三話 最高神サンティーネ

 翌日、からっと晴れて青く澄み渡った空の下、ジャスティとユーシュリカはすっかり元気を取り戻した酒場の店主に見送られて村を出た。


「どこに行こうかな……とりあえず悪を見つけないと」

「そうですねぇ……私も昨日、酒場で色々なお話を聞いていたのですが、ここから北には王都アメン・アマテラスが、少し西にはアーネスト市という街があるみたいですよ」

「どっちに正義を与えるべきなんだろう」

「アーネスト市の領主は民に不当な徴税を強いて無理に取り立てていると聞きます。公道には領主の私兵が我が物顔で練り歩き、司法もほとんど機能していないとか」

「そんなの正義じゃない」

「あまりの状況に街を出て行く住民も多数いるみたいです。このままでは、アーネスト市は荒廃こうはいの一途を辿り、救いの手が入る事もなくなってしまうでしょう……」


 むー、とジャスティはうなり、義憤にかられて拳を振り上げた。


「人々をいたずらに苦しめるなんて許せないっ! 領主の魔の手からみんなを助けだそう!」


 方針は決定した。二人は街道を西へ折れ、一路アーネスト市へ向けて出発したのである。

 街道同士をつなぐ青々とした平原の緑が地平線のどこまでも広がり、遠くにはなだらかな丘陵地帯や、雲を貫く木訥ぼくとつとした形の山岳が見える。

 そんな風景を楽しむように歩いていたユーシュリカは、前をゆくジャスティに尋ねた。


「そういえば勇者様は、光明の聖地へ赴き、サンティーネ様の啓示をお受けになったのですよね?」

「うん、うけた」

「ですが聖地までには険しく長い試練の山が横たわっています……勇者様はもちろんの事、他のお仲間はどういった方々なのでしょう」

「仲間なんかいないよ」


 え、とユーシュリカは呆然と足を止めた。彼と会ってからもう何度目かになるか、ジャスティの何気なく発したセリフに面食らってしまったのである。


「そ、それは……つまり、あなたお一人であの山を踏破した、という事……なのでしょうか?」

「そうだよ」


 ユーシュリカは二の句が継げなかった。

 ありえない。最高神のおわす光明の聖地はここから見える山々のどれよりもなお高く、どんな要塞よりも堅牢な天然の要害によって守られているのである。

 そもそも、救世主とされる正剣の勇者はおいそれと現れるものではない。

 体力、気力、知力、そして勇気――それら全てが英雄的なまでに研磨けんまされ、選び抜かれた人間のみがさらに試練の山によって振るい落とされ、それでも万難ばんなんを排して聖地へとたどり着けた者だけがサンティーネの降臨を目にし、第一であり原初の魔法、正魔法ジャスティスを授けられるのである。

 正魔法を自在に操る者、それこそが正剣の勇者であり、だからこそ人々は、あらゆる困難にもくじけぬ正義の伝道者として彼の者を信奉し、救済を待つのだ。

 しかし、目前にいるこの少年はそれらの偉業を、たった一人でやってのけたという。啓示を受けられるのは一人のみだが、本来なら信頼できる戦友や仲間とともにそこまでの旅路を往くのが通例だというのにだ。


「信じられません……それでなくても、あの場所はとても人の踏み入っていいところではないというのに」


 単に起伏や勾配が激しい僻地へきちだからとか、道に迷いやすいとか、そんな問題ではない。

 頂きまでの標高は二万メートルをゆうに超え、豪雨やハリケーンといった悪天候、峡谷に点在する死毒を発する沼地、二倍から十倍程度にまで押し寄せる重力地帯と、その障害はもはや自然の枠にはとどまらない。

 おまけに地獄の蓋をこじ開けて出て来たような醜悪な怪生物達の巣窟であり、大陸の中にありながら地上とは隔離された、禁忌とさえされている険阻けんそな地なのだ。

 神の与えた試練――と言えば聞こえはいいが、あの山で命を落とした英傑は数知れない。その一人一人が本来であれば、歴史に長く名を残す程の傑物ばかりなのにである。


「でも俺、正義になりたかったんだ。そうしなきゃいけなかった」


 事もなげに答えるジャスティに、ユーシュリカはそれ以上何も言えない。

 どれほど辛い旅だろうと、どんな犠牲を払おうと、人々は正義を求める。そこに救いがあると信じているからだ。

 ユーシュリカと同年代だけれど少し下くらいの、まだ声変わりも途中のあどけなさが残る少年もそのうちの一人なのだろう――それもとびきり無鉄砲な。


「お聞きしてもいいですか? 聖地では一体、どのようにして啓示がなされるのでしょう」

「うん、それは――」



 死にもの狂いで試練の山を突破するといきなり視界が開け、ジャスティは小高い丘のような場所にいた。

 左右には人の手か、あるいは卵を思わせるえぐれた地面が挟み込むように天へ伸びて、中央には小さなほこらがある。錆び付いた鉄の扉を持つ、ヒビがそこら中に走った祠だった。

 その奥の足場は途切れていて、はるか下方では灰色の尾根が見渡す限りに連なり、海のように広がった雲が白い彩りを添えていた。空気は冷たく身を切り、何より呼吸がしにくい。

 見上げれば、グラデーションのかかった黒に近い紺碧の空に満点の星々が見える。――それ程の天をもつんざく頂上へ、ジャスティは登り詰めて来ていたのだ。


「あれが、サンティーネ様のご神体のある、祠……?」


 ジャスティが疲れ切った足を引きずるようにして扉の前へ近づき、そっと指でその汚れきった表面を這わせるようにすると――だしぬけに、扉の隙間から橙色の光が蛍火のように漏れだして来たのである。


「う、うわっ……なに……?」


 ぎょっとして身を引くジャスティの眼前で、扉が音もなく開き始めていた。

 鍵穴も見当たらないのに、ひとりでに内側へと下がっていくのだ。その光景にジャスティは口を開け、ただ見ているしかなかった。

 一陣の寒々しい風が吹き抜け、そうして扉が開ききった先。祠の内部がさらされる。

 中はひし形で、これといった高価な細工や石を使っているわけではなさそうだったが、まるで外部と隔絶されたかの如く、清浄で荘厳な空気が満ちているようにジャスティには思えた。


「あれは……ご神体……?」


 祠の中心。そこには橙黄色の結晶――クリスタルが一つ、佇んでいた。

 祠の形と同じくひし形で、暖かな光を放ちながら地面より数センチ上に浮いている。その仕組みはよく分からなかったが、一目でただならぬ物質なのだとジャスティは直感した。

 次の瞬間、そのクリスタルが眩しいほどの波動を発する。それは先ほど、扉の隙間から漏れ出ていたよりもいっそう強いきらめきであった。

 とっさに腕で顔を覆うジャスティ。と、その波は数秒で収まり、腕を下ろすと――。


「あ、あなたは……!」


 そこにいたのは、うつむきがちに目を閉じている一人の女性。

 ジャスティより一回り年上だろうと窺えるものの、少女のようにも妙齢の女のようにも見える、白い衣を纏った長い金髪の女だった。その容貌はこの世のどの職人によっても作り出す事のできないであろう程に優美かつ端麗でありながら、不可侵の神性を漂わせている。


「……よくぞここまでたどり着きました。正義を望む者よ」


 と、それまでまぶたを下ろしていた女が、しとやかに瞳を覗かせる。

 青。終わりのない水平線のような、底のない深い海のような、清楚さと神聖さをたゆたわせる息を呑むほどに美しい双眸。

 ジャスティは反射的にひざまずいていた。


「あ、あなたはもしや、最高神にして正義を司るサンティーネ様……ですよね!? お、俺はその、ジャスティって言います! お願いします、正魔法の加護をお授け下さい!」


 頭を下げてぷるぷると震えるジャスティを感情の窺わせぬ無表情で見下ろし、その者――女神サンティーネは口を開く。


「……世界は今、呪いや絶望が跳梁し、悪の化身たるアンクトゥワ達の脅威にさらされています」


 俗世とは無縁であるかのように滔々とうとうとしながら、その口調は思いのほか柔らかい。


「面を上げなさい、ジャスティ。世界には正魔法による希望が必要な時。険しき試練を乗り越えて来たあなたに、今こそその力を与えましょう……」

「そ、それじゃ……!」


 ジャスティが言われた通りに顔を上げると、白き後光を纏わせたサンティーネが頷く。


「あなたと誓約を交わします。さあ、立ち上がって、力を抜きなさい……」


 言われた通りにすると、サンティーネの白光が正面側へ集まり――きらきらとした白い粒子を発しながら、いつしかそこには一振りの美麗な剣が現れていた。


「これは……!」

「誓約には神との親和性を高めるため、触媒が必要となります……ゆえにあなたにはこの、正剣トワイライトを」


 サンティーネが小さく手をかざすと、横になって浮いていた剣が縦へ回転し、そのままジャスティの方へと緩やかな動きで浮遊してくる。

 ジャスティは生唾を呑み下し、両手を捧げるように伸ばしてその剣を受け取ろうとする。


「えいっ」


 ところが、サンティーネがふわりとしたかけ声とともに指を上げた瞬間。

 突然剣の切っ先がこちらへ向いて猛スピードで飛来して来たかと思うと、ジャスティの身体をどんっと衝撃が後ろへ突き抜ける。


「ごべふぅおっ!?」


 目を剥くジャスティ。それからおそるおそる、視線を胸元へ下げると。

 剣は狙いあやまたず、矢のように彼の胸――しかも心臓部分を穿ち抜いていたのである。刀身から柄までが背中へ飛び出し、鼻先では橙色の宝玉が無機質に光っていた。


「ふう……成功です。いきなり動くものだからちょっと危なかったですが」

「え、え……な、なにこれ……か、身体に、剣がっ……」


 剣に串刺しにされたのだから、言うまでもなく致命傷であろう。驚きが薄れてその考えに至ったらしいジャスティは目を見開き、がたがたと四肢をこわばらせながら喘ぐように膝を突いていた。


「ひ……や、やだ……しんじゃう、しんじゃうよぉ……! ――あ、あああしっ、しにたくない、だれか、たすけて……うぁ……ごほっごほっ!」


 涙を流し、咳を吐き出して苦しむようにするジャスティをサンティーネはしばらく眺めてから、ふと思い出したように目をしばたたかせて声をかける。


「大丈夫ですよ、ジャスティ。あなたは死にません。痛みも感じないでしょう?」

「えっ……あ、あ……! ほ、本当……痛くない……?」


 穴が開いていて血の一滴すら流れないのはそれはそれで異常事態ではあるのだが、ひとまず無事なのは理解できたのかジャスティは次第に落ち着きを取り戻し、よろめきながら腰を上げると、胸に刺さっていた剣が白い粒子へと溶けて消えてしまった。


「あ……剣が消えちゃった」

「祝福しましょう。これで誓約は交わされ、あなたは正魔法を手にしました。正剣はあなたの体内へ収められています――正魔法によって、簡単に出し入れができますよ」

「そ、そうなんですか……それは便利だなあ。鞘とかいらないし、盗まれる心配もないし」

「ですよね。あなたの身体が鞘代わりなんですから」


 こくこくと訳知り顔でサンティーネが頷き、あらたまった厳粛な声色で続ける。


「正剣の勇者となったあなたには使命があります。人々を救い、正しき道へ導くという役目が」

「はいっ! どこまでも正道を貫き、この世をあまねく正義の光で照らすと誓いますッ!」

「え、ええ……でも、あなたを阻もうとする巨悪もまた存在します」

「安心をば、残らず全部やっつけますので!」

「その名はデイライズ……アンクトゥワ達の首領である、忌まわしき神敵です」


 やたらと意気込むジャスティは置いておいて、サンティーネは厳かに告げた。


「かの者を討つのが、勇者としての最終目標であり至上命題となるでしょう。なぜならデイライズは黒き太陽によって、アンクトゥワを生み出す悪の根源なのですから」

「黒き……太陽」


 ぴたり、とそれまで気炎を上げていたジャスティが身動きを止め、だらりと腕を垂らし、目だけを強く見開いて反芻はんすうした。


「デイライズを放っておけば、あの禍々まがまがしき黒太陽が再び天空を支配する事となるでしょう……そうなった場合、何が起きるのか予想もつきません……かの者を止められるのは、ジャスティ、あなただけなのです」

「分かりました……デイライズを倒します。でも――サンティーネ様はどうされるんですか」

「どう、とは」

「一緒に戦ってくれないんですか? 神様だから強そうなのに……」

「そうしたいのは山々なのですが……私にはデイライズとは戦えない理由があるのです」


 理由、とジャスティが呟くと、サンティーネはしょんぼりとまつげを伏せる。


「その理由――すなわち枷がある限り、直接の助勢は難しいでしょう……」

「ええー……残念」

「ですがそれもまた、デイライズを完全に滅ぼす上であなたが解かなければならない謎と言えます。けれど私とあなたは誓約を交わした一心同体……いつも、いつでも見守っていますよ」


 はい、とジャスティは神妙に頷くのを見届け、サンティーネは宣言する。


「さあ、往きなさい正剣の勇者ジャスティ。黒き太陽デイライズを、その剣で黄昏に沈めるのです――」



「とまあ、そんな感じでサンティーネ様とお話ししたんだよね」

「そんな感じって……か、軽いですね。仮にも宇宙にもっとも近い場所で交わされる会話が……サンティーネ様も、正義を司る神のはずなのにそんな緩い雰囲気の方だったとは」


 二人して並んで道をのんびり歩きながら、ジャスティはサンティーネとのやりとりを語り終える。


「えと、それなら勇者様の借り受けた正魔法……それが昨日見た、あの正剣なのですね?」

「そうだよ。あの剣があれば、アンクトゥワを人へ戻す事ができるんだ」


 その言葉にユーシュリカは目を白黒させる。正魔法については耳にしていたが、まさかそんな効能があるとは初めて知ったのだ。


「これまでどんな薬や魔法に頼っても、一度アンクトゥワと化した人はもう元には戻れなかったはず……その条理すら覆してしまえるとは、なんと素晴らしい恩寵なのでしょうか」

「俺も詳しくは知らないんだけどさ……前に戦ったアンクトゥワから、自分達はエゴのままに悪魔法を使うって言ってた」

「エゴ……つまり自我、って事ですか」


 人の欲求に果てはない。満たされれば満たされる程に新たな狂おしい欲が芽生える。教会ではセーフティとは相反する対照的なそれらを総称し、エゴと呼んでいるのだ。


「アンクトゥワは理性セーフティじゃなく、そのエゴの塊みたいなもので……悪魔法を使えば使うほど、欲望や感情といったエゴもやっぱり高まるみたいなんだ。そうすると、アンクトゥワ自身も、そいつが使う悪魔法自体も、どんどん強くなっていく」


 戦って業を重ね、経験を積めば積むほど強力になる――そうなればいずれアンクトゥワは、人類に代わる世界の支配者となる、といっても過言ではないだろう。ひたすらに己を律し、心を磨く神官達やセーフティのありようとは真っ向から正反対なのである。

 しかし今ここに、正剣の勇者という盤上をひっくり返す、アンクトゥワにとっての天敵が現れた。そしてサンティーネの進言通りにデイライズとやらを食い止めれば、アンクトゥワによる暴威を世界から取り払う事も可能なのかも知れないのである。


「希望が湧いてきましたね……あ、でも、そうするとアンクトゥワから人に戻す構造も察しがついて来ました」


 ユーシュリカが思索するように頭を傾け、目線をジャスティへ落とす。


「アンクトゥワの原動力がエゴであり、昨日の状況も鑑みると――相手を打倒し、エゴを弱らせれば、もしかして……?」

「うん。エゴが弱ったアンクトゥワからは、なんか黒い粒みたいなものが出てくるんだ。で、それをこの剣が取り込んで浄化してくれる。それが済むとアンクトゥワはまた人間に戻れるんだ」

「そういう事だったんですね……凄いです、勇者様! これで世界は救われますよ!」

「まだ気が早いよ……一年くらい放浪してるけど、全然アンクトゥワは減らないし、デイライズがどこにもいるかも分からないし」


 そのデイライズの所在を突き止めない事には、手をこまねいてるままも同じなのだ。


「デイライズという名前は、私も聞いた事があります」

「ほ、本当っ?」

「というより、ラクシーラで知らない者はいないと思うんですけれど……勇者様?」


 そんな有名人なのかと、つい足を止めてジャスティは驚いたようだったが、ユーシュリカにもの問いたげな目線を向けられて顔を赤らめる。


「いや、あの……ごめん。聖地に行く前はずっと山ごもりで修行してたから、世の中の事はよく分からなくて……」

「で、でも、一年間は私と同じように各地を回っていらっしゃったんですよね?」

「道に迷ってばかりで、人里にも滅多に出られなくて……出会うのはアンクトゥワばかりだったから、昨日あの村にたどり着けたのは、奇跡みたいなものだったんだよ」


 さようですか、とユーシュリカも何も言えなくなる。一年もの期間不毛な彷徨ほうこう

 ちょっとばかり、この勇者で大丈夫なのだろうかという気分がよぎったが、すぐに振り払い。


「デイライズの正体は不明ですが、六年前に黎明の軍という、かの者を首魁しゅかいとしたアンクトゥワを中核とする軍団が結成されて、各国を侵略し脅かしているのです。それまで散発的に現れていたアンクトゥワを水際で食い止めていた諸国も、組織だった攻勢に浮き足立ち、防戦一方という状況で……」

「そうか……厄介な奴なんだな、デイライズってのは。――でも大丈夫!」


 自信ありげにジャスティが腕を上げて、正剣を掲げるような凛々しい仕草をする。


「正剣を用いて使う正魔法、正光ジャスティス・ライトはみんなの正義の心を分けてもらって、その力を強くする! デイライズがどれだけの使い手でも、絶対に負けたりしないよ!」

「頼もしいです勇者様!」


 満面の笑みで賞賛と尊敬の拍手を送るユーシュリカは、ふと昨日の光景を思い出して尋ねた。


「……そういえば、あの光を浴びた人達は何か、様子が違って見えましたよね?」

「うん。副産物的な効果なんだけど、あの光に触れると正義に目覚めるみたいなんだ。どんな極悪人でもすぐに改心してくれるから、正魔法の名にふさわしい完璧な魔法だよ!」

「ああ、それであの時、私もわけもなく胸に湧き上がる熱いものがあったんですね……敵を倒すのみならず、人々を導く聖なる光輝……ふふっ、これならもう怖いものなしです!」


 と、ユーシュリカが前へ出て少し道を外れ、その先を指差してジャスティを呼ぶ。


「勇者様、こっちに来て下さい! 見晴らしがよくてすごくいいものが見えますよ!」


 ジャスティもとことことついていくと、やや小高い丘になったそこには一本の高木があり、枝は傘のように広く日陰になっていて、腰を下ろせば温かい草むらに休めそうだった。

 二人で木の元まで行き、涼やかな風を感じながら彼方まで広がる世界を見渡していく。

 まっすぐ坂の下にある眼下には鏡のように澄んだ湖が日光を照り返し、その上を一羽の白鳥が羽を休めている。少し離れた丘陵では羊や山羊が放牧されて穏やかな鳴き声を漏らし、遠くでは小鳥がさえずり飛び交う森林が覗け、思わず頬が緩んでしまう。


「この情景を眺めれば、荒んだ心も洗われていくようですね……この同じ大地のどこかで争いが起きているのが嘘みたいです」

「うん……こんな景色を守りたいな」


 憎しみ合う人々の連鎖が激しくなれば、この緑もいずれは戦火にさらされてしまうだろう。そんな事は絶対に見過ごせない。

 二人は気持ちを新たにし、街道へ戻るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る