3-10

「そして数分もしない内に本人からレスが来て、偽者とかも考えずに居場所を教えたの。直ぐに行くってレスが来て、それからまた数分もせずに、体育館の扉が開いた。私はその間ずっとスレッドをチェックしていたんだけど、彼にfusianasanを要求するレスがあって、彼がそれに応えて……対応するIPが無いって、騒ぎになってた」

 fusianasanとは、簡単に云うと大体どの辺りから掲示板に書き込んでいるか分かるシステムだ。対応するIPが無いと云う事は、存在しない場所からの書き込み、と云う事だろうか。

「扉の方を見ると、凄く大きな狼を連れた男が立っていた。多分大型犬よりもずっと大きかった。狼は周囲を威嚇していて、男は鬼の形相で私達を睨んでいるのが、明かりを向けなくても分かった。彼はずんずん私達の方に歩いて来ると、私を一瞥して通り過ぎて、穴にはまった子を引っ張り上げた。それから狼を振り返って、山犬、とだけ声を掛けると、それで伝わったみたいで狼が頷いたの」

 そこまで云うと、マヤさんは麦茶を一口飲んだ。そして再び口を開く。

「穴に落ちた子の足を見て、捻挫だなって呟くとその子を抱えたわ。それから行くぞって私達に声をかけて、みんな訳も分からないまま頷いて大人しく従ったの。彼に先導されて、来た道を戻って階段を降りて、非常口から外に出た。雨はいつの間にか上がっていて、空気が澄んでいて、心底ほっとした」

 男は抱えていた子を丁寧に降ろして自力で立てる事を確認すると、そこで待つ様に云って校舎へ戻って行った。数分後に体育館の方から黄色い光が溢れて、少しして非常口から男と狼――山犬が出て来たのだと云う。

 彼女達の元へ戻って来た男はやはり鬼の形相で、

「馬鹿共が」

 と吐き捨てる様に云って全員の頭をばしばしと叩いた。

 痛い、と誰かが文句を云うと、生きてて良かったな、と男が云って、またマヤさん以外のみんなが泣いた。男は少し困った様な顔をしながらも、こんな馬鹿な事は二度とするなと説教をして、最後にマヤさんの方を向いて、小さな声で彼女だけに云った。

「お前は特に駄目だ。今まで何とも無かったのが奇跡だな。絶対にこう云う場所には来るな」

 低い声でそう云われ、最後に全員背中を何度か叩かれた。そして男と山犬に見送られ、彼女達は近くに停めた車へ戻った。

「これが、私が最初に彼に助けられた話」

「その時一緒に居た子達は懲りて廃墟への同行を止めた。一人じゃ物理的に危険だからってマヤさんも我慢してたけど、我慢し切れなくなって俺らを連れて三年ぶりに訪れた廃墟で霊障に遭ったのがこの間の話。しかもこの人、未だ懲りてないんだぜ」

 何本目か分からない煙草を吸いながら、ソヨギ先輩が小馬鹿にした様に云った。

「シュン君はどうして分からないかな。廃墟はロマンだよ!」

「俺だって嫌いじゃないけどさ、普通、そんな目に遭ってまだ続けるかね」

「……また会いたかったのよ。山犬を連れたあの人に」

 不意に声のトーンを落として云ったマヤさんは伏し目がちで、カミコ先輩とはまた違ったタイプの美人のその表情に、僕は少しどきりとした。

「あんたには準教授が居るだろ。浮気は良くないですよ」

「違います!」

 顔を上げ、きっとソヨギ先輩を睨み付けるマヤさん。ソヨギ先輩は気にした風も無く紫煙を吐いた。

「あの、どうして会いたかったんですか」

 僕の質問に、マヤさんは此方を向いて一つ咳払いをした。

「色々訊きたかったの。どうして助けてくれたのかとか……一体誰なのかとか。それに、どうして私は特に駄目なのか」

「ま、今回その理由は分かったけどな」

「ブログに書いてあった、受け入れちゃう体質ってやつですか」

 訊くと、ソヨギ先輩はにやりと笑った。

「聞いて驚け、マヤさんはアラヒトガミなんだとよ」

「は……?」

 あらひとがみ。

「簡単に云うと人として生まれた神を示す言葉だ。つまりこの人は肉体を持った神様なんだと。漢字は現実の現に人間の人、カミはそのまま神様の神」

「かみ、さま……」

 間抜け面、と云ってソヨギ先輩が笑う。

 理解が追いつかない。

「まあ、強い力を持っていると思えば良いよ。あの人の話によると、これまでは本人が知らなかったおかげで力が現れる事も無く何も起きなかったけど、廃校での一件で少なくとも霊の存在を認識してしまったから、力が漏れ出してる状態なんだってさ。曰く、霊ってのは何処にでも居るもんだけど、大抵は悪意が無いし、悪意があろうと無かろうと、弱いもんじゃあマヤさんには何も出来ないんだって。けどあの廃ホテルに居たのは怨霊レベルのもんで、マヤさんの力を得ようとしてたとか何とか」

 ソヨギ先輩の話を理解しようと必死で聞く。時々相槌を打ちながら。

「心霊スポットって、大抵怖いもの見たさで行くだろう。んで、怖い怖いと思うと人間、在りもしないモノが視えたり聞こえたりするもんで、それで余計に怯える訳だ。そして恐怖ってえのは感情の中でも特に残り易くてその場に影響を与え易い。だから霊が集まり易いし、数が多ければ性質の悪いもんも増える。つまり危険なんだ、霊的に。だからあの人は、止めろと云ったんだ」

 先輩の話を何度も噛み砕いて、それで漸く何となく理解出来た。

 つまりマヤさんは霊的な力がとても強く、それは霊を惹き寄せる。弱いモノは脅威ではないが、心霊スポットの場合彼女に何か出来る程強いモノが居る場合があって、危険だから止めろと、彼はそう云った。

 しかしただ止めろと云われたマヤさんは納得が行かず、話を聞く機会をずっと窺っていて、それがこの夏、無事(?)に詳細を聞き出せたのだと、そう云う事だろう。

「意外と居るらしいぜ、自覚の無い現人神って。コケイン症候群と同じくらいの割合だってさ」

 コケイン症候群は、確か早老症の一種で難病指定されている。百万人に一人の発症率だったと思う。多過ぎやしないか、現人神。

「私ね、ちっとも懲りてないの」

 マヤさんが云った。少し困った様に笑っている。

「とても危険なんだって、何となくだけど分かって、でもやっぱり廃墟が好きなの。だからもう一度彼に会って、何とか悪いモノに憑かれずに済む方法が無いかとか、自分の力について訊きたいの」

「え?」

 聞き返す僕に、二人揃って苦笑した。口を開くのはソヨギ先輩の方だった。

「つまり、マヤさんも男を探してるって訳だ。おかげで最近のブログ記事は全部、あの人を探すついでの廃墟探索だぜ。いつも一緒に連れ回されてるリョウって奴なんか、いつの間にかビビリがログアウトだ」

 僕は未だ訳が分からず、ぽかんとして二人を交互に見る。呆れた様に、ソヨギ先輩が溜息を吐いた。

「メールで云ったろ、協力出来るかも知れないって。目的は一緒なんだ、仲良くしようぜ」

 そう云って僕の肩に手を置いたソヨギ先輩は、とてもとても、楽しそうに笑っていた。

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