい不利な位置だったとしても大番狂わせを起こす事もあります」

 果たして本当にそうなのだろうか?

 少なくとも総士には納得しなねる話だった。

「いいや、何の努力も無しに上手くいくなんてありえない!」

「いいえ、努力をしなくても、上手くいく人は上手くいきます」

「じゃあ、お前はどんな奴でもお前みたいになれるって言うのか?」

「なれるでしょう。お兄さんだって可能性が無い訳ではありません」

 なれているのなら、自分はこんなに悩んでいないはずだ。

「・・・・・・俺には無理だ」

 そう、それはとても受け入れ難い話だった。

「いいえ、できます。お兄さんが本気でやりたいと望むのであれば」

「本気で・・・・・・やりたいと望む?」

「できない人間は無理だの無謀だと諦めた、勝負を放棄した人間です。そもそも前提条件から間違っています。挑戦もしない人間には如何なる才能や運があろうと、成功はありえませんよ」

「ッ!」

 ハッキリと言い切る緋色の眼は鋭い刃の様に総士に突き刺さる。

「これは如月さんからの受け売りなんですが、勝負や商売の時は必ず不敵に笑ってみせろと。勝算がなくても勝てると信じ続けろ。そうすれば追い風は自然と吹いてくれると」

「そんな根性論で」

「根性論、大事ですよ。もっとも最良なのは、途方もない努力を積み重ねて、天武の才を持ち、不屈の心と覚悟を持った挑戦者であることなんですが」

「だが、それは暴論だ。世の中、みんな頑張っているんだ。それが報われないなんて」

 そうだ。自分だって努力の積み重ねはあるはずだ。

 だが、それでもできないものはできないんだ。

「おかしいですか?ですが現実とは残酷ですよ。いくら努力しようと才能があろうと、生まれてくる時代や不慮の事故、世の中どうしようもない事の方が殆どです。お兄さん、私はね、とても恵まれた時代に生まれてきたと思います」

 彼女はその言葉通りとても優しい顔をしながら、しかし対照的に総士はまるで世界でも恨んでいるような睨み顔になっていた。

「恵まれた時代?俺には最悪の時代にしか思えないがな」

「その辺は立場と価値観の差という事で。少なくとも今は戦時中じゃありませんし、表現の自由だって縛られていません」

「それは・・・・・・その通りだが」

「加えて、半世紀前から続いていたAIによる芸術活動ブームの衰退、これは大きかったですね」

 AIによる芸術活動は七十年以上の歴史があり、21世紀後半の一大ブームメントになっていた。

 過去にはAIには不可能だと言われていたが、技術の進歩や技術者達の変態的発想と努力によって、小説でベストセラー作品を作り出すことに成功したのだ。

 その事がきっかけとなり、絵画や陶芸、ありとあらゆる芸術活動へのチャレンジが始まり、最終的には後継者が居なくなり消滅の危機にあった伝統工芸の技術を完全に会得するまでに至った。

 歴史の保全という意味でなら、この成功は非常に大きい。

 しかし、22世紀に入ってからそれは陰りを見せ始める。

 何故なら人類は根本的な勘違いをしていたからだ。

「当時は創作的な仕事までAIに取って代わられるのではないかと、危惧されていたそうですが、現実は違いました」

「歴史の授業でやったな。AI黎明期の頃の話だろ」

「はい。現代でこそAIによる全自動化が進んでいますが、そこには当然無数の研究を積み上げてきたという歴史があります」

「結局、AIが作った作品に感動していたのでは無く、本当に感動していたのはAIの進化そのものだったって話か」

「そうですね。言うなれば子供の成長を見守るのと殆ど変わらなかったんです。でも気が付いたら十二分に成熟した存在になっていた。できる事が当たり前になってしまったんですよ」

「確かに今時AIが絵とか描いていても今更珍しくは無いよな」

 そう、ある時期からAIは過去に書いた同じ様な作品しか作らなく、否、作れなくなってしまっていたのだ。

「今のAIには芸術の本質を理解する事はできません。あくまで過去に評価されてきた作品のデータから導き出された黄金比をなぞっているだけで素人の眼は誤魔化せても、玄人には直ぐに見破られていました。まぁー、それを当時は言っても僻みとしか思われなかったらしいですが」

 進歩も衰退も無い。ただ、こう有るべきだという数値的な考え方でしかAIには理解できていなかったのだ。それは機械としては正しかったのかもしれないが、人間が求めているモノとは別のモノでしかなかった。

 一時代のブームこそ作れたが、結局はAIの歴史の一部となり埋もれていく事になるのは、ある種の必然だったのかもしれない。

「それって何処情報?」

「本です。芸術家や有識者達の著書。ここ百年以内の人は殆ど、その辺の事に触れてますよ」

「なるほどな」

「で、話を戻しますが、ここ近年はそういったAIの作品ブームが終わって、やっぱり人間が作った芸術の方が良いのではないかと、皆が思う様になりました」

「そういえば何かあったな。確か俺がガキの頃だったか。AIが作った作品をみんなして火に投げ入れていた事件。事件だったかな?集団でそんな事をしていたとかいう」

 総士自身も似たような現場を幼い頃に見かけた思い出があった。もっとも当時はただ焚き火をやっているだけだと思っていなかったのだが。

「そんな事があったんですか?」

「知らない?俺が五歳くらい・・・・・・って生まれてないかな?」

「多分。生まれていてもそんな赤ちゃんの時の記憶は流石にありませんよ」

「そうか。俺達の世代だと・・・・・・いや、まぁ、あの頃は色々な事があったからな」

 一瞬何かを話そうとしたが、総士は途中で言葉を濁した。その頃の記憶は社会情勢もプライベートな事もろくな思い出ではなかったからだ。

「ん?あ、そうそう。散々、AIの芸術活動についてこき下ろしましたが、価値がある作品は幾つかありますよ」

「え、そうなのか?」

「はい。初めてAIが作り出した作品郡。これには非常に高い価値があると思います。といっても芸術的な価値ではなく、歴史的な価値という意味でですが」

「ああ、なるほどな。確かに技術の進歩を表す貴重な一品足りえるか」

「ええ。それに量産されれば価値は相対的に無くなっていきますから。一点物は多少見てくれが悪くても意外といい値が付いたりしますしね」

「AIが大量にプリンタアウトさせたものには価値が無い、っか」

「そういう事です。でも人って馬鹿ですから、そんな物に大金をつぎ込んでいた人達が現実にいるのだから恐ろしいです」

「確かにな」

「これが要因の一つ」

 ここまで語ったのはブームとしての要因。

「一つって、まだ何かあるのか?」

 もう一つの要因とは経済的な話だった。

「お金持ちが沢山いるからですよ」

 貧困層が増えている一方で、実は富裕層は減るどころか増加傾向にあった。というのも中央値に当たる中堅層が極端に減少したからだ。

 様々な意味で中途半端な立場にあった中堅層の多くは、なんとか仕事が確保できた人々とできなかった人々へと二分化されていった。

 その結果、仕事を確保できた人々は相対的に富裕層の仲間入りを果たし、仕事が失った人々は貧困層へ落ちていった。

 こうして格差は、より極端なU字状にグラフ化されるような差が開いていた。

「働いている奴等にとっては、金を持ってます、働いていますっていうアピールになるか」

「その通りです。簡単に言ってしまえば優越感の源になってるんですよ。元より嗜好品の多くは金持ちの道楽でしたが、仕事の殆ど無いこの時代、手にする事ができるのは一部の人に限られますから」

 もちろん働いていないにもかかわらず、美術品を集めたりする者もいない訳ではないが、生活保護しか収入が無い以上、文字通り身を削る他無いのだが。

「無能者は生かされているだけでもありがたいと思え・・・って、W&S社の会長が何年か前に言っていたな」

 ウェイン&シンオウズ社。日米二カ国に拠点を持ち、世界シェアの九割を独占するAIソフトウェア「ブシドーサーヴァント」シリーズを開発した会社であり、世界中から仕事を奪い去ったとしてイニシャルを捩って「ワーク・スティール」仕事を盗んでいった会社として、実際に仕事を奪われた人々からは忌み嫌われている会社である。

 中でも会長を務めているしんおう真桜まおう・フェヴラル・ウェインは過激な選民思想の持ち主として知られている。

「そんな事もありましたね。酷い物言いだとは思いますが、真理だとも思います」

「無能には価値が無いって?」

「そこまでは言いませんが、実際に何かを生産しているわけじゃありませんからね。現実問題としては間違っているとは思いません」

 否定したかった。

 だが総士にはできない。

 自らが無能ではない事を証明する為に人々は仕事を求め、彼もまた有能である事を証明したい人間の一人なのだ。

 この言葉を否定してしまったら、これまでの就活してきた意義を否定する事に他ならない。

「一応、働く意思はあるのだがな」

「その意思がある内は大丈夫だと思いますよ」

「そう願いたいね」

「願う前に考えてみればいいんですよ」

「何を?」

「今の時代の良い事、この時代だからこそできる事を。自分にとって幸福な事を」

 この時代で自分にとって良い事、できる事、幸福な事。

 そんな事、一度も考えた事はなかった。自分にとってはこの時代は家族を崩壊させ、自分を苦しめ、最低の時代でしかなかった。

 だが目の前の少女はこの時代に生まれて幸福だと言った。

 さぞ家族には恵まれて苦労も知らずに才能にも運にも恵まれた成功者だから、そんな事を言うのだろうか?

「幸せそうな奴だな。まるで不幸な目にあった事が無いような」

 つい皮肉がもれてしまった。

 しかし緋色はため息をつきながら、やれやれと首を横に振る。

「はぁー。これだから何も成し得ていない人は困ります」

「何?」

「成功者を見ると直ぐに苦労知らずだのなんだのと。まったく。確かにさっきは運が良かったからといいましたが、私だって人の二倍三倍も苦労も努力もしてきたつもりですよ」

「二倍三倍の苦労・・・・・・だって?」

「少なくとも私は同業者に負けないないように二倍三倍の量のスケッチを描たり研究しています。他にも技法などの勉強、ネタ探し、人との対話、絵の為になりそうな事は何でも挑戦しています。プロになる前だって、これ程ではありませんが日がな一日、絵の事ばっかり考えていました。授業中の落書きなんて当たり前です。それ位私は絵が好きなんです」

「そんなの苦労なんかじゃ」

 人は自分以外の苦労を常に否定する。

 何故なら主観的に見て、自分が何事においても一番でなければ気がすまない性を誰もが抱いているのだから。

 けれども、その否定はすぐに否定され返えす。

「苦労でないと言うのなら、やってみてください」

「それは・・・・・・」

 できるはずがない。

 仮に、それが本当にできていたのなら、こんな半端者にはなっていない。

 ならば自分には、努力や苦労の積み重ねが上手く出来ていなかった、或いは全く足りなかったという事なのだろう。

 それに、どのくらい大変なのか知っているのであれば、他人の努力を否定する言葉が出る筈も無いのだから。

「人は物事が上手くいかないとすぐに、自分の苦労話や不幸自慢を始めます。お兄さんも今言いかけましたよね?」

「ぐッ!?」

「お兄さんが今までどのような経験をしてどの様な目に遭われてきたのかは分かりません。でもお兄さんにも経験があるように、私には私の経験の歴史があるのです。てか、誰にでもあります」

「お、俺は・・・・・・」

 完全に言いよどんでしまう。

 そんな総士に再び真っ直ぐな視線を付きたてながら緋色は問う。

「お兄さん。お兄さんのやりたい事ってなんですか?」

「俺のやりたい事?」

「好きな事、楽しい事、夢、後悔の払拭、リベンジ。何でもいいです。何かありませんか?」

 好きな事は・・・・・・分からない。

 楽しい事は、少なくともあやな綾那と過ごす時は楽しいと思う。

 払拭したい事は特に無し。

 ただ両親の無念と後悔を如何にかしてあげたい。

 リベンジは就活以外今はありえない。

 夢は・・・・・・

「夢・・・・・・貧困や飢餓に苦しむ子供達を一人でも少なくしたい・・・・・・かな」

 むりやり捻り出した声で呟いたその夢を聞いた彼女は、モナ・リザの様に柔らかな笑みで褒めるように言った。

「立派な夢、ちゃんと持ってるじゃないですか」

「・・・・・・笑わないのか?」

 その優しい反応が余程意外だったのか、総士は唾を飲み込みながら質問した。

「笑われた事があるんですか?」

「・・・・・・まぁ、な」

「酷い人もいるもんですね。むしろ貧困で苦しんでいないのは日本とか一部の国だけで殆どの国では国際問題なのに」

「喉元過ぎれば何とやらって具合に、大人でも笑い飛ばすんだからタチが悪いよな」

 大量失業によって多くの人々が仕事を奪われ、少なくとも生活保護が改定されるまでは貧困だった経験があるにもかかわらず、その事を忘れてしまう人々がいる事もまた事実であった。

「そういう人間を見ていると、イラつくんだよな。特に大人達がそうだと」

「自分や家族は払拭出来ていないからですか?」

「ッ!どうしてそれを?」

 自分としてはできるだけ話さないように、或いはぼかしたつもりだった。

 それ故にここまで的確に指摘されると膝がビクッ跳ねるほど、想像以上に驚く。

「半分はお兄さんの話や表情なんかで推理して。もう半分は勘ですかね。なんとなくですがお兄さんは家庭環境とかがコンプレックスかなと」

 それは芸術家としての観察眼なのか、それとも余程自分が分かりやすい人間なのか、この時の総士には分からなかった事だが、それでも驚きは続く。

「君は凄いな。なんでもない情報から全てを見通して」

「それで要らない事まで言う・・・・・・ですか?」

「皮肉まで見通されちゃ何にも返す言葉が無いよ」

 自分が話す言葉まで取られてしまっていたら、完全にお手上げだ。

「私の悪い癖です」

「ならば直した方がいいんじゃないか?」

「善処はしていますが、ついつい本音が漏れてしまうんですよね」

「厄介な奴だよ君は」

「よく言われます」と緋色は舌を小さく出しながら微笑んだ。

「また話が脱線してしまいましたね。とにかくお兄さんは自分の夢にチャレンジしてみたらいいんじゃないですか」

「夢って、さっき言ったやつか?一応、ボランティア活動とかには色々参加してるんだがな」

「そっちの方とかに伝手は無いんですか?」

「あるよ。でも卒業後は就職してないと違法になっちまうからな」

 人々が働かなくてもよくなり、自由になった事が多い一方で、活動を規制されている事柄も少なからず存在する。

 その内の一つがボランティアであった。

 学生のうちは社会経験等も加味して許可されているが、社会人になると多くの規制に縛られる事になる。

 あくまで自国内の自国民に対する災害ボランティア等であれば関係省庁に届出を提出すれば従来通り行う事ができる。

 ただ、国から保護を受けている人間が、ボランティアで他者を助けたいというのも、筋違いな話ではないか?という否定的な意見も少なからず存在している。

 それよりも問題だったのは海外での活動だった。

 現在の日本経済は国民全員に生活保護を与えて、国内で消費、循環させる事で経済を回している。これはあくまで国内の経済状況を停滞させない為の処置であり、国外に流失させ続けてしまうと経済が破綻してしまうのは目に見えていた。

 そこで日本は国民の海外渡航そのものを規制の対象にし、未就労者は原則国外に出る事が一切許されなくなった。海外に行けるのは労働者か留学生、そして特例で許可が下りた者に限られている。

「確かに海外には行きにくいですよね。私も取材旅行時には苦労しました。特にパスポートの審査が大変でしたよ」

 その為、海外で活動する事自体が基本的に不可能なのが現状だ。

 仮に海外に渡航できても制約は非常に多く、海外にいる期間は一切の生活保護を受ける事ができない。

 生活保護がないと言う事は自前で収入がなければ、生活すら立ち行かなくなってしまう。

 つまり未就労者では活動自体ができなくなってしまうのだ。

 そこまでして日本は経済流失の阻止を徹底している。

「働いてない奴には人助けすら許されない、ってな。政府公認のNPO法人に入るって方法もあるが、多額の寄付金を納めないとまず履歴書すら見てもらえないってもっぱらの噂だし」

「非営利なんですから、そうでもしないと資金繰りが厳しいんでしょうけど・・・・・・それにしたってちょっとブラックなんじゃ?」

 緋色の疑問にご尤もだと総士は頷く。

「あまり言い噂を聞かないな。汚職や横領、そうじゃなくても外交や利権なんかがめちゃくちゃ絡んでくるっていう」

「あー、そうかもです。うちにも何回かチャリティーで絵を描いてくれとか、義援金くれって来た事がありますよ」

「それ、どうしたの?」

「お金は何となくイヤだったんで、適当に何枚か絵を持って帰らせましたよ。試し描きレベルのですが、一応値はついたみたいなんで」

「その絵を何処の国に売ったんだろうな?」

「まず国内じゃないと思いますよ。如何にして外貨を稼ぐかが、至上命題になっているような国ですからね、今の日本って」

 限りなく流失を防ぎながら、如何にして他国から外貨を獲得するか。

 それこそ搾取するレベルで他国から資源や外貨を集めないと経済成長は見込めないというのが日本の現状であった。

「結局NPO法人とかは現実的じゃないんだよ。だからなんとかして他の所に就職したいんだけど・・・・・・」

「資格も何も無いんじゃ、何処も雇ってもらえないですよね?」

「・・・・・・少なくとも学歴だけじゃ、どうにもならないな。プラスαの付加価値がないと面接も打ち切られるし」

 勿論あからさまに露骨な打ち切り方をする企業などあまり無いが、実際に面接官の表情や雰囲気で察しがつく事は珍しくなかった。

「そうなんですか?・・・・・・じゃあ試しに、うちの美術商会でも紹介しましょうか?」

「いきなりだな。そこって俺でもやっていけそうなのか?」

 軽い感じに出されたその提案に、総士も冗談半分にその話に乗ってみた。

「うーん・・・・・・コミュ力は十分だと思いますけど、センスと知識、後は私達との相性は求められますね。知識は勉強すれば、どうにかなると思うんですけど、センスの方は」

「完全に才能だよな」

「はい。何より審美眼と適正価格や顧客の心を見抜くセンスだけは、努力だけ難しいかと」

「そうなのか?」

「人のセンスが、そんなに簡単に変わると思いますか?」

「無理だな」

 ざっくりとした想像だが、やはりある程度そういった芸術や美術的なものが好きな人に相応しい仕事なのだろう。

「でしょ?だからその辺は才能です。お兄さんにそのセンスが有るか無いかは分かりませんが」

 中学時代、主要五科目と体育以外はてんで駄目だった総士は少々渋そうな顔だった。

「自信は無いな。いや、そもそも、そこってまだ求人募集してるの?」

「さぁ?百人くらいの規模の会社ですから、多分してると思いますけど」

 緋色は自分の携帯を取り出して、その美術商会のページを確認してみる。

「うーんっと、これかな?一応募集はしているみたいですね」

「本当か?ちょっと見せて」

 覗きこむように総士も確認してみると、そこには本年度の新卒者を対象とした求人が告知されていた。

「まだ受付は締め切ってないのか。よし、ものは試しだ」

 自分の携帯を操作して手早く手続きを済ませる。

 直ぐにメールが返信され、今日中に履歴書のデータをメールで送るようにと催促がきた。

「よし。一応履歴書は送れるみたいだ」

「それはよかった。それじゃあ私の名刺あげますよ」

 ポケットからシンプルな名刺ケースを取り出して総士に一枚差し出した。

「え、いいのか?」

「私の絵に興味があるとか言えば、少しは話が続けやすいかと」

「そっか。そうだよな、芸術とか分かりますよアピールは必須だよな」

「付け焼刃ですけどね」

「それは今更だよ」

「ですね」

 ブブブ・・・・・・と総士の携帯が振動する。

「ん?ああ、着いたみたいだな」

「そうですか。それじゃあ私もそろそろ戻りますね」

「そうか」

 緋色は席を立ち、面倒くさそうに欠伸をしながら体を伸ばす。

「あー、面倒くさい。働きたくない。絵描きたい」

「絵を描くことが仕事じゃないのかよ?」

 一見矛盾しているような事を言っている緋色に総士はツッコミを入れる。

「違いますよ。お金を稼ぐ為に書いてるんじゃありません。描きたい絵を描いたら、それが偶然お金になってるんです」

「偶然・・・・・・ね」

「所詮は流行り物。飽きられたらそこまでですから」

「デビューして数年で聞かなくなる歌手とかと同じってか?」

「おお、それは良い喩えかもしれません。十年二十年と愛され続けるのは難しいですよね」

「わかる。俺もいいなと思って目を付けたバンドは大概一年と立たずに解散したりする」

「その法則だと私の画家生命もあと数ヶ月ですかね?」

「さてな。それじゃあ俺ももう行くよ」

 総士も席を立って入り口ホールに向かう。

「楽しんでいってくださいねー」

 後ろ手で返事をしながら彼は去っていく。

 緋色も見送った後、肩を一回しして、ムンバを後にした。

「さぁーてお仕事お仕事」


 綾那と合流した総士は、緋色の描いた様々な絵画を見ながらずっと考えていた。

(夢か・・・・・・あいつはこうやって絵を描き続けられる事が夢だったのかな)

「・・・・・・そーちゃん」

「んー?」

「遅れてきたことは悪かったと思うけど、なんか私以外の女の子の事考えてない?」

 不満そうに頬を膨らませながら総士の胸を突くと、総士も特に悪びれる事無くこう答えた。

「確かに他の女の事を考えていたな」

「あー、やっぱり」

「この絵を描いた星宮緋色って子がどんな子なのかなって。不思議な絵を描く子だよな」

 その当の作者との面識がある事は、綾那には言っていない。

「むーん。確かに私もこの前衛的な感じも好きなんだけど、それだけじゃなくて若さゆえの悩みっていうか、何か質問を投げかけられている様な感じ?に惹かれるというか」

「質問を投げかけられている?」

「うん。なんかこう、答えにくい話とか明確な答えがない事ってあるじゃない?ほら、愛とは何か?みたいな」

「ふむ?」

「抽象的な部分と偶像的な部分が明確に分かれているのが、その理想と現実の境で右往左往しているみたいな感じがする、かな?」

 そう言われてみて、改めて近くの絵を注視してみる。

 しかしそれこそなんと答えてよいのか非常に困った。

 確かにその通りだと言われればそうかもしれないし、違うと言われれば違うのかもしれない。少なくともこの手の審美眼を行使した事も無い総士には理解し辛い感覚だった。

「・・・・・・まぁ絵なんて価値観や感覚は人其々・・・・・・ん?」

 幾つもの絵画を眺めながら歩いていると一つだけ気になる絵画が展示されていた。

 それは、色合いや明暗の異なる茶色がバラバラのタイルの様に描かれていて、中心には白いコーヒーカップが描かれていた絵画だった。

(コーヒーか。この絵は何を思って描いたんだろうな)

 抱いた感想こそ他の絵画と同じものだったが、しかし総士の心にはどうしてか、この絵画の雰囲気が心の何処かに引っかかっていた。

「どうしたのそーちゃん。この絵が気になるの?」

「・・・・・・そうだな。これは何となくいい気がする」

 そう、無性にあの緋色と出会った喫茶店のブレンドコーヒーが恋しくなった。

(また飲みにいこう)

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