第十一話 夢と悩みと出た答え

 ライラは泣き疲れたのか、バーンズの腕の中で動かなくなった。徹夜明けで酒も入った上にショックを受ける話を聞いたのだ。バーンズも申し訳なく思った。

 バーンズは部屋を改めて見渡した。生活に必要な最低限のものしかないがらんとした部屋を。

 勝手場へ繋がる扉とは別な扉がある。おそらく寝室へ繋がっているのだろう。

 そして視線を移し、数少ない家具のうち、棚の奥に絵を見つけた。顎に髭のある、四角い顔の男性の絵だった。

 年の頃はバーンズと同じくらいに思えた彼は、紙の中で顔をくしゃっとして笑っていた。

「彼がギリアムさん、かな」

 バーンズはボソリと囁いた。腕の中で静かに寝息を立てるライラを見る。頬の涙の跡が痛々しい。

「ちょっと失礼しますね」

 バーンズはライラの身体を椅子に預けた。そしてひざの裏に右手を差し入れ、背中に左腕を当てる。右腕を持ち上げライラの身体を後ろに傾けつつ、その腕力で持ち上げた。

 ライラが起きる気配はない。

 横抱きにしたまま、バーンズは寝室へと移動する。

 器用に扉を押し開け、漏れる光でベッドを見つけた。そこにライラを横たえ、ブーツを脱がしていく。眼鏡は割れないように脇にある小さな丸テーブルに置いた。

 毛布を掛け、バーンズはベッド脇に跪いた。右手をそっとライラの頬に添え、漏れる明かりで、影を刻したライラの顔をじっと見つめる。

「身勝手言ってすみません。貴女の希望に添えるよう殿下に掛け合いますので、お願いです、僕を助けてください」

 そう言って、バーンズはライラの額に唇を落とした。


 ライラは夢を見ていた。静寂が支配する暗闇の中、立ち尽くすライラの前に、死んだはずのギリアムが姿を現した。

 手には角材と道具を持ち、角ばった顔をくしゃりとさせ、何してんだよ、と今にも声をかけてきそうだった。その顔に目の奥が熱くなり、顔も歪んでいく。

「しけた顔してんなぁ、ライラ」

 角ばった顔が呆れに変わる。

「あー、こっちもいろいろあってさ」

「頭悪いのに考えすぎなんだよ」

「あんたに頭悪いとか言われるとは思わなかったね」

 ライラは腕で目元をぬぐった。

「で、頭が悪いライラは何を悩んでるんだ?」

 クリアーになった視界には、にやりと笑うギリアムがいた。夢だからだろうか、彼はライラの考えていることなどお見通しのようだった。

 懐かしい夫の悪ガキのような顔にライラの頬も緩む。

「ちょっとさ、困った事態になっちゃってさ。どうすればいいかわかんなくってね」

 バーンズの話を思い出し、ライラは俯いてしまう。そんなライラを見てギリアムはぷっと吹いた。

「頭悪いお前が、悩んだところで答えなんか見つからねぇって」

「頭悪いっていうけどさぁ、あんたよりは良いはずなんだけど?」

 ギリアムの軽口に、ライラも食って掛かる。ライラが顔をあげれば、そこには笑っているギリアムの顔がある。

「お前より頭が悪い俺に名案なんて浮かぶわけねえだろ?」

「だからって、あの時みたいに後悔したくないんだよ! あんたを後回しにしなけりゃ、あんただって死なないですんだかもしれない!」

「ありゃ、俺に運がなかっただけだ。嵐で壊れかけた建物から助けるために駆けつけた兵士たちが、耐えきれなかった建物の下敷きになったんだ。俺の怪我が後回しになるのは仕方ねえだろ」

 ギリアムがライラを諭すように微笑む。


 四年前、大きな嵐がレゲンダを襲った。猛烈な風がボロい家を揺らし、肩を寄せ合う長屋を半壊させた。街を統治する軍は嵐の中兵士を派遣して救出作業を行ったが、暴風で建物は倒壊し、兵士たちが生き埋めになり、大怪我を負った。

 ライラはその治療のために診療所に詰めていた。運ばれてきたずぶ濡れの兵士は出血や骨折などだったが、人数が多かった。

 ライラとイエレンはその処置で手一杯だった。

 その時、ギリアムは家にいたのだが、外からの悲鳴を聞いて飛び出した。近くの家も倒れそうになっていたのだ。

 ギリアムは駆けつけ、手近にあった木材で支えようとした際に風で飛ばされてきた屋根材に頭をぶつけて昏倒したのだ。

 建物に仮の補強をし、ライラのいる診療所へ向かったギリアムだが、その修羅場に自分ばっかり頭をぶつけただけだから、と後にするようにライラに言ったのだ。

 最初は痛いだけだったが、いつしかギリアムの意識は無くなっていた。ライラが兵士たちの治療に目途がついてギリアムに駆け寄った時には、既に帰らぬ人となっていた。

「怪我の程度を知ってればあんたの所に行ったさ!」

「建物の下敷きになった兵士たちだって酷い怪我だったろ? それに、俺を優先したところで、あれはどうしようもなかったと思うぜ」

「でも!」

「医師ができることには限りがあるって、お前いつも言ってたじゃねえか」

「でも……でも!」

 ライラは肩を震わせた。

 ギリアムの言う通りかもしれない。だが、それでもライラはギリアムの治療を先にしなかったことを、ずっと後悔していた。

 先に治療していれば助かったんじゃないか。

 その思いに潰されそうな日々を送っていた。その時の悔しさが、ライラを支えていた。

 助けられなかったギリアムの代わりにひとりでも多くの人を。

 助けた兵士たちの家族からは感謝されたが、ギリアムの友人たちからは夫を見捨てたと陰口を叩かれた。四年経った今でも、彼等の風当たりは厳しい。

 ライラが煙草を始めたのは、ギリアムが亡くなってからだ。

 煙管をこよなく愛していたギリアムを真似るように、ライラは煙管をふかしはじめた。酒も呑み始めた。

 咎められても止めなかった。周囲から痛々しく思われているのも気がつかず、ライラは荒れた生活を送っていた。

 唯一、医師の矜持を生きる支えとして。

「なぁライラ。もう四年だ。少しは前を向いちゃどうだ?」

 ギリアムが優しく笑う。

 ライラはこぼれる涙を拭きもせず、微笑むギリアムを見た。

「お前がにっちもさっちもいかない状況に追い詰められてんなら、好きなように動けばいいんじゃねえのか? なにしたって突き当たるんだろ? だったらやりたいように動けば、後悔も少ないだろよ」

 目の前のギリアムは、また顔をくしゃっとさせた。ライラは口をぎゅっと結び、瞼を閉じた。

 ――あたしができることなんて、大したことじゃない。悩んでも一緒か。ならやりたいようにやった方が、後腐れなくって良いか。あんたん時みたいに泣きっぱなしはもう御免だ。

 ライラは目を開け、じっと前を見据えた。ギリアムの優しい目がライラの心に突き刺さっている不幸の釘を徐々に抜いて行く。

 ――ま、何かあった時の責任はバーンズ君になすりつければいいか。

 開き直ったライラは、腰に手を当て、ギリアムのそれのように、にやりと笑った。

「そうそう、考えたってダメなときは当たって砕ければいんだ」

「……砕けた時にはそっちに行くよ」

 ライラがそう言うとギリアムが手の甲を見せ「まだ来るんじゃねえ」と追い払う仕草をする。

「なんだい、妻だってのに冷たいねぇ」

「もう喪だってとうに明けたろ? そろそろ俺の次を見つけろって」

 ライらが肩を落として文句を垂れると、呆れた顔のギリアムが盛大な溜息をついた。

「あいにく、あたしでも良いって言ってくれる、あんたみたいなバカがいなくってね」

「お前が頑ななだけだろうが。っとに変わんねえな。ま、そこがライラの良いところだけどな」

 ギリアムがガリガリと頭をかいた。

「ま、俺のことはもう気にスンナ」

「浮気を推奨してどうするんだか」

「あほ言え。お前がこっちに来たらそいつからお前を奪うだけだ。それまで預けておくのさ」

 少しだけ輪郭がぼけたギリアムが大仰に笑う。先の無い闇を彷徨うライラの背中を押すように。

「候補くらいはできたか?」

 ライラの脳裏に一瞬だけバーンズが過ったが、直ぐに消えた。

「まぁ、いないことも無いかも知れない。身分が違い過ぎるけどね」

「へぇ、そりゃぁー奪い甲斐があるってもんだ」

 自信たっぷりのギリアムに、ライラもぷっと噴き出す。ぐしっと涙を拭いた。

「その自信はどこから来るんだか」

「そんなの、この腕っぷしに決まってる!」

 ギリアムがぐぐっと腕の筋肉を盛り上げた。肩をいからせ、全身で筋肉を誇示している。

「見かけよりもずっと力がありそうなやつだよ?」

「……お前を守りきれそうなヤツで、よかったぜ。これで一安心だ」

 ギリアムは二カッと笑った。角ばった顔がなお角ばる。

「……ギリアム、助けられなくってごめんよ」

「その代り、十人以上の兵士とその家族が救われた。悲しむ人間は少ない方が良い」

「あたしはその数少ない悲しむ人間なんだけど」

「ま、それはだな、そいつに慰めてもらえ」

 滲む視界の先にいるギリアムは、ぼやけて良く見えない。

「やりたいようにやって、精一杯生きてこい」

 ギリアムの姿が空気に溶け、声が遠くなる。ライラは手を伸ばし足を踏み出した。

「待って! 最後に!」 

「泣くんならそいつの胸を借りな」

 その言葉を最後に、ギリアムは消えた。


「ギリアム!」

 カッと開いた目に飛び込んできたのは、心配そうな顔で覗き込んでいる、バーンズだった。ライラが伸ばした手を両手で握り、自分の頬にあてていた。

「……良く寝られましたか?」

 目の下を黒くしたバーンズが、囁くように聞いてきた。

「……あぁ、おかげさまでね」

「そうですか、それはよかった」

 軽い笑みを浮かべるバーンズに、ギリアムの言葉が蘇る。

 ――そいつに慰めてもらえ、か。

 ライラはバーンズの青い瞳を見つめた。もう朝なのか、陽の光が隙間から入り込み、端正な顔を浮かび上がらせている。外からは人の営みの音が聞こえてくる。

 夢は終わり、いつもの朝が始まったのだ。

 いつもと違うのは、目の前の男。何を考えているかイマイチわからない、優男だ。

「ちょっと、胸貸しな」

 ライラは体を起こし、開いた手でバーンズに抱きついた。そして泣いた。

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