パートタイム・ラバー
羊谷れいじ
パートタイムラバー (短編物語)
彼女は言った。
「私ができることは、あなたの欲求を満たすことだけ」と。
僕には意味がよく呑み込めなかった。それはまるで、何かの定型文を聞かされているような気分だ。
彼女はベッドの中でタバコを吸った。その少し浅黒い肌に何人の男が唇を寄せたのだろうと考えると虚しくなった。小さいけれど小奇麗なホテルの部屋では、どこかで聞いた音楽がジャズアレンジされて流れていた。それはあまりに繊細で美しいメロディだった。
それでも僕は、彼女と情事の後のまどろんだこの時間が好きだった。出口のない迷路に迷い込んでしまった子供のように、世界の終わりと新たな始まりを感じるこの瞬間がたまらなく好きだった。
「あなたは、私を抱く度に傷付いてゆくの」
彼女はいたずらっ子のように悪びれるわけでもなく言った。
「そうかもしれない。でも本当は、君も傷付いているのかもしれない、といったら君は笑うかな」と僕はオレンジ色の朝焼けに染まるレースのカーテンを見ながら呟いた。
「私も傷付いているかもしれないわ」と彼女は僕の肩に頬を寄せた。
世の中にはいろいろな男女がいる。清廉潔白な恋人同士だけじゃない。そこには人知れないところで結ばれるしかない男と女もいる。でも何故だろう、影がある恋もまた儚く美しい。僕は昨日こんな夢を見た。体に刻まれた呪い(まじない)のような刺青をじっと鏡の前で見つめ居ている自分がいる。でもその鏡の中の自分は、僕自身ではなかった。僕ではなく、本当の僕。心の深い深いところにいるもう一つの僕。それを覗き込んでいたんだ。
「よく、リストカットする人が自分の血を流すとこを見て安心するっていうだろう?僕は時々、この体に刻まれた呪い(まじない)を見る度に安らぐんだ」
と言った。
「そうなの」と彼女と僕を見た。しかし、その瞳にはもう何も映ってはいなかった。そう、何故なら彼女には血なま臭い心臓の鼓動より、冷めた欲望の先を求めていたから。
どこにも行けない僕たちが朝を迎える。優しい日差しがこの呪縛に、今日も終わりをそっと告げる。僕たちはそれぞれに鎖を引きずったまま、また一日を生きる。
次の夜を待ちながら。
パートタイム・ラバー 羊谷れいじ @reiji_h
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