夏の13日の金曜日

@Rene

      

 天牛書店に向かった、平成最後の夏の13日の金曜日。オレは殺人鬼に出逢った。

 


 そこにいたのは間違いなく殺人鬼だった。

 顔に三日月の刺青も無いし、アイスホッケーのマスクも被ってもいなかったが、ただ、その男を一目見た瞬間にオレは隣にいる男が明らかに人殺しだと確信を覚えたのだ。これは思い込みなんかではなくて、本能からの確信だからきっと間違ってはいない。


 殺人鬼は短い金髪と、海のように青い瞳と、コーカソイド系統の顔立ちをしていて、歳はオレと同じ三十代くらいか。そして周囲に気を遣わず小説を悠々と立ち読みしていた。


 ああ、なんてついてないんだ。



 その日のオレは、有り余る自身の金をどう無駄使いするべきかと考え、電車を使い、古本屋へ向かった。

 平成最後だの、不吉な曜日だの、気にせず適当に過ごす予定だった。


 適当に本を探し古本の山を駆け巡っている真っ最中、まるで不意打ちのように殺人鬼と出会ってしまったのだ。

 もう一度、口に出さず、繰り返す。


 ああ、なんてついてないんだ。


 ちらりと、殺人鬼を見る。

 殺人鬼は二葉亭四迷の浮雲(岩波文庫)を手に取り、読んでいる。それなりにボットーしているのか、オレの視線に気付いていない。何故、言文一致の先駆者の作品を読んでいるのか、とか、日本語読めるのか、とか、オレも浮雲読みたくなってきた、とか様々な考えがアタマの中を駆けていった。


 しかし、オレは結局、殺人鬼にどう話しかけるべきなのか見当がつかなかった。

 そもそも、殺人鬼に一体どんな話題を振れば良いのか。

 小粋なブラックジョーク?

 効率的な人の捌き方?

 いや。いやいや。そんなもの使い古されているだろう。何か無いのか。殺人鬼とのファーストコンタクトで友好的な話題。

 ああ、こんな時にオレの社交性の無さが浮き彫りになるとは。

 

 そもそも、だ。オレは殺人鬼に出くわす予定なんて、無かったのだ。オレは金を無駄に使いたくて適当な本を山ほど買いに来た。それだけ。それだけだというのに。

 殺人鬼はまだ読書に没頭している。なんとなく、ジャマをしてしまうのも悪いように思えた。きっと、殺人鬼は次の犯行の合間の休息を取っているに違いない。本を読みながら、現実を少し離れ、物語に浸っている男に少し共感を覚え……ハッと思い出す。


 どう、話しかけようか。

 いや、そもそも話しかけない方が良いのか?

 考え直してみると、話しかけない方が良い気がしてきた。そもそも、オレは何で話を振ろうと等と思ったのだろう。

 相手は殺人鬼だ。話しかけた後、ザクっとナイフで一発……何て事になる可能性だってあるというのに。しかし、今、ここで誰かに殺されても一向に構わないのがオレという存在だ。親とはずっと前に縁を切っているし、友人だってオレを失って困るような人間はいない。寧ろ、オレに金を借りてる奴は万歳三唱するんじゃないだろうか。

 何よりも、オレ自身が殺されても構わないと強く思っている。この苦しくも楽しくもつまらなくもない三十数年の人生の幕を下ろしても、別段構わない。

 それにこんな機会、滅多に無いぞ。

 さあ、一世一代の出会い、どう出よう。

 殺人鬼は鬱陶しい夏の暑さに不似合いな涼し気な顔をしながら本を読み続けている。…一体何処まで読み進めているんだろう。

 オレも昔、読んだだけなので内容はうろ覚えだが、主人公みたいな男は今も結構いるだろうな、と感じたことだけが鮮明に記憶に残っている。

 確かなことは明治から平成に変わり、さらに平成が終わり始める頃もになっても、世間様が無職になった人間に向ける目の温度は冷たいって事だ。


 …こんな益体のないことをごちゃごちゃ考えていないでさっさと話しかけてしまえよ、オレ。

 早く、早く。

 でないと。

 殺人鬼が行ってしまう。

 新しい犯行を、或いは新しい暇つぶしを求めて。

 話しかけろ、オレ。早く。早く。早く。

 チャンスを、逃すな………!


「あの、さ」

「はい?」

 至近距離で、声がした。低く、艶のある男の声が。

 だから、少しだけ反応しおくれた。

 ゆっくりと、ぜんまい仕掛けのブリキロボのような動きで隣を見る。

 怪訝そうな表情をした殺人鬼がいた。

「さっきから、ジロジロ見てたけど俺に何か用でもあるのか?」



「お前、殺人鬼だろ?」


 殺人鬼は目を丸くした。そして、笑った。歳不相応な、少年のような笑い方だった。

「アッハッハッハ…!! いきなり何なんだよ、アンタ!!!! 頭おかしいんじゃないか…!! アッハッハッ……!!! ………………いや、確かにそうなんだけどさ。それがどうしたっていうんだ」

「いや、単なる好奇心で聞いてみたかっただけだ、気に障ったらなら謝ろう」

「いんや、全然」



「でもさ、アンタ。好奇心はネコをも殺すって言葉を知らないのか? 俺に話かけて……どうなる、わかってるのか?」

 殺人鬼は口をにい、と三日月のように上げ、目を爛爛と光らせた。その目はエモノを目前にしたネコのようでもあったし、繁華街の妖しいネオンの色のようにも見えた。

 周囲の温度が、真冬のように感じられ、臓腑に液体窒素を詰め込められたような感覚を覚えた。

 オレはこのままどこかに連れ去られ、殺されてしまうのだろうか。

 それでも良い、と思った。

 同時に生温く、死にたくねぇなとも。

 

 殺意がただ一人、オレだけに向けられていた。この場所で、ただ一人。オレだけに。

 百本のナイフと牙、黒い銃口を向けられているような錯覚さえ覚えた。密度の高い殺意を生まれて初めて、向けられた。





「人殺し、オレを殺してまた誰を殺すんだ?」

「目についたヤツを。幸せなヤツも、不幸なヤツも、平等に」

「殺して、殺して、どうするんだ」

「どうも、しないさ。そんなことを殺人鬼に聞く方がおかしいよ」

「そういうもんか」

「そういうものだ」

「……で、結局、オレを殺すのか」

「いや」


 オレを狙いすましていた、殺意があっけなく溶かれえた。

 拍子抜けとは、こういうことを言う。


「ここは人想いにさっと殺す場面じゃないのか」

「それもそうなんだが、生憎と人を待たせていてなぁ。またの機会にってことで」

「…へえ、誰を待たせてるんだ」

「相棒。探偵をやってるんだ」

 探偵!

 これまた殺人鬼とは相容れないような存在の名が出たものだ。


「矢張り、名探偵なのか? それとも、迷探偵?」

「いや、両方付かない三流の探偵だよ。とてつもなく詰まらないことにな」

「へぇん」

「それじゃ、またな。次逢ったら時は………命の保証は無いぜ」

「そうか。じゃあ、また」


 殺人鬼は結局、本を一冊も買わず店を去っていった。


 オレはまだ、生きることが決まってしまったらしい。


「……オレも帰ろう」


 殺人鬼が置いていった二葉亭四迷の浮雲をカウンターに持っていき購入。

 さき程の殺人鬼とのやり取りなんて無かったかのように普通に店を離れていく。


 夏日かじつの詰まらない日常がぽっかりと口を広げて、オレを飲み込んだ。


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