第11話 ~温かい気持ち~
湯気がもくもくと。
小さな箱の中に暖かいお湯がいっぱい張ってあるとある空間に。
そんな場所へと事情が分からないまま放り込まれたわたしがいました。
天井から落ちてくる水滴が鼻の頭に当たって、思わず冷たいと思ってしまうけど。
えーと。
わたし今何してるんだろう?
あ、この空間の名前はもちろん知ってるよ。
お風呂――なんだよね。たぶんだけど。
まぁ、名前は知ってても実際にお湯がいっぱい張られた中に入るなんて初めてなんだけど。
孤児院にいるときは汚れた濡れタオルで拭くか、井戸から持ってきたお水を浴びるぐらいしかなかったからね。
それで。
ぶくぶくと。
鼻の下までお湯まで浸かったわたしは。
気持ちのいいお湯の中、少し居心地の悪さを感じているんだよね。
同じお湯が張られた小さな箱の中。
そんなわたしの目の前に。
猫耳をぺたんと閉じてぷるぷると小刻みに震えながら瞼を閉じている女の子。
あの時湖で見かけて。見失わないように追いかけた結果、獣人さんたちの村に辿り着いて。
獣人さんたちの恐怖が混じった奇異な視線に耐えられなかったわたしが立ち去ろうとした時に猫耳の大人の女の人と一緒に現れた女の子。
そんな女の子が何故かわたしの目の前に一緒に座っていて。
同じお風呂に浸かっていたのでした。
「んんぅぅ~~~」
あ、可愛いかも。
そんな女の子をじーっと見てるとね。
なんかこう。ずっと頭をなでなでしたい気持ちにとらわれてしまう訳で。
うずうずと右手をお湯から出していたら。
「がー? がーがー!!」
空いている隙間を器用に泳いでいたがーくんがわたしの手の甲に顎を乗せてきたんだよ。
わたしと一緒でがーくんも温かいお湯が気に入ったのかのんびりしていたみたいだね。
ぴとっとわたしの手の甲に乗ってくるがーくんを見てると。もう言葉に表せない可愛さがあるんだよね。
あーもー。がーくんも可愛いなぁ。
そんな風にのんびりしていた時なんだけど。
「そ、その子……」
「ふぇっ?」
何時の間にかジッとわたしを見ていた女の子が。
って思うんだけど、最近この変な反応が癖になってる気がするかもしれないなぁわたし。
でも、どうしたんだろう。
「その子ってがーくんのこと?」
「そう、です……。そのワニの赤ちゃん。もしかして湖の守り神様の子供、なんですか?」
「えっと、湖の守り神様? どうなんだろう? がーくんってそうなの?」
「がー?」
がーくんに問いかけるけどそんなの知るわけないと言うみたいに鳴くんだけど。
湖の守り神様って何なんだろう?
「ち、違うんですか?」
「えっと……」
『たぶんあの場所で見つけたこのワニの親のことを言っているのではないのか? 辺境に住む住人は自分たちの住む場所周辺を神域と見なすことがあると聞いたことがある。恐らくはこの村に住む獣人たちも湖に生息していたワニを守り神として崇めていたのではないか?』
おぉ。なるほど!
わたしにしか聞こえない声で
「もしかして湖に住んでいたワニのこと?」
そう訊いてみると。
コクコクコク。
正解だったみたいだね。
何度も縦に首を振る女の子を見てやっぱり撫でたくなる感情がふつふつと湧き上がってくるよ。
それにしても守り神、か。
わたしには分からないけれど。
きっとがーくんのお父さんとお母さんは、ここの獣人さんたちに大事に扱われていたのかな。
それがあんなことになっちゃうだなんて……。
あそこで何が起こったんだろう。
『いや……。すまないが原因までは我でも分かっていない状況だ。だが、点々と存在していた魔素溜まり。あれは自然に発生したものではない様でな。となると……』
悩んでるみたいだけど。何か分かったらわたしにも教えてね。
『ああ。分かったらクーにもきちんと教えるよ』
えへへ。有り難うね。
「がーくんはたぶんその湖の守り神様? の子どもで合っていると思うよ」
「やっぱり。そうなんですね」
猫耳の女の子ががーくんをそっと撫でてきて。
気持ちがいいのか眼を細めるがーくんが。
ぼわっと。
口から炎を吐いちゃって。
「えっ? え? え?」
「あー……がーくん……」
「がー?」
目を丸くしてがーくんとわたしを交互に見てくる女の子。
そりゃ驚くよね。普通のワニは炎なんて吐かないよね。
でもどうしよう。何て説明すればいいんだろう?
上手な説明が思い浮かばないまま悩み続けていたそんな時でした。
すぐ近くでガラッと引き戸が開く音がしたと同時に。
「何時まで風呂に入ってるんだい。ほら、早く上がらないとのぼせちまうよ!!」
わたしを問答無用にこのお風呂に放り込んだ恰幅がよくて声も大きい猫耳の女の人。
たぶん、一緒にお風呂に入っている女の子のお母さんなのかな?
その人がお風呂の引き戸を開けてきて。
「ほら、早く出た出た。ココものんびりしてないでクーリアを手伝ってあげな」
「う、うん。ほら、一緒に上がろう?」
「あ、ひゃい!!」
あぅ。つい噛んじゃったよ。
その後は怒涛の連続で。
成されるがままにゴシゴシと大きなタオルで身体中を女の子のお母さんに拭かれちゃって。
それで女の子に手渡された白くて綺麗なパンツと大きな青いシャツ……ワンピースなのかな? に着替えさせられたわたしは。
連れてかれるままに知らない部屋に入れられたのでした。
え、ここ何処なの? って思う暇もなかったんだよ。
連れてかれた室内にはわたし達の他にもう一人。
目の前にいる毛がもっさりしたたぶん犬人……なのかな。そんなお爺ちゃんが座っていて。
「ほら、アンタも座りな。ココは自分の部屋に戻ってな」
「う、うん」
「あ、はい」
な、何が起こるのかな。
わたしと一緒に来てくれた女の子は居なくなっちゃうし。
お爺ちゃんは座ったまま何も喋ろうとしないし。
ジッとわたしを見て何も喋らないお爺ちゃんを真正面から見る席にわたしはがーくんを膝の上に乗せた状態で座らされて。
…………。
あぅ。何か喋って欲しいんだけど。
重い……重いよこの空気……。
「はぁ。なんだいこの重い空気は。仮にも長を担っているんだったら、さっさと話を始めたらどうだい!!」
「ひゃっ!!」
この空気に耐えきれなかったのは女の子のお母さんも同じだったみたいで。
大きな声にびっくりしたわたしと。
「いやなぁ。だって儂も人間を見るのはかなり久々なもんじゃてなぁ」
「まったく。そんなことだろうと思ったけどね。だけどこんな子供を委縮させてたら元も子もないだろうさね」
「いやはやまったくその通りじゃな。嬢ちゃんすまんのぉ」
犬耳をぺたんと閉じてようやくお爺ちゃんも喋り出して。
え。この重い雰囲気は怒ってたんじゃなくて何を話せばいいのか迷ってた感じなの?
「え、えっと。大丈夫です。それに、なんていうか。お風呂に入れてくれて有難うございました」
なんにせよ、まずはお礼をしないといけないよね。
「そんなこと気にする必要はないさね。見た感じあまり汚れてはいなかったけど、どうせ湖か川でしか体を洗ってなかったんだろう?」
「えへへ。やっぱり分かっちゃいますか」
「そりゃ、この広い森の中をあんな格好をしてここまでやって来るんだ。どんな事情があるにせよ只事じゃないのはアタシでも分かるってものさね。っと、ちょっと待ってな」
「ふぇ?」
何だろう?
一旦部屋から出ていく女の子のお母さん。
そして一分も経たないうちにすぐ戻ってきて……。
その手には何か湯気が立っているお皿とそうでないお皿を持っていて。
「どうせ腹も減ってるんじゃないのかい? こんなもので良かったら食べるといいさね。そこの守り神様の子供には別の物を用意してるから気にせず食べな」
「ぇ……」
目の前には牛乳の匂いがする野菜がいっぱい入った白いスープと二つの美味しそうな色に焦がされたパンが並べてあって。
「こんなご馳走を……わたしが食べていいの?」
「ご馳走って……。いや、そうさね。これはアンタの為に用意したものさ。溢さずに食べるんだよ」
「うぅ……。有り難う、ございますっ!! ――いただきますっ」
なんでなんだろう。
涙がまったく止まらないよ。
こんな美味しい御飯は生まれて初めてかもしれない。
泣きながら、時には咳込みながらわたしはスープとパンを食べ続けました。
「……悪い子じゃなさそうだね。ったく、アイツ等はこんな子を追い払おうとしたのかい」
「じゃがなぁ。聞いた限りだとこの子から尋常じゃない声が聞こえてきて持っていた槍が一瞬で燃え尽きたと言っておるんじゃろ。他の者たちも獣人の本能としてなのか恐ろしい存在に見えたと言っておるし厄介事になるかもしれぬのじゃぞ?」
「長も馬鹿だねぇ。こんな子がこの森に一人でいることから普通の子じゃないってことぐらい分かるだろうに。だが、それが何だって言うんだい。アタシ等だって普通じゃないからこそこんな場所に隠れて生きているんだろう? そんなアタシ等がこの子を迫害してみな? もう二度と誇りある獣人なんて呼べないだろうさね」
「うぅむ……その通りじゃな……」
食べながら聞こえてくる女の子のお母さんと長と呼ばれるお爺ちゃんの話し声。
その声が届くたびに。
わたしはどうしたらいいんだろう。そんな居た堪れない気持ちが湧いてきてしまって。
それなのに涙は止まらなくて。暖かいご飯もどんどんお腹の中に入っていって。
『恐らくは悪いことにはならぬだろうよ。クーはもう少し大人を信じたほうがいいかもしれぬな』
わたしそんなに他人を信じきれていなかったのかな。
『クーがどう思おうと。恐らくは深層心理で他人を拒絶しているように感じられるのだ。それは無理もないことなのだが……』
他人を拒絶……。
思い返せばそうなのかもしれない。
親に捨てられて。お婆ちゃんに裏切られて。
町にいるときも何でもない理由で町の人から石を投げられることもあった。
お婆ちゃんにお使いを言われてお店に買いに行ってもわたしの声が聞こえていないのか全然対応してくれないこともよくあった。
それで何も買ってこれなくてお婆ちゃんからも怒られたりしたっけ。
孤児院の子どもたちが遊んでいる時もわたしが声をかけても全然混ぜてくれるなくて一人で本を読み続ける日々だったね。
あれ、わたしって誰かと面と向かって楽しくお話ししてる記憶がないんだ……。
そっか……。
わたしは他人が信じれなくなっていたんだ。どうせこの人達もわたしを見てくれない。
最後には裏切るんだって。だから、この村にやって来たときも心の中では諦めてしまっていて。
門番の人に立ち塞がれて色々と言われちゃったから。それだけでわたしはもう駄目なんだと思っちゃったんだ。
『いや……クーの場合はしょうがないと思うぞ。普通そんなことがあれば誰だって疑心暗鬼になって当然だと思うがな。だが、クーはそれでも他人を悪く思うことはなかったのだろう?』
どう、なのかな……。
わたしだって普通の女の子なんだよ?
あ、普通じゃないからこんなことになってるんだっけ。えへへ……。
『とにかく。今はそこの獣人たちに従うんだ。彼等を信じられないのなら我を信じろ。なに、何が起きても我だけは味方なのだからな』
そんなことを言ってくれる
「がーがー!!」
有り難うね。二人とも。
うん。大丈夫。わたしは大丈夫だよ。
「ご馳走様でした。こんな美味しいご飯を食べさせてくれて有り難うございます」
「こんなもので良ければ何時でも食べさせてあげるさね。ただ……」
「うむ。嬢ちゃんのことを教えてもらってもいいじゃろうか? 君がどうしてこんな森にいるのか。そして君が何者なのかあの声と槍を燃やしてしまった炎を含めて、の」
そりゃそうだよね。
『仕方ないだろうな。これからどうなるにせよ。信頼を勝ち取るには今は言えることは全部言った方がいいだろうな』
そうだね。
うん。わたしも同じ気持ちだから。
だけどまずやるべきことがあって。
「まずは獣人さんたちをいきなり怖がらせてしまってごめんなさいでした。悪気はなかったんです」
「それはもういいさね。アンタだって怖い思いをしたんだろう? アイツ等には後でアタシから文句言っておくから大丈夫さ」
「えっと。でも、あの人たちは村を守る門番だったんですよね? 不審人物だったわたしに槍を向けるのは当然だと思います……」
「それはそれ。これはこれさね。とにかく、もう終わってしまったことをくよくよしなさんな。誰も不幸になっていない。それでいいじゃないかね?」
「ふむ。まぁ、儂もその話は一旦終わりでいいと思うぞい。だからこそじゃ。嬢ちゃんのことを知らぬことには儂等もどうすればいいのか分からんのじゃよ」
「有り難う、ございますっ……!!」
そしてわたしはポツポツと話し出しました。
生まれてすぐに親に捨てられたこと。
孤児院で育ったこと。それに町でのこと。
10歳の誕生日に売られてしまったこと。
森の中で木箱に入れられて運ばれていた馬車が何かに襲われたこと。
森で一人彷徨い続けて死にかけたこと。
そして。
雨の中卵を拾って。湖に向かう途中に卵からがーくんが生まれたこと。
湖に到着して。反対側にがーくんのお父さんとお母さん、そして生まれるはずだった兄弟を見つけたこと。
最後に獣人の女の子を見つけて。追いかけてこの村を見つけたこと。
短いようで長く感じたわたしの人生を。
本当に全て話し終わって。
劣等種であることも。憑き人であることも。
今まで怖かったことも。独りは寂しかったことも。
余すことなく言葉にしたわたしは。
終わった瞬間に何故か強く抱きしめられていました。
「もういい。もういいんだ。それ以上喋らなくていいさね」
一瞬何が起こったのか分からなかったけど。
ポカポカと。
とても温かい……。
あぁ。他人のぬくもりってこんなに温かいんだ。
「う……うぇっ。うわああああああああああああああああん!!!!」
思えば村中に響いていたかもしれないけど。
そんなことお構いなしにわたしは女の子のお母さんの胸の中で泣き続けました。
わたしの記憶はここまで。
話し疲れて。泣き疲れて。人肌のぬくもりに安心してしまったわたしは。
深い。とても深い眠りへと落ちていったのでした。
【Side:???】
「はぁ……。なんてことを訊いちまったんだいアタシは……」
「こんな幼い子供が抱えていい苦労じゃないじゃろうに。それなのに儂等は知らないというだけでこの子を追い払おうとしたのか?」
「あの時アタシが止めずにこの子がまた森の中を彷徨ってたらと思うと。ココが同じ目にあってたらと思うと。はぁ……駄目だね、アタシは絶対に自分を許すことが出来なかったよ」
「儂も同じ想いじゃよ。よし。村の者たちは儂に任せておけ。これでも儂は長じゃからの。なぁに、反対する者なぞこの村にはおるまいて」
「アタシはこの子を見ておくよ。ふふ、いい笑顔をしてるじゃないか。ココともいい友達になれそうさね」
「そうじゃな。この子には友達が必要じゃ。じゃが……まさか守り神様がお亡くなりになられていたとはな……。あの雨の日何かがおかしいとは思うたんじゃが。やはり早々に見に行った方が良かったのかもしれぬな」
「今更そんなことを言ってもどうしようもないさね。少なくともあの子が。クーリアが守り神様の子供を救ってくれた。そこはアタシ達も感謝しなければいけないことだろうね」
色々と決心したのか。
ドタバタと動き回る獣人たちを見守る一つの存在。
『だから言ったであろう。もう少し大人を信じてもいいのではないかとな。我も人の汚い部分ばかり見てきたから言えたものではないのだが。それでも居る場所には居るものだな。こういった者たちも』
宿主である少女にしか聞こえない声で。
安堵した笑顔で眠っている少女には聞こえはしないことなんて分かっているが。
どうかこの場所が少女の――クーリアにとって幸せになれる場所であることを願いながら。
その存在は。呪いの魔剣である――イグニスは少女の親として密かに見守り続けたのだった。
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