「異世界の人類を滅ぼす方法を答えよ(配点100)」(忠臣蔵様)

ライオンと人類


 俺は、夢で殺された。

 きっと、こんなことを話せば「なんのこっちゃ」と白い目で見られるかもしれない。

 だが、事実だ。


 俺は、夢でオオカミに食い殺されたのだ。それはまあ、おぞましい感じで――思い出しただけで身の毛がよだつ。

 しかも、俺の不幸は、それで終わらなかったことだ。



「あなたには、ふたつの選択肢があります。この場で身ぐるみを剥がされ奴隷として放逐されるか、愚息の教師となって働くか。今、選びなさい」



 いきなり見知らぬ世界で、何故か死んだはずなのに生きている俺は、宮殿の玉座の前で究極の選択を強いられた。

 実質俺に、選択権などありはしない。

 何せ、奴隷になったら頭を砕き、あらゆる部位を解体し、市場に高く出回るぞなどと脅されては、もうひれ伏すしかないだろう。

 すったもんだあった末に、俺は知らない世界で魔王の息子の家庭教師となった。


 ――なった、のだが。


 その理由が酷かった。

 今こんな風に事の起こりを思い起こしていることこそ、現状からの現実逃避に他ならない。

 どうして、こんなことになったのか。死ぬ前からの己の不運さに嘆きながら、俺は再び目の前の存在に向き直った。






「センセイ、少しいいか?」


 声をかけられ、俺は現実逃避から帰ってきた。きてしまった。

 仕方がないので、意識を目の前に向けることにする。そうしないと、また酷い目に遭うからだ。

 俺の前では、野球グローブの様に分厚い、大きな耳が頭の上で揺れている。


 良いことを思い付いたから、話したくて仕方がない。


 そんな風に、彼の顔にはでかでかと、油性マジックの様に濃く、太く書いてあった。

 この国の王子様は、とっても分かりやすい。将来魔王になるというのに、ここまで馬鹿正直で良いのかと呆れ――なくても良いか。その方が、人類のためである。


「センセイ」


 再度呼ばれたが、まだ俺は往生際悪く現実逃避をしてしまう。これからの会話から逃げたいからだ。

 ゆらゆらと、彼の耳を見ながら心の中で溜息を吐く。


 本当に、つくづくこの世界の種族には驚かされる。


 何しろ、自分の傍には人間がいない。この魔界では、人類は原始人並の知能と生活能力しかないらしく、少なくとも宮廷教師になった俺の周りではお目にかかれない様だ。


 だから、センセイ、と呼んでくる王子は、当然人ではない。二足歩行のライオンだ。


 上顎から下方へ湾曲わんきょくして突き出した牙に、墨を溶かした様に真っ黒な眼球と濃紫の瞳孔どうこう。秋の稲穂の様な黄金色と、甘い蜜色が入り混じった毛並みは、しとやかに煌めき、相反する瞳の色との加減が何とも言えぬ美を歌っていた。

 だが。



 ――バケモンだな。



 それしか、思えなかった。

 何故なら、今までに、何度もこいつ『ら』に殺されてきたからだ。

 どれだけ美しい姿をしていたとしても、目の前の王子に好意を抱くことは最後まで訪れないだろう。



「センセイ」

「は、はいっ?」



 実際に溜息をつきかけて、慌てて堪える。おかげでげっぷをした様な音を立ててしまったが、殺されるよりは百倍マシだ。

 あまり酷い言動を取り過ぎれば、文字通りクビが飛ぶ。二重の意味で。

 だから、外向そっぽを向いてごまかしたのだが、相手に勘繰られていないか冷や冷やする。

 そもそも、何でここまで怯えなければならないんだ。己の不運をまた呪った。



 ――はあ。空も、俺の心とおんなじだな。



 視線を向けた窓の向こうには、深い闇のみが広がっていた。月どころか、小さな星の瞬きすら見当たらない。

 空気がよどんでいるのか、そもそもこの世界に星は存在しないのか。異世界の常識をその内学ばなきゃな、とは思いつつも、ここにいる理由を考えて気が削がれる。

 それに、今は『先生』だ。

 しかも、授業中。教える側なので、今は学ぶ時じゃあない。


「えーと。それで、何でしょうか?」


 ここ数年の、真っ黒な環境で鍛え上げた営業スマイルを貼り付け、重厚な漆黒の文机まで歩み寄る。

 どうでも良いが、この部屋、無駄に豪奢ごうしゃな上にだだっ広い。歩く距離が長すぎだ。流石は王族。見栄だけは立派だ。


 ――なんて文句は、毛先ほども外に出しはしない。


 腰をかがめて距離を縮めれば、王子様は顔を近付けて耳打ちした。吐息の湿り気が触れて、心臓が跳ねる。また殺されそうだ。



「傍仕えの侍医から、疫病をばらまくのはどうかと言われた」

「は、はあ」

「それで、この資料によれば、ニンゲンには毒ガスというのが効果覿面こうかてきめんらしいと」



 そう言って指差すのは、文机に置かれていた『西部戦線異状なし』というタイトルのDVDだった。

 思わず視線でDVDプレイヤーを探したが、見つかるはずもない。異世界だから当たり前なのだが、何故俺の世界のDVDや書物はあるのだろう。不思議でならなかった。

 もう一度、DVDに視線を落とす。

 確かに、この映画には、主人公達が毒ガスを浴びてのた打ち回る場面があった。と、思う。記憶が曖昧だから定かではないが、王子様が言うのだからそうなのだろう。毒ガスと疫病は違うがな。

 しかし。


 ――名作を、こんな形で参照にするとか、ありえない。


 クレヨンしんちゃんを熱心に観るお子様を、心配されるご父兄のお気持ちというものは、こういうことなのかもしれない。――職業病か、敬語を使ってしまっている自分が悲しすぎる。

 とはいえ、このライオンもどきは、俺の息子ではない。というより、頼まれたってなりたくはない。殺されまくるのはもう嫌だ。


「どうだろう?」

「どうでしょうね」


 そう返すしかない。他に何を言えと? 何故、人殺しの相談に加担しなければならない。

 己の立場が嫌になる。もうここに来てから、何百回も嫌になっている。断れもしないから、悲しくなった。


「本格的な侵攻の前に、頭数を減らす必要があるとわたしは思う。それに、無力な彼らに余計な混乱を与えたくないのだ。兵を最初に動かしてしまえば、必要以上に苦しむことになるしな」


 ――やかましいわっ。


 叫びかけて、ぎりぎりで堪える。

 さっきは叫んだ時に、牛に虎に羊など、角や額に目がくっついた様な動物モドキが扉を叩き開けてきて、拘束されてしまったのだ。

 何度殺されたか分からない。思い出すだけでぶるぶる震える。漏れそうだ。――まあ、その度に生き返る自分も恐ろしいが。


 思い出したら、あちこちがずきずき痛み始めた。首もそうだが、肩や胸など傷が治り切っていない。

 それなのに、何で今まだ生きてるのだろう。死にたくなった。


「センセイ」

「え? あ、ふふっ……、へへ、はは」


 努力して笑う――を通り越して壊れた変人になっている俺を、王子様は若者らしい真っ直ぐな目で見上げてきた。



「教えてくれ、センセイが知っていることを」



 あまりに真っ直ぐに――何故かライオンもどきなのに清らかな瞳を向けてくる彼に、潰された様に目が痛む。



 ――だめだ。もうごまかせない。



 弱者とはこうも無力なのか。

 仕方なしに覚悟を決め、それでも決まらず咳払いを五回繰り返した。

 そうして、更に「あー」とか「おほん」とか、往生際悪く咳払いをしていると、きらりと王子様の目が光った。やばい。

 なので、今度こそ覚悟を決めた。



「えーっと、毒ガスというのは、えー、あー、第一次世界大戦っていう戦争の時から使われ出した、えー、えー、生物兵器で――」



 ところどころで、尚も往生際悪く無意味に時間を引き延ばしながら、俺は再度決意した。もう、何度決意したか分からないが、決意した。


 ――人類殲滅作戦とか、むごすぎるだろ。


 初めて聞いた時には、卒倒したくなった。殲滅が救いとか、訳が分からない。頭がおかしい。

 こんな物騒なことを教わりたがる凶悪な連中の侵攻は、是非とも防がなくちゃいけないだろう。

 まあ、こっちの世界の人々に義理があるわけではないが、世の中には義理とか関係ない場面もあるのだ。

 

 作戦の詳細は、一切分からない。我ながら無能だ。


 しかし、とにかく俺の働き次第で人類は滅亡するらしい。

 何故なら。



〝教えてくれ、魔界のニンゲンを一匹残らず滅ぼす方法を〟



 俺がこの異世界へ連れて来られたのは、何と、人類を滅ぼす方法を教えるためだったのだから――。


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