ここらで一席
りう(こぶ)
ここらで一席
「どうせ発表会の本番に一席やるんでしょ? だったら今、練習のつもりで話してくれてもいいじゃん、そんなもったいぶらないで、さ。どうせ、村田のも見に行くし」
私はペンキを塗る手を止めて、エプロン姿の先輩の方を見た。
「そんな顔しないでよ」
先輩は悪戯っぽく笑っている。
「でも私、まだ4つしか話覚えてないし。先輩、多分どれも好きじゃないと思います」
「そうなの?」
「そうです」
「寿限無とか?」
「寿限無は覚えてません」
「そっかあ」
先輩は、大きな発泡スチロールの塊に目を戻すと、美術部から拝借したスチロールカッターで、何かの形を少しづつ掘り出して行く。私も作業に戻り、無心に刷毛を動かした。私は先輩のように器用ではないから、先輩が下描きした舞台背景の絵に、指示通りに色を塗るだけだ。
「こんな風に坂本と話すのって、あんまりないよね」
「そうですね」
黒板横のカレンダーを横目で見た──1994年9月。正確には、二人だけで話をするのは後にも先にもこれきりだ。
ガランとした教室の外の廊下を、女子の群衆が騒ぎながら通過して行く。校内放送では、生徒会の誰かが呼び出されている。
「でも意外だったな。坂本、落語好きだったんだ」
「いや、そうでもないです」
「じゃあ何でわざわざ
「そうですね、なんでですかね」
先輩が少し笑った。沈黙しないための優しい気遣いを、意図せず台無しにする自分にはもうなれてしまった。先輩が発泡スチロールを小気味よく裂く音が、なんとなく間を繋いでいた。
「──話、するの、苦手なんです。だからかな。練習も、兼ねて」
「あー、──」
先輩はそう言ったきり、自分の世界に入ってしまったようだった。時折唸り、首をひねりながら、何かを掘り出していく。そう、そんな先輩が私は好きだった。だから邪魔はしたくないのだけれど──時間は限られているのだ。
「今回の脚本も、吉岡さんなんですか?」
「──ん? ああ、そうだよ。ヨシの話、面白いよね。俺すごい好き」
「先輩は、書かないんですか」
「俺は大道具を作りたいだけだからさ」
そう言って笑う先輩。
「──先輩、もしこういう話あったら、どう思います?」
なんでもない風に。
手を止めないように。
「遠い将来に、すごいコンピューターが発明されて、それを脳に接続したらその人の人生のあらゆる瞬間を再現できるようになるんです。それで皆、自分の人生の中で後悔している瞬間をやり直すんです。で、大事な人に言い忘れたことを言いに戻るっていう」
「それ、坂本のオリジナル?」
「いや、そういうわけでは」
「SFなのかな。ちょっとありきたりだね」
「──ですよね」
「なんにせよ、「おセンチなのはそんなに好きじゃないかも」」
重なる台詞に、先輩が振り返る気配がした。
「ん?」
「なんでもないです」
校内放送では、引き続き生徒会の誰かが呼び出され、ついでのように最終下校時刻が告げられる。私と先輩はそれに急かされるように手を動かし、気づけばまた先輩のスチロールカッターが、沈黙を優しく壊していた。
「坂本の落語、聴きたいなあ」
ポツリと先輩が溢す。じんわりと暖かいものが胸に広がる。
そう、こういうところも好きだった。
「──犬が人間になる話と、そば屋さんでズルをする話。あとは『死神』と、おならの話。どれがいいですか?」
私は一応問いかける。先輩の返答は知っている。
「坂本のオススメは?」
オススメもなにも、私のする話は、もう一つしか残ってないのだ。
「
*****
こうして私は、四度目の「1994年9月27日、午後1時22分から3時45分にかけて」を終えた。
ここらで一席 りう(こぶ) @kobu1442
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