第二章 王都編
七話 正魔法の代償
ところが出発からいくらも経たずして、ジャスティの様子がおかしくなった。勇んで道を歩いていたのはいいものの、徐々に足取りが重くなり、しきりに額の汗を拭って肩で息をするようになっていたのである。
「勇者様、大丈夫ですか? とてもお疲れのようですが……」
「つかれちゃった……」
「なら、そこの岩陰で休みましょう。日差しも防げますし、涼しいですよ」
巨木ほどの大きな岩の後ろには影ができており、なるほどそのあたりにはきつい日の光も当たらず、冷たい風が吹き抜けている。
ジャスティは岩に背を着けて座り、ユーシュリカは杖を抱いて軽く寄りかかるように息を整えていた。
しかし、彼はどうしてしまったのだろう、とユーシュリカは目線を隣へ落としながら思う。
もしかして、アーネスト市で正魔法を使った代償に、セーフティを大きく消耗してしまったのかも知れない。あんまりやすやすと連続で使用するものだから、なんとなくそれが当然とユーシュリカも考えてしまっていただけで。
だがそれにしては受け答えもしっかりしているし、むしろ体力面での
雲の切れ間から一筋の光が伸び、それが見る間に太く長く、一本の柱のように地上へと降り注ぎ始めたのである。
その様を見た途端、ジャスティが立ち上がって叫んだ。
「あ、あれは、まさか……っ」
「勇者様……!?」
ジャスティが勢いよく駆け出し始めたのでユーシュリカも後へ続くと、彼は柱の手前で立ち止まり、土煙を巻き込みながらひざまずいていた。
「ユーシュリカも、早く。不敬になっちゃうよ」
「え、え……?」
状況がよく飲め込めないまま同じようにすると、眼前の光の柱はやがて消え去り――その頭上にはなんと、一人の女性が宙に浮いていたのである。
「サンティーネ様!」
ジャスティの畏敬の籠もった声に、ユーシュリカは驚愕した。つまり、あれは。
「本当に……最高神サンティーネ様……でいらっしゃるのですか?」
その問いに、伏し目がちだった女性が小さく頷く。その拍子に黄金の大河のような金の髪が流れて、陽光に透けて美しく光る。
女神サンティーネは、今ここに降臨していた。
「ジャスティ。アーネスト市の活躍は見事なものでした……あなたは人々に正義を示した。私の目に狂いはなかったようです」
「は、はい……あぅ……」
「ジャスティ……? どうかしたのですか? どうして私を見てくれないのです……?」
なぜか顔を背けて頬に朱を差すジャスティに、サンティーネが小首を傾ける。
そこにユーシュリカがおずおずと笑いながら、そっとジェスチャーした。
「あの、サンティーネ様……その位置は少しばかり、障りがあるかと……」
きょとんとしたサンティーネが自分の足下を見下ろすと――いたずらに吹く風がローブのスカート部分をはためかせ、かなりきわどい部分までめくれ上がっていた。
「……失礼しました」
サンティーネも顔を赤らめながらスカートを抑え、するすると高度を下げていく。それでやっとジャスティも落ち着いたようだ。
「えっと、話を戻しましょう。……ジャスティ。あなたはこれより王都へ向かう。それで相違ありませんね?」
「は、はい……よくご存じで……」
「あなたの事は昼も夜も、いつも見守っていると言ったでしょう――ですが、王都には悪の大気が満ちています。高貴なる身分のはずの貴族は民を
「なんて事だ……一刻も早く奴らの性根へ正義を叩き込まないと!」
「何より、かの地には恐ろしい大敵が待ち受けているでしょう……正義の加護を持つ勇者でさえも闇へと呑み込まんとする、強大なる悪が」
「強大なる悪――まさかデイライズ!?」
「そこまでは私にも見通せませんが、かの者の影響力が強まっているのを感じます……このままではこの国そのものが存亡の危機へと立たされるでしょう」
「そんな事は絶対させません、俺が食い止めて――!?」
とっさに腰を上げたジャスティだが、その刹那ふらっと身体が傾き、わたわたと手足をばたつかせて体勢を立て直す。
「ゆ、勇者様、大丈夫ですか……っ?」
「う、うん……ちょっとめまいがしただけ」
そこへサンティーネがやや目元に影を作り、案じるような視線をジャスティへ注ぐ。
「とても辛そうに見受けられますが……かなりの回数、正光を使用したみたいですね」
「サンティーネ様、勇者様の身に何が……? ただセーフティが枯渇しているだけには思えないのですが」
ユーシュリカの質問に、サンティーネはふるふるとかぶりを振る。
「正魔法には、セーフティは用いません」
「え……っ? そ、そうなのですか……?」
「その代わり、使いすぎると身体に大きな負担をかけます。今は休めば回復するでしょうが、ジャスティ、心して下さい。――正魔法は強力無比。しかし、巨悪と渡り合うために見合った代償も、また相応のものなのです。……くれぐれもむやみな乱用は控えるように。いいですね?」
「で、でも……それだと正義が」
「志半ばに倒れては、正義を成すもないでしょう? ……いいですね?」
噛んで含めるように、あるいは釘を刺すようにサンティーネが繰り返すと、ジャスティはもごもごと何かを言いかけて結局下を向き、肝に銘じておきます、と呟いた。
「それと、あなたはユーシュリカ……でしたよね?」
「は、はい……覚えて下さって光栄です……!」
「このように、ジャスティは使命感のあまり少々無理をするきらいがあります。どうか彼をいたわり、時には正しい方向へ導いてあげて下さい」
「微力を尽くします」
そう強く頷いて答えると、サンティーネはあるかなきかの微笑を浮かべ――その表情を凛として引き締めると、遠景を横一線に切り取る地平線を指差した。
「さあ、勇者よ……再び歩み始めるのです。闇の渦巻く伏魔殿を、その正剣にて打ち砕いて見せなさい。いざ、王都へ――」
「あの、サンティーネ様……そちらはアーネスト市の方角なのですが」
ユーシュリカがおそるおそる言うと、サンティーネはそのポーズのまま何秒かフリーズし、澄まし顔のまま光に包まれ無言で消えた。
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