短編

トオヤマ

蝉の腹

声をあげたくなるほど蒸し暑い太陽の下、狭い溝に蝉がひっくり返っていた。僕は腰を下ろしてもう三十分程それの腹を見ている。背中には、じんわりと気持ちの悪い汗が流れ、着ているシャツを濡らしていた。銀に輝く肢体に、均等の幅の黒い線。動かない六本の脚。それは開いている。


つまり生きているということだ。生きているのにこの蝉は、どうしてほんの一度たりとも動かないのだろうか。昨日の朝からずっとこの溝で仰向けになっていた蝉をみていて、それが不思議で仕方なかった。


日が照り続けるこの場所で、この蝉は2日間に渡り仰向けになっているのだ。何度か覗きにきてみたが、一向に動く気配はなかった。死んだのだろうかと考えてみたりもしたが、脚が折れていないあたり生きてはいるのだろう。そう考えているうちに、うねうねとそれが動き出す。生きている。確かに生きているのだ。しかしこの蝉は照り続ける太陽に腹をみせ、脚を大きく動かしている。ばたばたと。うねうねと。


狭い溝の中、抜け出せなくなってしまったのか?




人は蝉を、可哀想な生き物だという。


何年も土の中にいて、ようやく外に出たと思えば殻になり、そこから飛び出し1週間で死んでしまう、哀れな生き物だと。


果たしてそうなのだろうか?


蝉は、1週間で死ぬ自分自身のことを嘆いているのだろうか?


僕はこう思うのだ。むしろ快感なのではないかと。


長い長い間土の中で外へ出るのを心待ちにし、そこから這い出て成虫になるのを待ち、そしてようやく鳴くことが出来る。飛ぶことが出来る。それはもはや、とんでもない快感なのではないか。僕ら人間には到底味わうことの出来ない、想像も出来ない快感。


そう思うのだ。そして蝉は、快感の中で死んでいく。


次に生命を残して。


僕が考えていることを自分勝手な妄想だと言われるかもしれないが、「1週間で死ぬ蝉が可哀想」、この考えこそ、人間の勝手な妄想なのではないか。


どうせ、なにもかも僕らの押し付けなのだ。


とすれば、この蝉が仰向けになっていることも、そこから動かないことも、抜け出せないのか助けるべきなのかそうではないのか考えることすら、押し付けのように思えてくる。


そんなことを考えながら、下ろしていた腰をあげ、蝉と同じように空を仰ぎみてみる。


果たして蝉は、本当に空を見ているのか?


僕はそのまま溝から離れ、家路へと向かうことにした。


すれ違った中学生が箒を持って蝉の元へ向かい、先程まで僕がいた場所へと立つ。


「もう死ぬのかな、コイツ」


「死にたいのかも」


視線で追った先の彼らは、少しの会話を挟んだ後、箒で蝉を払う。ジリリという声に反応するように彼らは声をあげ、1歩後ろに下がった。蝉はどうやら、正常な体制に戻ることは出来たらしい。


しかし、飛んでいく様子はない。


彼らは気持ち悪いな、と声を漏らし、そのまま何処かへ行ってしまった。


箒を持って蝉を殺そうとしたのか。助けようとしたのか。


そして蝉はあのままでいたかったのか、そうではなかったのか。


僕には分かるはずもなかった。






背中の汗は、もう冷えていた。

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