二十話 幼なじみ

「ユーシュリカ!」


 心ここにあらず、という状態で回廊をあてどなく歩いていたユーシュリカへ、やおら背後から声がかかった。

 振り返ると、見覚えのある女性が駆け足で近づいて来ている。


「あなたは……まさか、フエスラビア……?」

「ええ、そうですわ! あなたこそ……やっぱりユーシュリカじゃない! サン・ルミナスへ戻って来たというからずっと探していて……ようやく会えましたわ!」


 フエスラビアはユーシュリカの前で立ち止まり、白い歯を見せて相好を崩す。


「そうですね……私が教会を出てからいつぶりでしょうか。フエスラビアも元気そうで何よりです」

「べ、別にあなたの事なんてすぐに忘れていましたけれど……そちらもまあまあよくやっているようで、そこは褒めてあげますわ。あなたは前からどんくさかったですものね」


 かと思えば腰に両手を当て、ぷいとそっぽを向いてしまう。そのくるくる変わる表情に懐かしさを覚えつつ、ユーシュリカもくすりと笑いかけた。


「お互い、色々ありましたからね……フエスラビアは司祭になったそうじゃないですか、皆さんが噂をしていましたよ。さすがはローデルタ様が手塩にかけて育てられたのだと」


 サン・ルミナスにはアルソラルの国外からも多くの神官達が集まってくる。それだけに適性試験は難関であり、昇格ともなればくぐり抜けるべき門はさらに狭くなる。

 この若さで司祭になれたフエスラビアはそれだけの素養を持ち合わせ、なおかつ生かし切るだけの修練を重ねていたのだ。


「ええ、そうですわね。孤児だった私が父上に拾われてからというもの、ずっと鍛えに鍛えられましたもの。恩義もあればしごき抜かれた鬱憤うっぷんも溜まっています、そのうち司教や、父上と並ぶ大司教にだってなってみせますわ」


 ふん、と鼻息を漏らすフエスラビアに、ユーシュリカは軽やかな笑い声を立てて。


「変わりませんね。フエスラビアはずっと前向きで、目標がしっかりあって、何事もトップで。そういうところは羨ましいと思ってしまいます……落ちこぼれの私と違って」

「な、なんですの急に……いつも無駄にぽやぽやしてるあなたらしくもない。――そういえば何だか顔色も良く見えませんわね。何かありましたの? 言ってご覧なさい」


 ユーシュリカの微笑みが引っ込み、目線が気持ち下を向く。フエスラビアは嘆息した。


「……そうやって教会を出て行く時も、あなたは何も語らず、私に挨拶さえしていきませんでしたわよね。そこは今でも恨んでいますのよ。同じ養子仲間で、幼なじみで……その、えっと、とっ、友達同士だと思っていたのに……水くさいではないですか」

「ところでジャスティと何度か勝負をしているらしいですね」

「急に話を逸らしましたわね!? ま、まあ、勇者などと強者風を吹かせている男が来たら、やはり腕前の一つも見せてもらいたいところですもの」

「そういう負けん気が強い性格も変わらないですね……でもフエスラビアはローデルタ様の弟子の中で一番強いですから、きっとジャスティともいい試合ができたのでは?」


 フエスラビアはぴくりと頬を引きつらせ、今度は彼女の方が横を向いて話題を逸らす。


「まあ、そこそこ満足はさせてもらいましたけれども……それよりユーシュリカ、あなた教会に戻ってくる気はありませんの? ……いえ、こうしてサン・ルミナスに姿を見せたのですから、もちろん破門を取り消してもらったのでしょう?」

「いえ……それはまだ」


 な、とフエスラビアがびっくりしたように口を開け、憤然と唇をへの字にする。


「父上の石頭! こうなったら私も直談判しますから、今すぐ殴り込みましょう!」

「ま、待って下さい……いいのです。私はジャスティを案内しただけで、程なくまたここを発つ気でいるのですから」

「発つ、って……どこへ行こうというのですの――いえ、そもそもあなたはここ数年、便りの一つも寄越さずどこで何をしていましたの!?」


 その剣幕にユーシュリカはたじたじになりつつ、困ったように笑って。


「ジャスティ……勇者様を捜し、人のお役に立ちながら各地を巡っていたのです。勇者様と一緒なら、きっと世界を救えると思っていたので」

「正剣の勇者……ですか」


 フエスラビアがなんとも言い難い苦い顔をする。


「ユーシュリカ……悪い事は言いませんわ。勇者とはこの場で縁をお切りになりなさい。あなたが何を考えているとしても、きっとろくな結末にはなりませんもの。そして大人しく教会へ戻り、ま、また私と……その、何気なくも充実した日常を過ごしましょう、ね?」


 ユーシュリカの手を握り、フエスラビアは頬を染めて上目遣いに懇願する。しかし。


「ごめんなさい……私にはまだ、果たすべき使命があるのです。私にしかできない役目……自分自身に課した誓いが。だからそれを終わらせるまでは、フエスラビアと一緒には」

「どっ、どうしてですの!? そんなにあの子の事が気になるのですか!? ひょっとしてユーシュリカ、あなたの趣味って……」

「ちっ、違いますよ! ジャスティにそんな邪な気持ちを抱いた事は……っ」

「だったらなぜ! 十年前、あんな事があったというのに――っ」


 その一瞬、ユーシュリカの顔から色が抜け落ち、フエスラビアもはっとしたように口元を手で覆い、いたたまれないように目線を逃がす。


「……私は直接の当事者でもないのに、少し無神経過ぎましたわね。けれど、間違った事を言ったつもりはありませんわ。……あなたが正剣の勇者に選ばれる事がなかったと聞いた時は、あんなに嬉しかったのに――破門された上に、また勇者と関わろうとするなんて」

「それでも……譲れない思いはあるのです。そうする事でしか、私は前に進めない……」


 まるで自分へ言い聞かせるように、後半の言葉を小さくこぼしたユーシュリカは、フエスラビアの手をそっと離してきびすを返す。


「ユーシュリカ……なぜ……」


 何か重荷を背負い、その耐え難さに苦悩しているかのように見えるユーシュリカの背に、フエスラビアは目元を歪ませたまま、それ以上引き留める事ができなかった。

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