第1話 働きたい人・働いている人
「これで二百敗目か」
立体映像として空中に投影されている画像に向かって、
現在二十二歳で大学四年生、就職活動に追われながら多忙な日々を送っている就活生の一人だ。
しかし彼の努力は卒業を間近に控えた一月になっても実る気配がなかった。
「一体何がいけなかったっていうんだ?ビジネスマナーや履歴書に問題は無かったはずだ。面接の時の受け答え・・・・・・これも問題は無かったと思う。他に考えられる可能性は・・・・・・」
総士の学歴は一般的に見ても優秀な分類で、それだけを見れば十二分に優秀な人材だった。より学歴が重視される一昔前ならば、引く手数多だったろう。
しかし生まれた時代が悪かった。
西暦2120年現在、AIとロボット技術の向上によって多くの仕事が全自動化され、人間でしか行えない仕事は百年前の僅か三割程度しか残っていなかった。
単純作業や肉体労働は勿論、事務データ処理や会計処理、はては裁判等に使われる情報処理までもが、AIが処理する分野となり、これによって企業内で行われる実労働も大幅に減少し、必要な人員の数もそれに比例して少なくなっていった。
それにより多くの企業で大規模リストラに踏み切ることとなる。
一度に大量の仕事が無くなってしまった為、雇用し続けようにも他の部署に移動させて帳尻を合わせる事もできず、かといって何時までも置いておく事はできない。大企業であれば大企業であるほどその皺寄せが大きく、弊害は国外にまで飛び火していった。
人件費の安さというメリットが完全に失われてしまった新興国からは、どんどん企業が撤退し、続いて非正規労働者、最終的には正社員もふるいにかけられていく。
企業もより良い人材を求めるのは当然であり、勝ち残った一握りの人間だけが自らの椅子を守る事ができた。
しかし席を追われた多くの人々は、また別の仕事を探そうとするが、世界規模で人材が溢れかえっている現状で新たな職にありつくことは不可能に等しい。
日本でも未就労者は成人人口の七割を越えて、アルバイトやパートの仕事にすらありつく事が困難な状況になっていた。
そんな冬の時代に希望の光が照らされる。
生活にすら困窮する現状に、日本はこれまでの生活保護制度を改定し、国内に在住の日本国籍を有するすべての国民に毎月一定額を支給する制度を導入したのだ。
それに併せて所得税や法人税等が大幅に引き上げられ、他にも様々な法改正により、比較的早期に情勢の安定化が図られた。
総士も毎月二十万円の生活保護を受給しながら生活している。
一見何も働かずに毎月二十万円というと貰いすぎているようにも聞こえるが、多すぎると財源の確保ができなくなり、少な過ぎても経済活動が停滞してしまう恐れがあった。
そこで、当時の大学新卒の初任給程度の金額を基準として現在の金額に決定されたのだ。
一見すると無茶な政策にも思えるが、その無茶を押し通して成功させた人物がいた。
「時事ニュースはちゃんとチェックしたし、後はなんだったかな?」
その男の名は現総理大臣、
凱善が始めて総理に就任したのは、総士がまだ三歳で、未だに大規模リストラによる混乱が世界中で続いていた頃だった。事態を悪化させる事しかできなかった前任の総理大臣を更迭し、殆ど乗っ取りに近い形で総理大臣に就任したかいぜん凱善は、強硬且つ迅速な手腕で次々に法改正に取り組み、現代に対応した新たなる生活保護制度「国民生活保障制度」を就任してから僅か半年で実働可能に扱ぎつけた。
交付直後は人々から就労意欲が失われるのではないか危惧され、実際に生活保護だけで生活する者もいた。
しかし生活が国によって保護されているという安心感から、逆に挑戦的な志向を持つ者も徐々に増えていった。
「夢を語れとかも言われたか。いや、それだって無難に答えたはずだ」
たとえば作家や芸能人、スポーツ選手といった一昔前では生活を安定させる事が難しいとされていた職業でも、現在なら例え成功しなかったとしても生活が困窮することは無い。
他にも、より贅沢をしたいという欲望が人々を就労へと駆り立てた。
どんな夢であっても自由に挑戦する事が許された時代になったのである。
そして何時しか、就労して収入を得ている事がある種のステータスになり、総士もこのステータス欲しさに日々就職活動に打ち込んでいた。
「分からん。一体何がいけないんだ?」
打ち込んでいたのだが、既に一月半ばだというのに結果は散々なものだった。
チャラララーチャラララー
右腕に付けていた携帯が鳴り出す。スケジュールのアラームだった。
「ん、なんだけ?えーっと、あ、本返しに行かないと」
2120年現代においても紙媒体の書籍は、ある程度利用されていた。
一時期は全ての本は電子書籍に取って代わるかに思われていたが、感覚的に紙のほうが良いという消費者も常に一定以上いた為、今でも現役で紙媒体が使われている。
一説には書籍や活字を読む量が多い人ほど紙媒体を好み、逆に殆ど書籍や活字を読まない人ほど電子書籍を好むとも報告されている。
新聞や雑誌等、頻繁に情報が更新されるものは電子書籍で、単行本や大判の本等、内容が基本的に変わらないものであれば紙媒体と、棲み分けが上手くいったのも理由の一つだろう。
「・・・・・・はぁー、ついでに夕飯の買出しにでも行くか」
鞄に大学の図書館で借りた数冊の本をいれて、重い腰を上げる。
部屋を出るだけでもため息が零れ、野外の冷気に触れ更に大きくため息をもう一度吐く。
この時、既に空模様がかなり怪しかったのだが、気分が沈みきっていた総士には傘を持っていく事まで気が回らなかった。そして一時間後、その事に後悔する事になる。
「クソ、何で今日に限って雨なんだよ」
本を返して大学を出てから数分後、雲が更に厚みを増し雨が降り出す中、総士は途方にくれていた。
とりあえず軒先に退避してから天気予報を確認してみると、夕方過ぎには止むと予報が出ている。現在時刻は午後二時過ぎ、まだ暫く雨が止む気配はなかった。
「ロシェカは・・・・・・一時間待ちか」
ロシェカとはローカルシェアリンクカーの略称で一定の区画内であれば誰でも自由に利用する事ができる公共交通機関の一つである。
料金は電車やバスと同じ位で、目的地に着いたら自動で最寄の専用スタンドに帰還してくれる為わざわざ返却する必要もない便利な交通手段として普及していた。
代わりに有人タクシー業界は廃業に追いやられてしまったのはもう十年以上昔の話だ。
欠点があるとすれば、こういった突然の雨の時には大勢の人が予約して順番待ちが発生してしまう事くらいだ。
「さて、どうしたものか」
ふと辺りを見回してみると、道路を挟んで向かい側に一軒の喫茶店が目に付いた。
(たまには、ああいう場所で時間でも潰すか)
今すぐ帰っても、また次の就活や前回の失敗について悩むだけだ。そう考えると気分転換でもした方が幾分かましだろう。
近くの信号が青に切り替わるタイミングで駆け出して喫茶店に駆け込む。
「いらっしゃいませー!一名様ですか?申し訳ございません、ただいま満席状態でー」
「うぉ!?」
店に入って、すぐに話しかけられた事に総士は思わず驚いて上擦った声を出してしまう。
だが直ぐに店員に挨拶されただけだと気が付き、慌てて平静を取り戻そうとハンカチで雨粒を払いながら、店員に尋ねる。
「今時珍しいですね、店員さんがいるって」
「そうなんですよ。店長のこだわりで、昔ながらの喫茶店っていうのを売りにしてるんですよ。ただお客様のように初めてご来店された方は結構驚かれるんです」
昨今、殆どの飲食店では殆どの業務をロボットが行う様になっていた。
特にファミレスや大衆居酒屋、ファーストフード店は調理すら殆ど機械によるオートメーションで行われており、客への対応も接客用ロボットが全て行っている店が殆どだった。
結果一つの店舗に監督役の店長と管理技師の二人位しか働いていない事も珍しくなく、求められる技能も、調理師などの料理スキルではなく、機械が故障や不具合を起こした時に対処する為の機械工学やプログラム技術という料理とは全く関係ないスキルに成り代わっている。
「へぇー、確かにこういう感じのお店は初めてだな。あ、そういえばさっき満席って?」
「はい、そうなんですが・・・・・・」
そう言って店員が店の外の方に目をやるのを見て総士も納得した。
(どうするかな?この天気の中でわざわざ店を出る人なんて、用事でもない限りそうそう無さそうだし)
「申し訳ありませんが、少々お待ち頂いても宜しいでしょうか?他のお客様との合席でしたら何とかなると思いますので」
「合席・・・・・・まぁ、ご迷惑でなければありがたいですけど」
「ありがとうございます。ではただいま確認して参りますので」
「はい」
そう言うと店員は最初から当たりを付けていたのか、奥の方のテーブル席に座っている少女の所に駆け寄って声をかける。それから一分と待たず、交渉が済んだのか店員が戻ってきた。
「お待たせしました、奥の席のお客様からご了承頂けましたので、案内致しますね」
総士としても断る理由も無いので素直に頷いて席に通してもらった。二人かけのテーブル席に座っていた少女は総士の方に軽く会釈して直ぐにまた持っていたスケッチブックに視線を戻した。
今時手書きで何か描いているのは珍しいなと思いながらも、ジロジロ見るのも宜しくないかと少女の方に視線を戻した。
「すみません、突然に」
「お気になさらず」
少女の反応は非常に淡白だった。
だが総士も深く詮索するのも野暮かと、席に座りメニューを手に取る。
これもまた近年では殆ど見なくなった紙製のメニューで、表面はラミネートを施し、縁取りにレザーが巻かれていた。
(ふうん、タッチパネルすらも無しか。それに店の雰囲気もなんかレトロだな。)
メニューにはコーヒーだけでも複数の種類と入れ方があり、この手のものに疎い総士はどうするか決めあぐねた。どうしたものかと唸っていると、向かいに座っている少女が話しかけてくる。
「ブレンド」
「え?」
「迷っているならブレンドにするといいですよ。そこら辺のファーストフード店で出すものとは比べ物になりませんから」
「へぇー。よし、すみませーん!」
店員にブレンドコーヒーとタマゴサンドのセットを注文する。
少女は相変わらずスケッチブックから目を離していない。
助け舟を出してもらった事は少し気恥ずかしいが、気を取り直して総士は少女の方に目をやる。
年は十代後半、栗色の長髪をポニーテールに纏めてあるが、癖毛なのか肩幅位に広がっている。ゴールデンレトリバーみたいと思ってしまったのは内緒だ。
顔立ちは恐らく結構可愛い方だと思われる。
何故「恐らく」と付けるかというと、これまた昨今見た事の無いような分厚いレンズの眼鏡をかけているからだ。瓶底眼鏡と言ったか?今時どこの眼鏡店でも売ってないだろう。有るとしたらヴィンテージやお洒落用伊達眼鏡って可能性だ。瓶底眼鏡がお洒落かどうかは知らないが。
眼以外の部分は整っているので、余程眼の間隔が変な事にでもなっていない限り美少女だろう・・・・・・と思われる。
後、服装には見覚えがあった。
(あれって確か近くの高校だったよな。なんってたけ?・・・・・・忘れた。まぁ地元民じゃないし)
体格も少々痩せている様に見えるが、概ね年相応といった印象だった。
(女子高生か・・・・・・あれ、今日って平日だよな?サボりか?)
相手の事情について少し想像を膨らましていると、店員が料理を運んできた。
「お待たせしましたー!タマゴサンドのセットになりますー」
「あ、はいはい」
現実に引き戻され一瞬動揺したが、これ以上の詮索も無粋だと、そこで想像を膨らますのを止め、運ばれてきた料理に眼をやる。
「お、こいつは」
思わず声が出る。一見普通のタマゴサンドに見えるがゆで玉子の潰し加減が所々大きい欠片が残っているのに一部の隙間も無くパンの間に詰まっている。黄身の橙色に近い鮮やかな黄色にも食欲をそそられる。
タマゴサンドの玉子にはマヨネーズ等の調味料は少なめで卵そのものの味を生かしたものを総士は好んでいた。この玉子の色合いは正しくいい塩梅である事を期待させる色だ。
「いただきます」
最初の一口を食べた瞬間、ある事実に気が付く。
(こいつは、ゆで卵を二通り・・・いや三通りに分けているのか?一つは包丁だけでわざと大きめにカットして食感を、二つ目の完全にペースト状にしたゆで卵に調味料を投入し味を、そしてその二つを繋げる為に適度に潰した三つ目のゆで卵を!これは・・・・・・)
「うまっ!」
二口目、三口目と次々とサンドイッチが総士の口の中に消えていく。最初の一言以外無言で食べ続け、気が付けばあっという間に食べ終わっていた。
「ふー、美味かったー。こんなに美味いタマゴサンドは初めてだよ」
思わず本音をこぼしながら笑みを浮かべる。このタマゴサンドに出会えただけでも今日一日のイヤな出来事はチャラにできる。それほどまでに満足感が得られた。
「ここの料理は全部、どこよりも美味しいです」
「え?」
ふと少女が声をかけてきた。
「というより、他の飲食店が不味すぎるんです。機械がテンプレートに従って作った既製品な上に、元となった料理の作り込みも甘いから贋作ばかり」
辛辣な評価ではあったが総士も異論は無かった。
事実、間違っていない。
レシピの最終的な決定権は人間なるので人の手を全く解していない訳ではない。
商品開発の工程そのものも一昔前から、大きく変化はしていない。
「まぁー俺もそこまでは言わないけど、確かに何処も似たような感じなんだよな。面白みに欠けるっていうか」
しかし開発に用いる技術は大幅に変化していったのだ。
まず試作品を作る料理人がいなくなった。
最終的には調理は全て機械に行わせるのだから、人間が行う動作のデータは無用の長物でしかない。
更にビッグデータを用いた客層の趣向調査や材料の価格品質調査、ベースとなるレシピのデータまで、ありとあらゆる情報はAIが全て処理されていた。
「やってる事は、コストや大まかなターゲット層、料理の種類なんかを入力して、後はAIに要望に見合うサンプルを複数提示させて、そこから選ぶだけ。そりゃあ、どれも同じような味になりますよ。あんなのを食うくらいなら友人が作った暗黒物質玉子焼きを食べた方がよっぽど有意義です」
当初はビッグデータとAIによる情報処理を利用して商品開発をサポートさせる事が画期的な手法だと思われていた。事実、導入直後はチェーン店等では商品の品質が急激に向上していた。
しかし現実はそう都合が良い話ばかりではない。
何時の頃からか、似たり寄ったりの商品しか生まれてこなくなってしまったのだ。
皆が同じ目的で商品開発をしたら、使っている情報や技術は同じなのだから誰がやっても同じ結論に至ってしまうのは必然だろう。
逆に同じ条件にも関わらず結論がコロコロ代わってしまう様ではAIを利用している意味がない。
「暗黒物質玉子焼きって・・・・・・それって炭じゃ?」
「炭じゃありません。炭で宇宙の深遠は覗けませんから」
「宇宙の深遠って・・・・・・」
「インスピレーションの塊。或いは悟りのようなものです。これはAIやビッグデータなんかよりも遥かに価値がありますよ」
「確かに悟りが啓ける玉子焼きなんてあったらすごい価値が付きそうだけど・・・・・・?」
少女は首を横に振りながら虚しそうに持論を展開する。
「機械もAIも『偶然』を生み出す事なんてできませんよ。仮に『偶然』を引き起こしても、それはただのバグでしかありません。むしろ正確でなければ存在する価値も有りませんがね。一昔前にはAIによる芸術活動を行わせてみる実験を行っていましたが、正直つまらない作品ばかりです。特に絵画は。綺麗な絵や完璧な黄金率を組み合わせた絵は確かにありました。けどそれだけです。万人受けするだけの分かりやすい作品ばかり。そこには何の揺らぎも無かった。百人が見たら百人全員が同じような感想を抱くような作品に何の面白みがあるというんですか?私は全くもって面白くありません。あれを芸術として認めてしまったら最後、人類の個という概念が消滅するといっても過言では・・・・・・む、どうかしま・・・・・・・・・・・・ひゃわ!?」
余程機械やAI等に嫌悪感を持っているのか、店中の人達が注目するほどに熱弁をふるっていた少女であったが、向かいに座っていた総士の呆けた顔を見てから数秒後、周囲からの視線が向いている事に気が付く。
赤面しながらスケッチブックを盾にしながらうずくまってしまった。
とりあえず総士が変わりに周りに頭を下げる。
暫くして少女も落ち着いたのか、眼鏡を外して総士の方に向き直る。
「先ほどは、お見苦しい所を見せしました」
少女の容姿はやはり総士の想像したとおりの美少女だった。
ただ年上だったら結構好みだったのにと内心残念がっていたのは内緒だ。
「別に気にしてないよ。ただちょっと意外だったなーって思っただけで」
「意外・・・・・・ですか?」
「ああ、えっと、物静かそうだったんで」
「・・・・・・すみません」
「あ、いや、別に責めてる訳じゃ」
「でも不快だったでしょ?突然話しかけて」
コーヒーを一口飲みながら笑顔で答える。
「いいや、共感してくれる人がいてよかったよ。このコーヒーだって君がお勧めしてくれた通り、いい味だ。いつもはインスタントか缶コーヒーしか飲まないから、なんだか新鮮だよ」
少女も安堵したのか少し表情が柔らかくなる。
「それは良かったです」
「そういえば君って絵画とかが好きなの?」
「え?なんでです?」
テーブルに置かれていたスケッチブックを指差しながら答える。
「スケッチブック。自分で絵とか描いてたりしてるのかなって。例え話も絵画を例に挙げてたしね」
「よく見てらっしゃるんですね?」
少女は特に軽蔑するような言い方ではなかったが、総士は少し困ったような顔になる。
「そんなことないよ。今、付き合ってる彼女がいるんだけど、一緒にボランティアとかに行くと、あいつの方が俺より色んな事に早く気が付いてね。俺はいつも出遅れてばっかりで」
総士が苦笑するのにつられて少女も笑いがこぼれる。
「それじゃあ彼女さんには頭が上がらない感じですよね?」
「そうだね、残念ながら。おかげで美味しい所は全部持ってかれちゃって」
「羨ましい?」
「そうだね。別に下心があってボランティアをしているつもりは無いけど、やっぱり皆に好かれている所を見ると多少はね」
「じゃあ、どうして付き合ってるんですか?」
少し意地悪そうな顔をしながら少女が尋ねてくる。
「あー、まぁー、なんと言うか、その、告られたからかな?」
総士も少々照れくさそうに鼻の頭を掻きながら答えた。
「へぇー、どんな時に告白されたんですか?」
「酒の席でね。それで俺も酔ってたから何気なく、いいよって言っちゃって」
そんな大学生のリアルな恋愛事情に、夢見がちな少女にとっては眉唾ものだったのだろう。
「えー、なんかいい加減」
「確かにね。でも一緒にいる内に馴染んじゃって。なんだかんだで二年以上付き合ってるし」
「なんだか全然ドラマチックじゃないですね?」
「どちらかといえばプラトニックな方かもね。面白くないかな?」
とはいえ、やる事はやっているのだが、それを話すのはセクハラになってしまうだろうと自重した。
「いいえ、そういうのもいいと思いますよ。私も素敵な人と巡り会えたらいいんですけど」
「学校の同級生とかは?その制服って確かこの辺の高校のでしょ?」
少女の着ていた制服は、形こそシンプルなブレザー型だったがパステルカラーのピンク等が使われている可愛らしい制服だった。
「うちは女子高なんで」
「あ、そうだったんだ。この辺、大学以外あんまり知らないんだよな」
地元民では無い総士が知らないのも無理は無かった。
少女の方も、その台詞で上京してきた人なのだという事は察しがついたようだ。
「大学・・・・・・この近くだと、もしかしてT大なんですか?」
「一応ね、今は四年で絶賛就活中」
「・・・・・・今って一月ですよ?」
「うん・・・・・・だから今はかなりヤバいんだよ」
「まぁー、別に無理に働かなくても生きていける世の中なんですから」
国民生活保障制度を当てにして生涯働かずに生活している人々は数多く存在する。
タイプとしては二つ。
一つは最初から就労する気が一切無く自由に生活している人達。平たく言うとニート気質。
もう一つは就職していた、あるいはしようとしていた悲しき敗者達。
「それは・・・・・・嫌だな」
「・・・・・・へぇ、珍しいですね。昨今では新卒で就職できなかったら諦める人が多いというのに」
「・・・・・・あー、いや、大した理由じゃないさ。あれだよ、彼女の方はもう就職先が決まっていてさ、彼氏の俺が無職って、居心地が悪いだろ?」
「ああ、それは確かに気まずいでしょうね」
総士は嘘をついていた。厳密に言えば本心を隠した。
少女の方も何となく何かを隠している事は察していたが深くは追求しなかった。
たまたま合席になっただけの間柄なのだ。
世間話に花を咲かせる事はあっても、秘め事まで語り合うなんてことは普通しないだろう。
「それにしても雨、止みませんね?」
少女は窓の方を見ながら話題を変えた。
「そうだね。えっと天気予報は・・・・・・うーん、暫く止みそうに無いな。どうしよう」
携帯でこれからの天気を確認してみると、やはり夕方過ぎ、最悪夜までは雨が続くようだ。
ここから走って帰るにしても喫茶店からアパートまではだいたい十五分はかかる。
「バスで帰るか?でも微妙な距離なんだよな」
「この辺のバスって微妙に不便ですよね」
「そうなんだよなー。うち、バス停から十分ぐらいかかちゃうんだよ」
「正直下手にバスに乗るより裏道を歩いた方が早い事なんてしょっちゅうですよね」
「わかるわー。上京してから幻滅したよ。ぶっちゃけ実家の方が交通の便がよかったもん」
「そうなんですか。ご実家は?」
「福島。いわき市って南東側の所。あっちだとスクーターとかは必須だけど、こっちって駐車場代も馬鹿にならないんだよな」
「都内だと、スクーターなんて両手で持てない程の荷物がある時くらいしか使いませんよ」
スクーターは、その定義を大きく変えた物の一つとして、よく例に挙げられている。
基本的に一人用である点は変わらないが、形状は二輪ではなく三輪の小型自動車となり、安定して走行できるようになっていた。
しかし最も変化したのは形状ではなく、操縦システムそのものだった。
全自動交通管理システム。
五十年前から導入され、自動車やスクーターは全て全自動で運転させる事が義務付けられ、運転免許制度そのものが完全に廃止されたのだ。
使い方はいたってシンプルで、身分証を認証させてから目的地を入力。後は目的地まで自動で走っていくだけ。
車体の情報は常に交通管理センターとリンクしている為、渋滞や事故が起きないように全ての車両が一括管理されている。
元々車社会だった地方だと、個人所有の自動車やスクーターの方が多く用いられ、逆に土地が狭い都市部ではマイカーとかよりも、ロシェカや主要な公共施設を繋ぐローカルバス、そして鉄道といった公共交通機関が主な手段として用いられていた。
一方でバイクや自転車といった二輪車は自動運転自体が困難だった為、公共の道路では走行が禁止されるようになっていた。
「俺も実家に置いてたよ。でもこういう時はやっぱ持ってきておけば良かったって思う」
年齢制限も緩くなり、保護者が子供に買い与える事も許されている。入学祝に短距離用スクーターを贈るという話も別段珍しい話ではない。
値段は50ccクラスの新車でも十万円前後から。
「そうですね。・・・・・・あ、そうだ。ちょっと待ってて貰っていいですか?」
「え?ああ、うん」
少女が鞄から携帯を出して何処かに連絡を取り始める。
コーヒーのお代わりを注文しながら総士も何か妙案が無いかと模索するが、特に何も思いつかず「やはり美味い」位しか頭の中に出てこなかった。
暫くして少女が総士に声をかける。
「すみません、ちょっといいですか?」
「うん、なんですか?」
「私、今、知人と待ち合わせしてまして」
「そうだったんだ。それじゃあもしかしてお邪魔だったかな?」
「いえ、それは大丈夫なんですが。今丁度こちらに来ている途中なんですよ。それでよかったらなんですけど、お兄さんの分の傘も一緒に買ってきてもらうというのはどうでしょうか?」
「え、悪いよ、そこまでしてもらうと」
「どの道私も傘無いんで構わないですよ」
総士は少し悩んだが、ここは素直に厚意に甘える事にした。
「傘とここのお代は払わせてもらうよ。それでチャラってことで」
「いいですよ、それで」
それから数分後、傘を三本持ったスーツ姿の女性が店に入ってきた。女性は店の中を見渡すと総士達の方に向かってきた。
「いやーごめんごめん、課長から小言言われちゃってさー」
「構いませんよ。それより先ほど頼んだものは?」
どうやらこの女性が少女の待ち人で間違いないようだ。
どういう関係かは分からなかったが、少なくとも姉妹とかではなさそうだ。
「ちゃんと買ってきたわよ。そっちのお兄さんが合席の人ね」
「あ、はい。どうも」
あっけらかんとした対応がよく似合う快活そうな女性で、髪型なども少女と比較すると動きやすそうで、ちゃんとセットもされているショートヘアだった。
学生では醸し出せない、キチンとしたビジネスをしているキャリアウーマンというのが第一印象だった。
「しかし、ヒイちゃんが他人とこういう風にコミュニケーションを取っているなんて」
「・・・・・・たまたまです」
「・・・・・・?まぁ、偶然合席を許してもらえただけですからね」
総士の言う偶然と少女の言い分には多少の齟齬があるが、スーツの女性は特に気にする様子も無く、買ってきた傘を総士に差し出す。
「とりあえずこれ、どうぞ」
「あ、すみません。ちょっと待っててください、今御代を」
携帯を操作して、電子マネーの受け渡しの準備をする。
現状、両替などの必要が無い電子マネーを使うのが国際準拠となっており、現金はめったに使われる事が無くなった。
個人間での金銭の受け渡しに手間は増えたが、そうやって簡素に使えなくなった分、強固なセキュリティが導入されていた。
その一つとして、生後間もなく住民票の獲得と同時に遺伝子情報の登録が国際法として義務付けられている。遺伝子情報は一生変更する事ができず、容易には偽造できない。これにパスワード等を組み合わせて使うことで、より強固なセキュリティを実現していた。
ただ、一説には政府が個人資産を管理しやすくする為に行っているという噂もある。
「えー別にこれ位いいですよ?」
「いや、この子とそういう取り決めにしたので。えっと、はい、どうぞ」
立体映像として表示されている画面には振り込み申請が表示されていた。
「うーん、これって結構面倒いんだよねー。えーっと、ホイホイホイーっと」
女性は不満そうな顔をしながらも、手馴れた手つきで手続きを済ませていく。
「はーい、確かにいただきました」
「はい。さて、それじゃあ俺はそろそろ」
伝票を手にとって総士は席を立つ。
「あ、はい。長々とつき合わせて申し訳ありません」
「いやいや、こちらこそ合席と傘、ありがとうございました。それじゃ」
二人に会釈し、会計を済ませると、総士は店を後にした。
空いた席に女性が座り、ニヤニヤしながら少女に話しかける。
「それで、どうして合席なんかしてたの?ヒイちゃんって、そういうの嫌がるタイプじゃん」
「・・・・・・別に。
宇佐美というのは総士を案内した女性店員の事だ。
少女とは常連さんと看板娘といった関係で、真っ先に合席を頼まれたのも常連のよしみに頼み込まれたのだ。
「それに人を人嫌いみたいに言わないでください」
「はいはい、そうですよねーヒイちゃんは人嫌いなんじゃなくて、人付き合いよりも優先したい事が沢山有るだけですもんねー」
「・・・・・・
少女は青筋を立てながら女性、
「はいはい、ごめんなさいってば、
瞬間、如月の右手の指の間にナイフが突き立てられる。
「・・・・・・その呼び方は止めろって言ってんだろ?」
如月以外に写りこんでいないその瞳からは「次に何か言ったら指を切り落とす」とでも言いたげな視線が向けらられていた。
如月はそれに怯えた様子も見せず、かといって逆上したりする事無く、ゆっくりとテーブルから手を退かして両手を上げる。
「すみません。調子に乗ってました」
「・・・・・・ふん」
少女もナイフを乱雑に引っこ抜き皿の上に戻す。
「あ、あのー・・・・・・緋色ちゃん」
一連の騒動を見ていたのか、宇佐美が恐る恐る近づいてくる。
少女、星宮緋色は内心、また悪癖が出てしまったと沈んでいた。
幼い頃から酷い癇癪持ちで、十六歳になった今でも、気に食わないことがあるとカッとなりやすい所がある。
ただ彼女の場合その怒り方が、燃え上がるように激昂すると言うよりは、凍て付くように冷徹になる感じで、それ故に暴れたりはしないが、今の様に一撃で黙らせる様な暴力を振るう傾向にある。
「えーっと、そのちょっといいかな?」
「すみません、修理は明日します。あと、またお詫びに何か描いてきます」
この店で騒ぎを起こしたのもかれこれ十回以上になる。
普通それだけ騒動を起こせば出禁になっていてもおかしくもないのだが、
「構わんよ。それより君は、そろそろ淑女としての嗜みを身に付けた方が良いね」
「あ、店長」
カウンター越しに店長が優しく微笑みながら緋色を諭す。
この店長の人柄の良さと緋色自身の修理の腕前で、今日でも常連として通えているのだ。
「今度はそうだな・・・・・・あ、鳥獣戯画って描けるかい?」
「模写なら何とかなりますが、オリジナルとなると少し難しいかも・・・・・・です」
「どちらでも構わないよ」
「わかりました。何とかしてみます」
ついでに、お詫びの印として作品をタダで店長に贈っている。
「それじゃあ、そろそろ打ち合わせに行きますか?」
「はい。それじゃあ店長、ご馳走様でした」
緋色と如月は席を立って店を後にする。
「まいど。今度の個展楽しみにしてるよ」
店長に会釈を返して、二人は雨降る街道を行く。
二人が去った後、宇佐美がテーブルを片付けていると他の客が尋ねる。
「なーなー、ねぇちゃんよー。今の子達たまに店で見かけるけど何者なの?」
「緋色ちゃんと如月さんの事ですか?おじ様と同じうちの常連様ですよ」
「ふーん。それにしてもマスターがあんなに意気揚々と物を頼んでいるのは初めて見たよ」
フフフと少し笑いながら宇佐美は壁にかかっている一枚の絵を指差す。
「うちにかけてある絵画って全部同じ作家さんが書いた物なんですよ。店長も、その作家さんの大ファンで」
「ああ、結構特徴的な絵だよな。なんつったけこういうの?抽象画って言うのかな。ピカソとか見たいな感じの。でも変だよな?抽象画ってやつは、こう意味不明な物体というか、よく分からないものだけで構成されている絵画だろ?」
客の言うとおり。
その絵は一見抽象画のように見えるが、一般的にイメージする抽象画とは一点だけ異質な所があった。それも一枚の絵にではなく、飾られている全ての絵に同じ特徴が見て取れる。
「なのにどうして、どの絵にもワンポイントにリアルな絵が描かれているんだ?」
それ等の絵には、何処かに必ず、はっきりと何が書かれているか分かる偶像画のように描かれた部分があった。
「やっぱり珍しいですよね?半抽象画っていう書き方らしいんですよ。私もあんまり詳しくは分かってないんですけど、抽象画と偶像画、あ、偶像画って言うのは普通に描いた絵の事で、それの併せ技みたいなものなんですって」
「へぇー、そんなのもあるんだな。学のねぇー俺にはわかんねー領域だな」
「やだなー、おじ様だって魚釣りっていう立派な特技があるじゃないですかー」
「へへへ、よせやい。こんなん自分が食う分だけで精一杯だって・・・・・・って、話がそれちまったな、さっき出て行ったお穣ちゃん達とこの絵って何が関係してんだよ?」
ついついおだてられた客は、ハッと我に帰り当初の話題に話を戻す。
「作家さんとその絵を取り扱っている画商さんですよ」
「作家・・・・・・え?どっちが?」
「学生さんの方ですよ。星川緋色ちゃん。中学生の時からプロとして活躍する女子高生アーティストなんですよ」
「こりゃあ、たまげたな。まだあんなに若いっていうのに。しかもこのご時勢で創作系か」
「はい、凄い子なんですよ。ただちょっと人よりも色々と敏感というかシビアというか」
星宮緋色はプロの画家である。彼女の描いた絵画は世界中で売買され、それによって収益を得ていた。
つまり「立派に働いている人間」である。
そして「如何にかして働きたい人間」である青柳総士。
無理に働く必要が無くなった時代で出会った二人。
これからも奇縁に導かれて幾度となく出会い、語り合う。
どうして働いているのか?
どうして働きたいのか?
働くとはなんなのか?
何の為に働くのか?
二人は語り合う。
例え、答えの無い話であっても、何となく話して、考えてみたいから。
得難い何かを得られるかもと淡い期待を抱きながら。
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