私のスターチス

鴻桐葦岐

1.

 俺は目の前の鏡を見詰めた。そこに映るのは黒髪をボブカットにした、ブレザーを着た高校生の女の子。目はぱっちりとした二重で、鼻は低過ぎず高過ぎず、唇はあまり厚くなく、少年ぽさすら感じさせる快活そうな女の子だ。

 そう、女の子だ。

 俺は花も恥じらう女子高生。名前は海堂優依。

 勿論人前じゃあ「俺」なんていわない。一人の時と、心の中でくらい許して欲しい。

 だって俺には、前世の記憶があるのだから。

 その記憶はもう殆ど薄れて思い出せない事の方が多いのだけれど、当時は着物だった事はまだ覚えている。場所はここと同じ日本だが、今でいう何県だったかは覚えていない。ただ、山に囲まれていた事だけは覚えていた。そして恋仲の女性が居た事も覚えている。それから、当時は男だった事も。

 恋仲の女性については、いつまで経っても記憶が色褪せない。毎日の様に思い出しているからだろうか。いっそ忘れられたらと思わないでもないが、あの花のかんばせは忘れられない。いつもにこにこと細められた目、すっと通った鼻筋、柔らかな唇。

 ……だが、その恋は叶わなかった。身分違いだったのだ。俺の家はその地域ではとても偉く、決められた女性が居た。所謂許嫁というやつだ。それでも俺は、彼女と結婚したくて必死に抵抗した。けれど彼女の方が身を引いてどこかへと消えてしまい、俺は失意の中決められた相手と結婚、子を一人生した。そして俺は、五十半ばで死んだ。

 気付いたら俺は女子中学生だった。五十数年分の記憶は勿論、十数年女の子として生きて来た記憶もある。混乱し、数週間部屋に閉じ籠った。両親にはとても心配をかけてしまい、今でも申し訳無く思っている。

 数週間で記憶の整理をし、折り合いを付けた俺は、女として生きて行く事を決心した。女の子として生きて来た記憶があったし、前世の記憶はあくまで前世のモノであって、今の俺には関係が無いからだ。心配なのは恋愛が出来るかどうかだが、最悪一生独り身でも良いさ、と思う事にした。これまでの記憶で誰かに恋をした事が無いし、前世を多少なりとも引き摺っている俺が、男を好きになれるとも思えなかったからだ。

 もう一つ問題がある。それは、着替えやトイレに罪悪感を覚えなければならないという点だ。中学時代、そりゃあもう内心修羅場だった。けれど一年もすれば慣れてしまい、気にしない、という特技を得た。そう、見なければ良いのだ。無心である。

「優依、早くなさい」

 一階から母の声が聞こえてくる。枕元の目覚まし時計に目をやると、七時半を過ぎていた。

「はあい」

 応えて、鞄を引っ掴み部屋を出る。今の俺は女子高生、高校に行かなければならないのだ。

 入学して一ヶ月、お迎えテストも終わり、高校というシステムにも慣れてきた。クラスメイトの顔と名前も何となく覚えつつある。俺は女子特有のグループには入らず、必要があればあっちと話し、こっちと話し、何なら男子とだって積極的に絡んだ。というか、十数年の女の子人生より、五十数年の男人生の方が長いのだから、男との方が話していて楽だった。が、男子とばかり話すと良い顔をしないのが女子である。俺は誰からも適度な距離を取って、高校生活を送っていた。

 今日も一日を終え、掃除当番をこなし、帰宅部である俺は生徒用の玄関へと降りて行った。そこで上級生のグループとすれ違う。

 思わず立ち止まった。

 にこにこと細められた目、すっと通った鼻筋、柔らかそうな唇。長い髪がふわりと靡いてシャンプーの匂いが香る。知らない香りだったが、その中に懐かしさを覚えた。

 立ち止まった俺を訝しむ様にしながら、上級生グループは通り過ぎて行く。俺は暫く、動けなかった。

 彼女だ。絶対、間違い無く、彼女だ。

 そっくりな顔立ち、シャンプーに紛れて香ったあの匂い。

 いや、違う。そうじゃない。

 これは直感だ。俺の中の前世の記憶が、彼女だと叫ぶ。

 振り返った頃には、彼女はもう、居なかった。

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