夜間診療お断り~姉御軍医とお気楽の騎士~

凍った鍋敷き

第一話 出会った騎士は細マッチョ

 ライラは今日も不機嫌だった。


 陽も落ち、閑散としたレゲンダの目抜き通りを、ライラは煙管をふかしながら闊歩していた。建物から漏れる灯りで彼女の眼鏡が光る。

 夜に女性が一人で出歩くのは危険だが、ライラに限っては当てはまらない。

 スラックスに折り襟のジャケット姿のライラは、ぱっとみ男性に見える。

 短めの髪、きりっとした顔、女性にしては高身長、悲劇的に薄い胸。

 余計、男に間違われた。

 ――ったく。なんで帰れるって時に怪我人が来るんだ。

 ライラはレゲンダの数少ない医者だ。しかも二十八の若さで、女性ながら軍医を務める、煙管をふかす不良医者だ。

 国境の街レゲンダで麻薬の取引があると情報で、王都から騎士が調査に来るという話があった。恥ずかしくない様にと兵士が普段は怠けている訓練をしたがための怪我だった。

 その兵士の手当てのせいで遅くなったのだ。

 ――慣れないことはするもんじゃない。

 ライラはぷかっと煙を吐いた。白い煙はライラの黒髪に纏わりつき、そして消えていく。

 何かを払うように手で耳の後ろへと追いやると、髪がさらりと揺れ動く。

「景気づけに一杯ひっかけないと、やってらんないねぇ」

 帰り道の途中でくるっと向きを変え、ライラは行きつけのバーへと足を向けた。


 目的のバーはレゲンダの大通りから脇に入った目立たない場所にある。静かに一人で酒を楽しむにはうってつけだった。

 わざと立て付け悪く見せた扉を開け、ライラはするっと通り抜ける。

 バーの中は壁に備え付けられた蝋燭の灯りだけで薄暗い。カウンターに椅子が数個とテーブル席が二つの隠れ家的なバーだった。

「邪魔するよ」

 ライラが右手を上げ挨拶すると、グラスを拭いていた中年のマスターは一瞬だけ視線をよこした。そしてカウンターに視線を移す。

 そこに座れということだ。

「ん?」

 ライラが座ろうとした隣には、琥珀色の酒が入ったグラスを前に頭を抱えている男がいる。丁寧に切り揃えられている金髪に指を差し入れ、なにやら悩んでいる様子だ。

 ――が悪いね。

 ライラがその男を気にしながら椅子に座った瞬間だった。

「はぁ」

 悩める金髪が大きくため息をついた。

 ――なんだコイツ。

「マスター、いつもの」

 項垂れる彼をちらと一瞥したライラはマスターに酒を注文する。マスターは返事もせずに作業をしているが頼んだ酒は直ぐに出てきた。悩める彼と同じ琥珀色の蒸留酒だ。

 ライラは彼を無視する様にグラスに口を付けた。

「うん?」

 ライラの声に気が付いたのか、悩める彼が顔を向けてきた。軍医であるライラの記憶にはない顔だった。

 レゲンダの住人ではない、とライラは直感した。

 まだ幼さを残す整った顔に、やや潤んだ碧い瞳。彼を見ただれもが美形と思うだろう顔立ちだ。女性ならば黄色い声でも掛けられるだろう。

 だが、その端正な顔も赤く染まり、酒も進んでいるようだった。

 ――へぇ。なかなかだね。 

 予想外な美形にライラの頬がゆるむ。

 イイ男と分かれば邪険にすることはない。 

「なにかお悩みかい?」

 ライラが口もとに弧を描いて話しかければ、彼の顔がくしゅっとゆがむ。

「聞いてください!」

 彼は椅子を動かしライラに寄ってきた。ライラはチラとマスターを一瞥する。ライラの視線を感じていないのかマスターはグラス拭きに没頭中だ。

 客は二人以外いない。ライラが彼の相手をすればマスターは作業に集中できる。

 多少のやんちゃは大目に見てもらえそうだった。

「頑張って騎士になったのに、いくら勉強のためだからってひどいですよ。なんで僕が捜査なんかしなきゃいけないんですか! しかもおちゃらけで油断を誘えとか、僕はそんな人間じゃない!」

 彼はぐちぐちと話し始めた。

 ――こいつが調査で王都からくるっていう騎士様かい。あたしにそんなことバラしちゃってさ。大丈夫かね?

 ライラは小さなため息をついた。イイ男とはいえ、怪我の手当てをする羽目になった原因が彼だったのだ。

 だがライラは気持ちの切り替えも早い。

 そんなことはスパッと切り落として、彼に声をかける。

「可愛い子には旅をさせろって言葉があってな」

「そうなんでしょうけど……」

「期待されてるってことさ」

 ライラはしゅんとする彼の肩に手を乗せ、ポンポンと叩いた。

「ほら、呑めって」

「でも、明日から仕事なん……」

「男ならグイっといけ!」

「ハ、ハイ!」

 ライラにバシッと背中を叩かれ、彼はグイっと蒸留酒をあおる。ライラも一緒にグラスを傾けた。

「あたしはライラってんだ。あんた名前は?」

「バーンズと言います」

 彼はそう言ってグラスを空にした。

「へぇ、良い名前だね」

 ライラはカウンターの向こうにある酒瓶を勝手に拝借し、空になったグラスに注ぎ、自分のグラスにも注ぐ。そんなことを何度か繰り返した。

 愚痴から始まった会話も、取り留めもないことに変わり、二人はケタケタと笑うくらいには打ち解けていた。


 酒瓶になみなみとあった琥珀色も、向こう側が綺麗に見えるくらいに減っている。

「そろそろ宿に戻らないと……」

 バーンズが帰ろうと立ち上がった瞬間、彼の膝がカクっと曲がり、ペタンとカウンターに手を突いた。

「あれ、おかしいな」

 バーンズがつぶやく。ライラの目には体を支えるので精一杯に見えた。

 ――それほど呑んじゃいないよなぁ。

 ライラ的には適量だったが、バーンズにとってはそうではなかったようだ。

「おい、マスター」

 ライラがマスターに目を向けても、彼は顎で扉をしめしただけだ。口は言わぬが目が語る。

「わーった。送ってくよ」

 ぶーたれるライラはバーンズ脇に肩を差し入れた。バーンズの方が身長が高い為、ちょうど支えることができている。

「すみません」

「ま、その辺で倒れられても困るしね」

 殊勝にもバーンズが謝ってくる。だがライラが手を貸すのは、彼が怪我をした場合治療しなければならないからだ。

 面倒になる前に予防する、医者らしいライラの考えだ。呑ませた責任も、チクリと刺さってはいた。

「シャンと歩きな」

「あ、はい」

 ふわふらとバーンズを担ぎ、夜のレゲンダを歩いていく。バーンズの怪しい道案内で、バーからさほど離れていない、レゲンダの中でも高い宿に着いた。

 大層な建物ではないが、それでも周辺に建つ家よりは十分立派に見える。

「バーンズ君、金あるんだねぇ」

「そう、れすか?」

 併設された酒場にいる宿の主がライラを見て眉を顰め、そそくさと姿を消した。

 ――嫌われたもんだ。ま、仕方ないね。

 ライラは「ふん」と口を曲げる。

「部屋まで送るよ」

「大丈夫ですよ」

 歩こうとしたバーンズの体がくらっと傾いた。

「まったく、歩けないじゃないか」

「すみません……」

 宿の二階の奥の部屋がバーンズの部屋だという。ミシリときしむ音を響かせ、二人はゆっくり階段を登っていく。淀んだ空気に酒のにおいが混ざりこむ。

 薄暗い廊下の奥のに扉を見つけた。

「そこか?」

「あ、そうです。ありがとうございます」

 振り返るライラの顔のすぐ近くで、バーンズがにこっと笑った。

 ――美形の笑顔はご褒美だね。

 ライラがそんなことを思っていると、バーンズがふと言葉を漏らした。 

「ライラさんて、カッコイイですね。僕なんかより、よっぽど男前ですよ」

 へらっと笑うバーンズの何気ない言葉に、ライラの額がピクリと跳ねる。

 ライラは男装が一番似合うと揶揄される程度には男前だ。姉御肌の性格も手伝って女性にはモテた。

 そしてそれは、彼女にとって一番聞きたくない言葉だった。

「おい」

 眼鏡を不穏に光らせたライラはバーンズを睨みつける。「はい?」とバーンズがコテンと首を傾げた。

 そののほほんとした顔も、ライラのイラつきを加速させる。

 ライラは顔を歪め右手の親指で自分の胸をさした。

「あたしは、だ」

「あはは、それはわかってますけど、でも男前に見えちゃいます。すらっとしてカッコいいですよねー」

 呑気なバーンズにライラの額はピクピクと脈動し、頬が引きつり歪な笑顔になる。

 ――遠回しに洗濯板とでも言いたいのか?

 ライラとしても、それは気にしているところだった。男装が似合うと言われる一因でもあるのだ。

「あたしが女だって、とくと教えてやるよ」

「ふえ、あの、ちょっと?」

 バーンズの胸元を掴み、引きずるようにライラは部屋に入っていった。

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