第9話転生したら異世界でした08


「……っ!」


 特にやることもないためクロウは自身の鍛錬に時間を割いた。


 何はともあれ鈍った剣の腕を取り戻す作業からだ。


 ある程度の形は覚えているが、しばし剣から離れたのも事実。


 愛刀である薄緑を手に素振りをするクロウだった。


 これも鬼の血を取り込んだおかげか。


 薄緑はしっくりと手に馴染み、その重みを軽やかに受け止める膂力を完全にクロウは獲得しているのだった。


 幼い少年の体でありながら数千の素振りを苦にしない。


「なるほど」


 と自嘲する。


 人間を止めている事を深く理解したが故だ。


「その剣はどこから出したのじゃ?」


 とはオリジンの言葉。


「魔術です」


 サックリ答えるクロウ。


「片刃の剣とは珍しい」


 少なくともこの辺り一帯では、と注釈が付くが。


「名は何という?」


「小生は薄緑と呼んでいます」


 型稽古を終えて鞘に収めると、クロウは剣を消失させた。


「便利じゃの」


 感嘆とするオリジンに、


「あまり自慢できる物でも有りませんが」


 クロウは謙遜した。


 天翔にしろ薄緑にしろ、ヴィスコンティの家に於いては無用の魔術に相違ない。


 そうであるが故に家出したのだから。


「素振りは如何な意味がある?」


 とはこちらの世界での違法であるがための質問だ。


 剣の術理という概念がそもそもにして存在しない。


 傭兵の中には剣士の類も居るが、彼らの訓練は筋力を鍛える事を第一に置くため、オリジンとしても通念としてはそのイメージに囚われる。


 クロウのやった型稽古は珍しかろう。


「適切かつ最適の要領で剣を振る。そのための理です」


 説明としては不足しているが他に答えようも無い。


「剣術……と言ったな」


「はい」


「それは前世の世界では常識だったのかや?」


「一般的な兵法者なら嗜みではありました。もっとも御大の剣は少々無骨ではありましたが。まぁ言って詮方なきとはこの事でしょう」


 クスッと笑う。


「うん。クロウは笑った方が魅力的じゃ」


「抱いてくださる気に?」


「もう少し熟成してからの」


 サラリと躱すオリジンだった。


 穏健な日々が続いた。


 前世の業もなく、現世の罪もなく、何にもせき立てられる事の無い日常。


 難老長寿。


 その事の在り方故に鬼ヶ山でのんびりと暮らす。


 前世で鞍馬寺にて過ごした日々も経験として生きる。


 鞍馬の御大に仕込まれた京八流も長い時を掛けて全盛期に回帰する。


 朝は川で釣りをする。


 昼は刀を振って鍛える。


 夜は山の命を狩って食事と為す。


 ある種のホームレスではあるが、文明と乖離するという意味では然程間違った指摘でも無い。


 単純に自らを鍛えオリジンの手足となる。


 山を仇為す不届き者を成敗し、山の育んだ命を消費して寿命を繋ぐ。


 そんな毎日。


「鬼ヶ山には鬼が出る」


 そんな鬼の一角にクロウは数えられていた。


    *


 山籠もりを続けて数年。


 そのあくる日。


 時間は深夜。


 草木も眠る丑三つ時……というとこの際矛盾が生じる。


 樹々のざわめきを聞いてクロウが起きたのだから草木は眠っていなかった。


 ザワザワと不吉を口にする風と木の葉の声を漏らす事無く耳で拾う。


 オリジンも起きていた。


「山が鳴っているな」


 然りである。


「今宵の月は明るいの。魔物の一つも出るであろう」


 狂気という意味で、


「ルナティック」


 そんな表現がある。


 月夜の晩は魔物が跳梁跋扈する。


 影響を受けやすいのは獣の類だ。


 ルナウルフやルナベアーと呼ばれる月光に狂った狼や熊が荒れ狂う時間帯。


 鬼ヶ山はその手の事案に事欠かなかった。


 山の主であるオリジン並びにその代行であるクロウには問題の無い事だが、一般的な人間には魔窟に相違ない。


 無論の事、真っ当な人間は入山するはずも無い。


 そしてそれが故に後ろめたい背景の持ち主が通る。


 セントラル国家共有都市領域とサウス王国とを繋ぐ密輸ルートの一つがこの鬼ヶ山であった。


 結果として狂気に晒された魔物が人を襲い、人の悲鳴が樹々を伝って山鳴りとなり、クロウとオリジンの耳に届くと言った具合だ。


 クロウが立った。


「わしが行こうか?」


「先生におかれては心安んじて貰えればと」


 そう言ってクロウは疾駆した。


 樹々の悲鳴が伝える被害者の怨嗟。


 その方向を探り当て、飛ぶように翔る。


 天翔。


 ついぞオリジンは修得できなかった魔術だ。


 水分を足場に天を翔る。


 一直線に魔物の暴れる現場まで到達できるという意味では天翔を持つクロウの方に都合が良いのも確かではある。


「――――」


 腰に薄緑を差して場につく。


 密輸業者だろう。


 ルナウルフに食いちぎられて死んでいる商人と護衛。


 特別憂慮には値しない。


 この時間にこのルートを通る方が馬鹿だと言うだけだ。


 問題はその護送物品だった。


「ひ……あう……っ!」


 人だった。


 正確には亜人。


 クロウが知るはずもないが長い耳が特徴的な美少女。


 エルフという単語は聞いた事もないはずだ。


 金髪碧眼という特徴的な美少女で、顔の造型はミケランジェロに彫られたのかという程に整った絶世にして不世出の美貌。


 軽くたじろいだクロウであったが、杞憂と捉えて目の前を片付けた。


 鞘から刀が抜かれる。


 その一連で狼が斬り殺される。


 一頭。


 二頭。


 三頭。


 素早く片付けられ、樹々の悲鳴は治まり、山鳴りが静寂に屈する。


 人を襲う魔物と化した狼は犯罪商人およびその護衛の悉くを食い殺したが、一人金髪碧眼のエルフだけは生き残った。


 理由は単純。


 エルフが鋼鉄の檻に閉じ込められていただけの事。


「…………!」


 と刀を握るクロウを見てエルフは絶句した。


「なるほど。奴隷商人でしたか」


 その程度の知恵は働く。


 概ねに於いて山鳴りがするのは密輸する商人の不幸が発端であり、その中の何割かは奴隷商人であったのだから今更とやかく言う事も無い。


 刀を振るって檻を断ち切る。


「大丈夫ですか?」


 尋ねると、


「結婚してください!」


 エルフは求婚を申し出た。


 無論のこと……クロウには意味不明だったが。

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