少女に祝福を、少年に物語を
水上葵
序章
まずは少女について語らねばなるまい。三人の、魔法少女だ。
魔法少女の使命は人外の脅威から世界を守ることだ。普段は異なる世界線に存在する魔法獣と呼ばれる異形の化け物が、些細な因果律の崩壊によりこの世界に紛れ込むことがある。魔法少女は魔法を駆使し、双眸に捉えたもの全てを破壊し尽くさんとする彼奴等を亡き者にしなければならない。
魔法はあらゆる不可能を可能にする。例を挙げるなら――〈無〉からあらゆる物質を生成する。時を止める。物理法則に抗う。自然を自在に操る。肉体を自在に変化させる、等々。
人間には思春期がある。他者との、あるいは世界との関わり方に悩み、己の行く末を夢想し、成熟と未成熟の境に存在する己という中途半端な存在を見つめる。ある者は数年後の己の姿さえ思い描けぬことに苦悩し、またある者は、一人の脚で立てるたくましさがほしい、自立できる経済力がほしい、なにものにも束縛されない意志がほしい、他者から虐げられる弱者の立場から脱却したい、と切望する。安易な言葉でまとめるなら――大人になりたい、と、強く希う。
この、『大人になりたい』と祈る想いの集合体こそ、魔法の正体だ。若者の意志と願望がより強いものとなればそれは実体を持ち、感情を吐き出した者の体内へと吸収され、あらゆる願望を実現させる力を得る。
つまり、他者に比べその願望をより強く抱える者こそ、優秀な魔法少女になるための素質を秘めているということだ。
奴ら――〈組織〉は決して、才能ある少女を見逃しはしない。〈組織〉は必ず、有望な若者を見つけ出し、彼女たちと契約を交わす。契約を交わした少女たちは、世界を救うため、魔法少女として魔法獣たちと闘わなければならない。
長きに渡る闘いの中で、幾人もの若者が〈組織〉と契約を交わし、魔法少女となり、戦場へと赴いた。そして激しい戦闘の末に、その若き命を散らせた。決して語られることのない歴史の中で、密やかに生を終わらせた。魔法少女たちは例外なく、強く、美しく、逞しかった。が、魔法獣はそれにも増して凶悪で、醜く、無慈悲なまでに強大な力を持っていた。魔法少女たちを容赦なく屠った。数十年に渡って、人類はギリギリのところで耐えしのいできた。しかし、魔法少女の力に頼り切るのは、もはや限界であった。〈組織〉は疲弊しきっていた。人類になすすべはないかと思われた。いずれ魔法獣がこの世界に浸食し、すべての生物は食い荒らされるのだと〈組織〉は覚悟した。あとは時間の問題だったはずだ――
しかし。人類の危機を、たった三人の少女が救った。
魔法少女としての彼女たちの能力は、率直にいって異常だった。人類が一度として優位に立ったことのない魔法獣を相手に、彼女たちはたった三人で、互角以上に渡り合った。それどころか、圧倒した。蹂躙した。魔法獣たちは無様に、哀れに、惨めにその生を終わらせた。今まで積み重ねてきた犠牲はなんだったのかと神に問わずにいられないほどにあっけなく、魔法少女と魔法獣の闘いは終わった。
人類は、存亡の危機から救われたのだ。
「――で、それを僕に話してどうするの?」
一方的に語られた少年は、目の前の異形に向けて問う。そう、語られたのだ。ここ――アジアの島国の、日本の、とある地方都市――に暮らす、公立高校に通う一人の少年は、一方的に語られた。
では、誰に、か。語られたということは、語った者がいるということだ。
獣だ。犬のような体躯の四肢を持つそれは、脚が異様に細かった。が、その細さに比して水かきのある爪先は異様に鋭く、大きい。爬虫類のようだと、少年は思う。ギョロリと丸い双眸の中には縦長の瞳孔を秘め、鋭い牙を露わにした口からは蛇のような極細の舌を覗かせている。全身は深緑の薄い体毛に覆われている。その下に垣間見える皮膚は鱗にまとわれ、グロテスクに、けれど艶めかしく光を反射している。それらの全てが、同様に爬虫類を想起させる。
記憶を掘り起こすまでもなく、目の前の獣に似た生物を、少年は一度として目にしたことがない。奇妙で、不気味で、おどろおどろしく、そして禍々しい獣は、少年の目の前に突如として現れ、一方的に、そう語りかけたのだ。
「魔法少女に使命があるように、貴様にも使命がある。それを貴様に伝えるのがオレの役目だ。貴様の使命、それは――救うことだ」
少年に問われた獣は答える。獣の言葉に少年は首をかしげる。
「救うって、なにを? 君の話が本当なら、この世界は魔法少女によって救われたはずだ」
「確かに、世界は救われた。人類を襲う異形はあらゆる世界線から消失した。が、世界を救った三人の魔法少女たちが、未だ救われていない。彼女たちは、今も絶望の中にいる」
「それは、つまり、どういうこと?」
「魔法の使用にはあまりに大きな代償がある。なぜなら、魔法とはそれを使用する者の精神そのものであるからだ。魔法を使えばそれだけ精神が摩耗し、感情が荒れ、理性を失い、最終的には正気を失い――多くの場合、自ら死を選ぶ。事実、戦闘から生き延びたかつての魔法少女たちも、ほぼ例外なく、その道を辿った。〈組織〉は無論、その事実を知っていた。が、奴らの頭には、魔法獣を滅ぼし人類を救うことしかなかった。奴らにとって魔法少女など、消費物に過ぎなかった。代替の利く兵器でしかなかった。ゆえに、三人の魔法少女たちも、絶望の最中にいながら、救いの手を差し伸べられずにいる」
「話についていけなくなってきたな。いくつか質問させてよ」
「いいだろう」
「まず、その〈組織〉っていうのはなに?」
「魔法獣を滅ぼすことを目的とする集団だ。それ以上でも以下でもない」
「魔法少年っていうのはいないの? さっきから、魔法少女って言葉しか出てこないけど」
「数は少ないが存在はした。が、大人になりたいと強く願う若者の多くは少女だ。少年は多くの場合、環境が無理やり彼らを大人にさせる。年をとれば成長しなければならないと、諦念に似た感情で、彼らは大人にさせられるのだ。時間の経過が彼らを大人にするのだ。その程度の感情では、魔法はほぼ発露されない。それとは逆に、多くの少女は大人にならなければならないと、自然と自覚する。あるいは強く願う。ゆえに、彼女たちは魔法を生み出す」
「三つ目の質問。その、三人の少女が危機にあるのはわかったけど、それと僕になんの関係があるの?」
「先ほども言った通りだ。貴様には彼女たちを救ってもらう」
「どうして僕なの?」
「彼女たちには遠く及ばないが、貴様にも魔法少年の素質があるからだ」
「素質があることと、彼女たちを救うことに関係があるの?」
「その質問に答えることはできない」
「ま、いいや。じゃあ、君はどうして、少女を救いたいと思ってるの?」
「人類を救った英雄を見殺しにするわけにはいかない」
「つまり慈善事業ってことか」
「好きに解釈しろ」
「で、僕はなにをすればいいの? 生死に関わるようなことじゃなければ、なんでもするよ」
「貴様には命を懸けてもらう」
「じゃあ断る。彼女たちには同情するけど、僕はそこまで優しい人間じゃない」
「そう抜かしていられるのも今のうちだ」
「そう言い切る根拠は?」
「今から貴様には、彼女たち三人の惨めな半生を追体験してもらう」
「追体験って、どうやって?」
「説明せずとも、体験すればわかる」
「体験すれば、惨めな彼女たちに感情移入して、放っておくなんて言えなくなるってこと?」
「察しがいいな。さすが、我々に選ばれた者だ」
「お世辞はいいから、早くその追体験っていうのを始めてよ。僕もそんなにヒマじゃないから。早く家に帰らないと家族に心配される」
「すぐに終わるから安心しろ。それにしても、ずいぶんと肝の据わったガキだ」
「そうかな?」
「人外であるオレがヒトの言葉を、しかもこんな辺鄙な島国固有の言語を解し、操るのを目の当たりにしても、全く動じた様子を見せなかったではないか。それに、魔法などという荒唐無稽な話を、どうやら信じているようだ。肝が据わっているのでなければ、もしや、気を違えているのか?」
「気が触れてるわけじゃないと思うよ。ただ、ちょっとズレてるところはあるってよく人から言われるかな。そもそも、この程度のことで動じるわけにはいかないんだよ。だって僕は、君たちに選ばれた者だから」
「フハハ。生意気なガキだ」
獣が笑いながら言った直後、少年は急激な眠気を覚える。足元がふらつく。ああ、今から追体験ってヤツが始まるんだなと、少年は直感で理解する。
現実の、少年の意識は一度ここで途絶える。
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