第二話 一夜の契りが腐れ縁

 まだ朝日が差し込む前、ライラは裸でベッドに寝ていた。隣には気持ちよさそうに寝息を立てているバーンズ。シーツには二人の体液が飛び散っていた。

 昨晩の行為を思い出すかのように、ライラはバーンズの胸元に手を添えた。

 ――良い身体してんなぁ。そりゃ三回もできるわけだ。

 若くて美形。盛り上がる三角筋。鍛え上げられた胸筋。シックスパックな腹筋。

 ライラはうっとりとした表情でバーンズのマッチョっぷりを堪能していた。

 ――うちの兵隊どもじゃ、こうはならないよなぁ。やっぱ騎士だけあって、鍛え方も違うんだろうなぁ。

 ライラの指先がくすぐったかったのか、バーンズがもぞもぞと動き始める。

「……うーん」

 目をこすり、バーンズが目覚めた。まだ眠そうにする彼を、ライラはニヤニヤと見ている。

 ちなみに眼鏡が無いのでぼんやりとしか見えていない。

 愛を語る行為に眼鏡は無粋だ。

「やあ、おはよう」

 口をぽっかり開けて驚くバーンズに、ライラは陽気に挨拶をする。三回も抱いたんだから「素敵だったよ」くらいは言うだろうと期待して。

「あああの、どなたですか?」

 バーンズはライラの顔を、次にささやかな胸を見てきた。そして少しホッとしたような息を吐いた。

 ――どこ見て何を思って何を確認したんだよ?

 表情を無くしたライラはムクリと起き上がり、枕元に置いた眼鏡をつけた。中指でくいっとブリッジを押し上げる。

「えと、あの」

 ライラは追いかけるように起き上がるバーンスを睨んだ。

 ――昨晩はあたしのをたっぷりと堪能したろうが!

「覚えて、ねえのかぁ!」

 ばしーんとライラの平手がバーンズの頬に炸裂した。

 赤くなった頬に手を当てて呆けるバーンズを他所に素早く服を着て、扉を荒くしめたライラは宿を出てそのまま診療所に向かった。


 診療所についたライラは控室で白衣を羽織る。そしてベランダに出た。ひんやりした風とオレンジ色の朝日が出迎えてくれる。

 ライラは景気つけに煙管をふかした。

 ――あーは言ったけどさ、さすが騎士様。良い身体してたな。

 煙を吐きながら、激しかった昨晩を反芻してライラはひとりニヤつく。

 若い肉体はライラが玩ぶと素直に反応した。酔いもあり、高ぶったバーンズは本能のままに求めてきた。

 それはライラが満足するまでそれは続いたのだ。

 ――おかげで腰が軽くなった気がするよ。

 深緑のスラックスの腰辺りをトントンと叩く。重たかった腰回りがスカッと爽快なまでに軽くなっていたのだ。

 独りになってから続く男日照りが解消されライラの機嫌は非常にいい。これほどまでに清々しい朝は久しぶりだった。

「さて、そろそろ始めるとするかね」

 腕をうーんと伸ばす。背中の筋がびしっとするとやる気もみなぎってくる。寝不足ではあるが診療を開始するためライラは部屋に戻った。

 部屋にある机がライラの戦場だ。

 ギシッと椅子を軋ませ、ライラは足を組んだ。

「さーて、そろそろやろっか」

 ライラはいそいそと診察の準備をしている助手に開始を告げた。


 何人かの患者を治療したところで「客が来た」と助手の年配の女性が伝えてきた。ちょうど患者も途切れたタイミングだ。

「通して」

 ライラの声に助手の女性がパタパタと早歩きで部屋の扉に向かう。きいっと開いた扉の先には、国境の街レゲンダを統治する軍令部の参謀ミューズ・ワイルダーの姿があった。

 鮮やかな銀髪を七三に撫でつけ、翠の瞳で鋭く、隙間なく周囲を観察している油断ならない中年の男だ。

「おや参謀閣下」

「すまんなライラ。少々邪魔をする。ちと診察して欲しい男がいてな」

 ずかずかと入ってくるミューズに続く男を見て「おや?」とライラは首を傾げた。部屋に入ってきたのは頬に赤い紅葉型の跡を残したバーンズだった。

 白地の詰襟に袖、裾に青い刺繍が施された、王都の騎士服に身を包んだバーンズは、正しく好青年に見える。騎士で美形とくれば、女性が途切れることはないだろうとライラは思った。

 そのバーンズはライラを見て口を開けて固まっていた。みるみる彼の顔が青ざめていく。

 ――おやおや、面白いことがあるもんだ。

 ライラは頬が勝手に緩むのを感じた。

「あああの、もしかして?」

「あぁ、もしかしなくてもあたしさ。はどうも」

 青ざめた顔のバーンズに、ライラはニヤリと笑ってみせた。


「ん? 顔見知りか?」

 ミューズが怪訝な顔を向けくる。

「あぁ、昨晩バーで会ってさ。話し相手になって貰ったんだ」

「また呑んでいたのか」

「気晴らしだよ」

 ライラがひらひらと手を振り笑顔でそう答えると、ミューズの顔が苦みを帯びた。ミューズが何かとライラを気にかけてくるのはいつものことだった。

 実は、レゲンダに軍医は二人しかいない。一人はライラ。もう一人はイエレンという中年の男性だ。

 軍医とはいえ住民の診療もする。

 女性や子供の患者はライラが診察する事が多かったし、女性は特にライラの診療日に合わせて来ていた。

「医師なんだから自分の健康にも留意したまえ」

「あぁ、耳にタコができるくらい聞き飽きた言葉だね」

 この辺も幾度となく繰り返されたれたやり取りだ。

 レゲンダの統治も軍の範疇だ。高級将校が治めてはいるのだが、その能力は「頼りない」の一言で評価されてしまう程度だった。

 目の前にいる参謀のミューズが、事務方ではあるが、実質的なトップだ。であるから、ミューズとしてもライラの健康管理は重要なのだ。

 ライラとしては、十以上年の離れた男性に妹のような扱いをされるのは御免なのだが、ミューズが融通が効かない事務方ぶりを発揮してしまうのだ。

「で、バーンズはどこか悪いのかな?」

 お小言には慣れっこのライラは、診療に来た子供に対する口調で声をかける。「え」と一瞬怯んだバーンズが苦笑いを浮かべた。

「あ、いや、恥ずかしながら二日酔いで」

 後頭部をわしゃわしゃとかきながら、バーンズが「呑み過ぎちゃって」と続ける。

 昨夜の溜息をついていた悩める青年の影は、微塵みじんも感じられない。頬に赤いビンタの跡をつけたままのバーンズが、へらっと笑っている。

 ――そういやキャラがどうとか演じなきゃとか言ってたっけ。

 ライラは昨晩のバーでの会話を思い出していた。ぐちぐちと言っていた割には健気なもんだと感心の息が出る。

「二日酔いなら隣の部屋のベッドで横になってるといい」

 ライラは部屋の奥にある扉を親指で示した。

 診察室はライラ用の机といす、患者用のいす、薬を保管する棚と作業用の台しかない。窓もなかった。

 ただ、女性の患者用に衝立は準備してある。壁も落ち着く薄い緑色にしてある。

 これは女性であるライラの気遣いだ。

「ふむ、では私はこれで業務に戻る。バーンズ殿をよろしくな」

「子猫をあやすみたいに丁重に扱っておくさ」

 部屋を出ようと背を向け足を踏み出したミューズが顔を横に向けた。

「本人の前で失礼じゃないのか」

「今朝がたはバーンズ君の方が失礼だったけど?」

 ライラはふふんとバーンズに視線を投げた。彼は青い顔のまま引きつった笑みでを浮かべ、その額には玉の汗を光らせている。

「……くれぐれもにな」

「はいはい」

「返事は一回だと言っているだろう」

「はーい」

 ライラがしっしっと手の甲で追い払うと、ミューズはため息を置き土産に診察室を出ていった。


「えっと、あの」

 棒立ちで〝何をしてよいやらわかりません〟と顔に書いてありそうなバーンズがおずおずと声をかけてくる。

「あー、二日酔いだっけ」

「昨晩は、その」

「あー、ご馳走様。ま、一応診察するからその椅子に座って」

 ライラがちょいちょいと椅子を指すと、バーンズは困惑しながらも座った。

「吐き気はある?」

「えと、ないです」

「朝は食べた?」

「おなかが痛くて食べてないんです」

「腹痛ね」

 ライラは机に向かったままさらさらと筆を動かす。書き終わると筆を机に置き、バーンズに向き直った。

 ぎょっとした顔のバーンズがスッと姿勢を正す。ライラは無表情でバーンズの頭の先からお腹のあたりまでずいっと視線を動かした。

「触診もしとこっか」

 ニッと笑顔のライラは立ち上がり、バーンズの肩をポンと叩く。

「じゃ、隣の部屋のベッドに寝てくれるかな」

「あ、は……い」

「とって食いやしないよ」

 昨晩を思い出したのか不安を隠せないバーンズの顔を見て、ライラはくくっと笑った。

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