五度目のクリスマス
雪乃 伴哉
夢と幻
昼寝をしていた。
まだ昼というほどの時間でもないのに睡魔に誘われて眠りに落ちていた。
早起きをした日はいつもこうだ。
九時を過ぎたくらいに眠ってしまう。
でも、あれは本当に昼寝だったのだろうか。
夢を見た。
俺がその日のアルバイトに向かおうとしているとき、何か突然に胸騒ぎがした。
気づけば俺は反対方向の電車に飛び乗って家へ帰ろうとしていた。
現実ならそんなことは絶対しないだろうという行動ばかりとってしまう。
次の場面では、俺は電車を降りたらしく一生懸命に走っていた。
夏の初めのうだるような暑さの中を全力で走り抜けているのだから、正気の沙汰じゃない。
見たことのない道をただ走るために走っていた。
少し前に胸騒ぎの原因には気づいていた。
たぶん、俺にはもう一人、弟がいる。
今は長男の俺と、次男の弟で母親と一緒に暮らしているが、俺にはもしかすると三男の弟がいたかもしれない。
馬鹿げている。そんなことを忘れたりするものか。
夢のくせに妙にリアルに自分を否定しだす。
しかし、夢の中の俺は、もう一人の弟について徐々に思い出していく。思い出していくという言葉が合っているかはわからないが。
だいぶ前に、うちは両親が離婚している。
そのとき、子である俺と弟は二人とも母についていった。
それからはさっきも言ったとおり、弟と俺と母の三人暮らしが続いている。
だが、そのとき、父親についていったもう一人の弟がいたんじゃなかっただろうか。
ここまでくると、なにか堰が切れたように、生々しく以前の住居にあったもう一人の弟の痕跡があふれてくる。
顔は、たぶん、こんな感じだった。いや、もう少しシュッとしていただろうか。日に焼けて黒かったと思う。確か小学校の少年サッカーチームでPUMAの黒いに白のラインの入ったスパイクをはいて練習してたような。でも俺よりはもっと柔らかく優しそうな顔じゃなかったか。
和室に、弟ともう一人の弟の机が隣り合って置いてあった。俺は子ども部屋をはやくから独占し始め、自分なりの王国を築いていたんだけれども、いや、あれ、でも弟の机はその子ども部屋で俺の机と横並びになっていたはずだ。どっちが正しいんだ。
これは夢ではないのか、と夢の中の俺が疑い始める。
そうしているうちに場面はさっきの全速力で家まで走っているところに変わっていた。
もうここしばらく運動していなかった俺は、走るなんてとんでもない話で、すぐ息切れするし、足も速く回ってはくれないはずだった。
それなのに、実に快調に、軽々と、そしてどこまでも走った。
走っているときはもう、ある大事な一つの確認を急ぐことだけで、それしか頭になかった。夢と疑う間もなく。
国道の大通りを、多種多様の店の前を横切りながら走っていたと思ったら、いつの間にか俺は開けた砂利道を走っていた。
少し前に自転車に乗って家に向かう弟と合流した。
弟はそのまま自転車を止めずに家へ向かっていたが、俺はその後ろから走って追いかけていた。
ふつう、そんなに遅くもないスピードで漕いでいる自転車に走って追い付けるわけがないんだが、一生懸命走れば自転車にも追い付けた。
追いつくどころか追い越して、置いていった。
それからすぐに、家についた。
和風のお屋敷の門が出迎えてくれた。
こんな屋敷に住んでいたっけ、とは思わなかった。
どうやって中に入ったかは覚えていないけれども、気づくと室内のどこかにいて、銀色の棚を漁っている。なにか手がかりが残されていないかと思っているようだった。なにかあの日の約束があったはずだと感じていた。
また気づくと場面がなめらかに変わっていて、部屋で体を投げ出してもう一人の弟のことを思い出そうとしていた。別れる日のあの顔。いや、そもそも俺はそのもう一人の弟になにかしてやったことがあっただろうか。もう一人の弟は俺と何をしゃべってただろうか。家族だったのに、何のかかわりも思い出せない。
そのとき、さっき追い越した弟が帰ってきた。
何も考えずすぐに弟にきいた。俺らってさ、ずっと二人兄弟だったっけ。
は?という顔をした。いや、は?という音まで漏れていた。
何言ってんだという顔で母親を呼んできた。まさかもう家に母親がいたとは気づかなかった。
母親と弟と一緒に、もう一人の弟のことを考えてみてほしかった。いたよ、と言ってほしかった。そうでなければ俺の気が狂ったことになってしまう。
でも、母親も、そんな人いたっけ、という顔しかしていない。
こっちには切り札を切る準備があった。なぜかこれを切り札と確信していた。
でもさ、前の家の和室にさ、机二つ並べて置いてあったよね。
その瞬間、母親も弟も、なにか重大なことを思い出した顔に変わった。
たしかにそうだ。いた。なんで忘れていたんだろう。
俺も今日急に思い出したんだ。ふつうこんなこと忘れる?
今は何してるの。いや、わからない。
まあこの家でまた弟ができるかもね。
母親のその一言に俺が愕然とした。いや、もう一人の弟の存在を思い出した時よりよっぽど愕然とした。
再婚してたのか。ということは俺はその新たな家庭で過ごしてたのか?たしかに、今度はものすごく温厚そうな父親がいたのかもしれない。いや、一体俺はどこで暮らしている?
あんまり急にびっくりしたもので、いいよ、勝手にやってよ、と返すのが精いっぱいだった。
そういえば、最後になんかクリスマスツリーみたいな形のキーホルダーみたいなのもらってなかった?
母親の何気ないその言葉に、思わずあっと言ってしまった。
そうか、それで繋がった。なんかクリスマスが気になってた。そういえば五回目のクリスマスに会いにいく約束をしていたんだ。
そして今年の十二月二十五日が、その五回目のクリスマスだった。
アルバイトに行くには、あともう少し時間があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます