第3話 フェブラス侯グレース

 フェブラスこうグレース。それが依頼主の名前だ。侯爵こうしゃく夫人ではない。先代当主の一人娘の彼女が侯爵である。


 セルパン湖と言う小さいながらも美しい湖水と森の景観で有名なクリクター公国フェブラス侯爵領と、第7支部管内は国境を接していて、バースから車で約2時間、午前10時に両国をつなぐ街道の関所で落ち合うことになっている。


 休暇扱いだから各々私服だった。とはいえ貴人の護衛だからね、みっともない格好するわけにはいかないでしょ。何を着ればいいのかかなり迷った結果、お気に入りのえりだけ白い水色のブラウスに紺色のスカート、グレーのタイツにブーツを合わせた。コートも紺色。

 

 私物のリュックの中には生活用品と応急セットや手鍋などの装備が入っている。これなら動きやすいし、下着を重ねれば寒さ対策もできるし、きちんと感もあるでしょ。


 と思ったら、なんとレクサスとかぶった!いつもTシャツの彼も、今日は水色の襟付きシャツにグレーのパンツを着込んでいた。彼はタープ(雨除け)など大物を運搬する係だから、大きなリュックサックを背負ってきた。


 おそろいをバカにするヒースは、ベージュのネルシャツに、チャコールグレーのパンツ。ピンストライプ柄で品よくまとまっている。


 ラッセルと隊長はグレーの薄手ニットに黒いパンツという、こちらも似たりよったりの格好だった。


 関所で車を降りると、大きく伸びをした。ずっと座りっぱなしだったから肩も足もこわばっている。

「のどかだなぁ」

 レクサスが言う通りで、この辺りは人や車の往来はほとんどない。関所には老年の職員が一人眠たそうにしている。


 鳥のさえずりすら聞こえず、街道脇には常緑樹が生い茂り、くもり空のしんとした冬の空気に包まれていた。土を踏む音かがやけに大きく聞こえる。


 ラッセルが哨戒しょうかいと散策から戻り、ヒースとレクサスが石蹴りを始め、だんだんその距離が離れてきた頃だった。関所のずっと向こうに、黒い点が現れる。近づくにつれ、小さな古い車であることが分かった。


 もう一度車両を点検し、車内を掃除して(もちろんわたしも手伝った)一休みしていた隊長が立ち上がり、エンジン音とともに国境手前で停車すると運転手が許可証を役人に見せ、ゆっくりとわたしたちの前で再度停車した。


 灰色の髪をした運転手は下車するとわたしたちに一礼し、後部座席のドアを開ける。手を引かれ降りたのは細身の女性だった。


 侯爵と言ったら着飾って豪華な馬車で登場するのかと思っていたけど、彼女はヒラヒラもキラキラもしていないシンプルな白いブラウスと淡いピンクのニット、ぴったりとしたベージュのパンツ姿だった。


背が高く胸の薄いスリムな体型で、まっすぐな足の形が強調される。肩丈のダークブロンドを軽く結わいた、ラフな装いだった。滑らかで透明感のある白い肌に、常緑樹と同じ深い緑色の瞳。


 わたしのイメージしていた姫(一般市民には姫も侯爵も変わらない)は、バラや牡丹ぼたんのような大輪の花。その色で周りまで明るく染めてしまうような華やかなものだったけど、この人はそうじゃなかった。


「はじめまして。グレイヴ・シーモア少佐です。モナリスへよくお越しくださいました、侯爵陛下」


 敬礼し進み出た隊長に微笑み返し、

「あなたが隊長さんね。おうわさは聞いています。此度こたびのこと、本当に感謝しています」

白い手を差し出す。隊長だけでなく全員「えっ!?」ってなった。領主と対等に握手だよ?


 隊長は戸惑って運転手の男性を見たが、うなずかれて「…恐縮です」と手を握った。


「皆さん御礼申し上げます。それと、わたくしのことはグレースと呼んでください」

「しかし…」

「そうしてください。いちいち侯爵陛下と呼ばれていては目立って仕方ありませんので」

 柔らかかつ丁寧な話し方だけど、さすがに有無を言わせぬ物腰だ。


「それではご主人様、行ってらっしゃいませ」

「ありがとう」

 荷物を下ろした運転手は一礼すると車をUターンさせて国境を越えていった。


 わたしたちは自己紹介を済ませると、乗ってきた車に彼女を案内した。いつもの硬いシートの車両ではなく、お偉方が乗る車両を貸してもらえたんだ。


「まずはタクマダへの玄関口のキッセイという街に向かいます。そこからは車で登れませんので、リビに乗り換えて3時間ほどかかります」

「わかりました」


 運転はヒースで隣はラッセル。一番後部座席に隊長と侯爵…グレース様、真ん中の列にレクサスとわたしと荷物が乗り込んだ。


 タクマダはこの辺りでは有名な温泉地で、こぢんまりしているけど小川を挟んでのきを連ねる村の景色はよく絵葉書になっている。が、何せ交通の便が悪いのだ。山の中腹にあり街道は整備されていないため、足元が悪い山道を徒歩か、さっき隊長が言ったようにリビで行くしかない。


「乗馬は得意なのだけど、リビとは馬のような動物かしら」

「失礼しました、鹿と馬の中間のような動物です。背が低く足は遅いですが、その分小回りが利き登山に適しています。乗り方は馬とさほど変わらないかと思います」

「よかった。折角せっかくだから自分の足で行きたいものね」


「フェブラス侯爵領では、環境保全区域で車の往来は禁止されていると聞きました。やはり移動手段は馬なのですか?」

「よくご存じね。その通りで、観光客も皆さん馬車や馬で移動していただいています」


 美しい自然の姿を環境汚染から守るため、領内のあらゆるところで車の通行を禁じられているらしい。保全区域外ではもちろん往来もあるそうだが、住民の協力無しでは到底成しえない。


 都市部を離れればまだ馬車は活躍しているし、個人で車を保有しているのはよほどの富裕層だけだが、遠距離の移動は乗り合いバスが当たり前の現代、それでもすごい事だと思う。


「発案したのは父の代ですけれど、大胆な発想でしょう?小さいくにだからこそできるのですよ」

 しかも、自然とくつろぎを求めてやって来た観光客にとっては懐かしいとかタイムスリップしたようだと逆に好評なんだって。


 わかる気がする。便利になればなるほど時間や情報が追いかけてきて、もっと速くとき立てられる。流れるように時間が目の前を通り過ぎていく。もっとゆっくり色んなことを考えて毎日を送りたいのにね。

 なんてね。「実際そうなったら何も考えないでしょ」ってリサが言いそう!


「モナリスでは女性の軍人さんが活躍しているのね。素晴らしいわ」

 するとグレース様はわたしに向かって話しかけてくれた。なんだか心がほわーっとするような微笑みだった。


「活躍はしてねえよな?」

 ヒースの突っ込み。

「そ、そんなぁ!否定はできませんけど…」

 声を上げて彼女は楽しそうに笑った。


 たわいもない会話で場を和ませながら、わたしたちの緊張をほぐしていく。あれ、意外と普通の人なのかなと思わせながら、わたしたちが慣れてきたのを見計らっていよいよ本題に入るのだった。


「今回、わたくしがタクマダ行きを決意したのは湯治のためです。私には子供がいません。これは侯爵家にとって重大な問題です」

 タクマダの温泉は特に女性生殖器官の病に効くと言われ、子宝の湯とも呼ばれている。


「良いと言われることは色々と試しましたが、授からないのです。前々から行きたいと思っていたのですが、機会に恵まれずね。もちろん最初は自力で行こうとしていたのですよ。


 しかし、夫の浮気を告げるものがいて、しかも私を暗殺し愛人との間に産まれる子に爵位を継がせようと企んでいると知ったのです。

 当然、離縁しようとしました。しかし、侯爵家にとっては血縁を残すことの方が大事だと…、養子に迎えるべきだと、長年仕えてくれた家臣の誰もがそう言いました。


 私が死ねば、爵位は夫のものとなります。その血を受け継ぐ子は、母親が誰であれ正当な後継者なのです。それに、私がかつて退けた近親の者も爵位をあきらめたわけではない。弱みを見せれば即座に攻撃されます。


 もはや、子供を産めない私の味方をしてくれる者は誰もいないのです。年齢的にもこれが最後のチャンスですから、何としてでもタクマダに行ってみたいと思いました。


 しかし、夫がこの機を逃すはずがありません。国外で事故に遭う、あるいは賊に襲われて死んでくれれば、こんなに都合の良いことはありません。


 そこで、あなたたちのことは知り合いから聞いていましたから、護衛をお願いできないかと思っていたのです。近しい者たちよりよほど信用できますから」


 嘘のような、本当の、でもどこか遠くの世界のような話だった。グレース様の話し方があまりに淡々としているのも、どこか物語めいているように感じた一因かもしれない。


 正室と側室を置いて十何人も子孫を残させていた昔の王家と、何も変わっていないんだなあ。アークが言っていた通りだ。

 現代では、不妊の原因は必ずしも女性側だけとは限らないことが分かっている。それなのにグレース様だけが責められるなんて…。


「湯治をして仮に病が良くなったとしても、ダンナは浮気してるんすよね?子供を作れる関係に戻れるんすか?」

 ヒース!よくもまあそんなズケズケと!


「そこは爵位を継ぐ者の責務を果たすまでね、お互いに」

「ふうん。楽しくないっすね」

「楽しかったことなど一度もありません」

「教えましょうか」


 あーもう聞いてるこっちがハラハラする!しかも何!?ちょっと上から目線で!

 しかしグレース様はふふっと笑い、「久しぶりにそんなこと言われたわ」とかわした。王者の余裕だ。


「ね、メグ。毎月生理痛に耐えているのに、一度も使わずに終わるなんて損していると思うでしょう?」

「そうですね!この痛さは男性にはわからないですよね」


 言いながらわたしはヒースの後頭部を睨みつけた。彼にとってはただの気晴らしかもしれないけど、軽々しく言ってほしくない。


「ご主人から狙われている事情は承知しました。何か情報はあるのでしょうか」

 真面目に話を戻す隊長。

「誰かと交渉をしているようだと…しかし確かなことは何も」

 彼女は首を振った。


「なるほど、ただの賊なら良いのですが…。最も狙われやすいのはキッセイからタクマダへの山道でしょう。毒殺は足がつくので可能性は低いですが、宿でも用心します。我々もプロですから、ご安心ください」

「…ありがとう。どうか、皆さんもご自分の命を第一にしてください」


 隊長はそう言うけど、相手がプロの暗殺者だとしたら厄介やっかいだ。うぅ、自信ない。

 やっぱり陰謀いんぼう渦巻くとんでもない任務だった!


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