十八話 枢機卿ローデルタ
中庭は広々としていて涼しくも清々しい風が吹き抜けている。聖堂内は心の洗われる清浄さがあったがどこかしら辛気くさくて窮屈で、瑞々しい草木の萌ゆる自然の多いこの場所でジャスティはやっと人心地つけていた。
四方には頂点に大型のクリスタルが設置された柱が立ち、聖堂街から引かれているとおぼしき小川がせせらぎとともに端の方で流れている。その側には花壇が並び、少し離れた日差し避けの木陰には休息用のベンチがいくつか並んでいた。
中央部では正方形に柔らかい土が敷かれた訓練場があり、そこに神官達が集まって思い思いに木造の剣や槍を構えると、にわかにかけ声を上げて打ち合いを始めている。
「うわあ……凄いなあ。みんな強そう」
「当然ですわ。あの者達はサン・ルミナスの誇る神官戦士や聖堂騎士。そこらの兵士や傭兵など問題にならないぬきんでた実力者達ですもの」
気配もなく隣にフエスラビアが立っていた。ジャスティは首を傾げる。
「神官なのに、剣を持って戦うの?」
「礼法と敬虔さ、そして身を守るための術……その三つを両立してこそ一人前、というのが我が教会の流儀。外界では思い上がりの武闘派などと
そういえばユーシュリカも、アーネスト市ではアリアドラを容易に制圧していた。彼女も護身術を習っていたと考えるのが妥当だろう。
まあ、とフエスラビアは細面に憂うようなやや苦みを帯びさせて。
「八年前――あの日ほどに稽古を欠かさずにおいて良かったと思った事はありませんでしたわ……アンクトゥワと化したかつての仲間達は、それは手強かったのですもの」
「……大変だったんだね」
先ほどの司書の言葉が思い出される。これまで回って来た聖堂各所には八年前に破損した箇所など傷痕らしい点は見受けられなかったが、人的被害は多大なものだったのだ。
「ねえ、神官は神魔法を使うためのセーフティってどうやって鍛えてるの?」
「これという近道はありませんわ。強いて挙げるなら志を高く持ち、日々の精進、たゆまぬ切磋琢磨と、長い年月をかけて少しずつ
もっとも、とフエスラビアはどこか懐かしげな微笑みを浮かべる。
「それでもごく最近、ありえないくらいの天才は一人いましたわ。そのセーフティは司教達にも劣らぬ、大陸でも五指に入る程……私も憧れていました」
「そうなんだ……」
その人は、と尋ねかけて、目の前の訓練場から人がはけていき、フエスラビアは薙刀を片手にそちらへ歩いて行く。ジャスティもなんとなくついていった。
「さあ、他愛ない話はここまで……三度目の正直、もう一度挑ませていただきますわ!」
「え? なんで?」
「此度はあのような不覚を取らぬため、最初から全力を出すといたします……闘争の神ルィット・ド・ホライゾンよ、
詠唱したフエスラビアの全身から黄金色の力強いオーラが立ち上り、それが手にした薙刀の一点へ集束すると、焔のように燃え上がっていくではないか。
「我が秘技、戦神の降りしディバイン・ナギナタでお相手しますわ――今度こそ、覚悟!」
倒して聖堂内へ戻って行くと、ちょうどばったりユーシュリカと出会った。
「ユーシュリカ!」
「ジャスティ、ああ良かった、探したんですよ……ダメじゃないですか、ちゃんと広場で待っていないと」
「ごめんね……ひまをもてあましちゃって」
「ローデルタ様に許可は取れました。これからジャスティと会って下さるとの事ですよ」
「そっか……でもおなかすいた」
「ジャスティはお客人なので、料理も出してくれますよ、きっと。だから二人で会食に出向きませんか?」
「うん……いく」
それなら、とユーシュリカはジャスティの手を引いて回廊を歩き出す。向かう先は大司教ローデルタの待つという、聖堂内に設けられた食堂としても使われる広間の一室だった。
長方形の部屋で、天井にはシャンデリア。片側の壁には暖炉があり、逆側のステンドグラスからは日差しが斜めに漏れている。
真ん中にはこれまた長いテーブルが置かれ、純白のテーブルクロスと蝋燭、そしてジャスティとユーシュリカが並んで座る側には料理が置かれていた。
パンとチーズ、サラダに豆、野菜のシチューに果物と、客分に対して肉や魚類はほぼ見当たらない粗食が中心なものの味は一級品で、ジャスティは文句一つ言わずに食べている。
「……正剣の勇者、ジャスティ殿。色々と話は聞いている。よく我がサン・ルミナスに来ていただいた」
慇懃かつ厳かに口火を切ったのは、テーブルを挟んで反対側に腰掛け、中身の減っていないワイングラス一つのみを手元に置いている老境に差し掛かった白髪の男である。背筋は伸び、聖職者の身でありながら練達した戦士の如き
「
「じゃ、ジャスティです。よろしくお願いします……」
と言われても無学なジャスティにはどの程度の地位かも分からず、とりあえず偉い人なのだろうとの認識だろうが、張り詰めた場のせいかしずしずと萎縮したように会釈をする。
「して、勇者殿の大いなる使命の一助となれるのならば、我がサン・ルミナスとしても可能な限り協力を惜しまぬつもりだ。要望があればなんなりと言っていただきたい」
「えっと、リンネ陛下から紹介状を預かって来たんです! これ……」
「あ、私が受け渡しに行きますから、ジャスティはそのままで」
手紙を受け取ったユーシュリカが席を立ち、ローデルタの元まで歩いて手渡す。
「女王陛下から……この捺印……ふむ。確かに本物のようだ」
ローデルタは封を開け、中からぱさりと出て来た羊皮紙を開く。内容はこうだ。
『やっほーローデルタ! リンネじゃ、久しぶりなのじゃ。もちろん余は元気ぞ、ローデルタも元気にやってるかの? 最近は異常気象気味じゃからのー、もう年なんじゃから風邪とか熱中症には気をつけるのじゃぞ。そういえば昨日ちょっと家臣のギャンボリックが余を裏切り、王都転覆の憂き目に遭いそうじゃったのじゃが、運良く助かったぞ! ギャンボリックめ、余が甘い物好きやお芝居好きなのを見越して体よく取り入りおってからに……その裏で糸を引いているデイライズとやらもまっこと許し難し! なのじゃ。しかしもし王国がなくなったら余はどうやって生きていけばいいのかのう。そうなったら神官にでもなって、ローデルタから教えを直接乞うのも悪くないかの。そういうわけでたまにはうちに顔を見せに来るのじゃぞ。ローデルタの話はためになるからの。それだけじゃぞ! お年玉なんか別に期待しておらんのじゃ!』
本文はここで終わり、追伸。
『あと、余にもついに友達ができたのじゃ! どうじゃ、うらやましいじゃろ! 何がもっと慎みやら落ち着きを持てじゃ、ローデルタの鼻を明かしてやったぞ。やーいやーい!』
ローデルタは眉一つ動かさず手紙を閉じた。
「……どこにもそれらしき案件には触れておらぬようだが」
「えっ」
「あ、あはは……」
ジャスティはきょとんと目を瞬かせ、ユーシュリカもあの女王の手書きという時点でなぜ確認しておかなかったと心中で自分を叱り飛ばしつつ、笑ってごまかすしかない。
「……まあよい。陛下の性格は把握しておる、意向の程は理解した……それでは改めて尋ねよう。勇者殿の用向きとは」
「デイライズの軍団に対抗するには、神官達の神魔法が必要不可欠だと思うんです。なので決戦の際には、応援に来てくれると嬉しいです……」
「なるほど、サン・ルミナスの戦力を王国軍へ結集し、ともに戦えと……そう仰るのか」
「は、はい……」
ジャスティが
「しかし、神に仕える者達の信仰は自由……すなわち、何を使命とし、そして行動するか、それは各自の判断に委ねられている。儂から皆へ命を下し、兵士のように扱う事はできぬ」
「で、でも……せめて説得するくらいは」
「無論、皆を説き伏せる事もまた、そうすべきと思われた勇者殿の自由だ。だがその前に……勇者殿の真意をお聞かせ願いたい」
真意、とジャスティは口を半開きにした。ローデルタは腹を探るように視線を尖らせる。
「デイライズに挑み、そして勝つ……そこまではよい。なれど、それで勇者殿の使命は果たされたとは言えぬ。勇者にとっての最大の敵はこの世の悪そのもの。言い換えれば、悪を滅ぼし尽くすまで、勇者殿は思うように世界を動かす名分を得ているというわけだ」
「そう……なのかな」
「大陸を揺るがす脅威を倒し、その暁には――勇者殿は何を望まれる。金か、名誉か、地位か。……その返答いかんによっては、儂も身命を賭して矢面に立ち、皆に大義を説いて回るとしよう」
だが裏を返せば、もしもローデルタの承服できぬ答えであれば、それ相応の『対応』があるのだろう。いわばこれは試金石。ローデルタの試験及び、採点のようなものなのだ。
つまり、今の彼はまだ勇者の味方ではない――とユーシュリカは唇を噛むが、ジャスティはあくまで自然体に、思うところを口にする。
「俺は全ての人を正義にしたいんだ」
「……正義、とな」
海千山千。
でもこれこそがいつも通り、心に嘘偽りなく愚直でまっすぐな答えなのだと、ユーシュリカは知っていた。
「勇者殿……その答えはいささか具体性に欠ける上に、先鋭的すぎる。それとも何かの冗談のつもりなら……」
「ううん、本気だよ。みんなが正義の心を持てば、優しい気持ちになれるし、恨みや憎しみも消えて許し合える、争いのない幸せな平和が訪れるんだ」
ローデルタは無言だった。重苦しい数秒が経過し、ジャスティもまた額に汗を浮かべて、不安そうにユーシュリカを見る。
「ゆ、ユーシュリカ……俺……」
「大丈夫です、ジャスティ。あなたの思うままをぶつけてみて下さい。きっと真心は伝わるはずです」
うん、とジャスティが少し元気を取り戻すが、その時ローデルタが再び口を開く。
「……質問の仕方が悪かった。だがお互いに、世界に時間が残されていないのは分かっているはずだ。腹を割って話そう――立場は関係なく、あくまで個人としてだ」
「はい……」
「正義、と言われたな。勇者殿一人でそれを成すと?」
「はい……世界を旅して、みんなに正義の素晴らしさを伝えて、悪い事をしていたらそれは違うよって教えてあげて……そうやって頑張れば、いつかきっと分かってもらえると思うんです……」
「……正魔法は強力ではあるが、しかして一人では限界もあろう。苦言を呈すようだが……現実的ではない。サン・ルミナスを代表する者として、到底納得できる答えとはいえぬ。その程度の活動で世界が変わるのならば、そもそも勇者など必要あるまい?」
「だ、だけど……っ。俺、他にやり方なんて分からなくて。とにかく目の前の人を助けて、悪者を成敗していけばどうにかなる、って……そうするしかないくらい、悩む暇ももったいないくらい、外でみんなは困ってて! ……でも、そういうのが巡り巡っていつか実を結ぶのが、きっと正義だからって、信じてるんです……!」
ローデルタは一つ、重々しいため息をついた。その嘆息が、この勇者に対してのあらゆる評価を一点に示しているようだった。
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