Portafoglio!

日竜生千

「推敲を遂行しよう。」より

亡国のプリンツェッサ

第1話 上意(推敲)

「––––––無貌むぼうの魔人。尾張の大うつけとわれた織田信長がそう呼ばれ出したのは、かの明智光秀の裏切りによって起こった謀反、〈本能寺の変〉からのちのこと」


 少女は朗々と語る。小豆色の袴を翻す姿は凛として、武家屋敷に据え付けられた洋造りの図書室に不思議と馴染んでいた。

 学生用の教科書を片手に少女、【藤ノ宮瑞乃ふじのみやみずの】はうつけな幼馴染にこの国の歴史を説く。


 –––––– そもそも、なんで今更こんなことをしなくてはならないのだろうか?


 当のうつけ者はそんな事を考えながら、こっそり四角く切りとられた残暑を眺めた。


「〈本能寺の変〉にてかおを失った信長の苛烈であった気性に、さらに拍車がかかったのかあるいはとり憑かれたのか、彼はおそるべき速度で各地を武力で制圧していった。やがて天下を手中に収めると、来たる外国とつくにとの戦いに備えて、富国強兵と積極的な海外交流を推し進めるようになる」


 大通りには人が行き交い、残暑に喘いでいるさまを見て、うつけ者は心の中でそっと敬礼する。


(お勤めご苦労様です)


 労働は尊い。だがそれ以上に命とは尊いものである。そうあるべきなのだ。

 先の戦争で父親を、その心労で母親を。たて続けに両親を亡くした彼は、このうだる暑さに倒れる人が出ぬようひっそりと祈った。


「信長の天才的な政治手腕と、欧州諸国が隣国と戦争をくり返す状況があと押しをして、極東の辺境領でしかなかったわが国は驚異的な発展を遂げ……って、悠雅ゆうがさん、ちゃんと聞いてますか?」


 じろりと、音が聞こえてきそうな目つきでとがめるように、瑞乃は幼馴染の名を呼んだ。

 隻眼に切れ長の三白眼という、少しばかり人相の悪い青年――【深凪悠雅みなぎゆうが】は外から吹き込んでくる残暑の温かい風に総髪をたなびかせて、


「聞いてますよ。その続きは、『こうして、織田信長と呼ばれる一人の魔人の手によって天下統一が成された極東の島国・扶桑ふそう皇国は誕生した』でしょう?」

「……どう見ても聞いていなかったのに、そうして一言一句あたっているとちょっと腹が立ちます」

「そう怒らないでください、お嬢。腹を立てるより、あんたは腹を空かせるべきだ。いつまでも線は細いし、ちんちくりんだし」

「余計な御世話です。それに、私はあなたのお嬢になった覚えはありません。私だってこんなこと、やりたくてやってるんじゃないんですよ? 悠雅さんがもう少し真面目に取り組んでくだされば、さっさと終えてゆっくりお昼が食べられるんです。わかってます?」

「だからって、常識問題から始めなくても良いでしょうに……」

「幼馴染として、小さい頃から木刀ばかり振っているのを見ていたからです。……これでも気を遣ってるのに」

(どう考えても馬鹿にしてるだろう……)


 瑞乃に聞こえぬように、彼はしらけた嘆息を漏らした。

 深凪悠雅という男はこれまでの人生で机に向かう時間を余り取ってこなかった。彼には望みがあったからだ。


【  英雄になること 】


 言葉にしてみればなんとも陳腐で現実味のない望みだ。しかし彼はそうなることを切望している。敬愛すべき育ての親であり、尊敬すべき恩師に返しきれない恩を返すために。

 だからこうして図書室の机にかじりついている暇があるなら、今すぐにでも木刀の素振りをしていたいと思ってしまうのだ。英雄というは武力のみならず、叡智を兼ね備えてこそのものだが、そこは若気の至りというやつなのだろう。


「さ、きりきり続けます、午後のお勤めもあるんですから、シャキッとしてください」

「わかりましたよ」


 致し方なしに悠雅が机の筆をとったその矢先、入室の声とともに一人の男がやってきて、


「――深凪十席、隊長がお呼びです。隊主室へ起こし下さい」


 先触れの召集がかかる。


 ◇◇◇


 征夷大将軍が座す軍都・安土は、この国において皇都・京都と双璧を成す極大都市である。

 北西に琵琶湖を望み、昔ながらの木造建築に西洋由来の石に多層構造の建築法が合わさった木造の摩天楼の街並み。和洋が幾重にも折り連なる異国ならではの望郷だ。夜には放電アーク灯と電飾照明ネオンサインが煌びやかにまたたき闇を彩る。それがまた美しいと評判だ。

 西の湖に点々と浮かぶ屋形船を空の星屑のようだと、ブリテン王室の皇太子が賛美の言葉を残している。

 そして空には飛行船が流れる。北から蝦夷、本州、四国、九州、琉球を結ぶ空の航路図は、華やかなりし人類文明の象徴であると民は口々に讃えていた。

 皇国の未来は明るい。誰もがそう思っている時代だといえた。

 されど、その裏で血と汗を流している者達がいる。

 どれだけ華やかな世であろうとも、暴虐は必ず潜んでいる。その暴虐と戦う者――聖稜十二支せいりょうじゅうにし。それは幕府直属の戦闘集団だ。


 軍都の中心――安土城が建造された安土山の麓にある巨大な武家屋敷。木造の摩天楼が立ち並ぶ軍都の中にあって、ぽつんとひとつ時代に取り残されたような平屋建て。すなわち聖稜十二支・二番隊の隊舎である。

 隊舎の回廊に黒い袴がひらりと駆け抜ける。


 悠雅は胸中によぎるわずかな不安を抱えながら、襖の前に立ち止まった。

 その脇には隊主室と書かれた札が下げられているのを確認し、呼吸を整え、


「――失礼します。深凪第十席、参上いたしました」


 襖を開ければ二つの影が悠雅を出迎えた。


 一人は齢七十を過ぎながら年齢を感じさせない精悍な顔つきと、肉体を保つ三番隊隊長――【藤田五郎ふじたごろう】。

 もう一人は執務机に腰をかける白い髭をたくわえた男。二番隊隊長にして悠雅の育ての親であり、彼の目標――【杉村義衛すぎむらよしえ】。


 両名とも七十を超える老齢であるものの、刃の如き覇気はいまだ衰えていない。それどころか歳を追うにつれ強まっている気さえして、悠雅はどうしようもなく強張ってしまうのだった。


「そう固くならなくていい、深凪。休んでいいぞ」


 緊張した様子の悠雅を気遣った藤田が休むように指示するが、緊張が解けていないのは一目瞭然で、藤田は少しばかり苦く笑う。


「おい、杉村。伝令役は請け負ったが、深凪に伝えるのはお前の役目だぞ」

「…………、」

 藤田が促すのだが、当の白髭の男は口を真一文字に閉ざしたまま、執務机からじっと悠雅へと視線を注ぎ続けている。


「あの、藤田隊長。多分、爺さ――杉村隊長は、」

「……ああ、わかっているよ深凪。わかっているとも」


 悠雅に対して努めて笑う藤田は、そのまま頭痛でもしているかのように眉間を揉んで、大きく息を吸い込むと、


「お前に言ってるんだよ【永倉ながくら】ァッ――!!」


 隊舎内全域に響かんという怒鳴り声が放たれた。わずかに肩を震わせてようやく反応した杉村は、


「私のことを呼んでいたのか!!」


 気づかなかったと、今にも口走りそうな杉村の様子に、藤田は余計に苛立つ気持ちをため息をつくことで押し殺す。


「……ぼけるにはまだ早いぞ、杉村」

「いやあ、すまんすまん。未だにその名に慣れなくてなあ」


 杉村はつるつるとした頭皮を撫でながら、快活に笑って見せた。藤田はさらにあきれ返って、


「もう年号が〈大照たいしょう〉に変わって七年も経つんだ。いい加減慣れろ」

「だってもうジジイだし、仕方なかろう」

「えぇい、七十過ぎのジジイが『だって』と抜かすな。それから口を尖らせるな気色わるい!! そもそも、お前が言い出したことだろう、今までの名は明示聖上めいじせいじょうに捧げようと決めたのは」

「はて、そうだったか」

「……本当にぼけが始まっていないか、杉村。病院に行ってきた方が良いぞ」

「むぅ。そう意地悪を言うな藤田。頭は冴えている。……お前は昔たくさん世話してやったというに、いつのまにか『さん』付けじゃなくなっているし、悲しいぞ私は」

「いい加減にしないと、その禿げ頭カチ割るぞ杉村ァ……!!」


 今にも腰に挿した鬼神丸国重きじんまるくにしげを引き抜かんとする気勢の藤田に、杉村は慌てた様子で背筋を整えごほんと一つ咳払い。そして、改めてその視線を悠雅に向けた。


「あー、悠雅――じゃなかった、深凪十席。少しばかり仕事を頼まれてはくれんか?」

「わかりました。それでどのような?」


 悠雅が問い返すと杉村はたくわえた真っ白な髭を撫で、やや間を置いてから、一言、簡潔に命を下す。


「今から敦賀つるが港におもむき【アンナ・アンダーソン】という少女をきなさい。ああ、これは上意というやつでなあ。頼むぞ」


 上意。つまりは幕府そのものからの命令であるということ。されど悠雅は困惑する。席次持ちとはいえ末端の十席――しかも二十歳にも満たない十八の若輩者に上位という大役を任せるという。何よりなぜ『攫う』のか、『連れてくる』のではないのか、その意図がわかならなかったからだ。しかし、杉村に問い質そうとする悠雅に彼は二の句を告げさせぬよう間髪入れずに、


「――【橘比奈守深凪悠雅鍵時たちばなの ひなもり みなぎゆうが かねとき】。これは上意である。三度は言わぬ。攫ってくるのだ」


 杉村は悠雅の本名を述べて、改めて命を下す。


 扶桑人は名を大切にする国民性を有する。己の名に誇りを持つからだ。

 表向きに名乗る〈苗字〉と〈あざな〉。それとは別に一族の名を表す〈うじ〉、一族の位を表す〈かばね〉、そして他者に悟られてはならない真名たる〈いみな〉だ。


 故に本名――特にいみなはみだりに口にしてはいけない。それを呼んでいいのは血を分けた家族か、生涯の伴侶のみ。他者がそれを口にした時、場合によっては刃傷沙汰に発展する事もある。それほどまでに名は尊ばれる。


 だからこそ、彼は思う。自分は今、覚悟を問われているのだ、と。


「――拝命いたします」


 ならば応えようと悠雅は奮い立つ。英雄の影を追う者として、これは避けられぬ道であると確信したが故。


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