60分で小説を書こう!! 先生×生徒  

くさかみのる

第1話

 それを恋だと知ったのは、この保健室だった。

 白い部屋と薬品の匂い。穏やかな日差しと心がぽっと安心できるような先生の声。

 綺麗で、しなやかな指先が薬品や書類を扱うのにすらわたしの心は揺れ動いた。

 誰にでも優しい保健の先生。

 沢山の生徒のあこがれで、かっこよくて、わたしじゃ手が届かない、そんな人だった。

 そんな先生がわたしに声をかけてくれたのは、あの雨の日だった。


 朝、天気予報を聞きそびれたわたしの目の前には、バケツをひっくり返したような雨。

 調べものがあったので図書室によっていると思ったより時間が過ぎていた。

 友達はみんな下校してしまっているだろう。学校に残っている生徒の数も少なそうだ。

 下校はムリだなぁと、ぼんやり窓の外を見つめていると、

「君、どうしたの?」

 振り向くと、白衣が見える。

 そのまま上に視線を上げると、人好きする顔。

 保険の先生だった。

 先生はわたしの答えを聞かずに外を見て、

「あーそうか、うん」

 頷き、こちらを見てニコリと笑うと私の手を取る。

「え?」

「おいで」

 やんわりと手を引かれ、わたしはそれに逆らわなかった。

 暖かい手のひらに、逆らう必要性を感じなかったのだ。

 会話したことはなかったけれど、目の前にいる人が自分の学校の先生だということは知っていたから。



 手をつなぎながら雨が降る校舎を歩く。

 誰にも会わない。

 少しすると保健室の前にたどり着いた。

「さ、入って」

 どうぞ、と促されるので部屋に入ると外とは違い、乾いた空気だった。

 除湿機でもつけているのだろうか。

 それと、ほんの少し薬品の匂いがする。

「ようこそ保健室に。あ、そこに座ってね」

 わたしは小さく頷いて、指定されたベッドに座った。

 ぽふんと小さな音を立ててふわふわなベッドに体が沈んでいく。

「あの、先生」

「ん? なぁに?」

 ニコニコしながら先生はお湯を沸かしている。

「わたし、怪我してませんよ?」

 保健室は女子の中でも人気の場所だ。

 もちろんお目当ては先生だろう。

 わたしは健康な方なので、保健室にお世話になったことはなく、これが初めての入室。

「あー、うーんとねぇ」

 頬を掻きながら先生は笑う。

「外、雨が降ってるから」

「そうですね」

「だから。えっと、雨が降やむまで僕の話し相手をしてくれないかな」

「?」

 先生の言葉にわたしは首をかしげてしまった。

 先生ほど人気の人なら、ほかにいくらでも喋る相手がいるはずだ。

 確かに学校に残っている人は少ないけれど、それでも、自分になんの接点もない女子生徒と話そうとは思わないだろう。

「えっとぉ、そう! 新しい紅茶が手に入ったんだ。紅茶、飲める人?」

「はい」

「よかった。あ、お湯沸いた、ちょっと待っててね」

 こぽこぽと茶葉を遊ばせるようにお湯を注ぎ、嬉しそうに紅茶を作る先生。

 わたしはどうしていいのか分からず、けれど立ち去ることもできずにいた。

 雨が外の広葉樹にあたって砕けている。

「はい、お待たせ」

 アイボリー色にクマが描かれたマグカップを渡してくれる。

「熱いかも知れないから気をつけてね」

「ありがとうございます」

 受け取ると、美味しそうな匂いがした。

 先生は椅子に座るとやはり笑って、紅茶を一口飲んだ。

 瞬間、しかめっ面になる。

「っぐ」

「どうかしましたか?」

「ちょっと濃かった」

 苦いと表すように、べ、っと舌を出して笑っている。

 その顔がとても幼く見えて、わたしは我知らずカップをぎゅっと握った。

「うーん、あ、ミルク! ミルクがあるからミルクティーにしよう」

 保健室に備え付けられている小さな冷蔵庫から泡印の牛乳を取り出す。

「ミルク入る?」

「お願いします」

「はい。これ使って」

 スプーンを手渡されるので混ぜる。

 ミルクと紅茶がゆっくりと混ざりあう。

 その様子を見るのは好きだった。

 互いに相手を受け入れ合っているようで。

 紅茶を混ぜ終わると、スプーンをどうするか聞こうと先生を見つめる。

 すると先生は手を差し出して私が使ったスプーンで自分の紅茶を混ぜてしまう。

「あ!」

「え!?」

 思わず声に出すと先生はびっくりした様子だった。

「どうかした?」

「え、あの」

 まだわたしは一口も紅茶を飲んでないから、気にしないんだろう。

 そうじゃなくても、大人の人は気にしないのかもしれない。

 赤くなりそうな頬を隠そうと俯くと、先生は心配してくれたのか近づいてくる。

「どうかしたの? 気分悪い?」

「いえ、大丈夫です」

「でも、顔が少し赤いよ?」

「ひゃ!?」

 先生の温かな手がおでこに触れ、思わず口から変な声が出てしまった。

 その声を聞いた先生は、驚いて、でも次に顔を崩してはにかんだ。

「ごめんね、びっくりした?」

「してません!」

「怒らないで。そうやって睨むと可愛いよ」

「か、かわ!? わたし、可愛くないです!」

 ふいっと顔を背けると、やっぱり先生は笑っている。

 大人の人で、学校の先生で、わたしとはなんの接点もない人。

 いつも笑顔で、人気者で、遠い存在。

 そんな人とこんなに近くで話ができているなんて、まるで夢のようだ。

 会話らしい会話なんてできていないけれど、でも、すごくうれしくて、ずっと雨が降っていればいいと思った。

 けれど、神さまはわたしのお願いを聞いてくれない。

「あ、雨が小降りになってきたね」

 空を見上げると、雲の切れ目が東の空にある。

「あと少ししたら止むと思うよ」

 あと少しで先生といれる時間が終わってしまう。

 紅茶は既にぬるくなりつつある。

 何を言えばいいのか、どう言えばいいのか、分からない。

 また会いに来ていいですか? 

 お話がもっとしたいです。

 可愛いって言ってくれてうれしいです。

 言いたいことはいっぱいあるのに、どれひとつとして音にならない。

 すると先生は私の前に来てしゃがんだ。

 視線が近くなる。

「魔法みたいだね」

「?」

「君といるとすごく早く時間が過ぎた気がする」

「わ--」

 わたしもです、と言ってもいいのだろうか。

 見つめていると先生は笑いながら私の髪を撫でてくれた。

「雨が降ったらまたおいで」

 雨が止んだ。

「紅茶を飲んで僕の話し相手になって」

 手のひらを包み込んで、先生にお願いされた。そんな気がした。

 わたしは、

「気が向いたらきます」

 そう言葉を吐いて、カップに残っていた一口を飲んだ。




所要時間:50分

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