第1話 怪奇事件はいつも此処から始まる(推敲)

 何の変哲も無い、寂れた路地の一角に、そぐわない女が立っていた。


 はっきりとした白と黒のコントラストが目を引く、前衛嗜好アヴァンギャルドなフォルムに身を包んだ、絵画のように完成された女は、人形ではなく生身であった。


 その手が動いて、繊手にはめられた黒レースの手袋が、静かに顎に当てられた。

 完璧な一連の流れは息を呑むようなゆるやかさで、白昼夢を幻視るような妖しさにも満ちている。


 女の背後にある建物の陰から、うやうやしく日傘を持つ手が差し出された。

 影の中に控えていた初老の男は、執事らしく旧式の時代がかかったスーツに身を固め、わずかに気配を解いて、主君に声をかけた。


「これで三件目でございます」


「そのようだね。今回も見る限り痕跡はないようだ……」


「はい、申し訳ございません。しかし、お言葉ですが当主様、おん自らお出にならなくともよろしかったのでは?」


「そういうわけにはいかないよ。少なくとも、これでボクは決断が下せる。どうせ捜査を強化したところで、何も出ないだろう」


「では、いかがなされますか」


「――これは彼の事件だ」


「“あの方”に依頼なさるのですか?」


「この怪奇事件、彼でなくては無理だろうさ。怪奇探偵、神門十夜かみかどとうや――そう、彼にその役目を果たしてもらおうじゃないか。すぐに迎えに行きたまえ。参剋斐しんかい財閥の当主が呼んでいると言ってね」



 鎖国政策によって、いくつもの都市国家が存在する世界。国家間の国交が断絶する中、ここパトリアの街では、人と人外が共存していた。


 人外のモノたちがごく当たり前に存在し、住み着くこの街では、怪しい現象は日常茶飯事に起こる。

 それら“怪奇”は“事件”として取り扱われ、街の管理者である参剋斐しんかい財閥が組織した、名実ともに絶大な力を有する治安維持部隊によって、犯罪は取り締まられていた。


 しかし、そうした組織の手に余る現象が発生した時、管轄外の“怪奇事件”を一手に引き受けている者がいた。

 怪奇専門の探偵“神門十夜かみかどとうや”。

 それはこの街でただ一人に課せられたお役目である。



 **************



 治安維持部隊の管轄外の仕事というのは、例えば食い逃げのことだったりする。


 目下、オレは定食屋“奇々怪々ききかいかい”の店主に依頼された食い逃げ犯を追って、助手のユウナとともに街を走破している真っ最中。


 定食屋からの足跡をたどり、タダメシ食らいの狐狸を発見して追いかけているのだが、オレたちに気づいた奴らは、余裕しゃくしゃくで毒づいてくる。


「あ、ダメ探偵!」

「毎度どうもなのです!」

「この“化け狐”に“化け狸” っ!! あいさつより金払えぁああ!!」


「うわ、うっそマジで? なんか本気モードじゃん」

「食べ物の恨みは恐ろしいのです」

「あいつの食べ物くすねたわけじゃないのに?」

「騙される方がわるいのですぅー!!」


 “狐娘キツネっこ” と “狸娘タヌキっこ”の狐狸娘たちはキックボードの速力をあげていく。その先にあるのは長い下り坂だ。

 こちとら貧乏探偵事務所は、主にオレだけが自力で走っている。このまま坂を下られたら、一気に引き離されるのは目に見えていた。


「ぃやかましい、逃げるなっっ!!」

「そうよー、二人ともぉ、お金払ってぇ、それから店主さんに謝らないと、十夜とうやが本当に怒っちゃうからー。危ないよー」

「ユウナ! お前どっちの味方だよ!? 飛べんなら、先回りしろよ!」

「はぁーい、りょーかーい」


 オレの使い魔でもあるユウナは、引きずるほどの長い銀髪を宙に散らして、白目のあかく染まった金色こんじきの瞳で彼方を見据えると、どうするかも聞かないまま、オレのかたわらから放たれるように空を切っていく。

 オレは走ることをやめ、手近に転がっている石を拾い上げた。


「ハイ、ストーッップゥゥゥウ!!」

「うわぁあああ!! 邪魔!」

「あぶないのですぅっ!!」

「まままま、二人ともいったん止まったところでぇ」

「そんなにほしいなら、勝手に拾いなさいよ!」

「好きなだけあげるのです!」


「え……お金?……お金だぁ」


 ユウナは坂の手前で無謀にも腕を広げて通せんぼして、狐狸娘たちの動きを一瞬止めることに成功したのだが、次々に頭上から舞い降りてくる無数の紙幣に気が付いて見とれてしまう。

 陽光を受けて輝き降り注ぐ紙々。


 なんで、騙されるかねぇ。


 確かに狐狸の類が見せる幻術には一時的に人の意識に作用して認識を変える、魅惑の力があるんだが、仮にも顔にばっちりと魔族の刻印がある奴が騙されちゃいかんだろうよ。ユウナよ。

 それとも、うちが万年貧乏なのがいけないのか?


 ユウナが呆けている隙に、コソコソと逃げ出そうとする狐狸娘たちのキックボードめがけて、正確な蹴打術から放った石つぶてが、オレの狙い通りにハンドルを粉砕する。

 衝撃で「ぎゃあ」とか、みっともない叫び声が聞こえたが、多少手を巻き込んだかもしれない。

 同時に、舞い飛んでいた紙幣も、幻のように消え失せた。


 一件落着!


 ほくほくして近くに行ったオレは、手を抑えてうずくまる狐狸娘たちと、消えた紙幣に精神的損害を食らって地べたでうなだれるユウナに、ちょっとなんて声かけていいかわからなかった。ユウナに至っては本来の姿から、その場で藍色の髪の人間と変わらぬ普段の姿に戻ってしまった。

 え、ちょっと、いくらなんでもショック受け過ぎじゃね?


 ――その時。


 うなりを上げる車の走行音が近づいて来たと思ったら、突如、角から現れた高級車が後輪を横滑りさせながら、ピタリとオレたちのそばに横付けした。

 狐狸娘たちがタイヤが焼ける白い煙にむせるが、何事もなかったかのように音もなく車のドアが開いて、影のような物静かな男が降り立った。


「お久しぶりですね、神門かみかど様。そして、神宮じんぐう様」


「おいおい、執事が法定速度ぶっちぎりかい?」


「相変わらず神門様はご冗談がお上手ですね。この車は治安維持部隊の登録車になっておりますので、速度制限はございません。従って不法ではありませんよ」


「ああ、そうかい。なんでもありだな。何の用かは知らないが、オレたちはたった今解決した怪奇事件の犯人を、依頼主の所に突き出しに行かなきゃならないんだわ」


「そちらの件がお済みであれば、こちらをお願いします。この街で怪奇事件が発生致しました、即時解決して下さい神門様」


「……何を言ってやがる。いつもなら依頼を受けるんだがな、そんな話は一つも聞かないぜ? 街で噂になってるのは強盗事件だけだ」


「その通りでございます。そして、その強盗事件こそが “今回の依頼” でございます」


「待て。そいつは “治安維持部隊” の領分のはずだろうが。オレの出る幕じゃない」


「神門様、ここはひとつお屋敷にて、当主様より詳しいお話を――」


 事件がオレのもとに舞い込む時、それはこんな風に始まる。


 いつも通りに財閥当主からのお迎えがやって来たのだ。が、今回の依頼内容は “強盗事件” だ、怪奇事件ではなく。

 久しぶりのまともな依頼ではあるし、迎えが来た以上はしようがない。


 ここは素直に従うとするか……いや、まてよ。


 オレは狐狸娘たちを指して執事の男に説明した。


「あのさ、行くけど。その前にこいつら乗せて“奇々怪々ききかいかい”っていう、うちの近所の定食屋に寄ってくれねぇかな。そこで降ろすだけだから。ちゃんと捕まえったってとこ見せないと、店主が今日限定でタダメシ食わしてくれなくなっちまうんだよ。すぐ済むし?」


「ナイス、十夜」


「うわ。さっすがダメ探偵」


「貧乏なのです、可哀想なのですよ」


「ユウナ以外な、うるさいよお前ら」



 そうして、オレとユウナは車に乗り込み、参剋斐財閥当主が待つ屋敷へと赴くのであった。




『第1話 怪奇事件はいつも “此処” から始まる』~終







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