鬼の啼き声

白鷺雨月

第1話黒い軍服の男

大正時代末期。

帝都で破滅的な大地震が起きて、一月ほどが過ぎていた。

多くの被災した人々がここ大阪に移り住んだ。

急激な人口増加により、かつてないほどの繁栄の兆しがみえていた。


そんな者のひとりに志乃という人物がいた。

美しい人物であった。

ただ、男性にたいして美しいという形容詞をつかえるならば、である。

ほっそりとして背が高く、切れ長の瞳が特徴的だ。

肌の色は病的に白い。

粗末なコートに身を包み、手には古びた旅行鞄ひとつ。

彼はある場所を目指していた。


「私が死んだら、ジョナサン神父を頼りなさい」


彼が震災前に身を寄せていたジョージ神父の遺言である。

ジョージ神父はすでにこの世にいない。

瓦礫の下敷きになり、死んでしまった。

この言葉を残して。

どうにか大阪までたどり着いたものの、足は棒のようだ。

痛くて仕方がない。

引きずるように歩き、どうにか、目的の教会にたどり着いた。

大きなドアを押し開け、中に入る。


嫌な臭いがした。

あの震災で嫌というほどかいだ臭いだ。

血と死の臭い。

志乃は吐き気がした。

吐かなかったのは胃に何も入ってなかったからだ。


教会のなかには、三人の男たちがいた。

見るからに狂暴そうな男たちだ。

口元に下卑た笑み、手には凶悪なナイフ。

彼らの足下には、神父服を着た男が倒れていた。

床はたっぷりの血でよごれていた。


「ひっ」


志乃は短い悲鳴をあげ、両手で口を押さえた。

細い足がガクガクと震える。


「やっときやがたな」

男の一人がいった。

男の右頬には深い傷痕があった。

ゆっくりと近づき、志乃の豊かな黒髪をつかんだ。

ずるずると髪を持って引きずり、他のふたりのもとへ放り投げた。

ゴロゴロと硬い床を転がる。

激痛が志乃の身体を襲った。

それ以上に恐怖が彼の身体を支配し、行動の自由を奪っていた。

ゴツゴツした指で男の一人が志乃の可憐な顔を持ち上げた。

毛髪の一切ない頭が特徴だった。

「こいつ、女みたいな顔してるなあ」

舌なめずりし、言った。

下品この上ない笑みを浮かべながら。

「なあ、こいつやっちまってもいいかな」

汚れた背広を着た男にきいた。

どうやら彼が首領格のようだ。

「お前も好きだな。背中さえ傷つけるなって話しだから、かまわんだろ。たっぷり犯してやれ」

背広の男はそう言い放った。

「へへっ、いいってよ」

無毛の男は、志乃を床に押し倒す。

服をビリビリと、持っていたナイフで引き裂いた。

薄く、白い胸元があらわになる。

男は、汚れた舌で胸元から顎先にかけて舐め上げた。

「嫌、やめて」

志乃は首を左右に大きくふり、泣き叫んだ。

「いい声で泣くじゃねえか」

下品な笑みを浮かべ、ズボンの腰に手をあて、ずらそうとする。


バタン!!


扉が破られる音がした。

壊れた扉が左右に割れ飛び散る。


志乃は涙で濡れる瞳でその方向を見た。


一人の背の高い男が立っていた。

帝国陸軍の軍服を着用し、軍帽を目深にかぶっている。

通常とは違う黒い軍服。

闇を切りとって染め上げたかのように黒い。

赤い鞘の太刀を腰にぶら下げている。


軍服の男は口角をあげ、ニヤリと笑った。


床を軍靴でける。

一瞬にして距離を縮める。

鞭のようにしなやかな腕で無毛の男を掴む。

頭上まで持ち上げ、壁に投げつけた。

ズブリと無毛の男は、壁にめり込み、汚物を撒き散らしながら、気絶した。


軍服の男は涙で濡れる志乃に向かって

「助けに来た」

と低い声で言った。





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